笠原一輝のユビキタス情報局
なぜ新しいThinkPadはIce Lakeにならなかったのか? Lenovo主任エンジニアを問い詰めてきた
2020年1月27日 12:15
今年(2019年)のCESでは、PCメーカー各社が新しいノートPCを多数発表した。とくに注目を集めたのは画面筐体比(Screen to body ratio : STBR)が90%を超えるようなコンシューマ向けのモバイルノートPCだ。Dellの「XPS 13」は91%、「HP Spectre x360 15」は90%で、こうした製品に熱い視線が注がれていた。
また、2画面PCや折り曲げディスプレイ搭載PCなどの新しいフォームファクタも、もう1つのトレンドだったと言える。Lenovoの「ThinkPad X1 Fold」、Dellの2画面PC「Concept Duet」や、Intelの17型折り曲げ型PC「Horseshoe Bend」、Dellの折り曲げ型PC「Concept Ori」、さらにはポータブルゲーミングデバイス的な「Concept UFO」などが話題を呼んだ。
さらに、デザイン意識の高いビジネス向けノートPCも多数発表された。HPは第2世代の「Dragonfly」を、Dellは狭額縁ディスプレイを採用することで14型の底面積に15型のディスプレイを搭載した「Latitude 9510」を発表している。
そして、ビジネス向けノートの代名詞と言えるのが、LenovoのThinkPadシリーズだ。今回は、プレミアム向けの「ThinkPad X1 Carbon(Gen 8)」と「ThinkPad X1 Yoga(Gen 5)」が発表されたが、筐体は昨年(2019年)モデルの据え置きだった。
それだけでなく、CPUも昨年の後半に追加されたComet Lakeな第10世代Coreプロセッサであり、ThinkPad愛好家から「なぜCPUがIce Lakeにならないのか?」という声が出るほどだった。
よしわかった! それでは筆者が実際に作っている人に聞いてみよう。ということで、ThinkPadの開発を主導する開発者の方に話をうかがってきた。
2020年モデルのThinkPad X1 Carbon/YogaがComet Lakeで据え置きなのはなぜか?
ThinkPad X1シリーズのように、サブブランドとして「X1」がつけられた製品は、同社のなかでもプレミアムセグメントに位置づけられており、新素材やより高品質な設計が採用されている。
現在のX1系のラインナップには、昔ながらの14型クラムシェルノート「ThinkPad X1 Carbon」、360度回転ヒンジを備える14型2in1「ThinkPad X1 Yoga」、そしてディスクリートGPUを搭載する高性能な15.6型クラムシェルノート「ThinkPad X1 Extreme」という3製品が用意されている。
今回Lenovoは、これらのThinkPad X1シリーズのうち、「ThinkPad X1 Carbon(Gen 8)」と、「ThinkPad X1 Yoga(Gen 5)」の新モデルを発表した。
これらの2製品には昨年に投入された「CS19(CleanSheet19)」と呼ばれる設計の筐体が継続利用されている(CS19の日本での製品発表に関しては別記事『レノボ、軽量薄型化に加えオンライン会議などの実用面も強くした「ThinkPad X1 Carbon/Yoga」』を参照)。その意味ではブラッシュアップにとどまっているが、一般的にどのメーカーでも新しい筐体設計を2年間は使用するので、これはある程度予想されたことだ。
だが、このような場合、通常はCPUが最新のものになる。というのも、ThinkPad X1シリーズの製品発表が1月になるのは、Intelの新しいCPUが9月か1月に発表されることが多いからだ。
ところが、今回両製品に投入されたのは、開発コードネームComet Lakeで知られる14nmのほうの第10世代Coreプロセッサである。以前の記事(第10世代Coreの複雑怪奇なプロセッサナンバーを理解する参照)でも説明したとおり、第10世代Coreプロセッサには今回のComet Lakeに加え、10nmプロセスルールで製造され、GPUが大きく強化されている最大4コアのIce Lakeの2種類がある。
じつはComet Lakeは昨年の8月末に発表された追加モデルのThinkPad X1 Carbon(Gen 7)とThinkPad X1 Yoga(Gen 4)に搭載されていた。このため、2020年モデルではプロセスルールも含めて進化したIce Lakeコアが搭載されてくると期待する向きも少なくなかった。だが、蓋を開けてみればComet Lakeのまま据え置きだったのである。それはなぜなのだろうか?
