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「IBMは有言実行」。2025年までの量子コンピューティングロードマップを解説。新型は六角形に

IBM Quantum System Two

 IBMは、2022年5月に米国で開催した年次イベント「Think」にて、量子コンピューティングの実用化および大規模化に向けたロードマップの拡張を発表した。5月13日には、2025年に4,000量子ビット級のシステムを実現する計画を発表している。

 同社は、2022年後半には433量子ビットのプロセッサである「IBM Osprey」、2023年には1,000量子ビットを超える、世界初のユニバーサル量子プロセッサ「IBM Condor」を発表する予定。

IBM Quantum 2022 Updated Development Roadmap

 新しいロードマップでは、従来型計算リソースと量子プロセッサを組み合わせたエラー緩和技術の向上、ワークロードの効率的な分散やオーケストレーションなどを実現して実用的な量子システムを目指す。またモジュール性と短距離チップ間接続を導入し、より大規模な単一プロセッサを効率的に形成できるようにする。さらに量子プロセッサ間の量子通信リンクも確立する。

 これら3つの技術拡張を組み合わせることで、2025年にはモジュール式に拡張されたプロセッサの複数クラスターによって構築される、4,000量子ビット以上のプロセッサの実現を目指すとしている。

必要な技術を積み重ねていったこれまでの発表

日本アイ・ビー・エム株式会社 量子プログラム プログラム・ディレクター 川瀬桂氏

 6月29日には報道関係者向けに、日本アイ・ビー・エム株式会社 量子プログラム プログラム・ディレクター 川瀬桂氏が、主に技術的側面から新ロードマップの意義と概要を解説した。川瀬氏は2016年からIBM Quantum Systemの日本での展開を手がけ、2021年3月から量子プログラムのプログラムディレクターを務めている。

 量子コンピューティングは量子力学の原理を活用した計算技術で、古典的コンピュータには解くのが難しい最適化問題や複雑な化学シミュレーションなどを高速で解くことができる技術として注目されている。IBMによる量子コンピューティングの解説はこちらを参照してほしい。

IBMが公開した量子コンピュータ開発ロードマップ

 ロードマップについて川瀬氏は「IBMがいかに有言実行してきたかを示すもの」だと語った。IBMは量子ビットに超伝導回路を用いており、量子プロセッサには「Falcon(ファルコン)」、「Hummingbird(ハミングバード)」、「Eagle(イーグル)」、「Osprey(オスプレイ)」と代々、鳥の名前がつけられている。2023年の「Condor(コンドル)」までの話は2021年11月に発表されていた。

 新しいロードマップには2025年までの目標と、「Heron(ヘロン)」、「Flamingo(フラミング)」、「Crossbill(クロスビル)」、「Kookaburra(クーカブラ)」と4つの新しい名前が紹介されている。また、アルゴリズム関連も更新されている。

 まず、2019年に27量子ビットの「Falcon」を事前の宣言通りに公開。Falconの意義について川瀬氏は「量産対応可能、複製可能なものを安定して作ることを目指して開発した」と語った。実際にFalconは世界中で稼働しており、現在も実験システムではないコアシステムと呼ばれるものの最新バージョンは依然として「Falcon R5(5番目のFalcon)」となっている。

 2020年には、65量子ビットの「Hummingbird」を公開。Hummingbirdは1チップ上に量子ビットを集積して動かしただけでなく、もう1つの意義があった。複数の信号線があるが、冷凍機からの信号線が量子ビットにあわせて増えると、その熱によっていずれスケーリングはしなくなってしまう。そこで、1本の信号線に対し複数の意味を持たせる(Multiplex、多重化)ことで、信号線の数を減らすことを実証した。

 2021年には127量子ビットの「Eagle」を公開。100量子ビットを世界で初めて超えた。3次元実装を導入し、安定してスケーリングを進めていくことができることを実証した。

