笠原一輝のユビキタス情報局
新発表の「Illustrator iPad版」を動かしてみた。AdobeのMac/Windows向けArmネイティブアプリの展開は?
2020年10月20日 22:00
Adobeは10月20日、Adobe MAX 2020で発表する「Creative Cloud」の新しいアプリなどを明らかにした。各アプリについては別記事を確認されたい。本記事では新しく発表されたIllustrator iPad版について実際のアプリを利用しながら紹介する。
長い時間をかけてモダンコードベースへの移行を果たしてきたAdobe
2020年はIllustratorの番に
Adobeは近年、同社のクリエイター向けツール「Creative Cloud」の主要なアプリを同社の新しい開発ツールベース(以下モダンコードと呼ぶ)に置き換える取り組みを行なってきた。
Adobeのツールは、昨年(2019年)Photoshopが30周年を迎えるなど、歴史があるツールになっているが、逆に言えば過去の遺産(レガシー)をたくさん持っているとも言える。このため、たとえば近年のアプリでは普通に実装されているクラウドベースのAI機能やクラウドストレージなどの新しい機能を実装するときに、実装に時間がかかってしまうのだ。
また、macOSやWindowsといったプラットフォーム依存ももう1つの課題で、iOSやAndroidといったモバイルプラットフォームへの展開時には、デスクトップ版とモバイル版がそれぞれべつべつに開発されて開発工数が増えてしまい、なかなかモバイル版の機能が増えていかないという課題を抱えていた。
そこで、Adobeが近年導入しているモダンコードベースでは、クラウド系の機能が充実した開発ツールになっており、アプリにそうした機能を実装することが容易になった。
そして、コードも完全に新しいプラットフォームを意識した設計になっており、1つのコードを設計すると、そこからモバイル版(AndroidとiOS)、デスクトップ版(macOSとWindows)へと展開していくことが容易になっているのだ。
基本的には機能のコードなどは同様で、モバイル版であればタッチUIやペンなどの特有の機能だけを実装すれば、簡単にモバイル版とデスクトップ版への両対応ができる。これにより、ほぼ同じ機能のアプリをモバイル版とデスクトップ版で展開可能にしている。
こうしたモダンコードベースの製品として最初にリリースされたのが2017年のAdobe MAXで発表されたLightroom CCで、デスクトップ版とモバイル版が同時に投入された。
翌2018年にはPremiere Rushがリリースされ、同じようにデスクトップ版とモバイル版が同時にリリースされている。2019年にはPhotoshopがモダンコードベースに一新され、それと同時にPhotoshop iPad版がリリースされた。
そして今年(2020年)投入されたのが「Illustrator iPad版」というわけだ。
モダンコードベースでデスクトップ版とモバイル版が同時にリリースされるようになったCreative Cloud(CC)ツールは、ビットマップ画像編集のPhotoshop、ベクター画像編集のIllustrator、写真編集のLightroom、動画編集のPremiere Rushの4製品となり、現在CCでもっとも使われている4つのアプリすべてがモダンコードベースへ移行し、モバイル版アプリが出そろったことになる。
Apple Pencilやタッチによる操作性を実現したIllustrator iPad版
リピート機能も用意されている
今回投入が発表されたIllustrator iPad版も、ここ数年のステップ・バイ・ステップでのアプリモダン化の成果となる。
昨年発表されたPhotoshop iPad版がそうだったように、Illustrator iPad版もデスクトップ版と同じコードをベースに作成されており、基本的な機能やエンジンは同等で、違いはキーボードが標準ではないiPadに合わせてタッチUIやApple Pencilに対応させたことだ。
タッチUIへの対応としてはジャスチャー、タッチショートカットがある。ジェスチャーはiPadなどで一般的に使われるタッチUIのことで、ピンチイン、ピンチアウトによるズームインやズームアウト、2本指のタップでの取り消し、3本指のタップでやり直しなどに対応している。
タッチショートカットのほうは、デスクトップ版でShiftキーを押しながらさまざまな作業を行なうが、それをタッチで再現する仕組みだと考えるとわかりやすい。画面に表示されている円を長押しすることで、動作を変化させ、さまざまなアクションを利用できる。
今回Illustrator iPad版の初期バージョン(バージョン1.0.0)を試用してみたが、Illustratorの主要機能がすでに実装されており、問題なくイラストを作成できた。
ペンを利用してベクターをオーサリングしたり、それを編集したりというIllustratorの基本機能の操作や、指定したオブジェクトの線やその内部の色を変えたりという作業も左側に表示されているメニューから簡単に行なうことができる。
また、Illustratorで多用される機能である「リピート」もサポートされており、円状に表示する「ラジアル」、グリッドの形状に置いていく「グリッド」、ミラーリング機能となる「ミラー」などが用意されており、簡単に模様を配置したりすることが可能だ。
Adobe Fontsへの対応も進められており、別途CCアプリを導入しておくことで、Adobe Fontsの利用も可能になっている(ただし、定期的にCCアプリを起動してフォントの認証作業が必要になる、認証作業が必要になるとCCアプリが通知してくれるので、さほどめんどうというわけではない)。
