森山和道の「ヒトと機械の境界面」

機械による人類の新たな進化はどこへ向かうのか

~豪華メンバーが議論、京セラ「異種格闘技戦 2019」レポート

 京セラ株式会社みなとみらいリサーチセンター オープニングイベントとして、パネルディスカッション「異種格闘技戦 2019 技術は人類の超進化をどこへ導くのか!?」が2019年7月26日に行なわれた。主催は京セラ株式会社で、協賛は株式会社ソニーコンピュータサイエンス研究所と国立研究開発法人情報通信研究機構。

 パネルディスカッションのパネラーは、カーネギーメロン大学 ワイタカー冠全学教授の金出武雄氏、ソニーコンピュータサイエンス研究所社長の北野宏明氏、カリフォルニア工科大学教授の下條信輔氏、東北大学大学院情報科学研究科 応用情報科学専攻 准教授の大関真之氏、東京大学先端科学技術研究センター教授の稲見昌彦氏、そして映画監督の押井守氏。レフェリー(司会)は国立研究開発法人情報通信研究機構(NICT)の對馬淑亮氏がつとめた。いずれも著名な人たちだ。

カーネギーメロン大学 ワイタカー冠全学教授 金出武雄氏
ソニーコンピュータサイエンス研究所社長 北野宏明氏
カリフォルニア工科大学教授 下條信輔氏
東北大学大学院情報科学研究科 応用情報科学専攻 准教授 大関真之氏
東京大学先端科学技術研究センター教授 稲見昌彦氏
映画監督 押井守氏
国立研究開発法人情報通信研究機構(NICT)の對馬淑亮氏

 通常のパネルディスカッションは、パネラーが最初にプレゼンをそれぞれ行ない、そのあとにちょっとした議論を行なうというかたちで進められることが多い。だが京セラ「異種格闘技戦 2019」はありきたりのかたちではなく、パネラーはテレビ朝日の番組「朝まで生テレビ」のように円卓を囲んで、司会者から振られた話題に対して自由に発言するという形式で行なわれた。来場者たちも「リングサイド」をぐるっと囲んで座った。メイン会場は満席で、サテライト会場も設けられていた。

議論は円卓形式で行なわれた

 パネルディスカッションの正式なレポートは後日、京セラからもWeb上に公開されるとのこと。詳細についてはそちらをご覧いただきたい。本記事ではディスカッションの概略をレポートする。

パネラーたちの紹介ビジュアルも強烈

人とテクノロジーは切ってもきれない関係にある

京セラ株式会社 研究開発本部長 稲垣正祥氏

 最初に京セラ株式会社 執行役員上席 研究開発本部長の稲垣正祥氏は京セラ創業者の稲盛和夫氏の言葉を引用しつつ、「人とテクノロジーは切っても切れない関係にある。それを理解したうえで、未来のことを語り合おうというのがこのイベントの趣旨だ」と述べた。機械は人が作ったものだが、同時に、機械が人を作ったという側面もあり、そのような相互関係は今後も続くという意味だ。

 みなとみらいリサーチセンターは「勇気・希望・絆」という心のつながりをベースに「新大陸を目指す船」をコンセプトとしており、「共に新大陸を目指す乗組員を絶賛募集中」だと紹介した。人は道具を自ら手にしたことにより進化し、それはこれからも変わらないと考えているという。

船がリサーチセンターのコンセプト

100年生きるのであれば何がしたいか

最初の議論テーマは「100年生きられたら何をするか」

 パネラーそれぞれの自己(あるいはキャラ)紹介を兼ねた對馬氏から振られた最初のテーマは「あと100年生きられたら(生きなければならないとしたら)何をしますか」というもの。

 まず金出武雄氏は「稲見先生の人間拡張技術を使ってゴルファーになり、記録を全部破る。ただしその時代には技術を使ったかどうかもテストされるだろうから、そのテストも破る」と回答した。

 北野宏明氏は「もともと500、600年くらい生きようと思ってるので、まずは300年生きれるようにして、そこからさらに死なないような研究をする。アメリカズカップに勝ちたいからそのチームも作る」と述べた。

 大関真之氏は「世界地図の輪郭をたどる。たぶん100年では足らないので、その間にさらに100年生きられる方法を考える」。下條信輔氏は「人間の意識はどうなるのか、他人と自分の意識はこのままなのか知りたい」という。

