山田祥平のRe:config.sys

今、どこで紅葉が真っ盛り?

 身の回りで起きていることを知るには、そこにいる人に尋ねればいいというのが、これまでの当たり前。知り合いの知り合いは知り合いだから情報は信頼できた。その当たり前は、そこにいる見知らぬ人の叫びや声をキャッチするという当たり前に置き換わった。これからその当たり前は、どんな新しい当たり前になるのだろう。

SNSが実況

 紅葉のシーズンだ。コロナ禍においても自然はそんなことおかまいなく色づく。春の桜はコロナの騒ぎのなかでなんとなく通り過ぎてしまったが、この秋の紅葉はちょっとくらいは楽しみたいと思っている。

 花見や紅葉狩りに出かけたいと思ったときに、過去において参考になっていたのは各社サイトの見頃情報だ。全国津々浦々の名所をリストアップし、見頃、もうすぐといった情報を提供している。だが、その更新頻度が低すぎて、あまり参考にならなかったりもする。とりあえず、名所の一覧と例年の見頃時期を知るには便利だが、今、楽しむにはどこに行けばいいのかを知るのは難しい。

 だが、TwitterやInstagramで、これらのサイトが挙げる名所を検索すると、数分前からの現場情報が写真つきでたくさん見つかる。また、Google検索でも、画像を検索して24時間以内の投稿などを抽出すれば、個々のSNSを個別にたぐらなくても、今の状況が手に取るようにわかる。

 もちろん、写真は現場のある部分だけを切り取ったものなので、本当の状況はわからないのかもしれないが、たくさんの人が投稿していれば、その確からしさは大きな意味を持つ。その情報を信じて現場に行けば、同様の体験ができる可能性は高い。

 こうした実況の発信は、人々の自発的な行動によるものだ。誰も知らない場所にある見事な銀杏の大木が、今、どんな色づき具合なのかを知るのは難しい。誰も知らないから誰も行かないからだ。でも、たまたまそこに行った人が美しい写真を投稿すれば、みるみるうちに人気スポットになる可能性もある。こうして、遠く離れたところにあるスポットが発掘されていくわけだ。

自分の目とSNSの目

 同様に、飲食店の情報なら、SNSによって、うまい、まずいは個人の感想を知ることができるし、今なら、新型コロナ感染拡大防止の対策が万全かどうかも貴重な情報として入手することができる。料理は美味しいのに調理人がちゃんとマスクをしていないとか、客が帰ったあとのテーブルの消毒が今ひとつだといった不安情報を含めて、いろいろな種類の情報を得ることができる。

 もっとも、発信する情報が店にとって不利なものになる場合は、それが事実に基づくものかどうかはとても重要な要素だ。その情報の正確性が保証されるわけではない。そのことを知った上で、情報を集めると同時に、自ら何らかの情報を投稿するときにも、安易な気持ちで書き込むのはまずい。

 SNSが情報インフラとして浸透してきてから、こうした注意が求められるようになった。ひとりひとりがその意識を持たなければ、デマがデマを呼んで拡散し、たいへんなことになってしまう。完全なファクトチェックをプラットフォーム側に求めるのが難しい以上、ここは市民の善意に頼るしかない。紅葉の色づきとは違い、人と人の暮らしが直結しているだけに大事な問題だと言える。自分の投稿ひとつで、もしかしたら、その店の店主の暮らしが崩壊することだってあるかもしれないからだ。

 個人的に、見知らぬ街を訪ねたときには、あらかじめ行く店を調べておくのと同時に、適当にブラブラと歩きながら、なんとなく行き当たった店を見つけ、ここはよさそうと感じたところで、試しにその店の情報を検索することが多い。

 それによって、自分の目と感覚、そしてSNSなどで発信された他人による情報の両方で判断することができるので、居心地がよく美味いものにありつける可能性が高まる。それでその店で気分良く過ごせたら、その情報を改めて発信することで、以降にその店を訪れる人たちの参考にしてもらう。こうして充実していく口コミ情報が、今の時代を忠実に反映する。

疑うべきは何か

 駆け出しのライターの頃、タウン誌の記者として、いろいろなエリアの取材をしていた時期があった。

 企画が決まったところでやるのは、東京・世田谷の大宅文庫に赴き、過去にそのテーマを取り上げた雑誌の記事に片っ端から目を通すことだ。

 そして、そこからショップの情報をリストアップして取捨選択した上で、取材を申し込むために電話をする。新規店の開拓はなかなかたいへんだった。電話帳も貴重な情報源だったと思う。

 取材依頼の電話をすると、必ずと言っていいほど「うちは広告は出しません」というひと言が戻ってきた。つまり、取材に応じるとカネがかかると思われているわけだ。こちらは、広告営業をしているわけではないので、取材の意図を伝え、記事を掲載しても費用はかからないことを説明して、改めて取材させてほしいとお願いする。そう説明することで取材の許可が出るわけだ。

 結果として書く記事には、広告ではないのでいいことも悪いことも両方書くが、基本的に悪いことが目に付けば掲載を見送ることもある。取材は無駄足になってしまうが、情報として悪い情報の多い店のことを書いても、あまり読者の役にはたたないと判断する。

 だが、SNSの時代、いい情報も悪い情報も同じように流通する。そこが商業メディアとの大きな違いでもある。もっとも、店の情報ひとつとっても、新店情報は、自分だけのためにとっておきたいということもあるから話はややこしい。

 いずれにしても求められるのは情報を読み解くリテラシーだ。ウソを見破るリテラシーだ。米国大統領選などに関するデマやフェイクニュースが拡散しているのを見ると、マスコミの報道についても疑ってかかる必要もあるかもしれない。やっかいな時代だが、それを受け入れるしかない。