 川瀬氏は「単に毎年キュービット(量子ビット)が増えているだけではない。それぞれ全て、将来の開発にとって重要なマイルストーンとしての意味を持たせて進めてきている」と述べた。そして「将来、どのように量子コンピュータが発展していくかを示すことによって、今まで使っている方、これから使っていきたい方たちと将来的な方向を共有することで、未来をより具体的に想像してもらうことができる。これがロードマップの意義だ」と語った。

2022年は極低温下で使えるフラットケーブルや途中観測が可能なアルゴリズムを導入

 2022年末には433量子ビットの「Osprey」のリリースが予定されている。年内公開予定で、現在予定通りに進んでいるとのこと。ここでも新しいコンポーネントに対するチャレンジを行なっているという。

 Osprey以前は、信号の伝達を同軸ケーブルで行なっており、ケーブル本数が多かった。また、同軸ケーブルを這わせてコネクタをトルクレンチを使ってネジ留めしなければならず、手間がかかっており、スケーラビリティを阻害する要因の1つとなっていた。

 そこで将来に向けた解決手段として、複数信号を束ねたフラットケーブルを採用予定。常温ではよく使われているフラットケーブルだが、10mK(ミリケルビン)の極低温下でも使えるケーブルを導入する。

 ソフトウェアには動的回路を導入。回路実行途中に量子状態の測定ができるシステムを組む。計算途中で量子状態を観測して、その後の回路の実行状態を変更できるようにする。模式的には「条件分岐のようなもの」だという。これによって、より効率のいい回路実行ができるようにする。

 2023年には、世界で初めて1,000量子ビットを超える1チッププロセッサ「Condor」を作る予定。チップだけではなく周辺コンポーネントも作り、ほかの高周波部品の高密度化にもチャレンジする。

Heronはモジュール化を導入

2022年以降のチップ(開発ロードマップの一部)はモジュール化や通信技術が導入される

 今回新しく発表された「Heron」はモジュール化を導入する。複数のチップに分割したモジュールごとに開発を行ない、組み合わせることで所定の性能を得る。Heronは1つの冷凍機に複数のチップを入れて、バスで通信をやりとりする。つまり、チップ1つずつではなく、まとめて選択的に信号をやりとりすることに挑戦する。ここでは通信する情報は古典的な情報だ。

 また、Condorまでとは異なる方式の量子ゲートを使う。従来は固定周波数の量子ゲートの間を受動素子でつなぐ「交差共鳴(Cross Resonance)」という方法で、量子もつれ(entanglement、エンタングルメント)を生成していた。これからは、量子ビットそのものの構造は変えないが、量子エレメント間をつなぐところを受動素子からTunable Couplerを使うことで、量子もつれを実現できるようにした。

 IBMは今後この方式を使うことをロードマップで発表。アイデアの基礎は2021年初めに論文発表されている。

Crossbill、Flamingoは離れたチップ間でも量子もつれのまま通信

 2024年、「Crossbill」で目指すのは同じモジュール化だが、チップを並べて、その間を非常に短い配線でつなぎ合わせる。たとえば3つならば、3つを1つにして408量子ビットで、1つの大きな量子コンピュータにする。非常に短い配線によって、隣同士の間でも量子状態を保ったまま通信できるという。

 すなわち物理的に離れたチップ間でもエンタングルメントの品質を損なうことなく通信できるようにする。これにより、単体ではできなかったスケールアップを可能にしようというのがCrossbillだ。

 同時に「Flamingo」というデザインも導入する。Crossbillとよく似ているが、量子ビットのチップを、およそ1mくらいのワイヤーでつなぎ、量子状態のままチップ間通信を行なうことを目指す。これも全体で1つの量子コンピュータとして動くことを目標とする。

 距離が長いためCrossbillと同じクオリティとはならず、若干の性能低下が起こることは予測されている。だがソフトウェアツールが進歩しているので、エンタングルメントがより多いものを1つのチップに上手く押し込み、極力チップ間をまたぐ通信を減らすといった工夫を行なうことで、全体の効率化を進める。