 稲見昌彦氏は「100年後は肉体が生きているかどうかわからない。おそらく一人称の私は死んでいるが二人称の私は生きている。つまり他者からみて『私っぽいもの』は生きていて、さらにその自分が100人くらいに増えているんじゃないか。そしてサンジェルマン伯爵みたいに100人分の人生を生きられるといい」と答えた。

 最後に押井守氏は「100年も生きたくないなあ」と述べ「人生はどうやって終わるか、どう終わらせるかのほうが大事。全員が100年生きるのであれば考える余地があるが、それも嫌だ。人間というものに愛想がつきはじめてるので、人間がどう終わるかに興味がある。100年あるならそれをもうちょっと眺めていきたい」と述べた。それぞれキャラ立ちした回答に会場は湧いていた。

議題テーマ1 拡張後の「空洞化」に人はどう対処するのか

拡張後の「空洞化」に人はどう対処するのか

 以上を踏まえて、議論がはじまった。最初の議題は「拡張後の空洞化に人はどう対処するのか」というもの。将来、技術によって「拡張」が行なわれると、「ここにいる私とはなんなのかという問いが生まれる」のではないかという。あるいは空洞化はおきないのか、このような問題をどう考えるかという問いかけだ。

 これに対し話を振られた押井氏は、まず「スマホは世界をダメなほうに変えた」と述べた。下條氏は、ネットでレストラン情報を見て実際に訪れたときに自分の味覚のほうをネット情報に合わせて修正してしまうようなことはあるとこたえたが、「空洞化って意味が全然わからないんだけど」とレフェリーの問い自体に疑問を呈した。

 金出氏は、たとえば原始人と現代人を比べると運動能力が低下しているし、少し前の人と比べると、現代人は自動車を直すこともできない、そういう意味では下がっていると述べた。だが将来はむしろ「役に立たないことに時間を使うのがもっとも贅沢な時代がくる」と考えているという。

北野宏明氏

 北野氏は「問い自体に価値判断が入っていることが問題ではないか」、そして技術進化に対して起きている適応化と考えるべきだと述べた。稲見氏は「技術が進むと能力が落ちると言われるけれど、オリンピックの記録は年々上がっていくのはなぜなのか」と疑問を投げて、「空洞化は本当かと考えないといけない」と述べた。またこれから起こることは環境による進化ではなく人工的な進化であり、それは病気の治療のふりをして進んでくるだろうと語った。

 ここで下條氏は「人類の家畜化」と「無痛文明化」という2つのキーワードをパネリストたちに投げかけた。稲見氏は「家畜化ではなくむしろペット化なのではないか」と答えた。

押井守氏(左)と對馬淑亮氏(右)

 押井氏は「欲望にはレベルがある」と述べた。そして武道や格闘技の稽古をしていることについて「痛いのになぜやるのか。じつは人間にとって痛かったり辛かったりすることが必ずしもすべて嫌なことではない」と指摘した。これについて下條氏は「eスポーツがスポーツかどうか」という議論があることや、VRを使った野球選手のトレーニングについて最初はうまくいっていたがデッドボールの痛みがないことで身体の反応が根本的に異なるという問題があると指摘した。また元ハードル選手の為末大氏は「痛みや苦しみはスポーツの本質だ」と述べていたという。

金出武雄氏

 これに対し金出武雄氏は「技術的には痛みをつけるのは簡単だ」と一蹴。いわゆる身体性の有無についても、足すことは技術的には十分可能だと考えているという。また稲見氏は、対戦相手に電気ショックを与えるドイツのメディアアート「ペインステーション」を紹介した。

 押井氏は最初にふれたスマートフォンの問題に戻り、「身体と脳が分離してしまっていることが問題」なのだと述べた。実際に対面しているときならば相手の間合いに入るときには緊張感がある。そのような身体感覚が置き去りになってるところがダメなのだという。

大関真之氏

 これらの議論に対し大関氏は「自分はゲーム世代。ゴルフやっても体が固すぎてできないがゴルフゲームはできる」と述べ、ゲームにおいても没入感を出したり、身体的な痛みのかわりにさまざまなやりくりをしないといけない部分もあるし、痛みはなくても体感できるし成長できる部分もあると語った。ネットでも身体性はあるというわけだ。下條氏は、身体性の将来の話についても段階的なレイヤーがあるのだと整理しなおした。

