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【PC Watch 30周年特別企画】あの頃、僕らはSocket 7に夢中だった。CPU栄枯盛衰30年史& 2056年の現実的未来予想図
2026年4月1日 06:04
2026年、PC Watchは創刊30周年を迎える。この30年間、PC Watchが追いかけてきたPCの進化の中心には常に「CPU」があった。もちろんHDDやメモリ、SSDなども進化してきたが、やはりPCのスペックを語る上で「CPU」の存在はいわば「華」といえる。
ここ数年の間に自作をするようになった若いPCユーザーからすると、PCのCPUといえば「Intel」または「AMD」のどちらかが思い浮かぶだろう。ちょっとマニアックな人なら、Appleの「Apple Silicon」や、Arm版Windowsで採用される「Snapdragon」など、Arm系CPUのことをイメージする人がいるかもしれない。
しかし、1990年代から2000年代にかけてのPC業界では、数多のメーカーが独自のCPUを開発して競い合う、さながら戦国時代のような下剋上の世界だった。その戦いの果てに、あるメーカーは淘汰され、PC業界と袂を分かつこととなったり、またあるメーカーは買収され、その名を消すといった争いの果てに、現在の2巨頭が残ることとなったわけだ。
本稿では、PC Watchの過去記事とともに、我々40~50代のおっさんたちが「そうそう」、「あった、あった」と懐かしい気持ちで読めるようなCPUのマイルストーンを、筆者自身のPCに関する思い出とともに振り返っていきたい。そして、記事の最後には30年後となる2056年のCPUがどうなっているのか、地に足のついた「現実的な未来予測」をお届けしようと思う。
第1章: 1990年代後半 ~互換CPUの乱立とSocket 7の熱狂~
Windows 95の爆発的ヒットにより、PCが一般家庭に普及し始めた時代。Intelの「Pentium」に対抗すべく、多くの互換CPUメーカーが名乗りを上げた。1996年頃のマザーボードに備えられたCPUソケット「Socket 7」は、IntelだけでなくAMDやCyrixなど、他社のx86互換CPUが載せられるという、今では信じられない夢のようなプラットフォームだった。
筆者が自作PCと向き合うことになったのも、まさにこの頃、Windows 95ブームが一段落した1996年12月だ。ソフトウェア開発会社に就職したことから、自宅でもPCに触れられるようにと購入したのが、Pentium 166を搭載した富士通のタワー型デスクトップPC「FMV DESKPOWER T16」だった。価格は20万円前後、マザーボードはSocket 7のIntel 430HXチップセット搭載で、互換CPUも利用できるということで、筆者が最初に試したCPU換装こそが「IDT WinChip C6 200MHz」だったのだ。
この辺りの情報で有用だったのが、紙の雑誌「DOS/V POWER REPORT」など各社のPC雑誌に加えて、PC WatchやAKIBA PC HotlineなどのWebサイトだ。当時、まだ一読者だった筆者はこれらの記事を参考にして、秋葉原に出かけてCPUを購入し、PCのケースを外してCPUを換装することに無事成功することができた。当時の換装の印象としては、記事と同じように高速化した自分のPCのベンチマーク結果を眺めて大層ご満悦だった記憶だけがおぼろげに残っている。
当時のPC Watchのベンチマーク記事においては、IDT以外にもCyrix 6x86の評価も高かったようだ。何しろ整数演算においては同クロックのPentiumを凌駕する性能を見せており、「PR(パフォーマンス・レーティング)」表記のカッコよさもユーザーを熱狂させた要因の1つだった。しかし、浮動小数点演算の弱さや発熱問題に泣き、徐々にフェードアウトしていくことになる。この過程でCyrixもIDTもVIAに買収されてCPU開発が継続していくことになるのはなかなか熱い展開だ。
しかし、その後発売した「C3」などのx86互換CPUについては、結局パフォーマンスが圧倒的に低かったこともあり、パッとしないまま、CPUの表舞台から姿を消すこととなる。さらに当時はよく目にした低価格の互換チップセット事業についても2008年で撤退しており、以降は舞台を組み込み機器などに移して現在も企業としては事業を継続している。
