福田昭のセミコン業界最前線

Intelの歴史を「インテルミュージアム」から振り返る【4004プロセッサ編】

 Intelが世界で初めてマイクロプロセッサを開発した企業であることは、PCや半導体の世界では常識だ。Intel自身もそのことは強く意識していて、6年ほど前の2011年11月にはマイクロプロセッサの発明40周年を記念したニュースリリースを発行している。

 Intelの本社オフィス(米国カリフォルニア州サンタクララ)の一角に存在する博物館「Intel Museum(インテルミュージアム)」でも、マイクロプロセッサに関する展示はかなり賑やかだ。ミュージアムの扉をくぐってから正面の見学通路を直進すると、初めに、本コラムの前回で「Intelの歴史を「インテルミュージアム」から振り返る【メモリ編】」として紹介したDRAMや不揮発性メモリなどの展示コーナーが左右に見えてくる。その次に見えてくるのが、世界初のマイクロプロセッサ「4004」に関する展示コーナーである。

 そこで今回は、「4004」の開発経緯について、「インテルミュージアム」の展示物を引用しながら、少し説明していこう。なお時代背景(1970年前後)を考慮し、数値計算を目的とする比較的小型の製品を「計算器(calculator)」と呼称し、大型の筐体に大規模なロジックとメモリを格納した高速の計算を目的とする製品は「メインフレーム」あるいは「コンピュータ(computer)」と呼んで区別している。

世界初のマイクロプロセッサ「4004」の展示棚。左手前が、「4004」を埋め込んだ樹脂のオブジェ。右手前が、「4004」の開発目的である、プリンタ付きの電子式卓上計算器(desktop calculator)「141-PF」の実物。「141-PF」は、日本の計算器販売会社「ビジコン」が開発した。右奥のプリント基板は、「141-PF」のメインボード。左奥のパッケージ群は、「141-PF」のためにビジコンとIntelが共同開発した「4004」を含む4種類の半導体集積回路。その下にあるのが、電子業界誌「Electronics News」の1971年11月15日号に掲載された、「4004」を含めたチップセットの広告原稿のコピー。2017年6月某日に「インテルミュージアム」で筆者が撮影(以下同じ)

 Intelがマイクロプロセッサ「4004」を開発したのは、1971年11月15日のことだとされている。厳密には電子業界誌「Electronics News」の1971年11月15日号に、Intelが「4004」を含めたチップセットの広告を掲載したことで、開発が明らかになった。

マイクロプロセッサが電子回路の設計手法を変えた

 インテルミュージアムの「4004」展示棚に置かれた説明パネルは、「4004」の開発経緯を以下のように簡単にまとめている。「1969年に、日本計算器販売(注:1970年に「ビジコン」に社名を変更)が12種類(注:正しくは12個)のカスタムチップを設計することでIntelにコンタクト(原文はapproached)してきた。

 12種類のカスタムチップは、日本計算器販売が新しく開発するプリンタ付き電子式卓上計算器「Busicom 141-PF」に使われる。これに対してIntelの技術者は、新規の設計案を提示した。

 それは、4個の半導体チップで構成されるファミリである。その1つが、プログラムによってさまざまな用途に使えるチップ(注:明示していないが「4004」のこと)である。「Busicom 141-PF」に向けて開発した「4004」プロセッサは設計技術の革新であり、エレクトロニクスの世界を変えた。汎用チップとカスタマイズされたソフトウェアの組み合わせが、電子デバイスの設計手法にブレークスルーをもたらした」(英文の説明を筆者が翻訳(意訳)したもの)。

世界初のマイクロプロセッサ「4004」の展示棚に置かれた、「4004」の開発経緯に関する説明パネル。なお日本のビジコンが提案したカスタムチップを12種類と説明パネルで記述しているのは誤りで、ビジコンの技術者である嶋正利氏(当時)は8種類のカスタムチップを合計で12個使うと述べており、Intelは12個を12種類と誤って理解したものと思われる
世界初のマイクロプロセッサ「4004」の外観写真。説明書きには、1971年にリリースされたとある
「4004」を埋め込んだ樹脂のオブジェの右にある説明パネル。発表時期は1971年秋、初期のクロック周波数は108kHz、トランジスタ数は2,300個、回路線幅は10μmとある。この中でクロック周波数の108kHzは、一部の関係者には良く知られている誤りで、クロック周期の10.8μsが誤って伝わったものとされている。正しいクロック周波数は約740kHz(公称の最大周波数は750kHz)である

