森山和道の「ヒトと機械の境界面」
ロボット化する家電から寿司シンギュラリティまで、人を食でエンパワーする「スマートキッチンサミット2019」
2019年8月14日 06:00
生活の基本は衣・食・住である。そのなかでいま、もっとも技術革新が進みつつある領域が「食」だ。
「食」は生産から加工・流通、家庭のキッチンや外食・中食産業、そして心身の健康や廃棄、環境問題に至るまでさまざまな論点を含む領域である。とくに、デジタル技術の投入によって各々の領域が進むだけではなく、一気通貫でデータを集め、繋げて新たな価値を生み出そうとする動きが、大きな潮流を生み出しつつある。持続可能なフードシステム、業界全体の再定義、アプリ化によるパーソナライゼーション、生活者行動の変化、ウェルネスの実現などが、ビジネスモデルの再考と共に立ち上がりつつある。デジタル技術はそれらの鍵を握っている。
「食&料理×サイエンス・テクノロジー」をテーマに、「食」を取り巻く世界をさまざまなプレイヤーが登壇して紹介するイベント「Smart Kitchen Summit Japan 2019」が8月8日と9日、2日間の日程で行なわれた。主催は株式会社シグマクシスとNextMarket Insights社。日本では3回目の開催となる。
人をエンパワーメントするスマートキッチンとは
シグマクシスの田中宏隆氏によれば、フードテックのカンファレンスは2015年以降、世界中で盛り上がりを見せており、今や50以上あるという。
投資マネーも集まっているが、一言で「フードテック」といっても、業務効率化を目指すロボットの活用から小売現場の改革、「人とコミュニケーションする場」としての食の現場を豊かにすることを目指すもの、また代替食の活用や廃棄問題・農業問題などグローバルな目で見て持続可能な食を目指すテクノロジーなどさまざまな側面がある。
いずれにしても、「食」をテーマにすれば、どんな人でも自分の言葉で何かしらのことを語れてしまうのがこの分野の特徴である。
カンファレンスのトップバッターだった宮城大学食産業学群教授の石川伸一氏は、これからの食はグローバル化による均一化と同時に、ローカルでの複雑化と多様化が進み、また「何を食べるのか」は各人の価値観だと述べた。そして、ジョン・デスモンド・バナールが、未来には「宿命の未来」と「願望の未来」があると語っていることを紹介し、将来何を食べたいのか、そのため何をしないといけないのかは各人の選択次第だと指摘した。
また、クックパッドの金子晃久氏は「料理の作り手になるとさまざまなことに気づくようになる。最初はレシピどおり作るが、自分の味に近づけたり、家族の好みに合わせたり、他者のことを考えられるようになる。さらに食材がどうやって作られて運ばれてきたのかも考えられるようになり、地球の未来のことも自分ごととして考えられるようになる」と語った。
たとえば、料理に使う水の硬度によって料理の味は変化するのだという。もともと世界各地の料理はそれぞれの土地の水に合わせて進化してきたものであり、これからのスマートキッチンは、マシンリーダブルなレシピを使った機械による自動化だけではなく、個々人の判断による作り変えが必要だと考えて、シャープやパナソニックと未来の家庭料理のあり方を探索していると、クックパッドのスマートキッチンサービス「Oicy」の考え方を紹介した。新たな気づきを与えてくれるものがスマートキッチンだと考えているという。
ソニーの西村征也氏は、人間とロボットが補完しあい、人がやりたいところは人がやるという今後のクッキングの考え方を紹介した。あくまでロボットやAIは補助であり、人が行なうほうが楽しいところは人が主体となって行なうという考え方だ。
AI活用についても「AIを使ってクリエイティビティをエンハンスする」というコンセプトで進めているという。
