森山和道の「ヒトと機械の境界面」

デジタル技術による人の補完はどうあるべきか。日仏討論会「拡張された人間」レポート

 フランス大使館主催の日仏討論会「拡張された人間? 身体の補完から拡張へ?」が2019年6月29日に東京大学で行なわれた。デジタル技術が可能とする身体の「補完」とアプリケーションによる人間の拡張。では、身体の「補完」と「拡張」の間の境界はどこにあるのか、人間とはなんなのかということをテーマとして議論が行なわれた。レポートしておきたい。

 開会に先立ち、在日フランス大使館の科学技術参事官のジャン=クリストフ・オフレ(Jean-Christophe Auffray)氏は「日仏は人間を中心に置くデザインを共有している。マクロン大統領もデジタル技術が市民のために使われることが重要だと述べた。デジタル技術はは格差是正のために用いられるべきでデジタルディバイドの源泉であってはならない」と語った。

在日フランス大使館 科学技術参事官 ジャン=クリストフ・オフレ氏

 司会は桜美林大学リベラルアーツ学群教授の平和博氏。はじめに平氏は「補完と拡張の境界線が曖昧になっている。その意味するところはなにか」と問いかけた。たとえば、ペースメーカーを身体に入れ、補聴器をつけ、歩行器を使っている高齢者は少なくない。現在よりも寿命がもっと短かった100年前なら、彼らはみな「サイボーグ」として扱われたはずだ。平氏は「補完と拡張という2つのキーワードについて、なにを基準にを考えていけばいいのか。そんな疑問について教えてほしい」とパネリストたちに質問を投げた。

桜美林大学リベラルアーツ学群教授 平和博氏

 パネリストは4名。まず1人目は、自分自身も義手の使用者で、ファブラボで筋電義手を自作するなどデジタル技術でハンディキャップを克服していく「ハンディキャパワーメント」を標榜する「My Human Kit(マイヒューマンキット)」開発責任者のニコラ・ユシェ(Nicolas Huchet)氏。

My Human Kit 開発責任者 ニコラ・ユシェ氏

 ローザンヌ大学人類学教授のダニエラ・セルキ(Daniela Cerqui)氏は人類学者の立場からロボット工学、人工知能、情報学における技術者の表現、技術者はどんな社会を作ろうとしているかといったことについて研究している。

ローザンヌ大学人類学教授 ダニエラ・セルキ氏

 ソニーコンピュータサイエンス研究所リサーチャーの遠藤謙氏は、ロボット技術とバイオメカニクスの知見を活用した義肢開発を行なっている。2014年には競技用義足開発などを行なう株式会社Xiborgを起業した。現在は先天性の四肢欠損者である乙武洋匡氏を歩かせる「乙武義足プロジェクト」を進めている。乙武氏の義足の場合は拡張という言葉は当てはまらない。遠藤氏は「僕にとっての補完が彼(乙武氏)にとっての拡張になる」と述べ、拡張と補完のような「言葉」に対して強さと脆弱性を同時に感じており、遠藤氏なりの考えに対する意見がほしいと思って登壇したと語った。

ソニーコンピュータサイエンス研究所リサーチャー 遠藤謙氏

 4人目は東京大学未来ビジョン研究センター特任講師の江間有沙氏。科学技術社会論(STS)を専門とし、人工知能の倫理やガバナンスについて研究している。技術革新によってさまざまな利便性がもたらされるいっぽうで「人間とはなにか」という問いにぶつかることが多く、人と人との関係性はどう変わっていくのか考えていきたいと語った。

東京大学未来ビジョン研究センター特任講師 江間有沙氏

自分自身の見方を変え、さらに社会のマインドセットを変えていくということ

筋電義手でマイクを握ってプレゼンを行なうニコラ・ユシェ氏

 ニコラ・ユシェ氏は労働災害で右手を失っており、このディスカッションの間も右腕の義手でマイクを握って話をした。筋電で駆動する義手自体は1960年代後半に開発されたもので決して新しい技術ではない。しかし技術発展自体は遅い。ユーザーが少ないからだ。義手を使うことで日常動作の8割を取り戻すことができるという。今日ではさまざまな筋電義手が開発されているが、コストが高く、また洗練されてはいるが複雑化し、使い勝手が悪くなっており、また重量も重たくなっているという。

 ユシェ氏は高価すぎて買えないこと不満に思っていたが、3Dプリンタや「ファブラボ」などの世界を知り、自力で設計をダウンロードして筋電義手を製作できるようになったと語った。最初に作ったプロトタイプはとても脆くてなにもできなかったという。しかし「修理や改良の過程を通して、自分自身の障碍を受け入れることができ、自分自身の見方が変わった」と述べた。

