山田祥平のRe:config.sys

紙よりスクリーン~レスポンシブルなリッチドキュメントに向かって

 自分で作る文書については自分の使いやすいワードプロセッサやテキストエディタを使えばいい。それでいいと考えてきた。だが、完成した文書を誰かに渡すときに、果たしてA4縦や横に決め打ちしてしまっていいものかどうか。プレーンなテキストで本当にいいのか。やりとりされる文書が受け手側で印刷されないことが多くなった今、あれこれ試行錯誤を続けている。

Wordアプリがいうことをきいてくれない

 ワープロソフトの定番といってもいいアプリ、Microsoft Wordでは、ファイルを保存する際に、その種類として「単一ファイルウェブページ」を選べる。また、保存時のオプションとして、エンコード形式やフォントの指定ができる。

 単一ファイルウェブページというのは、ウェブページを丸ごと1つのファイルにまとめるファイル形式だ。文字も画像もいっさいがっさいがまとめられて1つのファイルになる。HTMLメールでの利用を想定した形式で、実際、内容を確認するとMIMEメールのような体裁になっている。拡張子は.mhtmlまたは.mhtだ。

 ところが、この方法でWord文書を保存した単一ウェブページファイルを最新のEdgeやChromeなどのブラウザで開くと見事に文字化けする。エンコード形式をUTF-8にしてもうまくいかない。

 仕方がないので、Wordのファイルをいったん通常のHTMLとして保存し、それをブラウザで開いた上で「ウェブページ、完全」で保存しなおす。めんどうだがこれで大丈夫だ。

 Wordが吐き出したものに限らず、正しくブラウザウィンドウに表示されている一般的なWebページは、大小多くのファイルの集合体だし、ローカルファイルもあればクラウド上のファイルもある。だから管理がたいへんだ。でも、ブラウザのメニューにある「名前を付けて保存」でファイルの種類として「ウェブページ、1つのファイル(Edgeでは単一ファイル)」を指定すれば期待通りの形式で保存される。ファイルは1つだ。リッチテキストも、画像も、すべてが1つのファイルにまとめられる。パーツが迷子になりようがない。受け取った側もブラウザで開くだけですむ。とりあえずファイルをメールに添付して読んでもらうだけならこれがいちばんいいのではないか。HTMLメールに貼り付けるという方法でもいいのだが、そのあとのやりとりが煩雑になる。

印刷されない文書に紙の概念はいらない

 書き上がった文書を誰かに渡す場合、A4縦など、物理的な紙のページサイズ情報をこちらの都合で決め打ちするのはよくないなと思うようになった。それにPCの横長画面はA4書類の作成、閲覧に向いているわけではない。

 昨今は、印刷されることが少ないのでなおさらだ。相手はスマホの小さな画面でその文書を読むかもしれないのだ。その場合も読みやすく表示されてほしいし、それができるのがデジタルだ。ピンチ操作を繰り返して拡大縮小を繰り返しながら読み進めなければならないくらいなら、さっさと紙に印刷して読んだほうがいい。

 近頃は文書を書くときにWordを使うことが多くなった。以前は文章を書くときのほとんどの場合テキストエディタの秀丸を使っていたし、今もその方が多いのだが、文字列だけを書いていればそれでいいというわけにもいかない。リンクを設定したり、図版を添えなければならない文書では、Word文書にまとめてしまったほうが手っ取り早いし間違いも少なくなる。

 Wordの編集画面の表示モードには「印刷レイアウト」のほかに「Webレイアウト」も用意されている。この表示モードでは印刷のためのA4縦といった用紙に書き込むWYSIWYGではなく、ウィンドウの横幅にあわせてダイナミックに文字数が可変する。縦方向にスクロールしてもページ区切りはない。いわばレスポンシブルデザインの編集画面だ。

 唯一困るのは、貼り付けた図版や写真がウィンドウの横幅に追従してくれないことだ。MHTLファイルをブラウザで表示させたときにはそんなことはなく、ウィンドウの横幅に応じて図版のサイズも調整され、適当な幅で表示される。