また、Cyrixと言えば、ビデオ機能などがワンチップ化された「MediaGX」を使った1,000ドル未満のデスクトップPCを発売したことも当時の話題の1つだった。今でこそ1,000ドルというと十分高い価格に見えるが、この時代のデスクトップPCはさらに高額だったこともあり、当時としてはかなり衝撃的なニュースの1つだった。
そして、現在のライバルであるAMDのCPUも当時からPC Watch記事を賑わす存在の1つだったことはいうまでもない。互換CPUという立ち位置においても、Windows 95以前からIntelのライバルとして君臨しており、その存在感は当時からかなり強烈だった。
Socket 7の時代には、「3DNow!」と呼ばれるゲームやマルチメディア系の機能を搭載して登場したAMD「K6-2」は、安価でありながらゲーミング性能を引き上げる高いコストパフォーマンスが魅力だった。何しろ当時のライバルだったMMX Pentiumの最大CPUクロックが233MHzの時代に266~333MHz駆動だったため、互角以上の性能で追随していたといえる。
1998年という時代はOSが16bit/32bitハイブリッドのWindows 95が主流だったこともあり、32bit CPUである「Pentium Pro」の評判があまりよくなかったことから、その後継CPUとなる「Pentium II」も当初はそれほど話題にはなっていなかったように記憶している。さらに自作市場はまだまだSocket 7が主流だったことも追い風となり、当時のAMDの互換CPUの評価はかなり高かった印象が残っている。
この空気を一変させたのが、今なお伝説として語り草となっている「Celeron 300A」の登場だ。
1998年、IntelがSocket 7をやめてSlot 1への移行を本格化させるべく、登場したのが低価格CPU「Celeron」だった。「Pentium」をハイエンドブランドとして継続し、ローエンド向けブランドとして用意されたのが「Celeron」だが、もちろん当時のPentium IIよりもクロックが低く、2次キャッシュはなくなり、カートリッジのようなカバーが省略され、基板剥き出しの状態の形状が特徴だった。
最初のリリース時からオーバークロック耐性の高さが当時の記事でもレビューされているが、このオーバークロックについて盛り上がりを見せたのが「Celeron 300A」(Mendocino)だった。
Celeron 300Aは、普通に使用する場合は、定格300MHz(ベースクロック66MHz×4.5倍)で動作するCPUだ。この石が、ベースクロックを100MHzに引き上げるだけで450MHzで安定動作するという魔法のような現象が起き、秋葉原から在庫が消滅した。ABITのマザーボード「BH6」やデュアルCPUマザー「BP6」と組み合わせた変態構成については、多くの自作ユーザーにとってまさに青春の1ページと言える。
筆者も例外ではなく、Celeron 300Aにのめり込むことになった。実のところ、Slot1登場直後は静観していたし、カートリッジのようなカバーを指して「ファミコンカセットのようだ」と揶揄する側の人間だったのだが、Celeron 300Aのお手軽オーバークロックには度肝を抜かれた。さらに成功率が非常に高かったこともあり、かなりの数のCeleron 300Aと対応マザーボードのABIT BH6とのセットを購入した記憶が残っている。CPUの生産国(コスタリカか、マレーシアか)までチェックして購入していたのは後にも先にもこの頃だけだっただろう。
また、親戚などからのPCがほしいという要望に対して、率先してこれらPCを導入していた。当時、数多く購入したCeleron 300Aの多くはオーバークロック状態でも正常に動作していたが、中にはオーバークロックするとフリーズしたり、動作が怪しくなるものもあったため、こうしたCeleron 300Aについては、デフォルトの300MHz駆動のPCとして原価で提供するわけだ。こちらとしてはハズレのCPUを購入時の原価で引き取ってもらえて、相手にしても安価にPCが購入できるというまさにWin-Winの構図だったのだ。
