笠原一輝のユビキタス情報局
10nmで躓いたIntelが復活できたワケ
2023年8月28日 06:16
Intelは8月21日と8月22日に、同社の後工程の工場があるマレーシアのペナン・キャンパス、クリン・キャンパスで記者説明会および工場見学会を開催した。IntelはMeteor Lakeの主要チップの1つであるコンピュートタイルを製造するのに利用しているIntel 4のプロセスノードが既に立ちあがり、ほかのタイルと合わせてパッケージに搭載される工程に回されており、限りなく出荷に近づいていることをアピールした。
Intelは4年間で5ノードという非常に意欲的なプロセスノードのロードマップを公開しており、今回のIntel 4の立ちあげがなったことにより、5つのうち2つまでが、ほぼ完了したことになる。Intelの関係者は残りの3つも予定通り実行できると自信を示しており、5年前に10nmの立ちあげに苦しんでいた頃とは大きく状況が違ってきている。
なぜ、10nmの立ち上げに失敗したIntelは、4年間で5つのノードというロードマップを着実に実行できるようになったのだろうか?
Intelの後工程の中心的な工場になるマレーシアの2つのキャンパス
Intelは今回初めてマレーシアに持つ後工程の工場を、報道関係者などに公開した。
CPUのようなプロセッサ製品の製造は、大きく言うと前工程と後工程という2つの工程にわけられている。前工程は簡単に言えば、シリコンウェハと呼ばれるシリコンの板の上に回路を構成していく工程で、一般的に半導体を製造するというのはこの前工程のことを指している。
後工程というのは、その完成したウェハ(ウェハには複数のチップ=ダイが構成されており、それがつながった状態のままの状態で後工程の工場に運ばれてくる)からダイを切り出して、そのチップがどのグレード(CPUなどではSKUと呼ばれている)に相当するか選別が行なわれ、それをサブ基板と呼ばれ、マザーボードなどと通信するのに必要なピンを持つ基板(PGAやBGAなどと呼ばれる)に実装されるパッケージングという工程に送られ、皆さんがよく知るCPUになって、さまざまな出荷前の試験が行なわれた後、顧客に向けて出荷される形になっている。
マレーシアの2つのキャンパスで行なわれているのは前述の通り後工程で、クリン・キャンパスでダイの切り離しと選別、ペナン・キャンパスでパッケージ組立、出荷前テストなどが行なわれている。工業製品としての原産国はこの後工程が行なわれた国になるので、(ウェハがどこで生産されたかは関係なく)マレーシアで組み立てられたものは「Made in Malaysia」という扱いになる。
Intelの後工程の工場は、このマレーシアのペナン/クリン、米ニューメキシコ、中国・成都、ベトナム、そしてコスタリカの5カ所に設置されている。このうち、Intelのリージョンで言うと主にAPJ(アジア・パシフィック・ジャパン)地域向けに出荷される製品はマレーシアで、米大陸(北米と南米)向けに作られる製品はコスタリカで製造されることになる。
将来的にはポーランドにも後工程の拠点が設けられる予定で、その拠点が完成すると、EMEA(欧州・中東・アフリカ)向けに出荷される製品が作られる形になる。
Intelがマレーシアに後工程の拠点を設けているのは歴史的な経緯と半導体関連人材獲得が容易だから
Intelがこうしたマレーシアを後工程の拠点として選んでいるのは、いくつかの理由があるが、Intel製造・サプライチェーン・運営担当 副社長 兼 マレーシアIntel業務執行役員 兼 システム統合・マニファクチャリングサービス事業部長 AK・チョン氏は「1つには51年前にIntel最初の海外拠点としてここに組立工場が作られたという歴史的な経緯、そしてもう1つはここには半導体関連の教育機関などが整っており、容易に必要な人材を確保できることが理由だ」と解説した。
チョン氏によれば、1971年にIntel創業者の1人と言ってよいアンディ・グローブ氏が自らマレーシアを訪れて、この地にIntel初の海外拠点を作ることを決めたのだという。実際、Intelが期間中に公開したスライドの中には、泥濘にはまっている自動車を若きグローブ氏が自ら押しているという貴重な写真が含まれていた。
余談だが、Intelの創業者といえば、公式にはロバート・ノイス氏とゴードン・ムーア氏の2人で、グローブ氏は2人がIntelを創設した後に参加しているので、厳密に言うと“創業者”ではない。しかしIntelを今の規模の会社に成長させたのはその2人の後にCEOになったグローブ氏で、創業者の1人として数えられることも多い、ここではそれをリスペクトして「創業者の1人と言ってよい」という表現にしている。
さて、そうして始まったIntelのマレーシア製造拠点だが、当初は本当に小さな「A1」と呼ばれる建物だけで始まったのだが、現在では1万5千人の従業員、ペナン・キャンパスとクリン・キャンパスという2つのキャンパスに90万平方フィートという巨大な敷地を有する規模に成長している。そうした従業員の多くは工場や研究開発期間で働くエンジニアになっているとIntelは説明している。
