特集
「Matrox Millennium」の2D描画こそ究極のビジュアルと思ってた。GPU今昔物語
~PC Watch 30周年特別企画
2026年5月29日 06:04
2026年、PC Watchは創刊30周年を迎えた。この30年間、PCのスペックを語る上でCPUと並ぶ「華」として君臨してきたのが「GPU」なのは疑う余地はないだろう。「GPU」とは「Graphics Processing Unit」の略で、言葉そのものはNVIDIAが同社ビデオカード「GeForce 256」発売時の1999年に提唱したものなので、比較的新しいワードといえる。
「GPU」の主な機能はPCにおける画面描画や映像出力を担当する。かつては「ビデオチップ」と呼ばれ、それを搭載した拡張ボードである「ビデオカード(ビデオボード)」は、必須PCパーツの1つ、いわば裏方のような存在だった。それが、今や3Dゲーム高速化の重要なポジションをキープしつつ、AI時代の主役へと躍り出たのだ。
本稿では、そんなGPUについて、どのような歩みでその地位を確立していったのか、全体の流れを熱く語れるマイルストーンについて、筆者の当時の思い出や印象を中心に振り返ってみたい。
序章: Windows以前の「GPU」事情
GPUの歴史を振り返る前に、ちょっとだけ昔話をしておきたい。まだ日本においてDOS/V規格が主流になる以前、具体的には1980年代から1990年代前半、この時代の日本におけるPC業界は、NECの「PC-9800」シリーズやシャープの「X1」や「X68000」などのシリーズ、富士通の「FM」シリーズといった形で、現在のアップルと同じように、日本メーカー各社がそれぞれ独自規格のPCを立ち上げて販売していた時代だった。例外は、定められた規格に沿う形でハードウェアを開発、製造、販売していた「MSX」ぐらいだろうか。
当時はそれが当たり前だったため、意識することはなかったが、この時代は1台のPCを1社で開発、製造、販売していたこともあり、PCの頭脳ともいえる「CPU」が製品の顔として前面に出されることが多い反面、「ビデオチップ」の存在を強調することはあまりなく、その存在を知る人が少ない時代だった。当時はそもそもパソコンのパフォーマンスが低かったこともあり、性能の向上のアピールにはCPU処理性能を謳う方が都合がよかったというのはあるだろう。もちろん同時発色数や描画可能な色数など、ビジュアルの数値をアピールすることもあったが、そこでビデオチップが声高にアピールされることはあまりなかった印象だ。
分かりやすい例としては、当時のゲーム機、任天堂の「ファミリーコンピュータ(ファミコン)」や「スーパーファミコン」などを語る上で「8bit」や「16bit」などの言葉がよく使われていたことがその証左となるだろう。もちろん、ゲーム機の性能の差異はCPUだけではなく、それ以上に画像処理の部分こそが重要だったが、当時そこに注目していたのは実際にゲーム開発するプロやマニアが中心で、ほとんどのユーザーはあまり意識していなかった部分といえる。
また、当時は「GPU」のように1つのワードでビデオチップを語る単語がなく、たとえば前述の「MSX」に搭載するビデオチップは「VDP(Video Display Processor)」と呼ばれていたし、任天堂のファミコンでは画像処理を担当するチップを「PPU(Picture Processing Unit)」と呼ばれるなど一貫性がなかったことも要因の1つと言えそうだ。
第1章: 1990年代後半~
Windows 95の爆発的ヒットから数年、NECが日本国内で仕掛けた「PC-9800」の呪縛は徐々に綻びを見せ、DOS/V自作機がPC業界の主役へと移り変わる頃になると、PCというものがCPUだけではその性能が発揮できず、マザーボードやメモリ、ビデオカードやサウンドボードなど、複数のパーツが重要になるという事実が少しずつ浸透していく。
以前「CPU栄枯盛衰30年史」でも触れた通り、筆者が最初に購入したデスクトップPCは富士通の「FMV DESKPOWER T16」だ。こちらにはS3 Graphicsの「S3 ViRGE/VX」が搭載されており、これが筆者と「GPU」との出会いとなる。ただ、初めのうちはビデオカードについては全く興味を示すことはなかった。PCにおいてはCPUが最重要パーツだと考えていたからだ。しかし、当時のPC雑誌などでよく見かける、とあるビデオカードの存在がだんだんと気になってくる。それがMatrox社の「Millennium」だった。