Ice LakeではなくComet Lakeを継続採用した理由
わからないとなれば作っている人に聞くのが一番ということで、CESの期間中にLenovoのショーケースで、レノボ・ジャパン株式会社 大和研究所 システムイノベーションコマーシャルノートブック開発部長 兼 主任エンジニアの塚本泰通氏にこのことを直撃してみた。
塚本氏は本誌にも何度か登場しているエンジニアで、大和研究所の主任エンジニアという肩書きが示すように、ThinkPadシリーズ全体の開発責任者と言える立場であり、まったく新しいコンセプトのThinkPad X1 Foldの開発も主導している。かつてThinkPadの父と言えばすでにLenovoを定年退職された内藤在正氏だったが、塚本氏はその称号を継ぐ存在である。
塚本氏になぜComet Lakeが継続なのか聞いてみると、「理由の1つはvProの存在だ」という。vProとはIntelが提供しているクライアントPCの管理機能。企業のシステム管理者が従業員のPCをリモートで管理するのに便利な機能が多数搭載されている。エンタープライズ向けの機能であり、基本的には個人事業主や一般消費者には関係のないものだ。しかし、エンタープライズにとってはクライアントPC単体の導入コストが若干上がっても、管理コストの削減には効果があるため、vProに対応していることを一括導入の条件にしているところも少なくない。
塚本氏は、「企業、とくにエンタープライズではvProが必要というお客様が多い。そうしたお客様の声に応えるためにComet Lakeで行くことにした」とする。実際、IntelはComet Lakeの発表時に、vPro対応SKUの投入計画を明らかにしている。なお、Lenovoの米国サイト掲載のスペック表を見ると「Core i7-10810U with vPro」という未発表のSKUが掲載されている。
となると、Ice LakeではvProが採用されないのだろうか? 塚本氏はそれ以上言及しなかったが、Intelのロードマップなどに詳しい関係者に確認したところ、現在Ice LakeにはvPro対応SKUが投入される予定がないそうだ。
ただ、次世代のTiger LakeではvPro対応のSKUがロードマップ上に存在しているという。このためTiger Lake世代ではビジネス向け製品も14nmから10nmへの移行が進むのだろう。
ThinkPad Privacy Guard対応フルHDパネルは、消費電力が下がるのに前モデルよりも明るくなる
14nm世代のままのThinkPad X1 Carbon/Yogaだが、塚本氏によれば見た目は同じでも中身の基板は新しいものが使われているという。つまり、昨年モデルと同じComet Lake搭載モデルでも作り直しが行なわれているとのことだ。
残念ながら、CESのショーケースでは分解品が展示されていなかったので実際に基板の違いを確認できなかったが、そのことは2019年モデルと2020年モデルのスペックを注意深く見るとわかる。
なお、ThinkPad X1 Carbon/YogaはCS19こと2019年モデルから基板などが1つに統一されており、ペン対応と回転型ヒンジを採用している以外はほぼ同等だ。そのため、ここではThinkPad X1 Yogaのみで比較している。
ThinkPad X1 Yoga(Gen 4) 2019年モデル | ThinkPad X1 Yoga(Gen 5) 2020年モデル | |
---|---|---|
CPU | 第8世代Core(Whiskey Lake-U) 第10世代Core(Comet Lake-U) | 第10世代Core(Comet Lake-U) |
メモリ | 最大16GB(オンボード) | 最大16GB(オンボード) |
ストレージ | 最大2TB(NVMe) | 最大2TB(NVMe) |
ディスプレイ | フルHD(400cd/平方m)ローパワー フルHD(400cd/平方m)ThinkPad Privacy Guard対応 WQHD(300cd/平方m) 4K(500cd/平方m)HDR400/Dolby Vision | フルHD(400cd/平方m)ローパワー フルHD(500cd/平方m)ThinkPad Privacy Guard対応 WQHD(300cd/平方m) 4K(500cd/平方m)HDR400/Dolby Vision |
生体認証 | IRカメラ/指紋 | IRカメラ/指紋 |
