森山和道の「ヒトと機械の境界面」

量子コンピュータって何?今はどこまで開発が進んでいる?話題を総まとめ

量子的な重ね合わせを用いる「量子コンピュータ」

 量子コンピュータとは、量子力学の原理に基づいて設計されたコンピュータだ。従来のコンピュータは「0か1か」の「ビット」で情報を処理している。具体的にはトランジスタのオン・オフのスイッチを使って0と1を表現している。それに対し、量子コンピュータの計算単位は「量子ビット(qubit、キュビット)と呼ばれ、0でもあり1でもある確率的な「重ね合わせ」を利用する。この重ね合わせに対し、うまく干渉するなど制御することで計算をさせ、その結果を観測することで計算結果を得るのが量子コンピュータである。

 しばしば勘違いされているが、量子コンピュータを使えばどんな計算でも高速化されるわけではない。将来、Webブラウジングをしたり、エディタを使ったりしているPCが量子コンピュータに置き換わるようなことはない。

 だが一部の問題に対しては、非常に高速に解決できるのではないかと期待されている。素因数分解や最適な巡回問題などは従来のコンピュータでは現実的な時間で解くことが難しい。しかし0と1、また0と1との組み合わせを量子力学的な「重ね合わせ」で表現できる量子ビットを使うことで、一部の問題を高速で解決できる可能性があると考えられており、一部については実際のアルゴリズム(計算手順)も提案されている。あくまで高速化できるのは、量子コンピュータ特有のアルゴリズム、計算ステップの短縮法が考案されているものに限られる。

 既にIBMなどから、一部の量子コンピュータは商用として販売されている。またクラウドサービスとして提供され始めている。古典的コンピュータで途中まで計算を進め、必要な計算処理を量子コンピュータに投げると、計算結果が戻ってくる仕組みだ。

 ただし、基本的には量子コンピュータはまだ研究開発段階にあり、大学や研究機関が実験のために用いている。また、アルゴリズムや素材、工学的な研究も進められている。将来は従来型コンピュータと組み合わせて用いることで、さまざまな課題に対して新しい解決策を提供する可能性がある。

Sycamore

 古典的なコンピュータを量子コンピュータが計算速度で超えることを「量子超越」という。グーグルは2019年に量子超越を達成したと発表した。スパコンを使って1万年かかる問題を53量子ビットのコンピュータを使うことで200秒で解いたとするものだ。ただしこれには反論も多かった。

量子ビットの物理的実装はいろいろ

 量子コンピュータを実際に実現するためには、人工的な量子系である量子ビットを具体的に何でどのように構成するかによって、いくつかの種類がある。超電導、イオントラップ、原子、光などだ。それぞれ一長一短がある。

超電導方式

 一番有名な量子コンピュータはIBMのものだろう。IBMは超電導方式である。代表的な量子現象でもある超電導のために絶対零度、つまり-273.15℃に限りなく近い、極低温を維持する必要がある。

IBMのゲート型商用量子コンピュータ
プロセッサは最下部にある。下半分がおおよそ10mK〜20mK程度に冷却されている

 量子コンピュータと聞いて多くの人が思い浮かべる、あの上からぶら下げられた缶のような外見のほとんどの部分は、断熱するための魔法瓶のようなものと冷凍機で、量子ビットを構成する超電導回路そのものは内部の一番下の部分に置かれている。

最下部の量子チップ

 電子は超電導体では「クーパー対」と呼ばれる特殊な状態になるが、超電導体で絶縁体を挟んで接合させた素子(ジョセフソン接合)ではトンネル効果のみによって電荷が運ばれるようになる。この回路に対してマイクロ波を照射してコントロールすることで量子ビットを制御し、「重ね合わせ」を使って計算を行なわせる仕組みとなっている。

IBMの433量子ビットプロセッサ「Quantum Osprey」

 この方式の利点は、量子ビットが集積化できるところだ。量子ビットが多ければ多いほど、複雑な状態を表現できる。IBMは既に433量子ビットプロセッサ「Quantum Osprey」を2022年11月に発表している。今後も集積化を続ける見込みだ。課題はノイズに弱いこと、低温を維持するため冷凍機が必要であり装置全体が大きくなってしまうことだ。