 そしてニコラ・ユシェ氏は「My Human Kit」をはじめた。自分の技術的サポートを自分で作ろうというコンセプトではじめた、障碍を持つ人が自分たち自身で必要なものを作るためのファブラボだ。今回の来日も、日本の同様のグループの人たちとつながりを持つためだという。ニコラ氏は「このプロジェクト(My Human Kit)のおかげで自分の人生の意味を見つけることができた。この世界の居場所を見つけることが重要だと考えている」と語った。

 ソニーCSLの遠藤氏は、もともとはロボット研究者で二足歩行ロボットの研究をしていた。しかしヒューマノイドの実用化への距離の遠さと、友人が骨肉腫で片足を失ったことから義足開発に取り組むようになった。そしてMITのヒュー・ハー(Hugh Herr)教授のもとに留学。ハー教授の「There is no such a thing as disabled person. There it only physically disabled technology(世のなかに身体障碍者はいない。技術の側に障害があるのだ)」という言葉に感銘を受け、技術が満たされていれば身体障碍にならなくてすむと考えて、さまざまな義足の開発を行なっている。

 なお遠藤氏が博士課程のときに開発した足首義足はドイツのオットーボックから商品化されているという。遠藤氏はモーター付きな高度な義足の他にも、発展途上国向けの義足などの開発も行なっている。

ソニーコンピュータサイエンス研究所リサーチャー 遠藤謙氏

 遠藤氏はさまざまな活動を通して「世のなかが変わらないボトルネックはわれわれのマインドセットにある」と考えるようになったという。そこでわれわれ自身の考え方を変えることから逆算して考えたのが「乙武義足プロジェクト」だ。乙武氏は後天的に足を失ったわけではない。なので「われわれの普通を彼に押し付けるプロジェクト」であり、健常者が考えていることが正しいのかという疑問も突きつけるものとなっている。

 もう1つの活動はパラリンピックだ。遠藤氏はパラリンピアンたちやコーチ、ほかの技術者たちと板バネを最適化する研究開発を行なっている。バイオメカニクスの観点から人の走り方も考慮し、板バネ義足を装着した人がどれだけ速く走れるのか突き詰めようとしている。

 将来は、健常者よりも義足着用者のほうが速く走れるようになる可能性もあり、すでに、「ずるい、ずるくない」といった議論も起きている。遠藤氏は「人間ってなんだろう」という疑問を持ちながらエンジニアとして問いを投げかけるようなものづくりを行なっているという。

人間は機械のメタファーで捉えていいのか

ローザンヌ大学人類学教授 ダニエラ・セルキ氏(左)とMy Human Kitのニコラ・ユシェ氏(右)

 ダニエラ・セルキ氏は文化人類学の立場から人体の補完と拡張について考察を行なっている。セルキ氏は、そもそも「補完」や「修理」という考え方/言葉は機械の世界のものであり、つまりこの言葉を使うことは「人間は一種の機械だ」と捉えていることを意味していると指摘した。

 補完修理を行なうためには、どこが原点だったのか、あるいはどんな「これが普通だ」という基準に対して修理するのかという点が存在する。同様のことは補完だけではなく拡張にも言える。補完と拡張の明確な境界はないという。そして「補完と拡張は対峙しているものではない」と述べた。

 セルキ氏は「今日の医療システムは、どんどん多くのものを「病気」と認定する方向にある。究極的には人間存在自体に内在する「死」や「老化」に対しても戦おうとしている」と指摘。重要なことは、ニコラ・ユシェ氏のように自分の障碍に対する自分の見方を変えることや、「違いの受容」だという。

 現在の技術はさまざまな期待をにおわせるが、皆が技術にアクセスできるわけではない。いわゆるデジタルディバイドを埋めないと、技術にアクセスできない人は、社会からさらに排除されてしまいかねない。また、個々人にとって医学の進歩による健康増進や平均寿命の延長は良いことだが「人類学的には、人類がどういう社会に向かっているのか考えてしまう」と述べた。

 江間有沙氏はシンポジウムの前日にもニコラ・ユシェ氏、ダニエラ・セルキ氏らとさまざまな話をしたと述べ、彼らの話を補足した。ニコラ・ユシェ氏は「世界を変えるのではなく、まずは自分の見方を変えることが大事なんだ」と述べており、それはダニエラ・セルキ氏が重視する多様性とその受容につながっている。われわれはそもそもそれなりに多様性があり、人間をどう考えていくのかということについて、議論していくことができることはすばらしいと語った。

東京大学未来ビジョン研究センター特任講師 江間有沙氏

 ただし技術のリスクを考えていくと、課題は多い。どこまで改造していけばいいのか、その範囲は個人に任されているのか、あるいは社会に許容制限があるのか。ニコラ・ユシェ氏はいわば自分で技術を掴みにいったわけだが、そこにリーチできない人たちは依然として多い。そのような人に技術をリーチするにはどうすればいいのか、あるいはどこまでやっていいのか。閉じられたコミュニティだけでやっているときと、外部に出ていったときには受け取る声も異なってくる。まずなんらかの指針を自分たちで持っておかないと、想定外のアクセスに対しては戸惑ってしまうのではないかと指摘した。そのためにも、このようなシンポジウムの場でも上流から技術に考えていくことが重要だと考えているという。

