■元麻布春男の週刊PCホットライン■
このところ、Intelが特に力を入れているのが組み込みの分野だ。今年になってから開催された、IDF Beijing、COMPUTEX TAIPEI、Investor Meetingと、どのイベントにおいても組み込み分野が大きなウェイトを占める。Research@Intel Day前日に開かれた、海外プレス向けのセッションも、その大半が組み込み分野に関するものだった。
なぜIntelはかくも組み込み分野に熱心なのか。上記海外プレス向けセッションで最後に登壇したウルトラモビリティグループのPankaj Kedia氏は、「Intelが急に組み込みに熱心になったんじゃない。組み込みがIntelに近づいてきたんだ」と述べた。PC以外のさまざまな機器がインターネット接続性を求めた結果、組み込み分野のニーズがIAプロセッサの得意とする範疇と重なり始めた、という意味だろう。
確かにそういう見方もあるには違いない。実際、インターネット接続される機器といえば、しばらく前はIntelプロセッサを搭載したPCが当たり前だったが、携帯電話、TVなど着実に増加している。フルブラウザを搭載した3G携帯電話が普及している日本では想像しにくいかもしれないが、海外では今まさにインターネット接続可能な携帯電話が普及しているところであり、その牽引役がスマートフォンである。
しかし、それだけでもなかろう。Intelも推進するクラウドコンピューティングが普及した場合、クライアントに求められる要件は、パーソナルコンピュータが得意とする処理能力から、携帯性や省電力性等にシフトする可能性がある。わが国でも大ヒットとなったiPadは、PCに近い機能を備えながら、軽量・長時間バッテリ駆動を実現したネット端末であり、今後こうしたデバイスがさらに増える可能性は高い。Intelとしても、この分野に手を打っておく必要がある。向こうから近づいてくる以上に、Intelの側から近づいていく必要もありそうだ。
こうしたインターネット接続を前提とした組み込み機器向けにIntelが力を入れているのがAtomプロセッサだ。x86互換で省電力を実現したAtomは、PCと同じエコシステムを利用可能なネットブックでは大成功を収めているものの、組み込み分野においても同様な成功を収めているとは言い難い。現時点でのAtomの認知度イコールネットブックと言っても間違いではないハズだ。
なぜIntelは組み込み分野で思ったような結果を得られていないのか。改めて言うまでもなく、Intelは世界最大の半導体会社であり、製造技術には定評がある。x86アーキテクチャには膨大なソフトウェア資産があり、Atomは性能面でも優位性を持つと考えられている。唯一、消費電力だけは理想的な水準にはないが、それはIntelも認識しており、削減に努めている。それに、すべての組み込み機器がバッテリ駆動というわけでもない。
【図1】Intelは組み込み分野でも水平分業モデルの導入を目指す |
Intelの組み込み戦略が今のところうまくいっていない大きな理由の1つは、この図1に示されているのではないかと筆者は思っている。1つのプラットフォーム(アーキテクチャ)、1つのソフトウェア・コードベースの上にさまざまなアプリケーションが乗るというモデルだ。これは汎用性の高さを特徴とする、PCと同じ水平分業モデルである。
しかし、一般的な組み込み機器では、まず最終製品の仕様があり、そこからハードウェアやソフトウェア(OS)を選択していく。ハードウェア、ソフトウェアとも、最終製品の仕様に合わせてカスタマイズされることが日常茶飯事の、垂直統合モデルだ。要するに、縦のところに横を押し込もうとしているから、うまく行かないのではないか。
では、Intelがこれをわかっていないのかというと、おそらくそんなことはない。わかった上で、水平分業モデルごと組み込み分野に進出したいのだと思う。特定の顧客の特定の製品向けにカスタマイズした形でAtomを売るのではなく、Atomの汎用プラットフォームを売り込みたいのだ。
もちろん、だからといって全く機器に合わせたカスタマイズを行なわないわけではない。図2は、現時点でIntelが考えている第2世代Atomプロセッサの市場だ。基本的に第2世代Atomは、SilverthorneやDiamondvilleと同じプロセッサコア(Bonnell)をベースに、それぞれの市場分野ごとに必要な周辺を同一ダイに集積したSoCとなっている。その様子は図2に使われているダイ写真でも分かるのだが、より分かりやすいのが図3だ。右のGEN 2(第2世代:Lincroft)のダイ写真の下3分の1ほどを占めるプロセッサ(CPU)コアは、左のGEN 1(第1世代:Silverthorne)の写真とほぼ同じであることが分かる。
【図2】Atomが目指す6つの市場セグメント | 【図3】第2世代のAtomであるZ6xxシリーズだが、プロセッサコアは第1世代とほぼ同じ |
この図2を表にまとめたのが表1だ。用途別に集積する周辺が異なり、それにより対応するOS(特にWindowsとの互換性)に差が生じる。また、用途によって消費電力の大小(ここでの消費電力の大小は、Atomプロセッサファミリ内での相対的なもの)も生まれる。Intelは、少なくともこのプラットフォーム単位で、ソフトウェアのバイナリ互換を含む互換性を保証したいのだと思う。これが上で述べたAtomの汎用プラットフォームである。
【表1】第2世代Atomプロセッサとその用途(2010年)用途 | プラットフォーム/CPU | Windows互換性 | 消費電力(相対値) |
Nettop/Entry Desktop | Pine Trail / Pineview (Atom D) | ○ | 大 |
