特集
ニュースリリースで振り返る、時代を築いたPCたち【東芝/Dynabook編 EX-80~J-3100SS】
2025年3月31日 06:19
「パソコン業界 東奔西走」番外編としてお送りしている特集企画「ニュースリリースで振り返る、時代を築いたPCたち」の第5回は、東芝/Dynabook編である。
東芝自らは、すでにPC事業から撤退しているが、2018年10月、東芝グループでPC事業を行なっていた東芝クライアントソリューション(TCS)を、シャープが子会社化。社名をDynabookとして、その歴史は、現在まで受け継がれている。
今回の東芝/Dynabook編では、東芝のマイコンキット「EX-80」や、8bitパソコンの「パソピア」のほか、世界初のラップトップPC 「T1100」の流れを汲む「J-3100」、世界初のノートパソコンとされる「DynaBook J-3100SS」のニュースリリースを掲載する。
今回のニュースリリースは、すべて東芝時代の製品であり、Dynabook広報が、東芝コーポレートコミュニケーション室の協力を得て、資料を保管してある倉庫から取り寄せてもらった。現在のDynabookに続く「源流」を感じてもらうことができるだろう。
EX-80
東芝/Dynabook編で最初に紹介するニュースリリースは、1978年3月27日に発表した8bitマイクロコンピュータ組立キット「EX-80」である。他社が先行する中、東芝のEX-80の特徴は、TV用やカセットテープ用のインターフェイスを標準装備し、家庭にあるTVやカセットテープデッキを、そのまま周辺装置として利用できる点だった。また、16進数を入力するキーボードも搭載していた。
社名が、「東京芝浦電気」となっている点も歴史を感じさせる。東芝に社名を変更したのは1984年であり、これは、その6年前のニュースリリースである。ただ、同社では、1978年から英文での社名表記を「TOSHIBA CORPORATION」としており、ニュースリリースのロゴは、すでに「TOSHIBA」となっている。
パソピア
1981年9月に発表したのが8bitパソコンの「パソピア」である。「パソピア」は、「パーソナル」と「ユートピア」を組み合わせた造語で、設計はコンピュータ専門部門が担当し、メインフレーム、ミニコン、オフコンのノウハウを注ぎ込んだ本格派パソコンと位置づけ、事務や技術計算、学習、ゲームなど、幅広い用途での利用を想定。マイクロソフトの最新BASICに、パソピア用に漢字機能などを追加したT-BASICを採用。
この時点で、すでに16bitや32bitに製品ラインアップを拡張する方針も示していた。また、ニュースリリースには、OA機器販売網と家電販売網の両方を活用して販売活動を行なっていたことや、ユーザー支援のために全国7カ所に「パソコンサロン」を設置する計画も記載されている。
J-3100
1986年10月13日に発表したのが「J-3100」である。東芝は、世界初のラップトップPCと言われるIBM PC互換「T1100」を、1985年4月から欧州で、同年12月には米国で発売。さらに、その後継機となる「T-3100」を海外で先行発売しており、「J-3100」は、「T-3100」を基本に、日本語処理機能を強化したモデルとして、逆上陸する形で、日本で発売されることになった。
ニュースリリースには、ラップトップ型で、IBMパソコンとの互換機能を有しているパソコンの国内販売は初めてであると記載されている。また、ディスプレイにはプラズマを採用していた。
東芝は、欧米市場および日本市場でポータブルPC市場を開拓した企業であり、その後も、世界のノートPC市場をリードし続け、13年連続で世界ノートPCトップシェアを維持。1997年10月には、東芝のポータブルPCの累計出荷が1,000万台に到達した。
J-3100SS
1989年6月26日に発表されたのがブック型PC「Dynabook(ダイナブック)J-3100SS」である。A4判ファイルサイズという小型化とともに、3.5型FDDを内蔵しながらも、厚さ4.4mm、重量2.7kgを実現。ニュースリリースでも、「誰でも、いつでも、どこでも使用できる『ブックコンピュータ』という新しいジャンルの市場を開拓するもの」と位置づけた。また、Dynabookが、アラン・ケイ氏が名付けた名称をもとにしていることにも触れている。
J-3100SSでは、J-3100向けに開発された2,000種類以上のソフトウェアや周辺機器が利用できるほか、全世界に流通する約5~6万種類のIBM PC/XT用ソフトウェアの利用ができるとアピールした。レジューム機能を搭載したのも特徴の1つで、電源を切っても、次に電源を入れると、元の画面が瞬時に再現できる点も特徴の1つとして訴求していた。
【9時31分訂正】記事初出時、鈴木亜久里氏の写真が入っておりませんでした。お詫びして訂正します。