2D描画の性能が高いと言われていたMatroxの「Millennium」は、Windows 95という2D GUIが中心のOSを使っていた当時において非常に魅力的に感じられたため、これを買わない手はない!ということで色々と手を尽くして入手に成功、その2D描画の性能の高さに大いに驚いた記憶が残っている。
また、単なる描画スピードだけでなく、シャープな映像だったり、発色が素晴らしいとされるなど「きれいな映像」だった印象が強い。今となってはアナログの時代の幻想の面もあると思われるが、当時はとにかく「Millennium」こそ最高!「それ以外のビデオカードはカスや!」と言わんばかりの信者っぷりを発揮していたとにかく恥ずかしい記憶だけが残っている。
当時の筆者は、基本的にビデオカードにはとにかく「2D描画の高い性能」を求めていた。そのため、「Millennium」だけでは飽き足らず、「Cirrus Logic」のビデオカードの動作が軽いと聞けば購入し、やや古い製品ながらTseng Labsの「ET6000」の性能が高いと聞けば中古で購入して試すなど、色々なビデオカードを購入しては1人で評価して、あまりよく分かっていないのに御託を並べてご満悦だった。
この時代は、筆者にとってはDOS/Vデビュー時期だったこともあり、CPUとメモリ、HDD、2D描画など、主要パーツの価格動向や性能にしか目が向いておらず、業界全体の動向には疎かったわけだが、PC業界としては、少しずつ「3D」という新たな波が押し寄せていた時代でもある。
1996年頃から、自作ユーザーの間で神格化されていたのが3Dfxの「Voodoo」だ。当時のビデオカードは2D描画が主流であり、3Dを動かす機能についてもぼちぼちとチップに搭載し始めていた頃、Voodooはいきなり「3D専用ボード」として登場し、さらには独自API「Glide」も合わせて用意されており、Glideで開発したゲームタイトルをVoodoo搭載PCで遊ぶと、当時としては信じられないほど快適に3D描画が実現できたため、大いに人気を集める形となった。
筆者が初めてその洗練された暴力的なパワーに触れたのは、秋葉原のショップのデモ画面だった。Voodooを通すことでヌルヌルと動き出す3D映像の衝撃はかなりのものだった。
その後、3dfxはVoodoo2において、2枚差しすることで、さらに性能が向上する「SLI」機能などもアピールされ、一部の3Dゲームマニアたちの間では2枚同時購入が当たり前といった大人気を博したのだ。
当時の対抗馬として名前が上がるのは、なんと今をときめくNVIDIAだ。同社が発売した最初のビデオチップ「NV1」はダイアモンドマルチメディアの3Dビデオカード「EDGE 3D」として発売され、バンドルソフトの「バーチャファイター」が快適に動作するという点が話題になったが、正直なところあまり盛り上がらず、筆者の記憶では早々に秋葉原において特価品としてこのバーチャファイターのパッケージが格安で叩き売られていた記憶が強く、この時の印象からNVIDIAにあまりよくないイメージを持ったまましばらく過ごすことになる。
Voodoo2で盛り上がりを見せていた3dfxだが、1998年頃になると、3D専用ビデオカードではなく、やはり2D/3Dを1枚のビデオカードで快適に使いたいという要求が増えてきたのか、Voodoo2の3D性能を持ちつつ、2D描画も行なえる「Voodoo Banshee」を発売し、盛り上がりを見せる。この頃になると、NVIDIAが発売していた2D/3D対応ビデオカード「RIVA 128」やその後継の「RIVA TNT」が話題となり、この頃から「Voodoo vs RIVA」の対決が盛り上がりを見せることになる。
ほかにもATIが「Rage 128」、Matroxが「Millennium G200」、S3が「Savage」など、各社が3D対応の2D/3Dビデオカードを発売しており、まさに群雄割拠の時代となっていた。
この頃、筆者はビデオキャプチャにも関心があった。キャプチャ周りの話を始めると、膨大になるので詳細は省くが、この時期に発売されていたATIのビデオチップ「Rage 128」を搭載してビデオカードとしても使えるだけでなく、専用ソフトを介することでビデオキャプチャ機能なども利用できた全部入りボード「All-in-Wonder 128」も使っていたことがあり、Rage 128の印象も強かった。また、筆者の知り合いにはユニークな仲間が多く、Rage 128の名から子どもの名前を付けた人がいたことも、かなり印象的な思い出の1つだ。
