福田昭のセミコン業界最前線
マイクロン広島工場と広島エルピーダを結ぶキーワード
2022年11月28日 06:34
広島工場で「1β DRAM」の量産開始祝賀式典を開催
半導体メモリ大手Micron Technologyの日本法人であるマイクロンメモリジャパンは2022年11月16日に、広島工場で「1β DRAM」の量産を始めたことを記念する祝賀式典「Advancing the future from Hiroshima~1β launch celebration」を同工場(広島県東広島市吉川工業団地)で関係者を集めて開催した。式典には、報道関係者も招待された。
本誌が11月2日付け記事で報じているように、Micron Technology(以降はMicronと表記)は11月1日(米国時間)に「1β DRAM」の量産を広島工場で始めたと公式に発表した。1βnm世代のDRAMを量産するのは同社が初めてだという。
DRAM業界では20nm未満の技術ノードを「1」と「記号(英文字やギリシャ文字など)」の組み合わせで表記してきた。現在までに1Xnm、1Ynm、1Znm、1α(アルファ)nm(あるいは1Anm)の4世代が開発され、量産されている。1β(ベータ)nm世代は5世代目となる。記号部分の数字は公表しないことが多い。ただしMicronは「1β」世代を、具体的には「13nm前後」の技術ノードであることを11月2日に報道機関向け説明会で明らかにしている。
広島エルピーダをMicronが買収した真の理由
日本の半導体メモリ業界では良く知られていることだが、マイクロンメモリジャパンの広島工場は元々、エルピーダメモリの子会社である広島エルピーダメモリ(2003年9月1日発足し、2008年4月に1日にエルピーダメモリに吸収される)のDRAM工場だった。2012年2月にエルピーダメモリが倒産したことから、Micronがエルピーダメモリと台湾の関連企業Rexchip Electronicsを買収することが同年7月に決まった。その1年後である2013年7月には、買収作業が完了した。
2013年9月5日付けの本コラム記事「消えるエルピーダ、巨大になるMicron」では、Micronがエルピーダメモリ(以降は「エルピーダ」と表記)を買収した狙いを、Micronが弱くてエルピーダが強かったモバイルDRAM(LPDDR系DRAM)の獲得だと記述していた。
しかしエルピーダ買収の狙いは、ほかにもあった。それは「エルピーダの広島工場では量産ラインを使ってプロセスの開発を実施していたこと」だ。むしろこちらが、買収の「真の目的」であったようだ。
2010年6月9日付けの本コラム記事「エルピーダが辿った苦難の10年」は、この重要な変更に言及している。2000年代半ばにエルピーダは相模原事業場が開発したプロセスを広島工場で量産に適用するという従来の方式を改め、広島工場の量産ラインでプロセス開発を実施する仕組みを構築した。この仕組みにより、開発拠点から量産拠点にプロセス技術を移管するときに生じるさまざまなリスクを回避し、量産の立ち上げを著しく円滑化した。
マイクロン広島工場の特長となった「開発と量産が同じ拠点」
筆者がこの重要な事実に気付かされたのは、恥ずかしながら2022年11月16日のことだ。上記の祝賀式典に報道関係者として招待され、式典の報道関係者席で来賓の挨拶を聴いていたところ、広島県知事の湯﨑英彦(ゆざき ひでひこ)氏がMicronによるエルピーダ買収に関するエピソードを披露してくれた。湯﨑氏は2009年11月から現在まで広島県知事をつとめており、在任中の2012年に地元の大企業であるエルピーダが倒産した。外国資本のMicronが買収したことに関する将来への心配(特に雇用維持)は当然のことだったろう。
式典の挨拶で披露したエピソードによると、2012年に湯﨑知事はMicronのCEOであるMark Durcan(マーク・ダーカン)氏が広島を訪れた時の会談で、エルピーダを買収する理由をたずねたところ、ダーカン氏はここ広島(工場)が「開発拠点であり、また生産拠点であり、これらがつながっていることが画期的だ」と述べたという。また雇用の維持はもちろんのこと、雇用は伸ばすと湯﨑知事に約束した。
なおダーカン氏は前のCEOであるSteve Appleton(スティーブ・アップルトン)氏が2012年2月3日(米国時間)に飛行機事故で急逝したことから、翌4日に急遽、CEOに就任した。エルピーダが同月27日に会社更生法を申請するわずか3週間ほど前の出来事だった。
話題を戻そう。11月16日の午前9時30分から始まった報道関係者向け説明会で、マイクロンメモリジャパンのFab15 広島工場 アドバンストテクノロジー部門シニアディレクターを務める野坂耕太氏は、冒頭で広島工場の特長を「プロセス開発部門と量産部門が同じ拠点にあるので、開発から量産までをスピーディに進められる」ことだと述べていた。
エルピーダが残した財産は、マイクロンメモリジャパンでもその価値を失っていない。このように感じる。