1999年後半から、筆者はMicrosoftの検証チームに所属することになる。当時は個人サイト「AKIBA Buy Buy Buy」の常連メンバーたちとのオフ会に参加するなど、PC仲間を増やしており、自作以外にノートPCにも興味が湧いてくる。筆者が最初に手を出したノートPCは、Pentium 150と32MBメモリを搭載したDECの「Digital Hi-Note Ultra II」だ。当時としては薄型のノートPCで、定価はなんと約72万円!だが、中古市場ではかなり安価に購入できたこともあり、これを所持してさまざまな場所に持ち運んで使用していた。
そのほかに、当時印象に残っているのは、日本IBMが発売した「Palm Top PC 110」だ。製品としては1995年発売の古いミニPCだが、当時T-ZONEでは新品が定期的に格安のセール品としてよく売り出されていたので、これを1台入手して遊んだ記憶が残っており、今でも好きなポータブルゲーミングPCなどの源流がここにある。
2000年前後までの自作PCのメリットの1つがなんといっても、トータルコストが安かったことが挙げられる。もちろん最新パーツは高額だったが、当時メーカーから発売されているPCはいずれも非常に高額だったため、自作PCのようにケースやマザーボードなどを安価なものにすることでより低コストで高パフォーマンスなPCを構築することができた。また、PCを求める人が以前よりも増え、一般の家庭で使われるPCにもさらに高パフォーマンスが求められる時代。我々自作PCユーザーにとっても、一般の家庭にとってもPCの価値その物が等価に扱われていた稀有な時代といえる。
第2章: 2000年代 ~1GHzの壁突破、熱き戦い、そしてマルチコアの夜明け~
2000年代に入ると、CPUの競争は過剰な「クロック周波数」競争へとシフトする。Intelの「Pentium III」(Coppermine)とAMDの「Athlon」(K75)による1GHz一番乗りレースは、当時のPC Watchのトップニュースを連日飾った。1GHzレースは最終的にAMDが勝利。2000年3月6日、CPUの動作周波数が1GHzを越えた瞬間だ。一方のIntelも2日後となる3月8日に1GHz到達を発表。
当時のニュース記事を見てみると、海外の各ニュースサイトがIntelの3月8日発表という観測記事が流れており、それに触発されてAMDが先行して発表を早めたようにも見受けられる。こうした各社の思惑の中で1GHzレースはAMD勝利で幕を閉じることとなる。
それ以降も過剰なクロック周波数競争はさらに過熱し、両社ともさらなる高クロックを目指すことになる。この頃のデスクトップCPUについては、既に今と同じようなIntel VS AMDによる一騎打ちの構図となっていた。Intelからはより高クロックで動作できるアーキテクチャ「NetBurst」を採用した「Pentium 4」(Willamette/Northwood)、AMDは「Athlon XP」(Palomino/Thouroughbred/Barton)でさらなる高クロックを目指すことになる。
しかしIntelは「Prescott」コア辺りから文字通りCPUの加熱と消費電力が限界を迎え、冬場の暖房器具(プレスコットヒーター)と揶揄される始末。一方のAMDは「Athlon 64」で64bit化と高効率化を先導し、Intelを大いに苦しめた。また、前述のVIAはこの隙間で低発熱/低電力駆動のCPU「C3」などを発売しており、ごく一部の静音PCマニアなどから支持を集めていた……かは不明だ。
なお、細かい話になるが、この時期密かに行なわれていたIntelとAMDによる64bit化対決については、Intelが「IA-64」アーキテクチャ、AMDが「x86-64」アーキテクチャを公開していたが、最終的に2004年頃のタイミングで、Intel側が「x86-64」アーキテクチャを採用する形で決着することになった。ここでの細かな説明は省くが、端的に言えば、64bit拡張について、エミュレーションのみで互換性のなかったIA-64に対して、既存の32bitコードがそのまま動作する互換性の高さでx86-64が選ばれたようだ。
Pentium 4は、確かに文字通り「熱い」CPUだった。そのため、CPUクーラーなどについてもより高効率で冷却できる物が求められ、結果としてサードパーティ製のCPUクーラーなどが盛り上がった時期ともいえる。筆者環境においては、複数台のPentium 4搭載デスクトップPCが並べられており、冬場は冗談抜きにストーブを使わなくても生活できるくらい、部屋が暖かくなっていた。そして当然ながら電気代もかなり高額になっていた。