しかし、3dfxは次の「Voodoo 3」で自社最新チップを他社向けに提供しない選択をしたとのことで、シェアを落としてしまい、その後はMicrosoftの3D API「DirectX」と各社3Dビデオチップとの親和性の高さの向上などから、最終的にはNVIDIAに買収されてその幕を閉じることとなる。
一方その頃の筆者は相変わらず3Dに興味がなかったため、当時の憧れは「Number Nine Revolution IV」だ。発売直後は入手できなかったが、後日、手に入れたそのボードのカッコよさにはかなり感動した記憶が残っている。3D性能はチェックしていなかったが、なんとなくMillenniumの頃に感じた、2D描画の映像のよさを感じており、しばらく愛用していた。そんなNumber Nineも3D性能競争には勝てず、1999年にはS3に買収され、21世紀を迎える頃にはその幕を閉じていたのは2D時代の終焉の象徴ともいえるだろう。
その後の筆者は、Millennium G200やMillennium G400などを使っていた時期もあったが、正直なところ最初にMillenniumを手にした時ほどの強烈な印象はなく、以降は段々と低価格路線としてのビデオ機能統合型チップセットに興味が向いていく。
そんな中で、ビデオカードにおいて「画質」へのこだわりという個性を見せていたカノープス「Spectra」シリーズも当時ならではの動向といえるだろう。独自開発の「Witch Doctor」や、メイン基板とは別の基板を通して映像信号を出力する「SSH(Signal Super Highway)」、モニターの特性に合わせて調整できるアナログ信号フィルタシステム「DFS(Dual Filter System)」といった独自の画質向上機能を多く備えており、アナログ接続でも画面の滲みを徹底的に排除したキレのある映像を再現しており、筆者はそこまでハマることはなかったが、そのこだわりには感心した記憶が残っている。
第1.5章: ビデオカード接続スロットの変遷について
ここまでほぼ触れてこなかった重要な要素として、マザーボード側の接続ポートについての話がある。Windows 95登場の頃には、すでに当時のデスクトップPC用マザーボードには標準でPCIバスとISAバスが当たり前のように備えられていた。以前はISAバス用の製品もあったようだが、PCIバスの方がより高速だったため、このころのビデオカードはほとんどがPCI用のものとなっていた。
転機は1996年。前述のように3D処理など、少しずつビデオカード側の役割が増えてくると、ビデオカード向けにより高速な転送速度を実現するための専用バスが必要になってくる。ここで新たにIntelが「AGP(Accelerated Graphics Port)」を策定し、自社のマザーボードに採用。以降はAGPがビデオカード用のバスとして主流になっていく。
AGPはPCIの拡張規格であり、転送速度が重視され、最初のAGPでは転送速度が倍、その後の「AGP 4X」や「AGP 8X」など、時代の流れに合わせる形で転送速度が高速化されていく。
AGPは登場以降、10年くらい主流として使われていたが、PCIベースのAGPでは限界を迎えたこともあり、さらなる速度向上などを目的にPCI Expressへと移行して現在に至る。PCI Expressのバージョンはその後も、年々と転送速度を高速化しているため、今後数年はPCI Expressが続くと考えられる。
第2章: 2000年代 ~「ATIの赤い基板」と熾烈な性能競争~
2000年代に入ると、ビデオカードは「いかに速く、いかに高品質な3Dを描くか」という純粋なパワーゲームの時代へ突入する。市場はNVIDIAとATI(現AMD)の二強時代へと集約されるようになっていく。
二強時代においてもNVIDIAは常にリードし、時代の先端を突っ走っていたが、突っ走りすぎて失敗した例として挙げられるのが2002年の「GeForce FX 5800」だ。プログラマビリティを高めて、より美しいビジュアルを追及した結果、爆熱動作となり、高速回転のファンによる爆音での冷却が必須になってしまい、大いに苦しむこととなった。これには後日、同社幹部もヘアドライヤーと揶揄するほどだから、相当なレベルだったのだろう。