Intel デザイン・エンジニアリング事業本部 担当 副社長 兼 マレーシアデザインセンター 所長 スレッシュ・クマル・ペラバラ氏は「率直に言えば、今後さらに工場や研究所を追加していく上で足りないのはエンジニアという人材だ。それでも我々はここマレーシアの教育機関と協力して、半導体製造に必要なエンジニアの育成に取り組んでいる。しかしそうしたエコシステムは一朝一夕にできるものではなく、マレーシア政府などと協力して教育にも投資してきたことが大きな助けになっている」と説明した。
我が国でも、コロナ禍での半導体逼迫などの事態を経て、TSMCなどのファウンドリの工場を国内に誘致し、ラピダスのような国策企業を設立して先端プロセスノードでの生産を始めようとしている。
それはそれで素晴らしいことだと筆者は思うが、もう少し長い目で見れば、日本の大学などにも、そうした半導体を研究するような学科などをもっと設置してそうした人材をどんどん輩出することが重要になるだろうなと感じた。ぜひ、国や産業界からそうした動きが出てくることに期待したいところだ。
後工程の工場も“コピーイグザクトリー”
Intelのマレーシアの製造施設に話を戻そう。既に説明したとおり、マレーシアには後工程の工場が用意されており、前工程で製造されたウェハをカットし、選別し、パッケージに装着するという工程が行なわれている。
そうしたIntelの後工程の工場も、前工程工場の展開と同じように「コピーイグザクトリー」でグローバルに展開されている。コピーイグザクトリーというのは、簡単に言えば、最初にテストとして作った工場の内容を、できるだけ忠実にほかの工場に展開していくという戦略。
たとえばクリーンルームの工場や、エレベータの位置、それこそ従業員向けのトイレの位置なども含めて、できるだけ忠実にコピーすることで、効率や歩留まりなども同じように再現できるようにするという戦略だ。
Intelの前工程は、米国オレゴン州ヒルズボロにあるD1C、D1D、D1Xなどでまずテスト製造が行なわれ、それが世界各地の前工程の拠点にコピーされていく。たとえば、Meteor Lakeのコンピュートタイルの製造に利用されているプロセスノード「Intel 4」の場合には、まずヒルズボロのD1シリーズで生産され、その後アイルランドにあるFab 34に“コピーイグザクトリー”されて生産が開始されるなどしている。
後工程でも、前工程ほどではないが、やはりコピーイグザクトリー戦略で展開されているとIntel 製造・サプライチェーン・オペレーション事業部 担当副社長 兼 アッセンブリー・テスト製造事業部 事業部長 ロビン・マーティン氏は次のように説明する。
「後工程に関しても、完全なコピーイグザクトリーではないが、前工程のテスト製造施設があるオレゴンで小規模なものをテストし、それをニューメキシコにある小規模の後工程の拠点に回し、それを世界中の後工程拠点に展開している。マレーシアも同様だ」。
実際、現在マレーシアではMeteor Lakeのパッケージ組立が行なわれているのだが、そこに納入されてくるMeteor LakeのFoverosウェハは、マレーシアで製造されたFoverosのウェハではないという。
というのも、Meteor LakeのFoveros(3Dパッケージング)は、ベースダイと呼ばれるパッシブのダイの上に、コンピュートタイル(CPU、Intel 4で生産)、グラフィックスタイル(CPU、TSMCのN5で生産)、SoCタイル(SoCのメイン部分、TSMCのN6で生産)、IOタイル(PCIeなどのI/O、TSMCのN6で生産)など4つのタイルが積層される形になっている。
その工程は、簡単に言えば、ウェハのままのベースタイルに、4つのタイルを積層していく形で、従来の組立工程よりも非常に高度な作業が行なわれており、従来の後工程の施設では対応できないのだ。
現状ではそれができるのが、ヒルズボロの開発センターとニューメキシコの後工程のラインだけで、現在マレーシアの後工程で組み立てられているMeteor LakeのFoverosウェハは、いずれもヒルズボロないしはニューメキシコのラインで作られて、それがマレーシアに運ばれている形になる。
これまでFoverosを利用していた製品は、Lakefieldだったり、サーバー向けGPUのPonte Vecchioだったりと、いずれも出荷量が限定されていた製品だったので、これで十分だったからだとマーティン氏は説明した。
しかし、今後Meteor Lakeの大量出荷が始まると、この体制ではリソースが足りなくなるのは明らかだ。マーティン氏は「そのために、我々は新しい工場としてPelicanを建設中だ。このPelicanではFoverosの製造にも対応しており、Meteor Lakeのより大きな量産が可能になる」と明らかにした。