Zimplistic Pte Ltd.のRishi Israni氏は、すでに6万台を販売している自動フラットブレット製造機「Rotimatic」の開発の苦労話を紹介し、冷蔵機能付きのオーブンレンジ「Suvie」のRobin Liss氏は、製品開発サイクルが長いハードウェアは、ソフトウェア開発とはわけが違うと述べた。
いずれも新しい家電の提案で、両者ともこれは「ロボット」だと紹介した。単に全自動で食事を調理してくれるだけではなく、「タイムシフト」できる家電だという。ビジネスモデル的にも新しく、単にハードウェアを売るだけではなく、レシピや食材も販売する、一種のプラットフォームとしてハードウェアを展開しようとしている。
食を切り口にして、技術による人のウェルビーイングについて考えるキッカケに
筆者は、もともとはロボットや人工知能技術の「食」領域への活用や小売領域の改革、そしてプロトタイプを含む新しい家電の提案に興味から、この「スマートキッチンサミット」に参加した。しかし、シングルトラックながら10テーマ43セッションからなるカンファレンスの内容は多岐にわたり、さまざまな方向から想像力を刺激された。1つ1つのセッションを細かにレポートするのは別媒体にお任せして、筆者はカンファレンス全体の雑感をまとめておきたい。
カンファレンスを聞いていて、人と、人が生み出したものである機械(テクノロジー)の関係、あるいは機械による人の拡張というテーマを、少し変わった角度で捉えることができるのが、この「食」という切り口なのではないかと考えたからだ。食を切り口にすることで、いまひとつ身近感がない、技術による人の拡張、あるいは人のウェルビーイングとは何かといったテーマを、具体的かつ身近に捉えることができるのではないかと思う。
幸福度が上がるキッチンとは
パターンランゲージを料理にあてはめて考えようとしているコークッキング取締役の伊作太一氏は、シグマクシスの岡田亜希子氏との対談のなかで、「スマートキッチンは色々な料理の仕方を可能にしてくれるものだ」と述べた。いわゆる「時短」も可能だし、一方で「自分自身が料理をしている感覚」を、機械やソフトウェアがサポートすることでエンハンス、エンパワーすることもできるもの、人の創造性を豊かにするものこそがスマートキッチンだという。
そして、人それぞれが自分で考え、自分に合ったライフスタイルを実現するうえで、「料理」はもっとも身近なクリエイティブであり、「食」を選んだり、食べたりする時間をよりクリエイティブにしたいと語った。
この伊作氏の指摘は今後の技術の方向性として正しいと思う。人が望むものはケースバイケースで、だいぶ異なる。だがそれぞれのニーズに柔軟に応えることが今後の技術には求められている。「スマートキッチン」の話だからといって、話は「キッチン」だけに留まるわけではない。
たとえば、キッチンで料理や後片付けをしているあいだは他の家事からは目を離すことができるよう、それらほかの家事を代替してくれるほうがエンパワーされていると感じる人も少なくないのではなかろうか。そのようなスマートホーム技術こそが、求められるスマートキッチンの姿かもしれないのだから、台所だけ考えていればすむというような話ではない。
また、『WIRED』日本版編集長の松島倫明氏とシグマクシス田中宏隆氏の対談のなかでもあったのだが、単純に経済合理性だけを考えると、各家庭で料理をする必要はない。
だが、家庭で料理をしたいと考える人たちは少なくない。最後の仕上げだけでも自分でやると、人は「料理をした」という感覚を持つものらしい。であるならば、どんな食材提供形態がいいのか、また今後のスマートキッチン家電はどうあるべきか、その食材を製造・流通させる上ではどのようなありようが、それぞれのプレイヤーにとってベターなのか。ユーザー目線で見た場合、どのようなソリューションとしてデザインされているのが最適なのか。
それぞれの人たちがネットワークを作って、新たなかたちを作り上げようと模索している。「スマートキッチンサミット」にはそのようなプレイヤーが集まっていて、参加者たちは実際に協業の可能性を模索していた。
代用プロテインや完全栄養食