この頃になると、ノートPCを使って色々と作業することが増えており、デスクトップPCは必要な時だけそこにいくか、またはリモートデスクトップ接続の機能を使って家庭内LANでリモート作業などを行なっていた。というのもこの頃は、TV番組のアナログ録画全盛期の時代であり、筆者もデスクトップPCでバラエティ番組やアニメなどをあれこれとPCで録画していた。そのため、デスクトップPCを無視することはできず、ソニーのデスクトップPC「VAIO PCV-R50」による高品質のMPEG-1録画を楽しんだり、Canopusの内蔵ビデオキャプチャボード「MTV1000」による高品質なMPEG-2録画などでテレビ番組を録画し、それを「TMPGEnc」で編集してローカルHDDに保存して楽しんでいた。また、外付けHDDに映像再生機能を付与したHDDメディアプレーヤーの類の製品も多く発売されており、これらのレビュー記事などをAV Watchなどに寄稿している。
さらに、この頃はデルなど直販デスクトップ製品の割引がかなり強烈だったので、市販のデスクトップPCを購入して、CPUを換装したり、メモリやストレージの増設をして利用するといった活用をしていた時期で、Pentium 4やPentium Dについては自作というより、こうした市販デスクトップのケースをベースに内部パーツのみ換装して利用していた。
この時期は今改めて振り返ると、自作という行為が「日常」へと変化していたように感じる。メモリを増設したり、CPUを換装するなどの行為が特別なものではなく、日常生活の中で自然に行なうものになっていた。そのため、特別な感動などは当初と比べてあまりなく、かなり落ち着いたものになっていた。
デスクトップが高発熱、消費電力増大の流れの中で、モバイルについては真逆のアプローチを進むことになる。Transmetaの「Crusoe」の登場だ。ソフトウェア・エミュレーションでx86命令を実行する「コードモーフィング・ソフトウェア」というアプローチを採用。ソニーの「VAIO PCG-C1VJ」などに搭載され、モバイルPCのバッテリ駆動時間を劇的に伸ばした。
そして、そのアプローチがIntelという巨人を動かすことになった。Crusoeがコードモーフィングに起因するパフォーマンス不足に悩んでいる間に開発を続けたIntelは、2003年に「Pentium M(Banias)/(Dothan)」を発表する。CPUクロックこそ低くなったが、クロック当たりの動作効率が非常に高く、さらに低消費電力で動作するという、Intelが今までやってこなかった「モバイル専用設計」のCPUを発売するきっかけとなったのは、間違いなくTransmeta Crusoeの「功績」の1つだ。
Banias発表に際して個人的に興味深かったのは、これまでCrusoeに出資し、多くのCrusoe搭載ノートを発売してきたソニーが、最新の「バイオU」シリーズ「U101」において、Baniasの「超低電圧版Celeron 600A」という発表直後のPentium Mと同じBaniasコアながら、さらに超低電圧動作の特殊なCPUを採用したことだ。そこには情のようなものはなく、最高のパフォーマンスと最高の省電力を実現できるなら、出資したTransmetaを捨て、1度離れたIntelの元に再度戻ることができる「ソニーらしさ」のようなものが感じられた。
バッテリ効率の高さと性能の高さを併せ持つという本来矛盾する性能を発揮することに成功し、モバイルCPUの世界でも頂点に立ったIntel。その陰ではパフォーマンス不足が改善できず、2004年の「Efficeon」の発売を最後に市場から姿を消すこととなったTransmetaの姿があったことを忘れてはいけない。
2003年といえば、ちょうど筆者が本格的にライターとして活動を開始した時期でもある。この数年の間にすっかり、ThinkPadに魅了されていた筆者は、迷うことなくBaniasを搭載した「ThinkPad X40」を購入して、ライティングなどに活用していた。一方で自宅では変わらずPentium 4、Pentium Dなどを搭載したデスクトップPCが元気に発熱しながら稼動していた。
その後、2006年にIntelはついにNetBurstを捨て、高効率なCoreマイクロアーキテクチャを採用した「Core 2 Duo」(Conroe)を投入する。ノートPCでは先行して「Core Duo」(Yonah)をリリースしていたが、デスクトップ用のCPUとして採用された点がポイントだ。これまでの「クロック信仰」を完全に破壊し、圧倒的な性能と省電力性でAMDから王座を奪還。ここから長きにわたるIntel一強時代が始まることとなる。
