山田祥平のRe:config.sys

笑えないバーチャル通勤

 通勤はたいへんだ。毎日数時間を費やす通勤が、外出自粛の環境下で少なくなり、もう以前には戻りたくないという声も聞こえてくるのだが、実際にはそうでもないという。

会議は増え、通勤は生産性を向上させていたことが判明

 Microsoftがおもしろい調査結果を発表した。

 パンデミックによる外出自粛が世界中の働き方を変えてから、半年以上が過ぎたなかで、働く上での心身の健康についての調査結果だ。この調査の要約として次の5つの結果がリストアップされている。

  • (1)パンデミックは仕事での燃え尽き症候群を増加
  • (2)職場のストレスの原因はファーストラインワーカーとリモートワーカーとでは異なる
  • (3)コミュニケーションが増加し、組織の境界が減少している
  • (4)通勤がないことは、リモートワーカーの生産性を向上するのではなく、むしろ低下させている
  • (5)瞑想が燃え尽き症候群と仕事のストレスに対して有効

 興味深いのは(3)と(4)だ。

 まず、(3)について、オンライン会議ツールであるTeamsのデータ分析から、人々がより多くの会議を行ない、より多くの電話通話やチャットを行なうようになったことがわかったようだ。これについてはリアルでのコミュニケーションが激減しているのだから当然の結果とも言える。

 だが、一般的な勤務時間後のチャット(17時以降から深夜まで)の数も増え、勤務時間後のチャットをするユーザーの割合が以前の2倍以上となったという。過去においては17時以降にはまったくキーボードにふれなかったのに、今はふれるようになった人々が存在すると同社は分析している。

 具体的な値としては、1人当たりのTeamsチャット数が48%増加、1週間の会議と通話数が55%増加、勤務後にチャットを行なうTeamsユーザーの割合が2倍に増加、勤務後の1人当たりのTeamsチャット数が69%増加といった具合だ。

 これらの値を見るかぎり、いわゆる会議は以前よりも増えていると考えざるをえない。あんなに面倒くさかった会議を増やすことで何かを穴埋めしているようだ。

 (4)の結果もおもしろい。Microsoft Researchのグループによる研究により、かつては忌み嫌われていた通勤が、実際には仕事と生活の境界の維持に貢献し、生産性や心身健康確保につながることがわかってきたという。

 つまり、通勤は勤務時間とプライベート時間の境目にあって、仕事を終わって気持ちを解放するためのルーティンになっていたということだ。それがないと朝に勤務につくときの切り替えもできなければ、終業で気持ちを解放する儀式もできず、1日の終わりには疲れ果ててしまうということらしい。

Teamsも通勤対応

 こうした調査結果を踏まえ、Microsoftでは、来年(2021年)初頭にTeamsにバーチャル通勤の機能を追加するという。英語ではバーチャルコミュートというらしい。Teams関連の健康機能の追加についてはブログで発表されている。

 デモンストレーションの映像を見ると、1日の終わりに、その日のタスクを整理し、終わったもの、To Doリストに追加するものを決め、今日の気分を評価、「I'm home」ボタンを押して終業するような流れだ。

 また、出勤については、コルタナからのメールでその日の概要を確認し、とりかかるべき作業を提案されるといったことで気持ちを切り替える。

 この機能は、本当にユーザーが求めているものなのかどうかもわからないし、効果も実際に使ってみないとわからないのだが、一連の儀式は、通勤というよりも、始業と終業に伴うルーティンワークの一種であり、本来は勤務時間内にこなすべきタスクのようにも感じる。

 通勤とは、そういうものではなく、もっと心が仕事から離れて自由になるものではないかとも思う。仕事と暮らしをつなぐ、インターフェイスのような存在、いわばノリとして木に竹を接ぐ。出社してすぐに仕事にとりかかれるように、通勤中に、その日の段取りを頭のなかで組み立てるといったことを実践している従業員は立派だとは思うが、なかなかそういうふうにはなれないとも思う。

無駄という偉大な時間

 いずれにしても通勤というのは無駄なように見えて、とても重要な時間だったのだと改めて思う。

 ぼく自身はフリーランスの立場なので、毎日同じ経路で同じ場所に向かうような通勤とは無縁で、その日ごとに経路も場所も異なっていたわけだが、その移動時間に得られる情報量というのは途方もなく大きかったのだと今にして思う。

 本も読めたし、音楽も聴けた、暇つぶしに手にするスマートフォンを使って偶然知るニュースも少なくなかった。自宅の仕事場で、ずっとパソコンに向かって、Twitterのタイムラインを表示しっぱなしにしていると、見落としてしまっている話題も多くなっていることに気がつく。

 何をするわけでもなく、電車に乗っているだけで目に入ってくる人やモノ、コトが、大きな刺激になっていたことも思い出される。ファッションや他人が手にしているガジェット類、社内吊りの広告などで知るトレンドもたくさんあった。

 こうした刺激がなくなってしまった今、自発的にこれらを得ることができるように行動そのものを再構築しなければならないとも思う。

 今の生活は、新型コロナによって、いやいや強制されている様式かもしれない。近い将来、その強制から解き放たれたとき、様式を元に戻すのか、その様式をある程度持続するのかは議論の余地があるだろう。新しい働き方、制限された生活様式が、じつは生産性の向上や効率アップに貢献する要素も少なからずあるからだ。

 こうした付加価値をチャラにしてしまう必要もない。働き方のみならず、学び方にしても、オンライン授業のほうがいいというケースもあれば、リアル教室での対話のほうがいいというケースの両方がある。

 コロナが強制するすべての体験は、何かを抑制するものばかりではなく、何かを加速してくれるものもあるということだ。今は、こうしたコロナ後の世界観を構築するためのアイディアを練る時間であり、いわば逆モラトリアムの時期でもある。できることは全部やってみたほうがよさそうだ。