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半導体視点で見る、レベル5自動運転の難しさ

ITF World 2023の会場となった「Elisabeth Center」の出入り口。ベルギー国鉄アントワープ中央駅のすぐ前にある。出入り口は狭いものの、中は広い。2023年5月16日(現地時間)に筆者が撮影

世界最大の最先端半導体研究組織「アイメック(imec)」

 ベルギーのルーベンに本拠地を置く「アイメック(imec)」は、半導体の研究開発コミュニティでは最も知名度が高い研究機関だ。約3,500名の研究員を抱える世界最大の最先端半導体研究組織であり、世界中の主要な半導体メーカーや半導体製造装置メーカー、半導体材料メーカーと共同研究や委託研究などで協力関係にある。

 imecは毎年、日本を含めた世界各地で技術イベント「ITF(imec Technology Forum)」を開催してきた。数あるITFの中で最も大規模なイベントが、本拠地であるベルギーで開催される「ITF World」だ(前年までの名称は「Future Summit」)。今年(2023年)は5月16日~17日に、ベルギーのアントワープで開催された。なお前年のイベント「Future Summit 2022」も、ほぼ同じ日程で開催されている。

 筆者は幸いにして、今年の「ITF World 2023」にimecから招待された。「Future Summit」を通じて初めての参加であり、そもそもベルギー訪問自体が初めてとなる。そこでアントワープをご訪問済みの方には申し訳ないが、現地の基本的な情報も含めてレポートをお届けする。

排気ガスは原則禁止でも、タバコの煙が漂うアントワープ市街

 アントワープはベルギーの北部に位置する港湾都市であり、中世を発祥とする古都でもある。現在の人口は約50万人。日本からアントワープに直行する航空便は存在しない。日本からだと、ベルギーの首都ブリュッセルにある国際空港にまず到着し、入国手続きを済ませてからベルギー国鉄でアントワープ中央駅に移動するというのが一般的な経路だろう。筆者のこの経路でアントワープを訪れた。

 ベルギー国鉄のブリュッセル国際空港駅からアントワープ中央駅までは、乗り換えなしの列車が30分~1時間間隔で運行されている。所要時間は約40分である。ブリュッセル国際空港では預け入れ荷物の受け取りカウンターに、ベルギー国鉄の券売機が置かれていた。

ベルギー国鉄のアントワープ中央駅舎外観。一見すると駅舎とは思えない。2023年5月15日に筆者が撮影

 アントワープ中央駅付近は、自動車の乗り入れが制限されている(「ニアゼロエミッションエリア」と呼称していた)。公共交通機関(バスとタクシー)と公用車、それから特別に認可を受けた自動車だけが走行できる。このため、市街を歩いていても排気ガスの臭いがほとんどしない。大気汚染に配慮していることが伺える。

アントワープ中央駅付近の街路。自動車が少なく、自転車が多い。2023年5月16日(現地時間)に筆者が撮影

 ところが意外にも、歩行者ではタバコを吸っている人が少なくない。また裏通りに入ると、「CASINO」の看板を掲げた小規模な賭博場が少なからず散見された。さらには女性とのデートが可能な宣伝ポスター(電話番号付き)も見かけた。公共では環境に配慮する(排気ガスを制限する)が、個人の選択(嗜好)はあまり制限していないようだ。

imec、NVIDIA、Intel、AMDが一堂に会する基調講演セッション

 本題に戻ろう。ITF World 2023の会場である「Elisabeth Center」は、2階が約2,000名を収容可能な巨大な本会議場といくつかの小会議場、1階がホールとなっていた。本会議場では一部を除いて全体講演を実施し、ホールでは展示会を実施するという構成である。

 イベントの初日である5月16日の午前は、大半が基調講演(キーノートスピーチ)で占められていた。欧州共同体(EC)、ベルギーのフランダース地域政府、imec、NVIDIA、Intel、AMDの代表者がそれぞれ講演した。立憲君主制と連邦制を採用しているベルギー(王国)は、地域政府の権限が強い。imecは、フランダース地域政府によって1984年に設立されたという経緯がある。

5月16日午前に開催された基調講演のプログラム。ITF World 2023のWebサイトから抜粋したもの

 通常のイベントでは、競争関係にあるNVIDIAとIntel、AMDの幹部がそろって講演することはあまりない。AMDの講演者であるMark Papermaster氏(CTO件技術エンジニアリング担当EVP)は、講演の冒頭で「ITF WorldはNVIDIA、Intel、AMDが一堂に会する貴重な機会だ」と述べていた。

「複合危機(ポリクライシス)」に直面する人類社会

 基調講演で最も強い印象を残したのは、imecのプレジデント兼CEOをつとめるLuc Van den hove氏による講演だった。そこで以下に、講演の概要をご説明したい。

imecのプレジデント兼CEOをつとめるLuc Van den hove氏による講演のタイトルスライド。タイトルは「A world under pressure needs skyrocketing collaboration(圧力にさらされる世界は、ロケット打ち上げに匹敵する協業を必要とする)」。提供:imec
imecのプレジデント兼CEOをつとめるLuc Van den hove氏(講演中)。写真の提供:imec

 講演では初めに、人類社会は複雑かつ難解ないくつもの課題(危機)に直面していると述べた。いわゆる「ポリクライシス(複合危機)」である。気候変動、武力紛争、人権侵害、貧困、飢餓、感染症の流行、高齢化など、いくつもの課題が複雑に絡み合っている。これらの課題を解決に導くことは、「ムーンショット(有人月面探査から転じて、極めて困難だが大きな成果を期待できる計画)」を考えることに等しい。