2005年はPC業界にもう1つの激震が走った年でもある。それは、Appleがこれまで採用してきたPowerPCを離れて、Intel製CPUを自社のMacintoshに搭載することを発表した年だからだ。2006年、IntelのCoreマイクロアーキテクチャ採用CPU「Core Duo」を搭載したMac miniが実際に発売されると、PC Watch編集部も大盛り上がり。早速増刊号として、Mac miniを分解する方法などを記載した特集ムックを発売するなど、かなり力を入れていた。当時、AV Watchに在籍していた筆者は、PC Watch編集部の盛り上がる様子を一緒に楽しんでいた記憶が残っている。当然Intel入りのMac miniは自腹で購入し、「Boot Camp」によるWindows起動についても大いに堪能した。
この後、2年の歳月を経て、筆者は2008年の12月を以って編集/ライター業から一旦足を洗い、Microsoft時代以来となる検証業務に再度従事することとなる。金銭的な事情などいろいろなことがあったが、ここから数年、筆者の元には常にPCがあったことには変わらないが、自作への渇望はかなり消失していた。
モバイルの分野においては、2007年に登場し、2008年から国内でも発売され大人気となったASUSの「Eee PC」について触れないわけにはいかないだろう。Eee PCは超低電圧版のCeleron M 900MHzを内蔵した7型サイズのコンパクトなネットブック。海外で199ドルPCとして、国内でも5万円という、当時としても破格だった点がポイント。Eee PCは国内市場においてかなりのヒットを見せており、Intelが組み込み機器や低価格PC向けの省電力プロセッサとして「Atom」シリーズをリリースする土壌になったといえる。
Atomシリーズはその後もアップデートを続け、現在もリリースを継続する息の長いブランドの1つとなった。こうした「ネットブック」が盛り上がりを見せる中で、2009年にはソニーがVAIOの1モデルとして「VAIO type P」を発売。CPUとして「Atom Z520」(Menlow)を採用し、8型ウルトラワイドという横長薄型コンパクトなモバイルノートPCとなっている。恐らく読者の多くは「ポケットに入る(っていうけど半分しか入ってない)やつね」のワードだけでもピンとくるだろう。
また、Atomはそれ以降も順当に進化し、2013年辺りから「艦これ」の大ヒットにより、日本国内限定ともいえる「Windowsタブレット」という新ジャンルを切り開いた。それ以降はIntelの方針転換により、Atomはブランドが廃止となったが、今は最新のプロセッサの中で、省電力/高効率な「Eコア」として、そのアーキテクチャが息づいている。
第3章: 2010~2020年代 ~停滞、Ryzenの覚醒、AI時代へ~
Core 2 Duoが好調だったIntelが次に放ったのは新たなプロセッサナンバーを用いた新ブランド「Core i」シリーズだ。ローエンドがi3、ミドルレンジがi5、ハイエンドがi7という形でナンバリングされ、以下世代や性能などが数値とアルファベットで表記される仕組みとなった。中でも2011年に登場したIntelの第2世代Coreプロセッサ「Core i7-2600K」(Sandy Bridge)はあまりにも完成度が高すぎた。
その後の進化が緩やかで、当時のOSであるWindows 7が快適に動作していたこともあり、「まだSandyおじさん」という言葉を生み出すほどの長寿命となった。一方、AMDが同時期に発表した「AMD FX」(Bulldozer)アーキテクチャは大失敗し、倒産の危機すら囁かれる長い冬の時代を迎える。
前述の通り、筆者はこの時期のPC、特にデスクトップについては引っ越して部屋が縮小していたこともあり、ほとんど触れておらず、Core iシリーズについても、当時使用していたノートPC「ThinkPad X201s」に搭載していたCPUがCore i7-620LMだったことくらいで「Sandyおじさん」にすらなれていなかったのだ。