このほか、「代用プロテイン」や「完全栄養食」などに関する発表も、本誌読者各位の興味を引くだろうと思うので簡単にご紹介しておきたい。ベースフードの橋本舜氏は、栄養バランスの取れた主食として開発中のベースフードを紹介した。同社のパスタは有名だが、いまはパスタだけではなくパンもあり、いずれも30種類の栄養が過不足なく含まれており、品質は世界ナンバーワンだと思っていると語った。
全粒粉やチアシード、昆布などをブレンドしているパン「ベースブレッド」は実際に試食させてもらったが、普通に美味しい全粒粉のパンのような味だった。あくまで健康食としてではなく、普通に一般人が食べても美味しい、しかも健康に良い食品として売っていくという。ビジネスモデルはサブスクリプションである。
インテグリカルチャーの羽生雄毅氏は、細胞培養で作る「培養肉」のコストがいま大幅に下がりつつあることを紹介。これまで培養肉のコストが高かったのは成長因子がミリグラム単位で数万円していたからだが、それらを機械のなかで作ることができるようになりつつあるのだという。
予定では培養フォアグラを2021年、2025年にはステーキを提供したいと考えており、その間に再生医療関連の成果もスピンオフするだろうと考えているという。
インテグリカルチャーはJAXAの「宇宙探査イノベーションハブ(TansaX)」にも採用されていて、宇宙にて閉鎖系での食肉生産を可能にする技術の開発を目指している。ほかにも「Space Food X」と題されたセッションでは、JAXAの菊池優太氏やリアルテックファンドの小正瑞季氏らが宇宙だけではなく地球上でも活用できるだろう将来の食糧生産技術開発についてプレゼンを行なった。
寿司シンギュラリティ、IoTティーポットなど
「寿司シンギュラリティ(SUSHI SINGURALITY)」というぶっとんだコンセプトを紹介したのは電通の榊良祐氏だ。榊氏らの「OPEN MEALS」というプロジェクトでは、「食」をデータ化し、転送して、遠隔地で3Dプリンタなどを使って再構築することを目指している。そして食が世界中で繋がり、さらに個人の体内までつながる「超未来体験型レストラン計画」を考案している。
店を予約したらヘルスキットが送られてきて、その健康診断結果をもとに最適なメニューが提案され、食事をするといったコンセプトだという。提供される食事もまたぶっ飛んでいて、「細胞培養マグロ」や、「ネガティブ・スティフネス・ハニカム蛸」なる独特の食感を持つタコ、「出汁スープ・ユニバース」などを「寿司」化して、未知の食体験を感じさせたいと紹介した。
ぶっとんだビジョンを思い描き、それを専門家たちの監修を得た上でビジュアル化することで世界中にプレゼンする。そうすることで産業の垣根を超えて人が集まってきて、市場を生み出すことができるという。
このほか、ルナロボティクスの岡田拓治氏は、さまざまな調味料を組み合わせることができる独自の味付特化家電の計画を紹介し、REDD inc.の望月重太朗氏は、モバイルキッチンセットを使って、その場その場で出汁をとったり料理を作ったりする活動を紹介した。
また、LOAD&ROAD INC.の河野辺和典氏は、当日の環境や人の手の温度を検知して、各人その場に最適な温度でのお茶を出す進化型急須「teplo」を紹介。IoTティーポットである。
これらハードウェアスタートアップと、パナソニックやソニー、クックパッドなどの大手企業がどのように組んでいくかというセッションもあった。ランチタイムには、クックパッドやパナソニックから自社でのプロトタイピングをどのように進めているかという紹介もあって、多くの人がランチを早々に詰め込んで聞いていた。
このほか、味覚と嗅覚の相互作用や職人を超えた将来のシェフのあり方、Googleの食戦略、インドで寿司のフードデリバリー事情、ASEAN市場の紹介、今後の医食同源、スーパーのありかたなど、さまざまな議論があったが、それらについては省略する。
なんにせよ、これから「食」の世界はますます面白いことになりそうだ。