押井守氏。左手は格闘技の稽古で負傷したとのこと

 押井氏は「人間が一番痛がり。痛みに動物はおおらか。痛みに先行する意識がないから」と述べた。「人間だけが痛みを予想して恐怖感を覚える」のだという。だから格闘技でも痛みを予想してしまうと踏み込めなくなる。だから初心者はまず「相打ちをねらえ、防御を考えるな、基本的に前に出ろ」と言われるのだそうだ。そして実際、思い切って前へ出たほうが気持ちがいいのだという。「痛みが人間の体を制約している」のだと述べた。

 空手をやる下條氏は、空手は実際に打撃をあてなくても上達できる「寸止め」というものを開発したと応じた。一般に痛みはないほうがいい、負の感情もないほうがいいと考えられている。だがこのような流れでひたすら苦痛を排除していくと、どこかおかしいことが起こるのではないかと懸念しているという。

 稲見氏は「痛みは大切なので、ボリュームで調節できるほうが良いという話ではないか。耐えられない痛みはないほうがいい。だから痛みについては『あるなし』ではなく、調節のほうが大事だという話だと思う」と語った。

 押井氏は「調教と教育は何が違うのか。人間も報酬や痛みを使った教え方でいいのか」と疑問を投げた。また、痛みを感じるゲームは可能だろうし、たとえば撃たれると死ぬほど痛いようなゲームであっても人間はやり続けるだろうし、だからこそハマってプレイするだろうと思って、そのような作品を描いてきたと述べた。北野氏は総合的にアディクションしているからだろうとコメントした。

議論2 課題や問題が瞬時に解決されて問題がなくなった社会で生まれる新しい価値観とは何か

問題がなくなる時代で生まれる価値観とは

 次の議題は「課題や問題が瞬時に解決されて問題がなくなった社会で生まれる新しい価値観とは何か」。これについては一瞬で全パネリストが「そんな時代は来ない」、「問題がなくなるなんてあるわけがない」と一蹴。「問題を作る人たちには意味がない問い」だという意見もあった。

 稲見氏は「みんな最初はツッコミから入る。ボケができるようになって研究者として一人前になる」と語った。これに対して押井氏は「ボケとツッコミで言えば映画もそうで、良い映画はみんなボケる。つっこんでる映画はいっぱいあるけど、本当にいい映画はボケ」と答えた。そしていつも質問されることとして「テーマは何か、メッセージはなにか」という問いがあるが「言えたら映画作ってない」と語った。「良い映画は滅多にない」という。「話題になる映画はみんなツッコミ」で、それは「わかりやすいから」だという。

 そして話題は「アルファ碁」などAIによる将棋や囲碁の話に移った。機械の打ち方と人間の手の違いは、そもそも「美しい手」とか「品がある」といった価値観を機械が持たないことにあるという。じつは「美しい手」というのは単なる「ローカルミニマム」にすぎず、勝敗という目では最善の手ではなかったというわけだ。

 下條氏は棋士の羽生氏と対談したときの話題として、機械の手と人間の手の違いは時間の観念、時系列の概念の有無にあると述べた。人間は、この手の次はこれというふうに考えてしまうが、機械は、瞬間瞬間のスナップショットだけから手を考えている。もちろん再帰的な時系列学習などの手法も導入されてはいるが、AIには基本的に想像力がないし、創造性云々についても、それを評価する評価関数を持っていない。つまり人間側の問題だというわけだ。

稲見昌彦氏(左)と下條信輔氏(右)

 また、ディープラーニングがブラックボックスだということもしばしば問題とされることがあるが、北野氏と稲見氏は「人間の頭のなかもブラックボックス」、「人間も説明可能ではない」と指摘した。北野氏は、人間は複雑な現象に対して、さまざまなバイアスをもって単純化して推論しているにすぎないと述べ、「(北野氏らが研究していた)システムバイオロジーは人間がやるべきサイエンスではない。人間は人間が考えられるスモールスケールじゃないと理解できない。システムバイオロジーはAIだけか、AIと人間がやるサイエンスで、人間の認知性を超えたサイエンスをやらないといけない」と述べた。

 稲見氏は「ポナンザの話は続きがある。AIが人間に勝ったあとに藤井聡太氏が出てきて、話題はそちらに流れた」と指摘。北野氏も「ロボカップはサイエンスにはなってもF1のようなエンターテイメントにはならない。人間は人間のドラマにしか感動しない。マシンのドラマに感動するのはマシンの背後にある人間のドラマに感動するときだけ」と述べた。下條氏は、それは文化的なものかもしれないとし、また「人間が感動する要素を分析してそれを強調すればいいかもしれない」と述べた。