Kookaburraは通信とモジュール化の組み合わせで4,000量子ビット級へ

 2025年の実現を目指す「Kookaburra」は、このモジュール化と通信の技術の2つを組み合わせる。短冊のような量子ビット群を、さらに長い距離でもつなぐことで、4,159量子ビット以上のチップを実現する。

 川瀬氏は「このように、必要な技術を順次検証しながら進めてきた。ここから先も同様にスケールアップできることが想像できる。具体性がある拡張方法を示したことは非常に大きな意義があると思っている」と語った。

短い量子計算と古典計算の「回路網」でエラー蓄積の問題を解消

 ソフトウェアも開発が進んでいる。IBMは2021年に「Qiskit Runtime」を発表している。古典コンピュータを量子コンピュータの横において協調動作させる仕組みで、2023年にはさらにこれを進め、マルチスレッドでも効率良く動き、複数タスクでも動作するようにする。

 さらに誤りの抑制と低減の研究も進んでいる。処理はすべてクラウド上で行なわれ、「インテリジェント・オーケストレーション」という複数の古典リソースをいかに効率よくオーケストレーションしていくかという技術も開発されている。

 最も注目されているのは「回路網(Circuit knitting)」という技術。長い量子回路を実行するとエラーが累積され、ある限界までいくと意味のある計算ができなくなってしまう。それをなるべく細かい単位で実行して、その間を古典リソースで補完するものだ。

 量子コンピュータは短い単位でエラーを少なく実行しつつ、次のステップへ行くところを古典コンピュータで補完して、次の量子コンピュータの回路実行ステップへつないでいく。こうすることで、意味的には長い量子回路を、エラー蓄積なく実行できるようになる。

 これに組み合わせるエラー抑制のアルゴリズム等もライブラリ化する。回路網そのものも隠蔽できると、エンドユーザーはあまりエラー蓄積の問題を気にせずに計算を実行できるようになる。

実用的な量子コンピュータの時代、量子超越は近い?

 川瀬氏は「IBMが実機を公開したことによって、現在40万人のユーザー登録があり、世界中で使い方やソフトウェア改善の研究が進んでいる。ハードウェアの進歩だけではなく、ソフトウェア、使い方の進歩が加速度的に起こっている。ハードウェアはどんどん良くなっている。以前は想像できなかった4,000量子ビットへの明確な道のりができた。」

 「さらに並列化して、回路の規模を大きくすることは容易に想像できる。それと使い方が組み合わされて、実用的アルゴリズムが動く日は遠くない。そう考える人が増えている」と語った。

 今までは2026年以降に「誤り訂正」ができてから量子コンピュータ実用的になると言われていたが、だがユーザーが増え、実機を使えるようになるにつれ、「誤り訂正ができなくても実用的なアルゴリズムができるのではないか」と考える人が増え始めているという。

 量子コンピュータの実用性については、古典的な計算機では計算できなかったり、従来の古典リソースよりも高速で問題を解決できたりするとされる「量子超越(IBMではQuantum Advantageと呼ぶ)」と呼ばれる実証が重要だと言われている。実用的なアプリケーションでそれが起きることが期待されているが、いつ起きるのかについては「IBM自身も明確には分かってない」と述べた。

 「ただし、これだけ環境が変化してきていると、もうすぐ起きても不思議はないという社外の方も増えてきている。今後ますます期待値が上がってきていると思っている」と語った。

