福田昭のセミコン業界最前線
考えるだけでモバイル機器を操作。耳の孔に挿れる脳波検出モジュールを試作
2018年7月6日 12:18
人間の大脳とエレクトロニクス機器をなんらかのかたちで接続し、人間が考えるだけでエレクトロニクス機器を操作することは、従来から研究されている。
たとえば、脳神経の信号波形を脳波計で電気信号に変換し、意味のあるかたちに変換し、モバイル機器やウェアラブル機器などの操作に利用する。四肢を動かす信号を取得すれば、電子義手や電子義足などの開発に役立つ。さらには、義手を使わずとも、エレクトロニクス機器を「考えるだけで」操作できるようになる可能性がある。そのほかにもさまざまな応用が考えられる。
脳神経の信号波形を取得する測定器は一般に「EEG(Electroencephalograph)」と呼ばれている。世のなかにもっとも普及しているEEGは、医療機関が脳波の測定に使う装置だろう。頭部表面に一時的に複数の電極を貼り付け、表面電位の変化を測定する。医療用EEGなので脳疾患の検査や確認などに使うのが目的である。当然だが、持ち運んだり、屋外で日常的に使ったりといった用途は想定していない。
人間が普段の生活に持ち込むためには、小さく、軽く、外部と非接触で信号をやりとりできるEEGが望ましい。問題となるのは電力供給である。1つはバッテリ(たとえばボタン電池)だ。こちらは電池の容量が小さいという問題を抱える。もう1つは非接触給電である。こちらもバッテリが必要で、なおかつ給電用装置と給電時間が問題となる。
脳波の取得方法にも課題がある。脳波を高感度かつ高精度で取得するためには、数多くの電極を頭皮内部に埋め込むことが望ましい。
脳波の計測ではないが、脳神経に電気刺激を与える目的で半導体チップが試作されたことはある。約3年前の2015年6月に開催された国際学会「VLSI回路シンポジウム」では、米国カリフォルニア大学サンディエゴ校(University of California, San Diego)の研究チームが、小さく、軽く、無害で、外部と非接触で信号と電力をやりとり可能な脳神経刺激用シリコンダイ(ニューラルインターフェイスSoC(System on a Chip))を発表している(講演番号C6-1)。
シリコンダイの外形寸法は3mm×3mm×0.25mmと小さい。アンテナコイル(L)とキャパシタ(C)を搭載しているので、外部からLC共振を利用して電源を供給する。このシリコンダイを数多く埋め込むことで、さまざまな刺激を与えられる。非常におもしろい試みである(参考記事:大脳にシリコンダイを埋めて神経を電気で刺激する)。
左右のどちらかに意識を向けることで音楽プレーヤーを操作
ただし動物実験であればともかく、人間に脳神経刺激用のシリコンダイを埋め込むのは、法律的にも倫理的にも問題がある。脳波の測定用でも同様の問題を抱える。そこで考えられているのがヘッドフォンあるいはヘルメットのような器具を頭部にかぶせて脳神経に刺激を与えたり、脳波を計測したりする試みである。ただしこちらも一時的であればともかく、日常的にヘルメットをかぶるというのは負担が大きい。
そこで韓国の国立科学技術研究大学KAIST(Korea Advanced Institute of Science and Technology)と米国の工科大学MIT(Massachusetts Institute of Technology)の研究機関MIT Media Labは共同で超小型のEEGモジュールを試作し、両耳の孔にEEGモジュールを挿入することで、「考えるだけで」モバイル機器を操作する研究を進めている。その一端を、この6月に開催された国際学会「VLSI回路シンポジウム」で発表した(講演番号12-1)。
KAISTとMIT Media Labが想定している使い方は以下のようなものだ。EEGモジュールを両耳に装着した人間(被験者)が、右側(右耳)と左側(左耳)のどちらに注意を向けているかを脳波から識別し、モバイル機器のアプリケーションの操作に利用する。アプリケーションとしては音楽プレーヤーを想定した。