 「ムーンショット」の代表は、持続可能な社会の実現にある。特に重要なのは、地球温暖化ガス(温室効果ガス)の削減であり、2050年には温室効果ガスの排出を実質的にゼロにすることが共通の目標として掲げられている。そして半導体産業は、持続可能な社会への変革を促す「フライホイール(はずみ車)」の役割を果たすようになる、と述べていた。

運転自動化の段階(レベル)とシステムへの要求

 Luc Van den hove氏はここから、クルマの運転自動化に話題を転じた。交通事故による死傷者を減らす有力な手段である。運転自動化には段階があり、通常は「レベル1」(最低)~「レベル5」(最高)の5つのレベルに区分けされる。同氏は5つのレベルを講演ではほとんど説明しなかったので、国土交通省の資料から各レベルを以下に補足説明しておこう。

クルマの運転自動化レベル(imecの講演スライドではない)。現在は「レベル4」までの自動運転車が実用化されている。出所:国土交通省

 「レベル1」~「レベル2」の自動化は、運転者の操作を補助する水準にとどまる。「レベル1」(運転支援)は衝突被害軽減機能(自動ブレーキ機能)、車間距離維持機能、車線維持機能のいずれかを搭載する。「レベル2」(部分運転自動化)は、「レベル1」の機能を複数個、備える。車間距離を維持しながら、車線を維持しつつ走行する、といった機能になる。

 さらに高度化した、運転者がステアリングから手を離しても自動で車線を維持しながら走行する「レベル2プラス」(特定条件下での自動運転機能)もすでに実用化されている。なお国土交通省の分類では、「レベル2プラス」も「レベル2」に含まれる。

 「レベル3」(条件付き自動運転)は、あらかじめ決められた領域では運転の主体が人間ではなく、システムになる。非常時の運転操作もシステムが担う。システムでは対応が不可能な条件では、運転操作の主体がシステムから人間(運転者)に素早く切り換わる。

 そして「レベル4」(特定条件下における完全自動運転)になると、特定領域(限定領域)での運転操作をすべてシステムが担う。非常時の運転操作もシステムが実行する。基本的な考え方としては、運転者は存在しない。さらに「レベル5」(完全自動運転)では、領域を限定せずにシステムが運転操作を実行する。

自動運転の高度化はエネルギーの大量消費を招く

 Luc Van den hove氏は、自動運転の高度化は、要求される計算能力(コンピューティング性能:TOPS(兆回演算/s)が急激に上昇することに等しいと指摘した。大まかな数値では、「レベル1」から「レベル2」が0.1~10TOPSであるの対し、「レベル3」から「レベル4」では100~1,000TOPSと1,000倍前後に増加する。「レベル5」に至っては、1,000~5,000TOPSが要求される。運転自動化が高度に進んだ車両の電子制御ユニット(ECU)には、スーパーコンピュータと同等の演算性能が要求されることになる。

運転自動化のレベルと演算性能(TOPS)。imecのLuc Van den hove氏による講演のスライドから

 ここで問題となるのが、電力消費の著しい増大だ。自動運転車両のセンシングとコンピューティングが消費する電力量は、「レベル4」~「レベル5」になると「レベル1」~「レベル2」の50倍~200倍に達するという。電力を効率的に利用する工夫が欠かせない。

運転自動化のレベルと消費エネルギー。imecのLuc Van den hove氏による講演のスライドから

自動運転車両の半導体コストが今後は大きく上昇

 ここからは自動車用半導体の状況を解説した。自動車の部材コストに占める半導体の比率は今後、急激に増加する。2019年に半導体の比率は4%に過ぎなかった。それが2030年には、20%を占めるようになる。

 半導体の比率が急増する理由の1つは、電子制御ユニット(ECU)用半導体ロジック(SoC:System on a Chip)の大規模化と複雑化である。自動運転の高度化はSoCの回路規模を増大させるとともに動作速度を高めることになる。このことは、最先端の微細加工技術の採用を促す。

 ただし微細化とともに、SoCの設計コストは急上昇しつつある。講演では、技術ノードとSoC開発コストの関係をグラフで示していた。14nmノードの開発コストが約1億ドルであったのに対し、5nmノードでは約3億ドルに増大した。3nmノードでは5nmノードのおよそ3倍に急上昇すると推定していた。

 一方で、自動車の生産台数そのものは、ほとんど増えない。2019年~2025年の年間生産台数は、世界全体で1億台弱にとどまると予測した。さまざまなレベルの運転自動化を搭載した、さまざまな駆動方式(モーター、ガソリン、ディーゼルなど)のクルマが混在することになる。

自動車ECU用半導体もSoCからチップレットへ

 さまざまなレベルの自動運転車両が混在することは、さまざまな仕様のECUが必要になることを意味する。ここで問題となるのが、SoC(モノリシックダイ)の設計自由度がそれほど高くないことだ。対策として高度なEUC向けの半導体システムはSoCではなく、チップレットを採用することが考えられている。

自動車向けチップレットのエコシステム。imecのLuc Van den hove氏による講演のスライドから

 仕様の違いに対応した複数のチップレット(ミニダイ)を組み合わせることで、要求仕様の違いに低コストで対応する。またチップレットは組み合わせるミニダイの変更で仕様変更に対応するので、SoCを再設計する手法に比べ、開発期間をはるかに短くできる。

 このようにして、柔軟性を備えながら、開発済みのIPコアを再利用し、製造歩留まりと信頼性を高めたECU向けの大規模な半導体デバイスを妥当な価格で提供できるようにする。