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基盤モデルが科学的発見を加速する。IBMが記念イベントで量子コンピュータ内部モックを日本初公開

 日本IBMは、同社の研究開発部門「IBM Tokyo Lab. 」設立50周年、東京基礎研究所の設立40周年を記念したイベント「Science for the Future」を、2022年10月13日、14日の2日間、日本科学未来館にて開催した。

 サイエンスの役割と可能性を論じ、科学的発見を加速させるためにIBM研究開発が取り組む技術開発と応用について紹介するイベントで、IBM東京基礎研究所 所長の福田剛志氏らによる講演や識者たちによるパネルディスカッションのほか、量子コンピュータのシャンデリア・モックを日本初公開。今回のイベントのために製作したものだという。そのほか、AIを活用した技術の展示やデモも行なわれた。

量子コンピュータ シャンデリア・モック

量子コンピュータ の内部モック

 量子コンピュータの心臓部である量子チップは、真空、かつ10ミリケルビン以下の極低温環境でなければ動作しない(ケルビンは絶対温度の単位)。そのため通常は、巨大な魔法瓶のような5重の筒に収められている。今回は、その内部構造を日本で初めて公開した。中はほとんどが冷却のための構造物で、上から徐々に冷やされ、一番温度が低くなる最下部に量子チップが取り付けられる。

 今回お披露目されたものはモックではあるが、極めて精密に作られているという。今回のイベントのために新たに作られたもので、展示のあとは、実物のある新川崎のほか、全国イベントを巡回することになるのではないかとのこと。2025年までのIBMの量子コンピュータのロードマップについては過去記事を参照されたい。

量子コンピュータの冷却機構。極低温を実現する希釈冷凍機そのもの
まず数ケルビンまで冷却し、その後さらに冷却する
無酸素銅に金メッキの「フランジ」が積み重ねられたシャンデリア構造
多数の高周波同軸ケーブルを熱の影響も含めて互いに干渉しないよう配置するにはノウハウがいる
量子チップが取り付けられる最下部
数ミリケルビンの極低温まで冷却される
最下部の様子は鏡面に磨きあげられた下の土台で見ることができる
人との比較

「基盤モデル」が「科学的発見の加速」を進める

IBM東京基礎研究所 所長 福田剛志氏

 IBM東京基礎研究所 所長の福田剛志氏は、R&Dの取り組みやフォーカスエリア、特に「これから来るもの」について解説した。「科学的発見の加速」、「基盤モデル」がこれからのキーワードだという。

 IBM Researchは事業部門とは独立した研究所。77年の歴史があり、3,000人の研究者が世界中でつながって研究を行なっている。東京ではクリーンルームのある新川崎ではハードウェアの研究、箱崎ではソフトウェアの研究を行なっている。福田氏は「いまはイノベーションを起こすためにはコンピュータサイエンスだけやっていればいいというような時代ではない」と述べ、そのためさまざまな領域の多様な研究者がインタラクションすることでイノベーションを起こそうとしていると紹介した。

 IBMはこれまでにFORTRANやDRAM、音声認識、RISCプロセッサ、Blue Gene、Watson、最近では量子コンピュータや、2nm半導体などさまざまなイノベーションを生みだした。2nm半導体は最初はサーバー、そして遠からずスマホなどにも入ってくる。そうすれば大幅な低消費電力が実現する可能性があるという。新川崎に設置されている量子コンピュータ「IBM Quantum System One」は、日本専用で日本の研究者しか使えない。東京リサーチではHybrid Cloud、AI、3次元実装、量子アプリケーションなどの研究が行なわれている。

