山田祥平のRe:config.sys

電子の紙の錯覚

 ワープロ専用機の最盛期、あの頃は、ワープロは清書機としてとらえられていた。人に読んでもらう文書を、より読みやすく、まるで商業印刷したかのように出力することで、人々は満足していた。そして今はどうなのか。30年のときの流れを経て、変わっていないところが少なくないことに気がつく。

行政サービスの不思議デジタル

 新たな日常がスタートするそうだ。大都市をのぞき、緊急事態宣言が解除される地域が出てきて、全国レベルでのコロナ警戒は少しずつ緩和されていく。だが、油断は禁物で、これからはアフターではなくウィズコロナの環境をどう生きていくかが問われるということだ。

 この騒ぎのなかで、いかに世のなかのデジタル化が進んでいないかが明らかになってきた。いや、デジタル化は進んでいるのだ。でも、せっかくのデジタルが活かされていない。

 以前、アドビがデジタルガバメントサービスのユーザー体験に関するグローバル調査結果を説明するミーティングを開催したさいに、内閣官房情報通信技術(IT)総合戦略室内閣参事官の奥田直彦氏の話をきいたのを思い出す。当時、奥田氏は「国民目線に立ってといっている時点ではダメ。サービスを受ける立場で考えなければならない」とし、サービス設計の12箇条を挙げた。それは、

サービス設計12箇条
第1条 利用者のニーズから出発する
第2条 事実を詳細に把握する
第3条 エンドツーエンドで考える
第4条 すべての関係者に気を配る
第5条 サービスはシンプルにする
第6条 デジタル技術を活用し、サービスの価値を高める
第7条 利用者の日常体験に溶け込む
第8条 自分で作りすぎない
第9条 オープンにサービスを作る
第10条 何度も繰り返す
第11条 一遍にやらず、一貫してやる
第12条 システムではなくサービスを作る

ということだった。奥田参事官に訊いたところ「現状ではまだまだ紙で管理されている部分が多すぎる。今後、文書管理も高度な電子化をすることで、内部の管理もしっかりデジタル化できるようになる。公務員の仕事の進め方を含む業務の改革も進めたい」ということだった。

 また、奥田参事官はこうも言った。「自分の公務員人生はあと13年あるが、そのうちにできるかどうか。いや、生きているうちにできるかどうかというくらいに難しいテーマだががんばりたい。いったん江戸時代に戻ってゼロからスタートできたらどんなにラクかと考えることもある」と。

 当時の取材メモからの引用だが、日付は2018年の4月、つまりコロナの2年前だ。

 そして今、あちこちから聞こえてくる阿鼻叫喚は、このデジタル化がちっとも進んでいないことを露呈した。自らの仕事をわざわざ増やす役所仕事、紙の代用としての電子書類、ハンコの功罪や、紙が必要な故のテレワーク阻害などなど、問題は山積みだ。

PDFの向かう先にあるもの

 AdobeのPDFは電子の紙としてスタートし、物理的な紙の文書をデジタル化することに大きく貢献した。ただ、PCは清書機ではないし、印刷機への出力機でもない。その面への革新は進んでいるが、今なお、電子の紙として認識されていることが多いのではないか。なぜなら、電子的になったのに用紙のサイズから逃れ切れていないからだ。小さなスマートフォンの画面でA4 PDFを参照したことがあればすぐに想像がつくはずだ。

 この場合、単に紙が電子的になったものにすぎないわけで、PDFが持つ高度なフォーム機能などがなかなか注目されなかったりする。AIが文書を自動的に構造化し、書き込まれたデータを抽出してデータベースに格納するような仕事をできればいいし、近い将来はそうなる可能性もあるが、それ以前に、電子の紙を卒業したほうがいい。

 ITの業界だってまだまだだ。Wordの文書が電子メールで送られてきて、それを開いて必要事項を書き込み返送するようなことが頻繁に行なわれている。何の工夫もない。確かにやりとりは電子化されているかもしれないが、コトの本質は紙と同じだ。大量に集まった文書を集計するという作業が考慮されていないのだ。