 また、技術を作る側と使う側の垣根が曖昧になっていることも昨今のポイントなのかなと考えていると述べた。そして会場の聴衆に対しても「ここにいる各個人がそれぞれ自分の標準(スタンダード)を持っている。たがいの標準を知り、それぞれ良い方向にズラされたりすることが新しい気づきとなれば」と呼びかけて、議論への参加を促した。

技術の位置付けは立場や時代によって変化する

ダニエラ・セルキ氏(左)とニコラ・ユシェ氏(右)

 会場ではおもにテクノロジによる身体の補完を巡る議論が続けられた。ダニエラ・セルキ氏は、「技術によって拡張を進めたときに、どの一線を超えるとホモ・サピエンスはホモ・サピエンスでなくなるのか、一線を超えたときにしかわからない。だから超える前に考える必要がある」と語った。

 江間氏はニコラ・ユシェ氏の話にあった「自立」がキーワードだと述べた。この分野の多くの技術は人の自立をサポートすることを本来の目的としている。たとえば認知症予防インプラントができたら便利だろう。だがそれが意思決定にも関与するようになってきたときに、それは誰(何)が考えているのかという問題へとつながっていく。「立場・使い方によって技術の位置付けは変わる」と述べた。

 ニコラ・ユシェ氏は、インターネットのおかげで多くの人が技術を使って自立できるようになることがすばらしいことなのだと語った。これに対し遠藤氏は「僕の立場はちょっと違う」とし、「多様性が受け入れられ、やりたいことが満たされるような環境でやりたいことをやれること、テクノロジを『オプション』として与えられる状態が健全だと考えている」と述べた。そしてエンジニアの1人として「ものをつくる人に見返りがいく社会がすばらしい」と考えており、エンジニアに対して投資が続けられる社会の仕組みが重要だとした。

 メイカームーブメントによる影響についても議論が行なわれた。ニコラ・ユシュ氏は「今日、われわれにとって大事なことは『私たちには可能性がある』という気持ちをもう一度呼び覚ますことだ」と述べた。もちろんなんでもできるわけではないが、ユシュ氏は、メイカーコミュニティの助けを借りることで筋電義手を安価なコストで自作することができた。世界各国で同じような人たちに会うことができ、「技術を共有していくことがすばらしいことだ」と語った。

 遠藤氏は株式会社Xiborgの代表取締役でもある。遠藤氏は「ユーザー・イノベーション」の提唱者として著名なMITのエリック・フォン・ヒッペル教授の「イノベーションは当事者から生まれる」という言葉を紹介した。

 現場ニーズからユーザー・イノベーションを起こすリードユーザーが大事だということだ。メイカーたちは自分で自分が必要なものを作る。それによってコストも安くなる。ひいては、社会解決のためのコストを下げることができるのがメイカームーブメントの力だ。そして大企業による大量生産・大量消費の流れではまかないきれないことを解決できるようになったと述べた。

多様な価値観を受容できる時代へ

会場の様子

 質疑応答でも会場とのやりとりが活発に行なわれた。会場にはリオデジャネイロ・パラリンピックの陸上男子400mリレーで銅メダルを獲得した佐藤圭太選手や、上肢身体障碍者のQOL向上を目指してオープンソースハードウェアHACKberryの取り組みを続けているNPO法人Mission ARM Japanの理事でエンジニアの近藤玄大氏、同理事で実際に義肢を使っている今井剛氏らもいて、具体的で活発な議論が続いた。

左端がパラ陸上競技の佐藤圭太選手。トヨタ所属
NPO法人Mission ARM Japan 理事 今井剛氏。義肢は対向配置された3指が特徴の「Finch」。

 社会は、多種多様な価値観を持った個人からなるコミュニティが複雑に関わって構成されている。シンポジウムのなかで何度も指摘されていたように、「標準」は個人や所属コミュニティによってまったく異なり、ときに衝突したり、ジレンマに陥りがちだ。時代によっても標準は変わる。たとえばニコラ・ユシュ氏は、15年前ならば目立たない義手を付けることを選んでいたはずだと語った。今でも多くの人が目立たない義手を望んでいる。だが今は義肢で自己主張をしたいという人たちも現れはじめている。重要なことは「自分がなにをしたいのか」だという。

 パネリストの江間氏は「今は悩みをたがいにシェアできる。『どうしたらいいか』と投げかければ、その声は少なくとも以前よりはいろいろな人に届き、一緒に考えることができる。良い社会なのではないか」と語った。そういうことだと思う。