特集
PC Watchの記事で振り返る三菱電機のディスプレイ
(2013/12/7 06:00)
2013年12月5日、三菱電機株式会社は個人向けディスプレイ事業を終了することを明らかにした。
まだ市場在庫の入手は可能ながら、これを報じたニュース記事URLを含むツイートを見ると、同社製ディスプレイが入手できなくなることを惜しむ声は非常に多い。CRT時代も含めて、一度ならず三菱製ディスプレイを使ったことがある人も多いようだ。
そこで、三菱が発売した主なディスプレイを、PC Watch記事で振り返ってみたい。
「ダイヤモンドトロン」のブランド力が強かった1990年代後半
PC Watchが創刊した1996年当時は、まだまだCRTが主流だった時代だ。CRT時代の三菱電機のディスプレイといえば、アパーチャーグリル方式のブラウン管である「ダイヤモンドトロン」を採用した製品が広く知られ、人気を博した。
ダイヤモンドトロンはナナオ(EIZO)や飯山電機(iiyama)などへのOEM提供も行なわれ、元々アパーチャーグリル方式のブラウン管で特許を持っていたソニーの「トリニトロン」と双璧を成すか、ことPC用ディスプレイとしては、それ以上のブランド力を持っていたといっても過言ではないだろう。
PC Watchで最も古い三菱製ディスプレイのニュースは、このダイヤモンドトロンを採用したCRTの話題で、1996年10月16日に発表された「RD17V」、「RD21GX」、「RD21GII」の記事だ。
17型と21型の製品で、17型が1,280×1,024ドット、21型が1,600×1,200ドット表示に対応。21型はBNC入力にも対応している。ダイヤモンドトロンとはいえ、この頃はまだまだ曲面的なブラウン管で、17型、21型が主流。1998年に19型ディスプレイへの参入がニュースとなっている。
ちなみに、1996年当時、三菱電機は「apricot」ブランドでPC製品も展開していた。先の記事よりさらに古い1996年8月に実施されたデスクトップWindows PCの人気投票では、「付属のディスプレイが良い」という理由で「apricot MS540 モデルC」がランクインしている。
さらに余談ながら、この頃の記事を読むと、当時の三菱電機のホームページが「Mitsubishi ELectronics COrporation」にちなむ「melco.co.jp」をドメイン名に採用していたことから、周辺機器メーカーのメルコ(現バッファロー)と紛らわしかった、という思い出がよみがえる読者も少なくないだろう。
1990年代終盤は、各社とも平面ブラウン管を採用したCRTが普及し、低価格化が進行した時期となるが、三菱でも1997年9月に「ダイヤモンドトロンNF管」の開発を発表。1998年からは採用製品が登場する。
一方、すでに1990年代終盤は、液晶ディスプレイが徐々に登場し始めた時期になる。三菱でもPC向けに14~18.1型程度のディスプレイを発売しているが、まだCRTとの応答速度や色味、画質の差が叫ばれており、CRTを好むユーザーが多かった。ちなみに、この頃はDVIも規格化前なので、ミニD-Sub15ピンでの接続だった。
また、個人ユーザーにとっては価格差が大きいこともCRTが主流であった理由の1つだ。例えば、1998年10月29日に発表された19型平面ブラウン管採用CRT「RDF19X」は1,600×1,200ドット表示対応でが89,800円。同年11月13日に発表された18.1型液晶は458,000円と、当時の記事からは、その価格差がはっきりと読み取れる。
液晶ディスプレイでは、この頃にミニD-Sub15ピンを搭載するTVチューナ内蔵の液晶ディスプレイ「MDT」シリーズも登場。12型/800×600ドット表示の「MDT121X」、15型/1,024×768ドット表示の「MDT151X」シリーズを1999年に相次いで発売している。
NECとの合弁会社を設立した2000年代前半
1999年9月には、NECとのディスプレイ事業の統合を発表。2000年1月には合弁会社である「NEC三菱電機ビジュアルシステムズ株式会社」(NMビジュアル)を設立し、4月より営業を開始した。ディスプレイの開発から販売までの新会社へ移行した。
なお、合弁会社としてのNMビジュアルは営業開始からちょうど5年後の2005年3月31日に解消し、三菱電機ブランドで販売されてきたディスプレイについては、三菱側が事業を継続する形となった。
ちなみにNMビジュアルはNECの100%出資子会社となり、NECディスプレイソリューションズへと名称変更。後年、プロジェクタ事業を行なっていたNECビューテクノロジーを存続会社としながらも、NECディスプレイソリューションズの名称が受け継がれている。