このため、Intelはマレーシアにさらなる投資を進めており、2021年12月に今後10年間で約70億ドルの投資を行なうことを発表。そうした投資をFoverosのような最新の先端パッケージング技術を使って製造できるようにしてきた結果が今実を結ぼうとしている。
Intel 4、既に後工程に向けて出荷済みで、マレーシアでMeteor Lake鋭意製造中
そして、今回のイベントでIntelはもう1つの大きなマイルストーンを明らかにした。具体的には今回の記者説明会の中「Intel 4」の製造が既に立ち上がっている(英語ではRamping)と明らかにしたことだ。
前工程でウェハの製造が行なえるようになるにはいくつかの段階がある。最初の段階はテストトップが製造できることで、いわゆるA0と呼ばれる最初のエンジニアリングサンプルの生産が開始される段階だ。この段階には「立ち上がった」(Ramping)という表現はされず、サンプル生産(Sampling)という表現が使われることになる。
今回Intelが使用した「立ち上がった」という表現は、「まだ正式には出荷や発表はしていませんが、既にいつでもそうできる段階にありますよ」という意味。それが正式に出荷され、より大量に作られるようになると「量産」(Volume Manufacturing)という表現に変わる。
つまり、このスライドが示していることは、現行製品となる第13世代Coreの生産に使われている「Intel 7」(従来の10nm Enhanced Superfin)はHigh Volume Manufacturing(大量生産)の段階にあり、Meteor Lakeのコンピュートタイルの生産に利用されているIntel 4は生産が開始され、既に出荷できるだけの数がある程度貯まっている段階にあると言える。
Intel 副社長 兼 ロジック技術開発製品エンジニアリング部長 ウイリアム・グリム氏によれば「Intel 4は昨年(2022年)の12月から生産を開始し、数カ月前に立ち上がった」とのことで、既に相当数のMeteor Lake用のチップが製造されていると考えることができる。
IntelにとってIntel 4が無事に立ち上がったことは大きな意味がある。というのも、Intel 4でIntelは初めて露光技術にEUV(Extreme UltraViolet、極端紫外線)を導入したからだ。
露光技術とは、簡単に言えばステッパーと呼ばれる露光装置を利用してウェハ上に回路を構成していく工程で、従来はUV(紫外線)の発展形にある光源(DUVなど)を利用して回路を構成したのが、EUVを導入することでより細かな回路を構成することが可能になる。このため、7nm以下のプロセスノードではEUVが使われるのが一般的で、Intelでも従来のネーミングスキームでは7nmになるIntel 4からEUVの導入を始めている。
Intelのグリム氏は「EUVの導入はスムーズに行なえた。今でも覚えているが、液浸露光(Immersion Lithography)の時は今よりはるかに大変で、エンジニアが研究所に住んでいるような状況だった(笑)。EUVに関しては10年以上前から研究を続けており、14nm、10nmでもテストしていたぐらいだ。
そうした積み重ねもあり、Intel 4の立ちあげの段階から大きな問題はなく立ち上げることができた」と述べ、TSMCやSamsungなどEUV導入で先行したがゆえに苦しんだ他社とは異なり、Intelは比較的スムーズにEUVの立ち上げが可能だったと説明した。
もっともTSMCなど先行する半導体メーカーがEUVを導入し始めたのは2018年のことで、Intelは後発になったがゆえに、逆にその苦労をしないで済んだと考えることも可能だろう。
実際、IntelのEUV露光装置は「ASMLとの提携でEUVを導入している」(グリム氏)という言葉の通りで、オランダの露光装置メーカーであるASMLの装置を導入してEUVの導入を行なったので、直接的ではないものの、間接的には先行している2社の経験が反映されていると考えることが可能だからだ。
Intel 4の生産はまず、オレゴン州ヒルズボロにあるD1シリーズで製造が開始され、そのあとコピーイグザクトリー戦略に基づきアイルランドのFab34などでも製造が開始されているということだった。ここまで来れば、ほかの工場にEUVを展開していくのは容易と考えられるので、今後はさらなる展開が進んでいくことになるだろう。
初期の10nmで躓いた理由
今回のMeteor Lakeのコンピュートタイルに使っているIntel 4が立ち上がったことで、4年間で5つのノードを立ち上げるという意欲的なプロセスノードロードマップの第2段階までIntelはクリアしたことになる。この後、今年の後半にIntel 3の製造を開始し、2024年の前半にIntel 20Aの製造を開始し、2024年の後半にIntel 18Aの製造を開始する計画だ。
