福田昭のセミコン業界最前線
Intelの歴史を「インテルミュージアム」から振り返る【メモリ編】
2017年7月4日 06:00
Intelは、自社の歴史と開発資産を「Intel Museum」として広く公開している。「Intel Museum」には2通りある。1つはオンライン版のバーチャルミュージアムだ。バーチャルミュージアムは世界各国の言語ごとにバージョンがあり、例えば日本語版の「インテルミュージアム」では、Intelの主力製品であるマイクロプロセッサの働きや技術、歴史などを解説している。またIntelとその日本法人(設立当初は「インテル・ジャパン・コーポレーション日本支社」、その後、1976年に「インテルジャパン株式会社」、1997年に「インテル株式会社」に改組および改称)の歴史について紹介したPDFを閲覧/ダウロードできる。もちろん英語版(米語版)の「Intel Museum」も存在する。
Intel本社の一角に設けられた「博物館」
もう1つは、リアルな博物館の「Intel Museum」(以降は「インテルミュージアム」と呼称する)である。Intelが本社オフィスを構える米国カリフォルニア州サンタクララ(Santa Clar)に、インテルミュージアムが設けられている。より具体的には、本社オフィスの一角を占めるロバート・ノイス・ビルディング(RNB: Robert Noice Building)の1階に、インテルミュージアムがある。本社オフィスの玄関からは、歩いて2分~3分しか、かからない。
見学に必要な時間は長くても1時間程度
インテルミュージアムのやや重い扉を開くと、正面右に受け付けがあり、さらにその右がミュージアムショップになっていた。受け付けに立ち寄る必要はないのだが、写真撮影のことがあるので、挨拶がてら入場料金と写真撮影について問い合わせてみた。入場料金は無料、写真は自由に撮影して構わない、ということだった。安心してデジカメをカバンから取り出し、撮影に勤しむことにする。
見学通路はほぼ楕円形になっており、正面に進むか、あるいは、左に進むことになる。筆者は、あまり考えずに左に進んでしまったのだが、失敗したらしい。正面に直進するのが適切な見学コースのようだ。なぜならば、Intelが創業した当初の製品は正面を進んだところにあり、また、横長の展示パネルは右から左へ進むように掲示してあったからだ。つまり、楕円のコースを左回りに進むように展示してあることが後で分かった。
インテルミュージアム自体はあまり広くない。行きつ戻りつ見学してもそんなに時間はかからない。じっくり見学したとしても、所要時間は1時間ほどだと思う。Webサイトの説明書きによると面積は1万平方フィートとあるので、メートル換算すると約930平方mであり、正方形と仮定すると約30m角の大きさになる。公立の博物館や美術館などに比べると、はるかに小さい。
それはともかく、せっかくの機会なので、インテルミュージアムの展示物をご紹介しながら、Intelの歴史を振り返ることにしたい。なお、文中の人名は敬称を略している。あらかじめご了承されたい。
Intel創業直後の集合写真パネルが出迎える
ロバート・ノイス(Robert Noyce)とゴードン・ムーア(Godon Moore)の両名によってIntelが設立されたことは、良く知られている。創立日は1968年7月18日である。オフィスはカリフォルニア州マウンテンビュー(Mountain View)に置かれた。マウンテンビューはシリコンバレー地域の一部で、現在の本社オフィスがあるサンタクララとは、直線距離にして10km程度とかなり近い。
インテルミュージアムの入り口から5mほどまっすぐに進むと左手に、床から天井まで届くほどの大きな写真パネルがある。創業して間もない1969年に、Intel本社の前に従業員が集まって記念撮影した1枚だ。写真パネルの説明によると、この頃の従業員数はわずか106名である。ちなみに、2016年12月31日時点の従業員数は106,000名(2016年のAnnual Reportによる数値)なので、17年間で従業員数は1,000倍に達したことになる。
Intelは半導体メモリメーカーとして出発した
Intelは世界最大の半導体メーカーであるとともに、世界最大のマイクロプロセッサメーカーとして知られている。しかしIntelの共同創業者であるノイスとムーアの2人が目指したのは、半導体メモリによってコンピュータの磁気コアメモリを置き換えることだった。大きくてかさばる磁気コアメモリが当時のコンピュータメモリの主役であり、これを小さくて薄い半導体メモリで置き換えようとしたのだ。
インテルミュージアムに話題を戻そう。左手の集合写真パネルを後にして少し歩くと、Intelが磁気コアメモリ置き換えの野望を実現すべく開発した、創業初期の製品群と出会える。Intelが開発した最初の製品は、ショットキーバイポーラRAM「3101」である。1969年4月のことだ。創業してからわずか9カ月で、最初の製品を開発したことになる。
しかしIntelは製造技術としては当時の主流であったバイポーラプロセスではなく、MOSプロセスが将来は主流になると考えていた。そこで「3101」で売り上げを稼ぎつつ、最初のMOSプロセス製品であるスタチックRAM(SRAM)「1101」を同じ1969年に開発する。説明パネルには、「1101」は、世界で初めてのMOS製品と記述してある。
だが、筆者の調べではNEC(日本電気)が1968年に144bitのMOS SRAMを開発しており、日本電信電話公社のメインフレーム「DIPS-1」に採用された実績がある(ただし採用は1973年と遅い)。市販製品として最初のMOS ICは「1101」と言えるが、実用化されたMOS ICの「世界初」については議論の余地がありそうだ。
ダイナミックRAM(DRAM)の発明
スタチックRAM(SRAM)は原理的には論理回路、厳密にはフリップフロップであり、回路技術としては革新的なメモリとは言いにくい。革新的なメモリと言えるのは、SRAMに比べて大幅にトランジスタ数を減らした、ダイナミックRAM(DRAM)である。