また、この時期になると多種多様な時代へと変化しつつあり、元気に動作するPCが必要な家庭もあれば、スマートフォンだけで十分という家庭など、PCの必需性はなくなりつつあった。加えて、PCについてもあまり高スペックでなくてもWindowsとExcelが十分に動けば問題なし、という状況となりつつあり、より高スペックを求めるマニアたちと、低スペックで満足する層に二分化されているような状況だったと感じる。筆者についても、ノートPCにはこだわりを持ちつつ、デスクトップPCについては、最小限で十分と思うような状況だった。
そんな筆者にとっての転機は2015年だ。ちょうどこの頃、筆者はGAME Watchでゲームライターとしての仕事を開始しており、当時の連載の事情からゲーミングPCを改めて導入する必要があり、初めて10万円近い高額のGPU、ビデオメモリ4GBの「GeForce GTX 980」を購入した。この際に一緒に購入したデスクトップPCが2012年発売のCore i7-3770搭載、メモリ16GBのDELL製デスクトップPCだったので、ここでいよいよほぼ「Sandyおじさん」化したとも言える。
ゲーム機の時期としては「PlayStation 3」の終盤くらいからだろうか。ゲーミングPCのパフォーマンスが家庭用ゲーム機を上回るようになってきて、徐々に家庭用ゲーム機でしか出ていなかったAAAタイトルがPCでも発売され、遊べるようになってきた。もちろん同じくらい高品質のビジュアルで遊ぶためには、GPUの中でも高性能なハイエンドクラスが必要だったが、筆者が改めてゲーミングPCのパフォーマンスの凄さを体感したのはちょうどこの頃からとなる。
そして2017年、ここまで苦しい戦いが続いたAMDがついに全く新しいZenアーキテクチャを採用した「Ryzen」を投入した。長年4コアに甘んじていたメインストリーム市場において、突然多コア・低価格の波という強烈なRyzenカウンターをもたらしたのだ。これはIntel一強の牙城は崩れ、再び抜きつ抜かれつの健全な競争が復活した歴史的な瞬間だ。
また、2022年にもPC業界に軽い電流が走る出来事があった。ゲームプラットフォームのSteamを手掛けるValveが発売した新たなゲーム機「Steam Deck」だ。CPUにはRyzenベースと思われる(後にRyzen Z2Aとしてリリース)ZenコアのアーキテクチャとRDNA 2アーキテクチャ採用のRadeon GPUを内蔵したCPUに16GBメモリ、そしてストレージ容量の違いで3モデルを用意。もっとも高額な512GBモデルでも10万円未満という驚きの価格で発売したのである。
実のところ、PC業界においては、2017年頃から、コンパクトなモバイルゲーミングノートPCの波が少しずつ押し寄せてきていた。中国、深センのデバイス製造メーカー、GPDが、当時話題になりつつあったクラウドファンディングを活用して「GPD WIN」を開発、発売した。CPUには低消費電力のAtom x7-Z8700を採用するなど、ゲーミングPCというよりは、コンパクトなモバイルノートとしての注目度が高かった製品となるが、その後のアップデートを経て少しずつ性能を高めていき、「GPD WIN3」の頃にはついにCore i5を搭載するまで強化された。
そのような状況下で登場したSteam Deckのヒットにより、モバイルゲーミングPCの世界は一変。まず、Ryzen採用の製品が急増し、GPD WINもOneXPlayerもRyzen搭載製品をリリースするようになっていった。リリース製品が増えたことで、AMD側も次々と最新のモバイル用途向けRyzenをリリースし、そのパフォーマンスはどんどんと上がっていく。
さらに、新たに参入するPCメーカーも増え、ASUSやMSI、さらにはLenovoなど、ノートPCなどを手掛けるメーカー各社が積極的に参入したことで、市場の規模が拡大したように感じる。その中でRyzenが主役を維持しているのは間違いない。
このような経緯もありつつ、2026年現在、CPU戦争としては、新たな次元に差し掛かろうとしている。IntelのPコア/Eコア構成(Alder Lake以降)に代表されるハイブリッド・アーキテクチャが定着。さらに、AI処理に特化した「NPU」の統合が進み、CPUの指標はクロックやコア数から、TOPS(1秒あたりの演算回数)やワットパフォーマンスへと変化しつつある。
CPUがPCの華である点は今も昔も変わりはない。ただし、利用するユーザー側がそのメリットを体感できる割合は日々変化している。特に「Windowsが動けばなんでもいい」と、いわれるようになった頃くらいから、多くのユーザーにとって、PCはCPUのパフォーマンス以上にディスプレイのサイズやメモリ容量、バッテリ駆動時間、サイズなどが重要な位置を占めるようになっているといえるだろう。