このうちIntel 3は、基本的にはIntel 4の改良版になる。Intelのグリム氏によれば「デザインの密度を上げ、EUVの利用率を上げるものになる」と述べ、EUV露光技術の利用率(実際すべての露光がEUVになるのではなく、一部の層だけEUVを使うなどが一般的だ)を上げたものがIntel 3のポジションになる。そしてIntel 3は2024年から大規模に稼働することになるIFS(Intel Foundry Services)向けのプロセスノードとしても提供されることになる。
そしてIntelにとっての次のビッグステップはIntel 20AとIntel 18Aだ。Intelのグリム氏によれば「Intel 20AとIntel 18AではPowerViaが導入される」との言葉の通りで、新技術としてPowerViaが導入され、半導体の性能を引き上げる計画だ。
前出の通りIntel 20Aは2024年の前半に、Intel 18Aは2024年の後半に製造が開始される。通例から考えれば、それから半年~1年後に立ち上げ~量産出荷になると考えることが可能だろう。
今のIntelの勢いを見ていると、こうした4年間で5ノードという最初聞いた時には誰もが「難しいじゃないの?」と考えた意欲的なロードマップも実現しそうな感じに見えてくる。実際グリム氏はこの4年間で5ノードの計画は「オントラック(予定通り)だ」と述べており、Intelはその着実な実行に自信をもっているように見える。
2016年の末だったはずの10nmの立ちあげに失敗し、結局は開発をほぼやり直すような形になってしまい、量産出荷が2019年までずれ込んでしまったというのが5年前のIntelだったことを考えると、もはや隔世の感がある。
「当時とは何が違うのか」と率直にグリム氏に聞いてみると「10nmの時には、最初にEUVなしにタイトなピッチの回路を構成しようとしたことが間違えの始まりだった。結局それが止められずにリセットする必要がでてしまったのだ。そこから多くのことを学び、今はよりよくなることができたと考えている」と述べた。
つまり10nmの時は、かなり難しいことにチャレンジして、失敗しつつあったのに、それを諦めて次へと進まず、失敗しつつある方向性にこだわって突き進んだ結果だった、というわけだ。
意欲的なロードマップを着実に実行できたのはCEOが変わったから
そして10nmの立ち上げに失敗した時と、今の最大の違いをグリム氏に聞いてみると、「パット(ゲルシンガーCEO)が帰って来たことだ。パットが帰って来て、4年間で5ノードという戦略が決められてから、多くの開発費用の投下と人材の割当があった。そして以前からいた人材もリスキリングすることで、さらに効率の良い配置が可能になった」と説明した。
グリム氏の言葉から、ゲルシンガー氏がIntelに戻ってくる前のIntelでは、そうした研究開発に正しい予算と正しいリソースが割り当てられていなかったという状況だったことが推測できる。だから、10nmの立ち上げに失敗するという事態が発生し、TSMCやSamsungといった競合メーカーに技術で抜かれてしまうという、かつてのIntelでは考えられないようなことが起きてしまった。
しかし、そうした大胆な予算配分やリソースの配分も、ゲルシンガーCEOだからこそできたとも言える。
実は、最近のIntelの決算を見ると、かつては60%をずっと超えていた粗利益率(Gross Margin)が、30%台にまで落ち込んでいる。普通の経営者ならそんな決算が悪化するような投資は許されないだろう。粗利益率は会社の健全性を示す数値であり、製造業では30%台でもかなり高収益な会社と言って良いのだが、それでもかつては60%だったのだから「Intelとしては大きく下がった」と言われても仕方がない。
粗利益率低下の理由は簡単に言えば、グリム氏の言うところの研究開発部門への開発費の投入、世界中に多くの前工程の工場、そして今回のマレーシアの先進パッケージ工場へ建設費への割り当てなどが影響していることは容易に想像できる。つまり、今のIntelは「投資フェーズ」なのだ。潤沢な資金を投入して、次の10年に向けた助走期間にある、そう考えることができる。
結果として粗利益率が下落するとすれば、並の経営者であれば、すぐ“クビ”になるだろう。しかし、Intelの創始者の1人と言ってよいアンディ・グローブ氏のプリンティス(弟子)であり、今や業界のカリスマの1人であるゲルシンガーCEOならば話は別だ。彼であれば、ある意味ギャンブルな投資であっても、株主もある程度までは納得してくれるだろう。それが、ゲルシンガーCEOがクビにならない理由だし、むしろIntelの株主もそうしたことを望んでゲルシンガー氏を呼び戻したのだろう。
そうした投資フェーズにあるIntelの「ペイバック」の始まりが、「4年間で5ノード」の着実な実行として、我々の前に姿を現わしつつある--そう感じさせられたIntelのマレーシアでの記者説明会だった。