NMビジュアル時代は、CRTから液晶への完全に切り替わる時期に当たる。
2000年代前半は、より高輝度/高コントラストな「ダイヤモンドトロンM2管」を採用したCRTが登場するなど、CRTと液晶を並行してラインナップしていたが、2003~2004年にかけてブラウン管の製造が終息。その後、2004年にはプロ向けにAdobeRGB対応の21.3型液晶の開発が表明されるなど、液晶ディスプレイが完全に主役になった。
液晶ディスプレイでも、6色独立の色調整を行なう「ナチュラルカラーマトリックス」の搭載や、他社に先駆けて8msの応答速度を達成するなど、技術開発が進められている。また、先述したTVチューナ付き液晶ディスプレイは「VISEO」のブランドとなり、2001年以降に一度は製品展開がストップしたものの、合弁解消間際の2004年後半に復活。タレントを起用したコマーシャル展開も行なった。
LEDバックライトやHDMIが登場した2000年代後半以降
NECとの合弁が解消された2000年代後半は、今では当たり前となったワイド液晶が主流になったころ。当初は16:10のアスペクト比を持つ製品が多数登場しPC向けでは主流となったが、後にはTV放送の影響もあって「フルHD(1,920×1,080ドット)」などの16:9の製品へと移っていく。
三菱電機でも2005年12月に1,680×1,050表示の20.1型モデル「RDT201」を投入。2006年以降、19型、22型、25.5型などラインナップを拡大していった。併せて、応答速度もオーバードライブ回路の投入で高速化が進められ、2006年5月には中間色2msながら応答速度2msの製品「RDT1713」/「RDT197V」が発売されている。
このほか、NMビジュアル解散直前に登場したAdobeRGBカバー/10bitガンマの高色域液晶もワイドモデルが登場。フラッグシップモデルとして1,920×1,200ドットで10bitガンマ対応の「RDT261」シリーズ、「RDT262」シリーズと続いていく。特に後者のRDT262シリーズは、AdobeRGBを107%カバーし、ハードウェアキャリブレータにも対応するなど、プロ向け志向の強い製品。発売当初はワイド液晶であることを示す「Diamondcrysta WIDE」のブランド名だったものの、後に「Dyamondcrysta Color」へとシリーズ名が改められ、以後、高色域のプロ向けシリーズとしてブランドを確立していくことになる。
TVチューナ内蔵のVISEOシリーズも引き続き発売され、2007年発売の「VISEO MDT241WG」からはHDMIインターフェイスを搭載。また、地上デジタル放送が2003年よりスタートしたことを受け、2008年には地上デジタル/CS/BSの3波チューナを内蔵した「VISEO MDT221WTF(BK)」も登場。さらに2009年には超解像技術「ギガクリア・エンジン」を搭載した「MDT243WGII」を発売。現在へと繋がるこうしたトレンドが登場したのも、この頃の出来事だ。
2010年以降は、高機能化と省エネ化が進められている。2010年5月に120Hz相当の表示を行なう倍速補間機能を搭載した「RDT232WM-Z(BK)」を投入。さらに、三菱電機はLEDバックライト製品の投入そのものは決して早くなかったが、2010年10月にはLEDバックライト制御を確立。倍速補間技術と組み合わせることで、240Hz相当の残像の少なさを謳った「VISEO MDT231WG」を発表した。
さらに、2012年には0.1フレーム遅延に対応し、IPS液晶ながら3.5msの中間色応答速度を実現した「RDT234WX」シリーズを発売。業界初となる技術を続々と投入してきた。
また2011年に、アイドルグループ「ももいろクローバーZ」をいち早く起用したキャンペーンを展開したことも記憶に新しい。
以上、惜別の思いを込めて、三菱電機のディスプレイ製品を振り返ってきた。業界初の製品化を達成した製品も多く、同社製品の歴史は、PC用ディスプレイの歴史とリンクしていると言える。数多くの記事の中で、使っていた製品に再会した人もいるのではないだろうか。
もちろんTV製品では「REAL」シリーズもあるし、産業向けディスプレイもあるので、“三菱のディスプレイ”は生活の中で目にする機会は少なくないはずだ。だが、PC用ディスプレイを目にする機会が今後減っていくのは避けられないのだろう。技術面でも進歩を生み、魅力ある製品を投入し続けてきた同社に感謝したい。