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「量子コンピュータと従来型コンピュータは共存する」

~量子アニーリングの提唱者・東工大 西森教授がレクチャー

 東京工業大学は2017年12月12日、東工大理学院 物理学系の西森秀稔教授による量子コンピュータに関するプレスセミナーを開催し、量子コンピュータの現状についてレクチャーした。

 ビットのゼロと1の重ね合わせ状態を利用する量子効果を利用する量子コンピュータには、「量子ゲート方式(量子回路方式)」と「量子アニーリング方式」の2種類がある。西森教授と当時指導学生だった門脇正史氏は、1998年に量子アニーリング(Quantum annealing)方式を共同で提唱した。

 量子アニーリングは、物理過程を利用して組み合わせ最適化問題を解くことに特化していたアルゴリズムだ。

 ゲート方式と違って1ステップずつプログラミングする必要がない。西森研究室のWebサイトの表現をそのまま引用すると、「パターン認識や自然言語処理、医療診断、金融その他を始めとする多くの重要な課題が最適化問題として定式化できるため、最適化問題の効率的な解法は社会的に大きなインパクトを持つ」。近年話題の機械学習にも用いることができる。

 すでにカナダのD-Wave Systems社が、超電導集積回路からなる量子アニーリングのハードウェアを開発。GoogleやNASAなどに導入されて使われている。同社の量子コンピュータには、当初は本当に量子コンピュータなのかという議論もあったが、いまでは素子同士の量子エンタングルメント(量子もつれ)効果が認められており、研究者の間ではその議論は終わっているとのことだ。

 なお、アニーリングとは「焼きなまし」のことである。材料をゆっくり冷却する過程で、内部の状態が落ち着いていくことになぞらえたものだ。

量子コンピュータは従来型コンピュータにとって代わるものではない

東京工業大学 理学院 物理学系 西森秀稔教授

 西森教授は最初にIEEE量子コンピューティンググループ チェアマンのWiliam Hurley氏によるメールインタビュー記事を紹介した。的確なインタビュー記事なのでぜひ読んでもらいたいとのこと(記事はこちら:THE QUANTUM SENSEI: DR. HIDETOSHI NISHIMORI DISCUSSES QUANTUM ANNEALING)。

 そして、量子コンピュータは決して従来型(ノイマン型)コンピュータにとって代わるものではなく、古典コンピュータでは時間がかかる特定の問題に使われるものであり、それぞれが役割を担って、共存し続けるだろうと強調した。

 そもそも、従来型のコンピュータの限界を突破しようとする試みは、量子コンピュータだけではない。

 富士通、日立、HPなどが非ノイマン型の最適化問題専用チップを開発している。そのいくつかの試みの1つが、量子コンピュータだと述べた。

量子コンピュータと古典コンピュータは共存する
量子コンピュータは非ノイマン型コンピュータの1つ

 では量子コンピュータはどんな問題に使われるのか。

 量子コンピュータは、いくつかの限られたタスクでは劇的に速くなることが理論的にわかっている。RSA暗号にも用いられている素因数分解、量子力学の世界をコンピュータ・シミュレーションする量子シミュレーション、そして人工知能技術の1つである機械学習だ。

 ただし、素因数分解は厳密な計算が必要になるため、おそらく10年や20年では難しく、直近で実用になりそうなのは、量子シミュレーションだという。

 量子シミュレーションは、分子の設計、高温超電導の機構解明と新材料探索、最適化問題などに応用ができる。機械学習に応用するには、ビッグデータをどのように量子コンピュータに載せるのかという問題がある。

 量子アニーリングは、「高速化が期待されているが、証明はされていない」と西森教授は語った。ただし機械はすでにできているので、試してみることはできる。最適化問題、サンプリングなどだ。最適でなくても現実的には最適に近ければ有用であることも多い。それを利用するのがサンプリングだ。

 また、ボルツマン機械学習に役に立つことがわかっており、現在研究中だという。従来は最適解だけを取って残りは捨てていたのを、もうちょっと性能を上げることができるという。ただし、小さいシステムでうまくいったという報告はあるが、まだ実用的ではないとのこと。