そして世界で初めてのDRAM「1103」をIntelは、1970年10月に発表する。これこそが、磁気コアメモリを置き換えるべくIntelが開発した、最初の製品である。「1103」のシリコンダイは磁気コアメモリとともに、実物展示されていた。
紫外線消去型EPROMの発明と大成功
DRAMおよびSRAMが展示されている棚と向い合せになっているのが、不揮発性メモリに関する展示棚である。非常にささやかな展示で、うっかりすると通り過ぎそうになるくらいだ。
半導体メモリのベンチャー企業であったIntelは、DRAMを開発した翌年(1971年)の9月には、これも世界で初めての消去可能なプログラマブルROM(EPROM)「1702」を製品化する。「1702」は不揮発性メモリ(電源を切っても記憶内容が消えないメモリ)であり、ユーザーが外部から記憶内容を電気的に書き込めるメモリであり、しかも記憶内容を消して再度の書き込みを可能にした画期的なメモリだ。記憶内容の消去には、紫外線を使う。このため、「紫外線消去型EPROM(UV-EPROM)」と呼ばれている。紫外線をシリコンダイに照射することで、記憶内容を一括してすべて消去する。部分的な消去はできない。
なおインテルミュージアムの展示とは関係ないが、日本の読者にとっては重要な出来事が同じ年の10月にあった。Intelが日本法人「インテル ジャパン コーポレーション日本支社」を設立したのである。会社設立後、わずか3年ほどで日本法人を設立したことからは、Intelが日本市場と日本の顧客を非常に重要だと考えていたことがうかがえる。
UV-EPROMは多いに売れ、Intelを支える事業の柱となっていく。ただし、UV-EPROMは、2つの重大な弱点を抱えていた。1つは、記憶の消去に必要とする時間が非常に長いことだ。「1702」の製品仕様は不明だが、1980年代のUV-EPROMの一般的な製品仕様だと、消去に必要な時間は15分から20分である(この所要時間はもちろん、紫外線の強度によって変化する)。
もう1つの弱点は、紫外線を照射するためにパッケージを高価な窓付きセラミックパッケージとしなければならないことである。1970年代前半までは半導体製品のパッケージは、高価なセラミックパッケージが主流であった。それが、1970年代後半に入ると安価な樹脂を使用したプラスチックパッケージの信頼性が向上する。DRAMやSRAM、マイクロプロセッサなどは、パッケージをセラミックからプラスチックに転換することで製造コストを下げていった。このパッケージコスト削減の恩恵を、UV-EPROMは受けられなかった。
さらに付け加えると、消去対象がすべての記憶内容だけという制約も、弱点と言えた。DRAMやSRAMなどは、1バイト単位、さらには1bit単位のデータ書き換えを実現していたからだ。
UV-EPROMの弱点を克服したEEPROMの悲哀
そこでIntelが1980年に開発したのが、電気的に記憶内容をバイト単位で書き換えられるプログラマブルROM(EEPROM)「2816」である。「2816」は商業的にはあまり上手くいかなかった。その大きな要因は、シリコンダイの面積が、同じ記憶容量のUV-EPROMに比べるとはるかに大きくなってしまったことである。シリコンダイの製造コストがUV-EPROMに比べて高くなってしまったことで、プラスチックパッケージに収納可能というメリットが活かされなかった。
しかし、IntelのEEPROMビジネスが成功しなかった最大の理由は、Intel自身が主力事業の1つであるUV-EPROMビジネスと競合するであろう、EEPROMビジネスに消極的であったからだと、現在では考えられている。粗く言ってしまうと、UV-EPROM事業が十分な利益を上げているのに、わざわざリスクのあるEEPROM事業に投資する必要などない、と当時の経営幹部は判断したのだ。このため、1978年から1981年にかけて、不揮発性メモリ(UV-EPROMとEEPROM)開発を牽引してきた重要な技術者の大半が、Intelを退社してしまった。
NOR型フラッシュメモリで再び不揮発性メモリの覇者に
Intelが経営判断の誤りに気付いて軌道修正をかけ始めるのは、1980年代の半ばである。EEPROMの大容量化技術を開発する途上で、東芝が国際学会IEDMで1984年に発表したフラッシュメモリ技術(「一括消去型EEPROM」技術とも呼ばれた)を知る。Intelはフラッシュメモリ技術(厳密には「NOR型フラッシュメモリ技術」)の開発に本腰を入れ、1988年にはフラッシュメモリ事業への参入を正式にアナウンスする。
そして1991年にはフラッシュメモリ事業に注力するとともに、UV-EPROM事業から撤退することを発表する。1990年代後半には、NOR型フラッシュメモリの最大手企業の地位を確固たるものとした。
NAND型フラッシュメモリ
2000年代に入ると、NOR型フラッシュメモリの市場をNAND型フラッシュメモリが置き換え始める。NOR型フラッシュメモリの最大手メーカーだったIntelは、NAND型フラッシュメモリへの進出が遅れてしまう。そこで半導体メモリメーカー大手のMicron Technologyと提携して合弁会社を2005年11月に設立し、NAND型フラッシュメモリの共同開発と共同生産を始める。こうしてIntelはNAND型フラッシュメモリ市場に参入した。しかし市場調査会社DRAMeXchangeのデータによると、2016年末の時点でIntelのシェアはSamsung Electronicsや東芝、WesternDigital(元はSanDisk)などの後塵を拝するにとどまっている。
なお、IntelとMicronが共同開発して2015年7月に発表した不揮発性メモリ技術「3D XPoint」に関する展示は、見当たらなかった。展示内容を変更する機会があれば、「3D XPoint」に関する展示が加わることを期待したい。