 科学的発見は難しい。計算の限界、論文数の生成速度、可能性の探索、検証にかかるコストなどが膨大だからだ。たとえば医薬品となる化合物候補は10の63乗もあり、これは地球上にあるすべての原子数よりもはるかに多い。そこでAIを使った加速が期待されている。もっとも効果が高いのは非構造化データ(論文)から関連を見出すディープサーチ、シミュレーションによる数値データの取得と無駄なシミュレーションを防ぐAI強化シミュレーション、材料構造を自動デザインしてくれる生成モデル、そしてロボットを使った自動実験である。ロボットを使えば異物混入リスクもなく、実験の回し方もAIが自動でプランする。

 これらをつなげてプラットフォームとする。適用対象分野は材料、薬、デジタル・ヘルス、オープン・コラボレーション。これら一個一個の要素をすべてIBMが作るのではなく、コアサービスやコントロール層を提供することで外部リソースも活用できるようにして、IBMディスカバリープラットフォームとする。

 また、AIの歴史はAI表現方法の歴史だと述べ、これからは「基盤モデル(Foundation Model)」が重要だと紹介した。これまでAIはエキスパートシステム、機械学習、深層学習と発展してきたが、2018年ごろからは生成的・高適応性の基盤モデルが話題となっている。これまでAIを作るには、人間がラベル付けした膨大な学習データが必要だった。それに対して「自己教師学習」を使うことで、データが大量にあれば自分で学習することができるようになりはじめている。いったんできたモデルを使って別のAIをトレーニングすることにも使え、最終的に少ないラベル付けデータを適用することで、効率良く、さまざまなタスクへ適用できる精度の高いモデルを作ることが可能になると期待されている。

 これを材料化学、薬学などに適用することをIBMは狙っている。ダウジョーンズやP&Gなどのほか、半導体系のパートナーなどと一緒に研究を進めているという。福田氏は、具体的な例としては長瀬産業とIBMが共同で開発したマテリアルズインフォマティクス基盤「TABRASA(タブラサ)」を挙げた。この例のように、IBMが直接特定の分野に対してプラットフォームを提供するのではなく、それぞれの分野に詳しいパートナー企業と組んで、基盤モデルを提供するかたちでのビジネスを進めようとしているという。

 福田氏は最後に「これまではナローなAIだった。もっとブロードな(広い)ことができるAIを基盤モデルで作れる。その点に研究者たちは興奮している」と語った。

会場では福田氏と沖縄科学技術大学院大学で海洋気候変動の研究を行なうTimothy Ravasi氏との対談も行なわれた
Ravasi氏は海洋科学にもコンピュテーションは必要であり、好奇心と正しい問いが人間を駆動すると語った

AI活用研究の展示も

各種パネル展示も

 会場では、AIを活用した各種研究のパネル展示や、視覚障がい者向けのデバイス「AIスーツケース」などのデモも行なわれた。電子舌「Hyper Taste」は溶液に含まれる化学物質を分析できる味覚センサー技術で、ワイン産地を判定できるほか、大西洋を自動航行した船「メイフラワー号」に搭載され、海洋酸性化に関するデータ収集などを行なった。実用化に向けた共同研究が勧められている。日本初展示。

 このほか、「ディープラーニングの次」としてシンボリックなAI技術とニューラルネットワークを組み合わせた「Neuro-Symbolic AI」、よりエネルギー効率がよいハードウェアやソフトウェア、AIを使った新素材開発の研究などがアピールされた。

AIスーツケース。視覚障がい者が自立し移動することを助けるソリューションとして開発中
AIを応用した味覚センサー「Hyper Taste」。日本初展示。
筋骨格モデルと詳細歩行分析。歩行する様子から関節、骨格・筋肉を推定し、歩行姿勢を点数化する技術
IBM Researchのさまざまなデジタル・ヘルス関連解析手法をクラウドで簡単に利用できるようにし、認知症リスクを推定するアプリケーションも
Neuro-Symbolic AI
よりブロード、万能なAIを目指すための取り組みの一つ
エネルギー効率を1,000倍にするための挑戦も
AIを使って新素材開発の時間を100分の1以下に加速することが目標だという