 なおIBMは2023年に133量子ビットの「Helon」チップを発表する予定だ。「Helon」は量子ビット数では下がっているが、モジュール化されていてほかのチップと組み合わせて使うことができるという。このような新たな使い方は技術トレンドとしては興味深い。分散化されて接続されることで、大規模化するのかもしれない。

 なおGoogleの親会社のアルファベットからスピンオフしたベンチャーのSandboxAQも量子通信技術の研究を進めている。同社は量子コンピュータ実用化によって従来の暗号が解かれてしまう「Y2Q(Year Two Questionnaire)問題」を受けて、ポスト量子暗号技術に注力していると言われている。

光量子方式

 一方、日本の東大の古澤明教授と武田俊太郎氏らが研究している光を使う方式の量子コンピュータは、常温で動作する。光子はもともと量子であり、偏光(光の振動方向)を使うことで0と1の情報を載せることができる。この光パルスを多数、ミラーやフィルターなどの光学部品を載せた光回路上で走らせて計算を行なう。

 研究では「量子テレポーテーション回路」を使ってさまざまな規模および種類の量子もつれを作ることに成功している。常温・大気中で用いることができ、通信とも相性が良いのではないかと言われている。

核磁気共鳴方式

卓上量子コンピュータGemini-mini

 最近、スイッチサイエンスが輸入販売して話題になった、中国・SpinQによる卓上の量子コンピュータ「Gemini-mini」はNMR(Nuclear Magnetic Resonance、核磁気共鳴)を用いた方式である。もともとは原子核に磁場を与えて電磁波を照射し、その時の状態を観測することで化合物の構造を推定する手法だが、これを量子ビットとして用いる。

 大型化は難しいが、SpinQは2量子ビット、3量子ビットの卓上量子コンピュータとして商品化し、販売した。あくまで量子コンピューティング教育向けの教材だが、既に完売しているようだ。こちらについては輸入販売しているスイッチサイエンスの高須正和氏自身による記事や、金沢大学 秋田純一教授のnoteが興味深い。

組み合わせ最適化問題に使われる「量子アニーリング」

 「量子コンピュータ」と呼ばれるものには、量子素子を組み合わせる「ゲート型(量子回路型)」のほか「アニーリング型」がある。「アニーリング」とは金属の「焼きなまし」を意味する言葉で、材料をゆっくり冷却する過程で、内部の状態が落ち着いていくことを指す。それと同じような過程を量子で行なうことで、エネルギー最小の状態を探索するような計算を高速で行なえるのではないかというアイデアだ。

 東工大の西森秀稔教授らが考案し、カナダのD-Wave Systemsが、超電導集積回路からなる量子アニーリングのハードウェアを開発したあたりから急激に注目された。

D-Wave Systemsの「2000Q」

 アニーリングは、従業員のシフト計画の最適化、工場の注文量予測、「巡回サラリーマン問題」と呼ばれるような大規模な組み合わせ最適化問題を解くために用いられている。スタートアップもあり、株式会社グルーヴノーツや、blueqat(ブルーキャット)株式会社などが量子アニーリングを使った事業に取り組んでいる。またアニーリングを疑似的に再現して最適解を探索する「疑似量子アニーリング」と呼ばれる方式も大手企業などで研究開発されている。

 なお西森教授自身は、量子コンピュータは決して従来型(ノイマン型)コンピュータにとって代わるものではなく、古典コンピュータでは時間がかかる特定の問題に使われるものであり、それぞれが役割を担って、共存し続けるだろうと強調している。また既存のコンピュータだけではなく、量子ゲート方式とアニーリングの融合が実用面では重要だと語っていた。