一方で同時期にリリースされた「RADEON 9700 PRO」は「GeForce FX 5800」より高パフォーマンスながら、小型ファンで冷却できるレベルの発熱量で抑えられていたこともあり、スマートに頂点に立つことができたビデオカードとなった。
個人的には最初に「GPU」の名を冠したNVIDIA「GeForce 256」、そして初の民生向けプログラマブルシェーダーアーキテクチャを採用した「GeForce 3」がとても印象的だ。新たな3Dグラフィックス表現を「GPU」上で動かせるプログラム処理により実現する、GPUがプログラム処理を行なう転機の1つとなったからだ。
この後、GeForce 8シリーズの世代になると、NVIDIAはゲームとは関係なくプログラムの一部を実行させられる「CUDA」の実装を開始。本来CPUに行なわせてきた処理の一部を「GPU」に担当させるというユニークな発想を現実のものとし、それを今日まで続けた結果が、「AI」の学習処理などに使われることになるという経緯などを考えるととても感慨深い。
筆者は当時、実際に「CUDA」でプログラムするような使い方をしたことはなかったが、動画編集などをしていた都合上、当時使用していたペガシスの動画エンコードソフト「TMPGEnc 4.0 XPress」に、「CUDA」によるエンコード処理が実装され、そのパフォーマンスの高さには一目を置いていた。
ハイエンドな「ビデオカード」が進化する一方で、別の進化を遂げていたのが「チップセット統合型グラフィックス」だ。かつてCyrixが「MediaGX」で提示したビデオ機能のワンチップ化という構想を、Intelが力技でメインストリームに持ち込んだのが1999年登場の「Intel 810(i810)」チップセットだった。
当時、ビデオカードを買う予算がない学生や、ビジネスPCを組む層にとって、i810は救世主だった。しかし、自作マニアにとってのそれは、メインメモリの一部をビデオメモリとして拝借する「UMA(Unified Memory Architecture)」という、なんとも悩ましい仕組みとの戦いでもあった。当時このチップセットを使っていた人の中には「貴重なメモリが64MBしかないのに、グラフィックスに8MBも持っていかれる!」と憤慨した人たちも多いはずだ。
i810チップセットがIntel純正の安心感で普及する一方で、自作マニアや格安PCメーカーが熱い視線を送っていたのがSiSやVIAだ。特に2000年前後に登場した「VIA Apollo MVP4」や「SiS 630」、Athlon向けの「Apollo KT133」や「SiS 730」は、1チップでビデオ機能からサウンド、ネットワークまでを飲み込んだ、まさに「全部入り」チップセットの代名詞だった。
この頃の筆者は、頂点を争うハイエンドのビデオカードよりは、「i810」など統合型チップセットに興味があって、これらを愛用していた。最大の魅力はやはりビデオカードを使わなくても映像が表示できるところだし、マザーボード1枚にすべての機能が集約されているところに、ある種の「懐かしさ」を感じていた。
そのため、Intelがビデオ機能を統合したCPUとして開発してきたコードネーム「Timna」にも注目していた。現在では当たり前となったCPUへのGPU統合について、Intelはかなり早い段階から動いていたというわけだが、こちらはリリースされることなく、CPUの歴史の闇に消えていった。
第3章: 2010~2020年代 ~マイニングの嵐、そしてAI PCの主役へ~
2010年代以降も「GPU」の性能は上がり、この頃からいよいよ当時の最新据置ゲーム機との差がなくなり、それを上回りつつあった。NVIDIAの「GeForce」はシリーズを重ね、製品名も「GeForce XXXX(4桁数字)」から「GeForce GTX XXX(3桁数字)」へと変化、現在へと続くリアルタイムレイトレーシング機能を搭載した「GeForce RTX XXXX(4桁数字)」シリーズへとさらなる進化を続けている。
NVIDIAが進化すればAMDも進化する。同社はこれに「Radeon」シリーズで対抗を続け、「Radeon X」や「Radeon HD」、「Radeon R」、「Radeon RX」と進化。「Radeon RX 6000」シリーズからはリアルタイムレイトレーシングにも対応するようになっている。