Adobe Fontsのフォントを利用してテキストをイラストのなかに埋め込んだり、その埋め込んだ文字を回転させたりというIllustratorではおなじみの作業もiPad版でも利用できる。
クラウド対応するaic形式。今後も機能の拡張が図られる
Illustrator iPad版はローカルストレージに置かれているai形式(デスクトップ版Illustratorのローカルファイル形式)のデータを開いて編集し、ai形式に保存することもできるが、基本的には新しいaic形式のファイルフォーマットを利用することになる。
aic形式はai形式をクラウドフォーマットに拡張したものとなる。AdobeはPhotoshop iPad版でもpsd形式のクラウド拡張版としてpsdc形式を導入したが、Illustratorでも同様のaic形式を導入した。
aic形式ではファイルの実体はAdobe CCのクラウドストレージに置かれ、変更があった部分だけをアップロード/ダウンロードすることが可能になるので、効率よくファイルを管理できる。外出先ではIllustrator iPadで作業しておき、家や事務所などに戻ってきたらデスクトップパソコンのIllustratorで続きから作業して仕上げるという使い方が可能になる。
すでに述べたとおり、Illustrator iPad版は開発コードをデスクトップ版のIllustratorと共有しており、基本的なエンジンと機能は同等になっている。
しかし、アプリの開発はコーディングやコンパイルなどよりも、バリデーションと呼ばれる動作検証のほうが大きな時間がかかる。このため、同じコードベースであっても、モバイル版とデスクトップ版が完全に同じ機能なのかと言えばそうではない。
開発フェーズの問題で、一部の機能などはまだ未実装になっている場合がある。これはPhotoshop iPad版でも同様だ。
たとえばデスクトップ版ではおなじみアピアランス機能などはその代表で、ほかにもいくつかの機能が未実装になっている。アドビ株式会社 マーケティングマネージャー 岩本崇氏によれば「まだ未実装の機能も、プライオリティに違いはあるが実装を目指している」とのことで、今後じょじょに実装される計画だと説明している。
たとえば、Illustrator iPad版では、
- 「スムーズとはさみツール」、「キャンバスの回転」および「消しゴムツール」の機能
- Adobe Sensei のテクノロジによりスケッチをベクター描画に変換
- さまざまな幅のブラシストロークを追加
- ドロップシャドウなどより多くのデザイン効果を追加
などの機能に関してはすでに開発のキューに入っている。
岩本氏によればIllustrator iPad版はIllustratorを含むCreative Cloudプランに加入しているユーザーは追加コストなく利用可能で、新規ユーザーは30日間のトライアルに参加できる。
また、iPadアプリのみのプランは月額9.99ドルで利用できる。すでにAppleストアからダウンロード可能になっている。
macOS/Windows向けのArmネイティブアプリはPhotoshopとLightroomから提供開始
AdobeはIllustrator iPad版などの新しいアプリのほかにもいくつか重要な発表をしている。その代表例はmacOSとWindowsの両方でのArmネイティブアプリの提供計画だ。
AdobeはArm版のmacOSとWindowsに対して、PhotoshopおよびLightroomをArmネイティブアプリとして提供していくことを明らかにした。ただし詳細に関してはAdobe MAX後に明らかにされるということで、おそらくApple Siliconベースのデバイスが発表される段階で追加発表があるだろう。
ここで注目したいのは、提供されるArmネイティブアプリはPhotoshopとClassicではないLightroomの2つで、それ以外には言及がないということだ。
冒頭でも説明したとおり、Adobeは近年モダンコードへの移行を段階的に進めてきた。17年のLightroom、18年のPremiere Rush、19年のPhotoshop、20年のIllustratorのように、じょじょに新しいコードベースへと移行を進め、デスクトップ版ばかりでなくモバイル版も同じコードから派生するようにしている。
よく考えてみればわかるように、デスクトップ版はx86ないしはx64(AMD64/Intel64)であり、モバイル版はArm版となっている。つまり、すでにAdobeのアプリはそうしたプラットフォーム側の命令セットからは独立しており、いずれにも対応することが可能になっている。
このため、このモダンコードベースのPhotoshopとLightroomがArmネイティブアプリの第1弾となるのは納得がいくだろう。逆に言えば、その先にある次のネイティブアプリは、Premiere Rushだし、Illustratorだというのは容易に想像できる。
では、プロユーザーには依然として根強い人気を誇るPremiere ProやLightroom ClassicがArmネイティブ版になる可能性はあるだろうか?
もうここまで説明してきたとおりで、これらの開発コードはレガシーを引きずっており、x64からArmにポーティングするのはほとんどコード書き直しと同じような大作業になってしまうだろう。だとすると、これらのArmネイティブ版が登場する可能性はかぎりなく低いか、仮にされるとしてもかなり時間が経ってからということになるのではないだろうか。
ただ、AppleのmacOS Big Surは最初から、Windows 10は今後にx64のバイナリトランスレーションを実装する計画だ。その意味では、少なくとも現在の64bitアプリがまったく使えないという状況は改善される可能性があるとは言える。