 いずれにしても、ファイルを受け取った相手が、その単一のファイルをブラウザで開けば、その人が日常的に読み慣れている環境でファイルの内容を読んでもらえるようにしたい。でも、そうは問屋がおろさないというのが今の悩みだ。

見栄えが論理に優先する世界と訣別しよう

 多くの人は、文書を作成するためにWordを使い、編集時の表示モードも印刷レイアウトを使っている。印刷をすることがなくても画面上でA4縦の用紙を使って文書を作るし文書を読む。だから画面に表示されている仮想的なA4縦の文書を読むことに何の疑問も抵抗も感じないかもしれない。それが今までの25年間だ。

 文書を作成する際には、いろんな流儀がある。たとえば見栄えを整えた表題を付けるために文字列を一定の横幅に均等に割り付けたり、文字と文字の間に余分のスペースを挿入したりする。中央寄せや右寄せなどもスペースで調整することがある。レイアウトを整えるのに透明罫線の表組みを使ったりもする。字切りのために改行も厭わない。当然、用紙のサイズや文字のサイズが変わればればレイアウトのやりなおしだ。

 だから無言の圧力が流儀を変えさせない。未来永劫A4縦用紙とつきあう覚悟があるからそういうことをする。スペースが挿入された文字列が検索にヒットしないのには目をつぶる。

 こうして文書は使い捨てられていく。文字間にスペースがあるくらいは曖昧検索でなんとかなってもよさそうなものだが、そういうふうにはなっていない。使い捨てだからどうだっていいのだ。誰もそこを改善しようとしない。AIにとって文書のこんな正規化なんてたやすいはずなのに放置されている。

 デジタルになると融通がきかなくなることは少なくないが、そこはそこで、目をつぶって見逃されていることも多い。住所入力フォームの半角英数字禁止などはその典型だ。もちろんこの先、デジタルの理不尽に対しては多くの解決方法が見出されて、人間が機械に合わせなければならないような弊害はほとんど回避されていくに違いない。

 まずいと思ったときに直せばそれでいい。直さないよりずっといい。

文書作成のこれからの四半世紀

 エディトリアルデザインというカテゴリがある。かつてはよくも悪くもみんなそこを目指していた。最初はまるで印刷屋に頼んだかのような仕上がりの書類がプリンタから打ち出されることに(ドットインパクトプリンタでは打ち出された)感動したし、その体裁はどんどん複雑になっていった。モノクロ印刷はカラーになり、写真やイラストが混在する文書が当たり前になっていった。レイアウトも、まるで商業雑誌のように複雑なものになっていった。ワープロアプリはいともカンタンにそれらのレイアウトを可能にした。

 今、電子書籍の将来が不安になるのは、ビジュアル要素の強いエディトリアルデザインが、リフローなどの電子書籍ならではの使い(読み)勝手のよさを阻害していることだ。そのようなことはだんだん少なくなってきていて一部の雑誌がリフロー対応しているが、多くはただ画像もどきとしてのページを固定レイアウトデータで提供しているだけで、読み手の画面サイズに応じた表示はできていない。

 電子書籍を買う際にも、その書籍や雑誌がリフロー対応なのか固定レイアウトなのかがはっきりと明示されていないので買う方も不安になってしまう。紙前提のエディトリアルデザインの電子化はデバイス依存を招く。だからいったんエディトリアルデザインを退化させる必要がある。その覚悟も必要だ。

 商業的な印刷物のみならず、文書をどのように作成し、それをどのように配布し、受け取った側はそれをどのように読み、どのようにレビューして反応するかというフローの中で、これからは文書作成の流儀や作法を変えて行かなければならない。それがこれからの四半世紀だ。誰もが電子的に文字を書くようになり、それを読むにも抵抗がなくなったが、この先は意識の変革が求められる。それは今までよりもずっと難しいだろう。その第一歩として、この先の四半世紀のために、書く流儀を変えてみる。今はそういう段階だ。