山田祥平のRe:config.sys
新しい生活様式って何なのだろう
2020年11月7日 06:50
コロナ禍は決して落ち着いたとはいえない状況が続いているが、街の様子はずいぶん以前の状態に戻りつつあるように見える。もう二度と以前の状態には戻らないとされていたはずなのに、これはいったいどういうことなのか。
戻るべき部分が戻り、変化する部分は変化
LINEリサーチでは新型コロナウイルス感染拡大に伴う職場での対応やテレワークの状況について定期的な調査を実施しているが、8月31日に実施した調査の結果が発表された。前回の調査は4月だった。
調査結果を見ると、テレワークの許可/推奨の職場割合が低下しているという。今回の調査では、全国では前回調査の35%から11%減少し24%に過ぎない。一都三県ではもう少し割合が高いものの、前回調査の53%から39%に減少している。
ちなみに、4月から8月の間でテレワーク対応の減少が顕著だったのは、「教育・学校法人」、「金融・保険業」であり、「IT・通信・インターネット関連」の業種では引き続き高い水準を維持、約7割の職場で対応が継続しているとのことだ。基本的にはテレワーク推奨の職場でも、半数以上の日数、職場に出るというバランスが、8月時点の主流であると同調査は分析している。
同調査は、通常の勤務体制が戻りつつあることを指摘し、この新しい生活様式のなかで、戻るべき部分は戻り、変化する部分は変化していくことも今後予想されると結論づけている。
働き方は変わったか
新しい生活様式については厚生労働省がその実践例を示している。基本的感染対策として、身体的距離の確保、マスクの着用、手洗いを徹底した上で、働き方の新しいスタイルとして、
- テレワークやローテーション勤務
- 時差通勤でゆったりと
- オフィスはひろびろと
- 会議はオンライン
- 対面での打ち合わせは換気とマスク
という実践例があげられている。
これが徹底される世の中がコロナ後も続くことになるはずなのだが、今現在の実際の暮らしのなかでは、その実感が希薄だ。一連のGo To事業などで、外出、外食が推進されていたりするのを目の当たりにすると、余計にそう思えてしまう。大きく変わったと思うのは、街中では、マスク着用者がほとんどになったことくらいだろうか。さらに、個人的には手洗いは徹底しているつもりだが、世のなか的にはどうなのだろう。
厚生労働省が挙げる働き方の新しいスタイルへの市民の対応は、
- 前からしていた
- できるけれどもしない
- できない
の3種類がある。
このうち「できるけれどもしない」のには、いろいろな理由があるだろう。できることはわかっているのにコストなどの関係でできそうにないとあきらめていたり、コア事業の主軸をシフトすることへの意志決定に踏み切れない組織もありそうだ。一か八かが許されるはずがないのだから当たり前ではある。
それでもやらなければ、これからの時代を生き延びることができないという強迫観念のようなものが希薄で、具体的な実感としてわいてこないというのもあるのだろう。
だからこそ、一部の「できそうだから、とにかくやってみよう」と踏み出した組織がニューノーマルの時代を謳歌するようになる。「IT・通信・インターネット関連」の業種が高い水準でテレワーク対応を続けているのは、コロナ以前からの姿勢が、既存の組織と異なっていたからだといえる。
みんなコロナのせいだ
無責任な言い方だが、テレワークなどによって以前のオフィス勤務よりも、仕事の効率や生産性が向上することがわかっているならぜひチャレンジするべきだろう。いや、仮に、以前と同じか、少し下がる程度でもやるべきだ。それまで必要だった多くのカネがいらなくなる可能性があるからだ。ゼロにはならないにしても大きく低減できる。
オフィススペースの家賃、そのオフィスを維持する諸設備、インフラ維持のための水道光熱費、従業員が通勤するための費用、福利厚生施設などのコストが大きく低減される。在宅やテレワークに必要なコストを新たに負担するにしても、経営する側にとっては本当は選ばない方がおかしい道のようにも見える。
テレワークに欠かせないのがコンピュータだが、そのコンピュータも使う側の人間の資質に依存して稼働する。絵を描くのが上手い人、楽器を演奏するのが得意な人、優れた小説を書く人、特定分野に精通した人が、コンピュータを手にすれば、その作業の質は大きく高まるだろう。コンピュータを使えることがえらいわけではなく、コンピュータを使う人の資質がえらいのだ。そして、その資質が、そこから生まれる成果を左右する。だから誰もが自信を持っていい。
今ならコロナを言いわけにできる。言葉は悪いがどさくさに紛れて何でもできる。政府のデジタル推進も近いものがある。失敗を怖れるのは当たり前だが、今ほど変わるためにハードルが低い時期はないのではないか。