2023年以降、市場は急速に立ち上がるか

2023年に変曲点があり、その後市場が急速に伸びるのではないかという予測

 2021年に発表されたボストンコンサルティンググループが、今後量子コンピュータ市場がどうなるか予想したロードマップもあわせて解説された。

 同グループは2023年に何か変曲点が起こり、近いうちに3,000億円規模の市場価値が形成されるだろうと予想している。

「技術の懐の深さを垣間見れる」Eagleチップ

IBMのEagleチップ模式図

 IBMのEagleチップは、同じ大きさのチップが4つ重なっている。貫通電極を空けてチップ同士を張り合わせた3次元実装で、極低温状態で動かしたのはIBMが初めて。よい点は、一番製造が難しい量子ビットに関わる部分を一番上の層だけに留めることができる点。残りの層は共振器と配線する。いままで配線とマイクロ波パルスの共振器をどうするのかで場所の取り合い、配線軽度が長くなりすぎる問題があったが、これを3次元実装で解決できた。

 3次元実装は常温のシリコンチップでは実用化されており、すでにさまざまなところで使われている。IBMも20年間開発してきている。ただし極低温ではプロセス、材料の全てを変更する必要があるため、「その20年の経験があったから実現できた」技術だという。川瀬氏は「技術の懐の深さを垣間見れる部分」だと紹介した。

計算の質とスピードも重要

量子コンピュータの質(Quantum Volume)の向上

 IBMは、量子コンピュータの進歩を量と質とスピードの3つが重要だとしている。量子ビットの量の話だけでなく、計算の質の向上も重要だ。質とは「エラーなくどれくらいの量を計算できるのか」という話で、そのために量子システム全体の性能を定量化した「Quantum Volume」という指標を導入している。IBMは年率倍で向上していくと宣言していたが、2022年も目標を達成している。

 単に量子ビットの数を増やすだけで計算できる量は増えない。従って、今後も量の向上と質の向上を追求していく。

 スピードも重要だ。1秒間に何回ゲート操作ができるかという話だ。これも、もともとIBMが使っている超伝導量子ビット方式は非常にスピードが速い点が特徴となっている。さらに最適化を進めていくことで、より実行速度を上げていく。

新しい量子コンピュータ冷凍機は六角形、つなげて増やせる

フィンランド・ブルーフォース社が開発中の新しい冷凍機

 モジュール化と大きくなった量子チップをどうやって冷やすかという課題もある。川瀬氏は新しい冷凍機のコンセプトを紹介した。フィンランドのブルーフォース(BlueFors)社が全く新しい外見の冷凍機を設計中だ。

 今までお馴染みの円筒形ではなく、六角形になっている。今まで円筒形だったのは、内部を真空状態に保つために効率がよかったためだが、外側の真空ケースの中に、さらにヒートシールドを何重にも重ねており、設置に労力が必要だった。

 今回、より大きな内容物をより簡単に出し入れするために六角形で作ることになった。中を真空にしたときに1平方mあたり1tの大気圧に耐えなければならないので、扉を平面的にすると分厚くなってしまうと想像されるが、冷凍機3つをつなげて運転できる。

 前述の「Flamingo」と「Kookaburra」が1mの電線で通信して1つの量子コンピュータとして動くというのは、このモジュール構造を示している。これをどんどんどんどん並列につないでいけば、さらに容量を増やすことができる。そのためには技術的な困難さと、やらなければならない開発項目が多数残っているという。

IBM Quantum System Twoのコンセプト動画も

IBM Quantum System Two

 川瀬氏は「IBM Quantum System Two」のコンセプト動画を示した。中心に量子コンピュータがあり、古典コンピュータが周囲を取り巻いている。川瀬氏は「量子コンピュータは単体では存在しえない。量子コンピュータと古典リソースを複数組み合わせて1つの問題を解いていくかたちになる」と述べた。

IBM Quantum System Two: Design Sneak Preview

 最後に「2025年までの具体的なプランが示されたことで、ますますこの分野への期待が高まったものと思っている。ハードウェアの進歩とソフトウェアの進歩があいまって、さらに世界中のユーザーが実機を使うことで、実用になるユースケースの発見が期待されている」と締めくくった。