実際に筆者は、2012年頃の段階で「The Elder Scrolls V: Skyrim」というオープンワールドのアクションRPGを、当時の最新据置ゲーム機「PlayStation 3」や「Xbox 360」ではなく、ゲーミングノートPCでプレイしていた。また、2015年頃、ゲームライターとして活動するために、人生で初となるハイエンドビデオカード「GeForce GTX 980」を導入したが、その性能はもはや当時の据置ゲーム機に勝るとも劣らない高品質なビジュアルとパフォーマンスの高さに度肝を抜かれた。
GeForce GTX 980購入時に特に強く感じたのはその価格だ。この頃のハイエンドGPUは10万円近い価格で販売されていたが、これだけのお金があれば、当時のハイエンドな据置ゲーム機が丸ごと1台、ソフト付きで買えてしまう。2015年なら「PlayStation 4」が販売中だったが、発売時の価格は税別で3万9,980円だ。もちろんハイエンドなGPUを搭載したPCなら、さらに高精細なグラフィックスを描画できたが、コスパという点においては、ゲーム機の方が上と言えた。
そして、2017年には「GPU」界隈にとっては一大事件ともいえる「仮想通貨マイニングブーム」が巻き起こる。これはまさにNVIDIA含む、この時代のビデオカードでは標準となっていた「CUDA」などの「GPGPU」が仮想通貨のマイニング処理のプログラム実行に最適、とのことで、急速にショップの棚からビデオカードが消え、価格が高騰する異常事態となったのは記憶に新しい。この頃のニュースを眺めていると、多くのビデオカードを挿せるマザーボードや、映像出力機能を省略したマイニング専用ビデオカードなども発売されており、当時のブームの勢いが感じられる。
ゲーミングPCにとっては2020年も節目の年だと感じられる。コロナウイルス流行による社会の変化だ。外出自粛などの社会情勢を鑑みて、出社せず自宅でのリモートワークが増加するなど、多くの変化が起こった年だが、ゲーム業界においては、自宅でゲームをプレイするユーザーが増えるといったプラスになる面が多かった年でもあるといえる。
とりわけ、eスポーツ界隈においては、これまで据置ゲーム機を利用してオフラインで開催していた大会までもが、ほぼすべてゲーミングPCによるオンラインでの形式で行なわれるようになるなどの環境の変化もあり、ゲーミングPCの需要が飛躍的に増加した印象だ。これに伴い、ゲーミングPCを提供するメーカーがプロゲーマーたちのスポンサーに付く動きがより顕著になったことと、コロナの影響は無関係ではないだろう。
そこから現在に至るまでの数年は、ゲーミングPCの盛り上がりが留まることを知らず、据置ゲーム機の代わりにゲーミングPCを導入する家庭も増えるなど、未曽有のブームになっている印象を受ける。
筆者は格闘ゲーム「ストリートファイター」シリーズを使用したカプコン主催のプロリーグ「ストリートファイターリーグ」を2021年から取材しているが、2020年までオフライン開催だったこの大会が基本オンラインでの開催となったのがこの年からだ。さらに企業がオーナーとなってチームを編成する「チームオーナー制」が導入されるなど、現在に続く形になった年でもあり、節目の年となっている。
加えて、AIのさらなる盛り上がりもGPUの普及にさらに影響を与えた要因の1つだろう。ことの起こりは2015年、AIを利用したプログラム「AlphaGo」が囲碁のプロ棋士相手に勝利したというニュースだ。このAlphaGoはGoogleの子会社DeepMindが開発しており、当時は一般的だった「AIが囲碁でプロに勝つのは難しい」という認識をあっけなく覆すこととなった。このAlphaGoで使われていた「ディープラーニング(深層学習)」の実効性の高さは、AIがこれまで以上に飛躍的に進化していることを示唆していた。
そして2022年頃に登場した新たなAIサービス「ChatGPT」は、これまでと次元の異なるAIとしてのパフォーマンスの高さを発揮したことで、リリース後、瞬く間に広く普及し、その影響力はGoogleやMicrosoftなど他社をも追随させるなど、現在のAIブームの先駆けとなったのは間違いない。こうしたAIにおける学習処理などにGPUが得意な並列処理が最適なため、GPUの需要はさらに高まった。