Netbook | Pine Trail / Pineview (Atom N) | ○ | 中 |
Pad/Tablet型デバイス | Oak Trail / Lincroft (Atom Z) | ○ | 小 |
スマートフォン | Moorestown / Lincroft (Atom Z) | × | 極小 |
スマートTV | ? / Sodaville (CE4100) | × | 大 |
一般組み込み用途 | Queens Bay / Tunnel Creek | × | 中? |
現在、主に垂直統合モデルで事業を行なっている組み込み機器の業界にとって、Intelの水平分業モデル/汎用プラットフォームの採用は、功罪の両面がある。功の部分は、開発負担の低減だ。インターネット接続を要求される組み込み機器では、急速にソフトウェアの複雑性が増しており、開発負担が重くなっている。加えて製品ごとにカスタマイズされたハードウェアでは、毎回ソフトウェアの手直しも必要になる。プラットフォームが共通化されることで、確実に開発負担は軽減される。
罪の部分は、他社製品との差別化が難しくなることだ。それは水平分業モデルの行き渡っているPC業界を見ていれば誰もが分かる。現在最も売れ筋の15型クラスの2スピンドルノートPCの場合、差別化は天板のカラーバリエーションやデザインであり、機能やスペックの違いはほとんどない。これでは価格競争が不可避だ。特に日本の電機メーカーはほとんどが総合メーカーであり、現在は撤退しているところも含め、一度はPC事業を手がけたことがある。そこで何が生じたのか、イヤと言うほど知っており、水平分業モデルの採用にある種の恐怖や警戒感を抱いていることは間違いない。
こうした警戒感に対してIntelはどう考えているのだろうか。水平分業モデルでも利益を出している会社はある、というアプローチはとっているのだろうが、諦めている部分もあるのかもしれない。
以前、デジタル・ヘルス事業部が発足したばかりの時、IDFで事業部長に就任したルイス・バーンズ副社長のラウンドテーブルがあった。筆者は、今後Intelはいわゆる医療機器メーカーにアプローチを行なうのか、といった趣旨の質問をしたが、答えは特に考えていない、というものだった。その時点でデジタル・ヘルス機器の製造パートナーと考えていたのは、台湾勢を中心としたPC OEMであり、彼らにデジタル・ヘルス機器を作らせる意向であった。水平分業モデルにおいて、適者生存したベンダーと組むということだと筆者は理解した。
Intelに警戒感を持つ多くのベンダーが今考えているのは、プラットフォームの共通化と垂直統合モデルのいいとこ取りができないか、ということだろう。Intelの言うような完全に互換性を持つ水平分業は困るが、かといって開発費の負担は減らしたい。一定範囲でのプラットフォームの共通化による開発費の削減と、カスタマイズによる差別化余地の両立が、GoogleのAndroid OSに期待が集まる理由ではないかと思う。
現在Android OSは、ARMを中心に、x86、MIPS、Powerなど多くのアーキテクチャをサポートしている。また一口にARMアーキテクチャといっても、グラフィックスや周辺の相違を含め、ARMライセンシー毎にさまざまなバリエーションがあり、1つのOS(バイナリ)ですべてのハードウェアがカバーできるPCとは大きく異なっている。こうした穏やかに標準化されたプラットフォームであることに、さまざまな可能性を感じているのだろう。
だが、このような穏やかな標準化がいつまでも続くとは限らない。各プラットフォームが突出することなく、まんべんなく売れていればいいが、プラットフォーム間で売れ行きに差が生じると、すぐに売れるプラットフォームへの集約が始まる。Windows 7の前身にあたるWindows NTは、最大で4種類のプロセッサアーキテクチャ(x86、MIPS、PowerPC、Alpha)をサポートしたが、Windows NT 4.0 SP6aを最後にx86専用となった。同じことがAndroidに起こらないとは限らないし、Intelはここでの勝ち残りを目指しているハズだ。
こうしたIntelの思惑に一石を投じることになったのが、AppleによるiPhoneとiPadの成功だ。Appleは、完全な垂直統合モデルで、圧倒的な成功を収めている。彼らは、まだ水平分業モデル陣営には存在しない、世界規模でのコンテンツ有償ダウンロードサービス事業(iTunes Store)を持ち、水平分業モデル陣営が持つどのOSより完成度の高い組み込みOS(iOS)を持っている。
Appleに対抗する本命は、現時点では上述したAndroidだろうが、プラットフォームは一本化されていない。最新のAndroid 2.2は、Google自身の端末、Nexus One用にリリースされたところだが、市販されている他の端末にいつ提供されるのか、そもそも提供されるのかどうかさえハッキリとしない。OSアップデートを提供するのは端末ベンダーであり、端末がベストセラー/ロングセラー化すれば、ベンダーはOSアップデートを提供するだろうが、そうでない場合、アップデートの提供は霧の中だ。同じバイナリがすべてのPCで共通に利用できる(ベンダーがなくなってもOSのアップデートをMicrosoftから入手できる)Windows PCの世界と同じというわけにはいかない。
Appleへの対抗だけを考えれば、プラットフォームが一本化し、開発速度の向上と、ベンダーによるカスタマイズ負担を減らした方が良い。その方が、コンテンツ事業も成立しやすい。が、そうなると組み込みの世界も、PCと同じ差別化が困難で利益の出しにくいものになってしまうかもしれない。このような葛藤が、Intelの組み込み分野への進出を宙ぶらりんなものにしているように思える。