西和彦氏、大いに語る
元アスキー社長の西和彦氏が、東京電機大学の脇英世教授が会長を務めるOAA(オープン・アーキテクチャ・アソシエイション)のセミナーで「マイクロプロセッサの過去・現在・未来」という講演を行なった。
西氏は、1時間50分に渡る講演のなかで、「64bit時代に残るCPUは、OpteronとPowerPCの2つ。もし、Intelが、Microsoftのソフトウェアのインプリメンテーションを、AMD以上に素晴らしくできたら勝算がある。また、トリプルコアやクアトロコアの技術で先行すればその可能性もあるだろう。しかし、それは難しい話」と一刀両断にした。
また、OSに関しても、「32bit時代はWindowsと、Mac OSの2つが残ったが、64bit時代は、UNIXベースに移行していくと思う。Microsoftも予断を許さない時代に入ってきた」と指摘する一方、「ただ、日本の場合はLindowsを担いでいるところが、どうもプロ野球に興味を持っているようなので、あまり普及しないだろう」と語った。
さらに、西氏は、「ディスプレイ技術が進化し、折り畳みが可能なディスプレイが登場すると、これが携帯電話に搭載され、ノートパソコンと直接戦う日がやってくるだろう。携帯電話においても定額制の採用とともに、フルスペックのブラウザが利用でき、PowerPointなどのアプリケーションが使えるようになれば、携帯電話が勝つことになるだろう」とも予測した。
講演のなかでは、多数の逸話がポンポン飛びだした。その中から、いくつかをご紹介しよう。なお、編集部では真偽については関知しない。西氏のサービス精神の発露としてお楽しみいただきたい。
・Zilog Z80は、8080で入れられなかったインストラクション、入れるのを忘れたインストラクションを、合計で80個入れたことから命名された。
・かつての名機コモドールPET2001は、三洋電機のドライブをはじめ、キーボード、ディスプレイなど、すべて日本製で作られている。
・米IBMは、パソコン事業に参入するにあたり、当初は8bitで設計をしていたが、急遽16bitのCPUを採用することを決定。8bitバスで16bitを動作させるには、Intelの8088を採用すれば、市場投入が3か月早まると判断してIntelを採用した。
・IBM PCのキーボードの原案は、西和彦氏が提案した。
・NECのPC-8800の名称は、PC-8000の機能を約1割程度改善したので、型番も1割アップ。PC-9800は、それよりも1,000ぐらいの機能強化がされたので9800に。
・東芝のダイナブックの名称は、アスキーが書籍のための商標として登録していたが、これを東芝に譲ったもの。
・Microsoftのマウスは、ゼロックスが2,000ドルで販売していたものを、「200ドルで売りたいので、100ドルで作ってくれ」と西氏がアルプス電気に直談判し、ビル・ゲイツ氏の許可をとらずに1億円もの注文をしたことで実現した。
・Windows 2.0の開発が遅れ、怒ったビル・ゲイツ氏はプロダクトマネージャー3人をクビにした。
・沖電気のif800の開発コードネームは「USO800」。8bitのCPUで大きなBASICを動かし、プリンタなどを動作させるのは無理があり、こんなスペックは「うそ八百」だというのが理由。開発を進めていって、ひょっとしたら完成させることができるかもしれない、ということで正式名称が「if800」に。
□西和彦氏のホームページ
http://www.nishi.org/