ワイヤレスLAN | Intel Wireless-AC 9560(IEEE 802.11ac+Bluetooth 5.0) | Intel Wi-Fi 6 AX201(IEEE 802.11ax+Bluetooth 5.0) |
バッテリ容量 | 51Wh | 51Wh |
本体サイズ(幅×奥行き×高さ) | 323×218×15.5mm | 323×218×15.2 mm |
重量 | 1.36kg | 1.35kg |
こうして見ていくとほぼスペックとしては同じだが、相違点として2020年モデルは2019年モデルに比べて筐体が0.3mm薄くなり、重量が10g軽くなっている。そして、無線LANのモジュールがIntel Wireless-AC 9560(IEEE 802.11ac : Wi-Fi 5)からIntel Wi-Fi 6 AX201(IEEE 802.11ax : Wi-Fi 6)に変更されている。
じつは2019年モデルからThinkPad X1 Carbon/YogaのWi-Fiモジュールはオンボード搭載に変わっており、ほかの選択ができないようになっている。このため、2020年モデルでIntel Wi-Fi 6 AX201が採用されているのは、新しい基板になっていることの1つの傍証である。
もう1つの強化点は、4つある液晶パネルのうち「ThinkPad Privacy Guard」対応のフルHDパネルだけ強化されているところ。最大輝度が400cd/平方mから500cd/平方mへと強化されているのだ。
これについて塚本氏に確認すると、「お客様からはもっと明るい液晶をという声が強く、全体的な輝度を上げることをつねに検討している。そうした取り組みのなかで、とくに暗いと思われがちなプライバシー機能を搭載したパネルの輝度を上げた」とのこと。
それだけでなく、輝度は上がっているが、パネルの消費電力は逆に下がっているという。フルHDのローパワーパネルには敵わないそうだが、データ保護などに敏感でモバイル時のバッテリ性能も損ないたくないと考えるとエンタープライズの顧客などにとってはいいニュースと言える。
なお、フルHDのローパワーパネルというのは、Intelとパネルメーカーなどが共同で開発しているもので、統合GPUのドライバーとも協調して、バックライトの明るさを多少制限しても人間の目には明るさの変化がわからないようにするという仕組みが取り入れられている。従来のフルHDパネルよりも数十パーセントほど消費電力が減っており、バッテリ駆動時間を最重要視するユーザーであれば、このパネルを選択するのがベストだ。
2020年のThinkPad発表はこれで打ち止めではない。国内ユーザーに喜んでもらえる製品を開発中
Lenovoは、CS19のThinkPad X1 Carbon/Yogaで新しいデザインにも挑戦している。それは新しい色の採用で、“ThinkPadと言えば黒”という常識を打ち破ったのが、ThinkPad X1 Yoga(Gen 4)の「アイロングレー」という黒と銀の中間の着色だ。AppleがiPadやiPhoneなどで採用している「スペースグレイ」に近いシルバーと言えば雰囲気が伝わるだろうか。
今後も新しいデザインには挑戦し続けるという塚本氏は、その背景として、「お客様のニーズは変わりつつある。これまでThinkPadは生産性を上げることにひたすらこだわって設計してきた。しかし、今はエンタープライズでもエグゼクティブだけでなく、一般の社員にもX1を配布する企業が増えている。Generation Z(Z世代)と呼ばれる世代はPCも格好良くなければ受け入れてくれなくなってきている」という。
ビジネスユーザーにもデザインの重要性が認識される時代になって来ており、だからこそ、ここ数年のThinkPadでもデザインにこだわった製品が増えつつあるということだ。
塚本氏は最後に、「今年はあっと驚いてもらえるような製品をまだ用意している。とくに日本のお客様には喜んでいただけるのではないかと思う」と期待の持てる発言をしてくれた。今年のThinkPadの新製品がCESで発表したThinkPad X1 Carbon(Gen 8)、ThinkPad X1 Yoga(Gen 5)、ThinkPad X1 Foldなどで打ち止めではないことを示唆しているのだ。
“日本のお客様に喜んでもらえる製品”がどのようなものなのか、塚本氏は具体的に言及しなかったが、筆者はThinkPadシリーズではあまりなかったような、よりモバイル性を重視した製品が出てくる可能性が高いのではないかと推測している。次のThinkPadの新製品発表も要注目だ。