 なお量子計算機の実用問題については「ハイブリッド」方式がここ3~4年のトレンドだという。一番難しいところ、適した部分だけを自動で小さく切り出してきて、量子アニーリングで解き、また元に戻して計算を続けるというやり方だ。

 量子アニーリングは、サンプリングと最適化問題に適したアルゴリズムだ。だが、特別な回路をアニーリングに組み込むと、汎用計算が可能であることも理論上の可能性として証明されており、実現に向けた取り組みがすでに始まっているという。

 つまり、量子ゲート方式と量子アニーリングの融合が始まっている。

 現時点の実機(D-Waveマシン)を用いた例では、速くなる場合もあるが、遅くなる例もあり、それはやってみなければわからず、必ずしも速いとは言えず、どういう問題に対してなら速くなるのか、速くなる問題の構造を現在探索中だと述べた。

量子コンピュータが力を発揮する問題

量子アニーリングの演算の基盤

 D-Wave社の量子アニーリングマシンの基本素子は、微小な超電導閉回路である。1ミクロン以下の金属リングを作り、超電導状態の電流を流したものだ。

 このリングでは、右回りの電流と左回りの電流が同時に存在する奇妙な状態になる。量子力学的な2つの状態の重ね合わせである。西森教授は、「なぜこうなるかはわからない。聞かないでください」と語り、記者たちの笑いを誘った。

 さて、この電流の回り方は計測することができる。どちらかに回っているが、どちらに回っているかは計測するまではわからない。「スーパーポジション」と呼ばれている。

 量子コンピュータの研究では、「それはなぜか」という領域にはとりあえず踏み込まず、これを量子ビットとして用いる。量子ビット数が増えると指数関数的に表現される状態が増えていく。これを利用すると、一部の問題は高速に解ける可能性がある。

 問題は、たくさんの可能性の中から正解を選ぶためのプロセスである。量子ビットの状態は必要条件であり十分条件ではない。それをうまく利用するためのアルゴリズムが必要となる。

微小な超電導閉回路による量子ビット

 西森教授は、巡回セールスマン問題を解く例を挙げた。複数の都市を最短で回って元に戻るルートを計算する問題だ。

 たとえば、5都市を訪ねる場合の組み合わせは、5×5、25のビット列で表現される。経路を1、0の並びで表現し、都市間の距離を計算する。そうやって最小化すべき量を表現する。ここまでは古典計算である。

 解がわからないので、量子アニーリングでは、それぞれのビットに1と0の両方の可能性を全部おいておく。右回りと左回りの両方の電流で表現するわけだ。

 これが初期条件で、そのあと、だんだんビットごとの可能性を距離を入れていくことで、2つの可能性を消し込み、位置情報の関係性を入れ込みながら、1つの確定した状態に持っていく。これが量子アニーリングである。

 最初はものすごい可能性が表現されるが、だんだん量子力学的な重ね合わせを減らして、1つだけが安定状態となって残り、それが解となる。

最終的に残る1つの安定状態を解とする量子アニーリング

 巡回セールスマン問題では、状態に応じて経路長が変わってくるので、それの一番低いところを探すことになる。

 量子アニーリングでは、山の高いところと低いところを探索するときに、古典アルゴリズムでは山を登りにくいが、トンネル効果で抜けてしまうような構造を持つ問題において、とくに効果が高いのではないかと考えられているという。Googleが高速化した例はこれだったと紹介した。

D-Wave Systems社による量子アニーリングの解説動画

 一方、量子ゲート方式ではやり方が異なる。基本的に普通のコンピュータの操作と同じだが、ビットが重ね合わせの状態にあるのが量子ゲートだ。

 量子ビットは、上向き下向きの重ね合わせ状態になるが、ビットを2ステップずつプログラムで操作していくため、既存のコンピュータと基本的に同じで、そのためにはプログラムが必要になる。なお、ノイズに弱いため集積化が難しい量子ビット方式だが、いまは20ビットくらいのところにまで来ているという。