 上記の説明を補足すると、1960年代末における電子デバイス(電子回路)の設計は、ほぼすべてがハードウェアだけで実現されていた。「ハードワイヤードロジック」と呼ばれる設計手法で、プリント基板の上に、個別部品(論理ICや抵抗器、コンデンサなど)を数多く配置し、プリント配線で相互接続することによって電子回路を組んでいた。ワンチップにロジックすべてが入っていることが当然の現在から考えると、いささか分かりにくいかもしれない。プリント基板全体が現在における1個のロジック半導体チップで、プリント基板の配線がロジックの一部であると想像すると、いくらか分かりやすくなるだろうか。

 これに対してマイクロプロセッサ「4004」を使った設計手法では、電子回路をハードウェアとソフトウェアに分割して構成する。電子回路における動作の大半は、ソフトウェア(プログラム)で実行する。固定機能や入出力機能、特に高速性を重視する動作などのソフトウェアに不向きな回路は、ハードウェアで実現する。

 ソフトウェアを活用することの利点は、プログラムを変更することで、さまざまな用途の電子回路を開発できることにある。同じハードウェアのままで、異なる電子システムを実現できるのだ。ハードワイヤードで回路を組む設計手法に比べると、開発と仕様変更の手間が大幅に減り、開発コストが劇的に低下する。

プリンタ付き電子式卓上計算器「141-PF」のメインボード。プロセッサである「4004」を含めた4種類の半導体チップを開発した。プロセッサである「4004」のほかに、ROMの「4001」、RAMの「4002」、インタフェース(シフトレジスタ)の「4003」でチップセット「MCS-4 (Microcomputer Set 4)」(注:Intelは同じチップセットを「4004ファミリ」、あるいは「4000ファミリ」と呼ぶことがある)を構成している

コストの大幅な削減と究極の小型化が革新の本質

 ただし、上記の考え方はメインフレームに代表されるコンピュータの世界ではすでに常識となっていた。いわゆる「ストアドプログラム方式(プログラム内蔵方式)」で、記憶領域(メインメモリ)に格納したプログラムをCPU(中央演算装置)が読み込んで、プログラムを実行する方式である。そのメインメモリで使われていた磁気コアメモリを半導体メモリで置き換えるために、Intelをロバート・ノイス(Robert Noyce)氏とゴードン・ムーア(Gordon Moore)氏が設立したことはメモリ編で述べた通りだ。

 世界初のマイクロプロセッサ「4004」が画期的だったのは、メインフレームと同じ機能を、メインフレームとはまったく違った発想(アーキテクチャ)によってわずか4個の半導体チップで実現したことにある。メインフレームの単なるダウンサイジングではない。この点はきわめて重要だ。

 粗く言ってしまうと、1960年代後半のメインフレームはすでに32bitアーキテクチャを採用していた。「4004」プロセッサが採用した4bitアーキテクチャ(内部は8bitアーキテクチャなのだがそれでも本質的な違いはない)はメインフレームにとってはまったく意味がない。わざわざ命令長を減らして演算回数を増やす(演算速度を下げる)理由などなかった。さらに、小さなオフィスには入り切らないほど大きな筐体を備えたメインフレームでは、CPU(中央演算ユニット)を小さくすることの意味も存在しなかった。

 「4004」がプログラムを実行する速度は、メインフレームに比べるとはるかに低い。演算性能は低いものの、電子回路(筐体)の大きさはメインフレームに比べてはるかに小さく、そしてコストは極めて低い。性能を犠牲にして、コストの低減を最優先させたことが、世界初のプロセッサがもたらした最大のブレークスルーだと言える。

「4004」シリコンダイのレイアウト。左下にIntelのロゴと1971年を示す数字、中央下に型番を示す「4004」の数字、右下に開発者の1人であるフェデリコ・ファジン(Federico Faggin)氏のイニシャル「F.F.」が見える
「4004」シリコンダイのレイアウトに関する補足説明パネル。青い線が金属配線層、赤い線が多結晶シリコン(ポリシリコン)のゲート層、緑の線が拡散層を意味する、とある