こうしたAIブームの結果、AIを巡るメモリ争奪戦が起こり、これに前述のゲーミングPCの盛り上がり、さらには現在の緊迫した世界情勢なども合わさった複合的な流れを受けて、2025年末から世界的に、PCやスマホ市場全体にパーツ供給の「冬」の時代が到来する事態を招くことにも繋がった。この潮流は現在もあまり変化がないため、この先どうなっていくのかは想像も付かない。
ところで、かつてチップセットに統合されていたGPUは、その後どうなったのか。これについては、2000年代後半にリリースされ、Intelにとっては転機の1つとなった「Core i」シリーズにおいて、CPUのダイ内部にグラフィックス機能を完全に取り込む形へと進化していくことになる。Intelは、コードネーム「Clarkdale」でGPUを取り込み、「Sandy Bridge」においてその完成形を見せた。
2011年からはAMDもGPU統合型CPUのリリースを開始する。同社はこれに「APU(Accelerated Processing Unit)」という名前を付けてビジネスを展開していくことになる。両社がGPU統合型CPUをリリースするようになったことで、前述のような高性能なGPUを搭載したゲーミングPCと、GPU統合型CPUを採用するビジネス向けPCといった形ですみ分けが明確になっていった印象だ。
特にAMDのAPUは後に据置ゲーム機PlayStation 5で採用されることで一際注目を集め、さらには同じような構成のAPUを採用したValveのポータブルゲーミングPC「Steam Deck」の登場は、ゲーミングPC業界に新たなカテゴリとして、ポータブルゲーミングPCブームを巻き起こす。この躍進は、AMDのAPU開発をさらに加速させ、現在のポータブルゲーミングPC市場は、さらなる局面を迎えていると感じられる。
第4章: 2056年の未来予想図 ~30年後の描画はどうなるか~
最後に、30年後となる2056年のGPU事情について、現実的な視点から予測してみたい。シリコンの微細化は原子レベルの0.1nmに達し、物理的な限界を迎えた未来では、現在の「ポリゴンを並べて色を塗り、ディスプレイに表示する」というレンダリング手法は古典芸能になっているだろう。
2056年のGPUは、もはや独立したボードではなく、ガラス基板上に「超高密度3Dスタッキング」されたチップレットの一部となっているはずだ。描画はAIによる「ニューラル・レンダリング」へと完全に移行。そしてディスプレイはなく、光インターコネクトによる超低遅延ネットワークを通じて、クラウド上で処理された映像などが「現実と区別できない光景」として、我々の網膜に直接送り込まれるかもしれない。
AIが日常に浸透し、「IoT(Internet of Things)」ならぬ「AIoT(Artificial Intelligence of Things、ではなく、AI of Things)」が当たり前となり、情報収集に人が能動的に「検索」を使用する日は終わりを迎え、「あれなんだっけ?」などの疑問は、脳内でAIが補完してくれる……そんな未来も来るかもしれない
一方で、これだけPCが普及した現在でも、愛用の文房具を用いて手書きで作業する人がいるように、未来になってもあえてキータッチが良好なキーボードでテキストを入力したり、そういった人たちのためのPCと呼ばれる端末は残っているような気がしているのは筆者だけではないだろう。
栄枯盛衰は繰り返すが、自作のロマンは死なず
以上、CPUに続いてGPUの30年史を振り返ってみた。残念ながら、GPUやグラフィックスアクセラレータの礎を作ってきた3Dfxも、S3も、Number Nineも、今はもうない。しかし、彼らの技術の積み重ねが現在のGPUの奥底に根強く残っており、彼らの競い合いがあったからこそ、今の鮮やかで高精細なコンピュータグラフィクスがあるのだ。
30年後の未来、デバイスの形が変わっても、我々自作マニアの末裔たちは「網膜への映像表示に遅延が起こるのは、XX社のチップが悪いからだ」とか「XX社のAI処理は好みじゃない」などと語り合っているだろう。そして30年後も「あえてPCでゲームするのが面白い」とか「PCにしか味わえない魅力があるよね」なとと、PC Watchの記事を片手に熱く語り合っているに違いない。




































