 ゲート方式は1、0を操作するので、通常のコンピュータでできることは、何でもできる汎用性がある。

 それに対してアニーリングは、最終的に1つの解に絞り込むことに特化している。また、アニーリングはゲート方式よりも比較的ノイズに強く、機械学習など、社会的インパクトが大きい応用領域を含んでいる。

 そしてアニーリングの弱点は、高速化が理論的に保証されている部分がなく、やってみるしかないところだという。

量子ゲート方式は基本的に古典コンピュータのビット操作と同じ
量子ゲート方式と量子アニーリングの比較

量子コンピュータの今後の展望

 西森教授は、量子コンピュータの定義についても「今日のフォーカスではない」としながらも簡単に触れた。

 量子ビットを使っている、量子もつれ(エンタングルメント)が生じている。それらを使って、古典計算に比べて劇的に高速化されるアルゴリズムを走らせることができる装置である、という条件までないと、量子コンピュータとしては認めないという人もいるという。

 D-Waveマシンはここに近づきつつあるという。話題になった内閣府ImPACTの「量子ニューラルネットワーク」マシン(過去記事: 「無償公開される、スパコンより高速な「量子ニューラルネットワーク計算機」とは何なのか」)は下図の一番上の部分であり、2番目の部分まで満たさないと、多くの専門家は量子コンピュータだと考えないのではないかとコメントした。

 世界最大の電気・電子・情報通信分野の学会であるIEEEでは、量子コンピューティング用語標準化ワーキンググループがあり、量子トンネル効果、重ね合わせ、量子もつれなどの用語の定義の作業を、いま行なっているところだ(IEEE Standards Association)。「量子コンピュータ」という言葉についても、西森教授は提案するつもりだと述べた。

量子コンピュータの定義に関わる条件。上2つを満たすのが量子コンピュータという見方が大勢
IEEEでも定義や意味を明確化しようとしている

 では製品化はどうか。

 いまD-Waveは、2年後を目処に次世代機を作っている。量子ビット機では近く、IBMやグーグルから発表があるのではないかと述べた。

 またソフトウェア面も重要で、D-Wave用に開発して来たカナダの1QB Information Technologies Inc.は、最近では量子ビット機向けにもソフトウェアを開発しているという。

 最後に、カリフォルニア工科大学のプレスキル教授による、量子コンピュータに関する以下の見解を紹介した。

 「100量子ビットくらいの、ノイズの乗った量子コンピュータが世界を変えるようなことはない。来るべきより強力な量子技術への1ステップである。世の中を変える可能性のある量子コンピュータが登場するのは、まだ数十年先だろうが、どのくらい先になるかはっきりとはわからない」。

 西森教授は、これに同意すると述べ、「これは悲観的な見方ではなく、何が起きるのかわからない、非常に見通しが難しい分野だ」とコメントして講義を締めくくった。

 とくに、社会的インパクトということを考えると、量子ビットを利用した量子コンピュータの実現のためには、ノイズを減らすこと(重ね合わせの状態を維持して、アルゴリズムのステップ数を増やすこと)が重要になると語った。

 社会的インパクトの例としては、アンモニア合成のハーバー法の改善を挙げた。生物のような効率の良い合成ができるようになれば、莫大な利益を人類全体にもたらすことになる。

製品化に関する各社の動き
量子コンピュータの動静は読みにくいという

 前述のとおり、アニーリングとゲート方式は理論的には等価であることがわかっており、デバイス開発においても両者を融合させようという動きが始まっているという。

 今後、コヒーレンスの性能や結合性の性能、汎用化・高速化回路などのレベルが上がると、まったく違ったものが出てくる可能性がある。数年前までは予想できなかった形で進歩しているそうで、今後についての予測は難しいと述べた。

 Googleは全方位で研究していることが論文からも明らかで、量子計算を導入してクラウドで提供しないと競争力がなくなる可能性もあるし、一方で悲観的には、量子計算機の一般化は難しいということになる可能性もあると述べた。

2016年に行われた西森教授によるレクチャーの様子