金出武雄氏(左)と對馬淑亮氏(右)

 金出氏は「AIと人間を比べるときに間違いが多い点」として、「世界がexplicit(明確)に決まっているかどうか」という点を挙げた。データが明示的に表現できている世界のなかに限定されればAIは人間よりも良いスコアを出せる。だが現実世界は必ずしもそうではない。システムを設計するときに想定した世界よりも、実際の世界はつねに大きい。それには対応が難しい。だが、地球のなかだけで考えればいいのであれば、考えなければいけない世界は「たかだが地球くらい」ということになる。

 北野氏は「人間のようなAIには価値がない。人間とはまったく違うAIのほうが価値がある」と述べた。「AIは人間みたいな発見はしない。人間に理解できないような発見をしてくる。世のなかの法則が人間が理解できるかたちで存在しているという保証はない」と語った。押井氏はAIについては「ポストヒューマン」という観点にしか価値がないと考えていると述べた。

研究や映画作りも「拡張」か

下條信輔氏

 いったん休憩を挟んだあとの議論は、会場から寄せられた質問に答えられるかたちで進んだ。最初の質問は、研究や映画作りも「拡張」の一種かというもので、これに対してパネラーたちには、なぜ研究、あるいは映画作りをしているのかという質問が投げかけられた。

 押井氏は「何かのためにやってるわけではない。映画作りは手段ではない。それ自体が面白いからやってる。だから自分が考えた脚本である必要はない。何でもやる。クレヨンしんちゃんでもやる」と答えた。

 稲見氏は「研究は表現活動の一貫」と述べた。もともと研究活動は衣食住が足りている人だけがやるものだった。それが今は一般の人もできるようになった。稲見氏は、アート、スポーツ、研究が将来の3大エンタメになると考えているという。下條氏は「それは米国で寄付が免税になる3つのカテゴリだ」と述べ、面白いことを見つけて、それを自慢げに語っているときがあなたの目が一番輝いていると言われたという自身のエピソードを紹介した。

 大関氏は「誰もやってないことをやれるから」。北野氏は「面白いから」とシンプルに答えた。金出氏は「3つある。1つ目は人の役に立ちたいから。2つ目は要するに自分の趣味。そして3つ目は本当は言いたくないけど競争心。人に負けたくないという気持ちがある」と述べた。一種のスポーツのような感覚があるという。

人間の次に来る「ポストヒューマン」

押井守氏

 押井氏は、「ある時期までは人間を革新することに興味があった」という。「宗教もイデオロギーもだめだったが、もしかしたら技術は人間を革新する余地があるかもしれない。でもわからなかった。だから『攻殻機動隊』も曖昧な終わり方になっている」と述べた。

 だが続編の『イノセンス』の頃から人間の運命に興味がなくなったという。むしろ生き物として失敗だったのではないか、そしてそのダメな人間が、自分たちの後継者として何を作り出すかに興味がシフトしたという。だから「ポストヒューマン」だというわけだ。

 押井氏は「人間の次に来るものに、ある種の期待感を持っている。それが人間のなせる最後の仕事ではないか」と考えており、だから「AIと人間とを比較してどうこうといった議論には興味がない」し、「人間ではないもの、ある種の合理性の先に出てくるもの」に興味があり、人間には理解できないものを目指すべきだと語った。

 1つ目のステップとしては人間以外の動物に目をむけるべきで、彼ら、たとえば犬に近づくことに興味があるとし、押井氏自身は「犬とつながってみたい」と語った。犬のような人間以外のものと生を共有し、見えない尻尾を持ち、犬として世界を見てみたいと語った。そして「人間ではないものを生み出せるのは科学だけ」であり「科学に最後に課せられたのは人間に役に立たないものを作り出すことなんじゃない」と述べた。

 下條氏はAIが近未来に及ぼす影響については、AIとAI、人間と人間、AIと人間の3つで考えられると述べた。将棋などでは機械と人間が戦うと想定外が起きた。経済、株式売買は機械と機械だけの世界になりつつある。だが入試のように、どういう人間に価値があるのか、人間が人間を評価するときには得手不得手が出てくるという。たとえば明治時代の帝国大学教授になるには博覧強記で語学力がないとだめだった。しかし今はどちらもそれほど大した能力ではないのではないかという。