 今となっては笑い話ではあるが、かつて、ワープロ専用機の時代は、先に手書きで文書をしたため、それをワープロ入力の得意な人にお願いして清書してもらっていた。それで美しい印刷物が紙として出力されれば、ワープロは十二分に役立っているとされた。文書の構造化によるデータ利用や再利用などについてはあまり考えられていなかったのだ。

 今、コロナのための特別定額給付金の申し込みにさいして、マイナンバーカードの所有者によるオンライン申請がパンク状態だという。マイナンバーカードの所有者はそれほど多くはないのだが、いざオンライン申請をしようとしてパスワード間違いによるロックが起こり、パスワードの初期化申請のため、役所の窓口に殺到、さらに、システムが重くてパンク状態ということで初期化もままならないという状況のようだ。自治体によっては郵送申請を推奨するようなこともあるらしい。

 郵送申請の場合、郵送で役所に送られてきた手書きの申請書は、誰かが封を切り、中身を確認し、それを端末に入力することになるはずだ。本人確認は郵送でなければできないというのは変な話で、郵送でできることがなぜオンラインでできないのかというのに納得するのはむずかしい。マイナンバーカードの有無でオンライン申請の可否が決まるというのは、どうにも役所が自分で自分の仕事を増やしているように感じてしまう。

 また、郵送の場合は本人確認書類として、マイナンバーカード、運転免許証、健康保険証等の写しや振込先口座の確認書類として金融機関名、口座番号、口座名義人がわかる通帳やキャッシュカード、インターネットバンキングの画面の写しが必要だ。これらはスマートフォンで撮影すればそれでいいのだが、郵送のためには紙に印刷する必要がある。だが、スマートフォンはあってもプリンタがない世帯もめずらしくない。となれば出力のためにコンビニの複合機に行列し、そこでまた操作に迷うなどで3密が起こる。いろいろと混乱を起こしかねないわけだ。

まずはタッチタイプから

 個人的には40年近くキーボードで文字を入力してきて、もはや手書きというのは苦痛に近くなってしまっている。今、文字の入力方法は、キーボード以外にも、画面のタッチによる仮想キーボードから音声入力、手書き入力までいろいろあるが、これから1人1台のPC時代がやってくることを考えれば、子どもたちにはまずキーボードを叩くことの抵抗をなくすことを体で覚えてほしい。

 タッチタイプができるようになって、キーボードで文字を入力するのに抵抗がなくなれば、ほかのPC作業はより効率的なものになる。

 この連載を読んでくださっている方は多くがタッチタイプを習得しているだろうし、難なくそれを覚えたかもしれない。今、外出自粛などで家族が自宅でいっしょに過ごす時間が長くなっているようだが、もし余裕があったら、タッチタイプを教えてあげられるような時間をとってほしい。

 タッチタイプは正確に高速に入力することをめざすテクニックではない。キーボードと画面の視線の往復を回避するテクニックだ。結果として正確で高速になるだけだ。というのも入力中の画面から目を離さなければタイプの間違いにその場で気がつき、すぐに修正ができるからだ。だから正確に入力することよりも、間違ったらすばやく修正できることが重要だ。

 キーボードにはじめて取り組むときには、キートップの位置についても最初はわけがわからないだろう。だからキーボードを凝視してキーを探してしまう。位置を覚えていないのなら、スマートフォンで写真でも撮って印刷するなり、スマートフォンを傍らにおいて表示させよう。カンニングは叩いている指先のリアルキーを見るのではなく、そちらを見るようにすれば、視線の移動も最小限になるし、運指の感覚を身につけるにも有利だ。小学生にはちょっと早いかもしれないが、中高生なら間違いなく身につけておいたほうがいい。

 コンピュータリテラシーとは何なのか。まずは大人がそれを理解しよう。子どもに教えるのはそれからだ。