量子コンピュータが得意な問題は、「量子」の問題

 量子コンピュータはどのような問題に使われるのだろうか。一番注目されているのは薬剤の開発や、触媒開発、新材料の開発等である。量子コンピュータがもっとも適しているのは、量子の問題を扱うことだ。古典的な問題は古典的コンピュータで解いたほうがいい。そのため、量子力学的な要素なしでは考えられない分野の計算に用いるのが最適なのだ。分子・原子の量子的なふるまいを計算する必要がある量子化学計算はもっとも期待されている領域だ。

 富士通とも連携して量子コンピュータに関するさまざまな研究を進めている理化学研究所の量子コンピュータ研究センター(RQC)では、太陽光発電の性能向上に応用できる狙った物性の自動設計手法を開発したと2023年3月に発表している。なお理研RQC-FUJITSU連携センターでは、2023年4月に64量子ビットの量子コンピュータ提供を始める予定だ。

目的とする物性から、それを実現するモデルを構築する逆問題における新手法

 内閣府が2021年11月付でまとめた資料には、機械学習や量子化学計算などさまざまなアプリケーションがまとめられている

課題は「エラー訂正」

 自然界の物理法則を利用する量子コンピュータの課題は、量子ビットが壊れやすいことである。これは「デコヒーレンス」と呼ばれる。

 量子ビットは重ね合わせのまま計算を行なう。現在のコンピュータは計算の途中ステップで「エラー訂正」を行なう。だが量子コンピュータの場合は、重ね合わせのまま計算操作を続けてないといけないので、途中で介入できず、そのままではエラー訂正できない。

 現在の量子コンピュータのシステムは「NISQ(Noisy Intermediate-Scale Quantum Computer、ノイズのある中規模量子コンピュータ)」と呼ばれており、量子演算回数には限界があって、大規模化は難しい。この課題を克服するために、NISQ上でも使えるアルゴリズム開発が進められている。つまり、エラーが起こることを前提として使おうという考え方だ。

 だが大量の計算ステップを繰り返す必要のある計算問題では、特にエラー訂正が必要だ。NISQではやはり難しいという話もある。例えばNTTでは、量子ビットを冗長に符号化する量子誤り訂正符号と、量子ビット数のオーバヘッドなしに正しい計算結果を予測する量子誤り抑制(ノイズ補償)手法の2つのアプローチで、この課題に取り組んでいる

NTTの誤り耐性量子計算とそのソフトウェア基盤の概念図

 また慶應義塾大学は2022年4月に極低温環境で、実用的な規模の量子コンピュータを制御するのに必要な水準の消費電力、実装規模、速度、誤り訂正の性能などを満たしつつ、単一の論理量子ビットのみならず、相互作用する複数の論理量子ビットを復号する量子誤り訂正アルゴリズムを世界で初めて開発したと発表している

慶應義塾大学が提唱するエラー訂正

量子コンピュータというアイデアの歴史

 なお量子コンピュータはもともとは「熱を発生しないコンピュータは可能なのか」という思索から始まった。これは、エントロピーと情報、物理から見た情報処理、計算とは何なのかという話とイコールだ。

 このあたりの歴史、あるいは計算の本質的なところに興味がある方には、多くの先端研究者たちに直接インタビューしている雑誌「日経サイエンス」編集長の古田彩氏が慶應義塾大学で行った講演動画があるので、そちらをご覧いただくことをおすすめしたい。

 10年以上前の動画で、かつ1時間半の長尺だが、熱力学から見た「計算」とは何かという本質的な話から量子コンピュータに至るまでの道のりを、丁寧に、分かりやすく解説してくれている。量子コンピュータの話が出てくるのは真ん中を超えたあたりだ。

 古田氏は最後に、量子コンピュータの日常的アプリケーションが出れば、とっつきにくい量子力学も身近に感じられるのではないかと語っている。

ネットで研究室見学も可能

 国内外で注目が集まる量子コンピュータについては、まず何よりも人材が必要ということで、産学連携でさまざまな教育プログラムも走っている。いまのご時世らしくYoutubeにも多くの教材がアップロードされ、公開されている。

 若手研究者たちによる量子技術教育(QEd)プログラムでは、実験室の様子を研究者自らが紹介してくれている動画もあるので、興味がある方は、それだけでも見てみることをおすすめする。