第4章: 2056年の未来予想図 〜30年後のプロセッサはどうなるか〜
以上、細かい要素についてはかなり省略しているが、1996年から2026年までのCPUのロードマップについて、筆者の当時の思い出などとともにざっと振り返ってみた。そして、ここからは30年後、2056年のCPU事情について、現実的な視点から予測してみたい。
先ずは物理的限界についてだ。Intelの最新CPU「Core Ultraシリーズ3」(Panther Lake)における最新のプロセスノードは「Intel 18A」と呼ばれる、他社の2nmに匹敵するプロセスノードとなっている。
原子の大きさは元素の種類によっても多少異なるが、直径約0.1nmとなっていることから、シリコンの微細化は原子レベルという物理的な限界に達しており、単一のダイで性能を上げる時代は完全に終わっているのが見て取れる。現在のチップレット技術が極限まで進化し、ロジック、メモリ、光インターコネクトがガラス基板上で数十層にも及ぶ「超高密度3Dスタッキング」が当たり前になるのは自明の理と言えるだろう。
CPUがさらに高速化すれば、それを載せるマザーボードの銅線配線による遅延と電力ロスは許容できなくなり、CPUとメモリ、あるいは他のコンポーネントとの通信は「光」へと置き換わる可能性が高そうだ。ソケットにピンを挿したり、ピンの上にCPUを載せたりといった電気的な接点ではなく、光ファイバーの接点を合わせるようなマウント方式がハイエンド層から普及していると考えらる。
また、現在まで長きにわたって使われてきたx86やArmなど、特定の命令セットに縛られる時代は、次の30年で終わりを告げるのではないだろうか。オープンソースのRISC-Vエコシステムが成熟し、ソフトウェア側でアーキテクチャの違いを完全に吸収できれば、ユーザーは「このアプリはx86用だから動かない」といったこれまでのように互換性で苦しむことはなくなり、その意識もなくなっていくだろう。
そして、AI処理など、重量級の演算の多くは、超低遅延ネットワークを通じてクラウドにオフロードされることになるだろう。手元のPCやモバイル端末に搭載されるローカルCPUの主な役割はローカルAI処理により「いかにユーザーの意図をリアルタイムに汲み取り、クラウドと連携するか」というトラフィック制御とセキュリティ処理に特化していくことになりそうだ。
今回追ってきた30年のうち、2010年前後から本格的に普及を開始したスマートフォンは、15年前後で飛躍的に進化を遂げており、特に近年のAIとの連携による進化はさらに顕著だ。そのため、PCの役割は次の30年を経て、さらに専門的な物に特化していくことは疑いようがない。30年以上前、まだWindowsが普及する前の時代には、PCを使えるだけで周囲に驚かれたり、変わり者として見られた時代があったが、今後スマートフォンの進化が続けば、PCを使う人は変わり者というレッテルが復活する可能性もありそうだ。
栄枯盛衰は繰り返すが、自作のロマンは死なず
CyrixもIDTもTransmetaも今はもうない。しかし、彼らがIntelという巨人に挑み、業界に刺激を与えたからこそ、現在の洗練されたプロセッサが存在している。また、Intelと今も戦いを続けるAMD、少しずつカテゴリが近付き、新たな脅威となっているSnapdragonなど、CPU世界の戦いは今後も高次元で続いていくことだろう。今回は触れなかったGPU周りについても、同じような激闘が展開しており、現状から鑑みると、将来的にはCPUよりもGPUの方が重要度が増しているかもしれない。
今から30年後の未来、CPUの形が大きく変わったとしても、きっと我々は「1Wあたりの処理性能が前世代比でどのくらい向上したか」を血眼になって追いかけ、新しいプロセッサのプロセスノードやアーキテクチャについて熱く語り合っているに違いない。どんなにPCの常識が変わり、世界の仕組みその物が変わっていこうとも、PC Watchは「次世代プロセッサ」のベンチマークを取り続けたり、新たなガジェットに心を躍らせつつ、レビューを書いているはずだ。


























































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