金出武雄氏

 これに対して金出氏は「記憶力は重要だと思う。ネットで探すにも正しく見るためには多くのことを知っている必要がある。経験の多い人はあきらかに良い情報を探せる」と答えた。下條氏はこれに対し「半分は賛成」だと述べた。だが外部記憶装置でも同じことはできるのではないかと答えた。また将棋棋士について、今の多くは機械相手に指して強くなっているが、これからもずっとそうなるのかというと、そうではないのではないかと述べた。将棋や囲碁ソフトではまず答えらしきものが出てきて、そこに至るまでの道を逆算する。そのトレーニングが人間の認知にあっているかどうかはわからないと語った。

稲見昌彦氏

 稲見氏は「スタティックな記憶ではなくダイナミクスのほうが大事だということだろう」と述べた。金出氏は、インテリジェンスとは、さまざまな物事について関係も含めて多くをのことを知っていることで、マーヴィン・ミンスキーはまさにそういう人だったと紹介した。

 押井守氏は、日常のことはすぐに忘れるが、映画のディテールについてはよく覚えており、たとえば役者の顔や名前、ストーリーも覚えていなくても、映画の数コマを見ると全体を思い出すのだそうだ。それは「タグ付け」されているのだろうと自分では考えていると語った。ロジックとは関係なく、無数の引き出しを持っていることのほうが重要で、それは目的意識、何に価値観を持っているかによって整理のされかたが変わり、記憶自体も変わるのだろうと述べた。

北野宏明氏

 北野氏は記憶について「人間のフォーカスやアテンションによっても変わってくる」と指摘した。たとえば「家って何色?」と聞くと日本人の多くは茶色だと答える。だがスペイン語の家(casa)だと明るい色を連想する。フランス語のmaisonだとクリーム色を連想する人が多い。つまり単純に翻訳すると「家」になってしまうしそれは正しいのだが、前後の文脈、文化的コンテキストを持ってないと元の意味はまったくわからないし、意図もつながらない。

 大関氏は「研究で何かを思いつく時は、アイデアを自分の言葉に置き換えたときだ」と述べた。

新しい発想ができるのはどんな時か

議論の様子

 司会の對馬氏は会場からの質問を拾い、新しい発想ができるのはどんな時かとパネリストたちに質問した。パネリストたちはみな、「シャワーを浴びているときにハッと思いつく」といったようなことはないと答えた。そして金出氏が「30日以上連続して何か考えたとき」だと述べた。ちなみに金出氏には『独創はひらめかない「素人発想、玄人実行」の法則』(日本経済新聞社)という著書がある。

 大関氏は「ひらめくのは課題をもったとき。原理まで戻ってなぜできないのか、『仮想自分』と問い合わせをする。だからなんでも喋れるやつといっしょに話すこと、『そもそも論』を聞いてくれる人が必要」と述べた。難しい問いにはこれまでのトライの失敗によって積み重ねられた「ダメな地図」ができている。だから原点まで戻り、ずっと考える必要があるのだという。

 下條氏は「人生は後付け再構成。人間は目についた原因に帰属させるので、『どうやったらいいアイデアが生まれるか』という発想を排除したときに良いアイデアは生まれる」と述べた。

 稲見氏は「『馬上枕上厠上』という言葉があるとおり、緊張して考えているだけでダメ、単に旅をしてもダメで、緊張とリラックスのあいだでふっと出てくるもの。ひたすら考えているときに、リラックスしたときにふっと出るものだ」と述べた。

押井守氏

 押井氏は「人と話してるとき」だと答えた。「冗談や馬鹿話、いい加減な話をしているときに、それをとっかかりとして、無意識に準備していたものが芋づるしきに出てくる。ファーストシーンからラストまで一気につながることがある。そういうときは『やった!』といいう感じがある」という。また「夢のなかというのはだめ」だそうだ。「夢は情緒だけしかない。『すごいことを思いついた』という感情だけしかない」。結局は「人と話すことだと思う」という。「温泉に行って朝まで喋りまくる、どんな馬鹿話でも否定しない」ような話をすることが重要だという。大関氏も同意した。

 北野氏は「ちゃんとした考えはロジカルなもの。だからずっと考えないといけない。なんとなく瞑想していると思いつくというのはない」と述べた。對馬氏も最近大企業で流行している、イノベーションのためにリラックス空間をつくって云々といった取り組みを冗談混じりに批判した。