たとえば被験者の意識(注意)の方向がまず「左(L)」、次に「左(L)」であれば、「ストップ(停止)」となる。あるいは、まず「右(R)」、次に「右(R)」であれば「プレイ(再生)」となる。つまり、被験者が意識している方向を時間的に連続してEEGでモニターする。そして音楽プレーヤーの操作信号に変換する。
両耳に装着したEEGモジュールは制御信号の送信回路も兼ねており、人体通信(BCC)を通じて被験者が手に持ったモバイル機器に制御信号を送る。モバイル機器は人体通信(BCC)用の受信回路を備えており、制御信号を受信してアプリケーションを実際に操作する。
両目の開閉によってEEGモジュールのオフ状態とオン状態を制御
ここでまず重要なのが、被験者が左右のどちらの耳(あるいは方向)に意識を向けているかを、脳波から検出する技術である。また、EEGモジュールをオフ状態(スリープモード)からオン状態(アクティブモード)に移行させ、さらに脳波測定の実験(モバイル機器の操作に相当)が完了したあとはオフ状態に移行させる技術が必要となる。
順番が逆になるが、オフ状態からオン状態(およびその逆)に移行させる技術をはじめに説明しよう。初期状態はオフ状態(スリープモード)だとする。このとき、被験者がわざと両目をウインクすると、そのときに発生する特有の脳波信号をEEGモジュールが検出し、オン状態(アクティブモード)へと自動的にモード(状態)が切り換わる。なお自然に発生する目の開閉、つまり「まばたき」に伴う脳波は、意図的なウインクとはきちんと区別されるという。
実験が完了したあとは、被験者がわざと両目を一定の時間以上で閉じる。すると、特有の脳波信号が出現するのでこれをEEGモジュールが検出し、自動的にオフ状態へと移行する。
左右の耳に異なる周波数の信号を聴かせて脳波を識別する
被験者が左右のどちらに意識(注意)を向けているかは、「聴性定常状態誘発反応」あるいは「聴性定常反応(ASSR:auditory steady-state response)」と呼ぶ、特定の音声信号を繰り返し聴かせたときに脳波に出現する特有の反応を利用する。
具体的な実験の様子を説明しよう。講演および論文によると、被験者の右側に置いたスピーカーからはキャリア周波数が2.5kHzで変調周波数が43Hzの振幅変調信号(AM信号)を流し、被験者の左側に置いたスピーカーからはキャリア周波数が1kHzで変調周波数が37Hzの振幅変調信号(AM信号)を流す。変調周波数が43Hzと37Hzなのには理由がある。ASSRは変調周波数が40Hz前後だと、良好な反応が得られることが知られているからだ。
ここで被験者が両目をウインクして、EEGモジュールをオン状態にする。そして左右のどちらかのスピーカーに意識を集中すると、変調周波数に対応した脳波が強まる。たとえば右側のスピーカーに意識を集中すると、43Hzの脳波信号が強く現われる。逆に左側のスピーカーに意識を集中すると、37Hzの脳波信号が強く現われる。このようにして被験者が右側と左側のどちらに意識を集中しているのかを脳波から読み取り、モバイル機器の操作に利用する。
ただし当然ながら、被験者が意識を右側あるいは左側に意識を集中するためには、一定量の練習を必要とする。さらに、スピーカーの音声を聴く時間は、ある程度は長くないと、EEGモジュールによる認識率が向上しない。およそ84%の認識率を得るためには、練習済みの被験者でも、15秒ほどの時間を必要とした。
「考えるだけで機器を操作する」という夢のような世界を実現するまでの距離は、研究成果の講演を聴講したかぎりでは、まだ相当に長いことがわかる。しかし距離は無限ではない。有限であることが明確に示された。有限である以上、研究開発を継続して進めていけば、いつかは必ず実現する。そのときを楽しみに待ちたい。