経験をシェアできる時代にコミュニケーションは変わるのか

会場の様子

 最後に経験をシェアできる時代になったらコミュニケーションは変わるのかという質問が投げかけられた。稲見氏は「経験を共有できても経験するのと同じだけ時間かかっても意味がない。どのくらい圧縮できるかが重要」と述べた。下條氏は記憶、ファクト、データ、インフォメーション、ナレッジはそれぞれ違うと述べ、どこまでがその人の記憶なのか、認知や抽象度が違うと指摘した。

 押井氏は「経験の共有はアニメのなかでも出てくる」と攻殻機動隊に出てくるロボット「フチコマ」について触れた。押井氏自身が監督した映画「攻殻機動隊」ではサイボーグの話をしたかったのでAIロボットであるフチコマの話は切ってしまったが、彼らは経験を共有できる存在として設定されている。単なるインフォメーションだけではなく、ある物事に対して自分がどうやったかといった経験をまるごと「並列化」することで共有し、経験のなかから自分をステップアップしていくことができる。

 ストーリーのなかでは、並列化から漏れた個体が個性を持つといった話もあった。押井氏は「並列化すること自体には意味がない。自分がステップアップするから経験の意味がある」と述べた。重要なことは「上昇していく過程をどうやって自分のなかから出力していくだけ」であり、「単なる経験の共有には意味がない。だから設問自体に意味がない」と答えた。

 北野氏は「人間が経験を共有するときは翻訳が入るので意味のミスマッチが必然的に起きる。受け手の文脈が違うと違うインテグレーションになるのでミスマッチの連続になる」と述べ、その多様なミスマッチから付加価値が生まれるのではないかと語った。

 下條氏は好きな顔にランクづけするという逸話から、「客観的だと思っていることにも個人差が大きい」ことがあると指摘した。押井氏はアニメーションキャラクターの顔についてふれて、「表現されたものと実物では価値観が変わる。美の基準も素材の抽象度によって変わる」と述べた。稲見氏は共有メモリーができても個性が生まれるだろうと同意した。

押井氏は、「アニメの世界は98%の職人と、残りの職人をマネジメントする人間で構成されている」と紹介し、職人の世界で技術を伝えるには「隣に座らせるしかない。手技は身体を通してでないと伝わらない。僕は『技』には興味がない。1度上の段階の『技術』にして伝える芸術にしか興味がない」と述べて、「技と技術は似ているようで別のもの。技術は時代を超えて伝わるが、技は伝わらない」と語った。アニメの技術の9割はパイオニアたちが作ったもので、残りの1割くらいが最近の発明だといい、それはどこの同じだろうと述べた。技術を伝えるには言葉にするしかないという。

 下條氏はアメリカはスポーツも理屈から入るが、日本の武道はまず「この型を5,000回やれ」というところから入り、理屈を聞く前に身体知としてなんとなくわかる、そういう状態を作るところからはじまる、それを暗黙知として理解できるかどうかだと述べた。これに対して稲見氏は「モデルベースで伝えるか、データベースで伝えるかの違いではないか。ファンクションを伝えられないので本人のなかにファクションが生まれるのを待つしかない。見て盗むのは形だけなので力が伝わらない。だが筋電ならすぐに伝えられる」と自らの研究に引きつけて語った。

メディカル開発センターのコンセプトは攻殻機動隊だった

京セラ研究開発本部メディカル開発センター長 吉田真氏。持っているのは人工股関節

 最後に京セラ研究開発本部メディカル開発センター長の吉田真氏が、メディカル開発センターを作ったときのコンセプトは『攻殻機動隊』だったと紹介。議論で新たなことを生み出すために他社も含めてさまざまなことを丁々発止戦わせ、新しいことにチャレンジしていくと述べて、お開きとなった。

ブラシを歯に当てると音楽が聴こえるハブラシ「Possi(ポッシ)」。京セラ、ライオン、ソニーの共同開発。クラウドファンディング中
京セラみなとみらいリサーチセンター1F「CREATIVE FAB」。プロタイピング工房とワークスペース兼用のスペース

 最後に筆者の感想も一言だけ。個人的な興味関心で言えば、押井守氏が言うところの「ポストヒューマン」は具体的にどのような存在になり得そうなのかといったあたりを掘り下げてもらいたかった。それができるパネリストたちだったと思うだけに残念である。京セラにおける今後の「異種格闘技」の行く末に期待している。