実録! 重役飯
来日のきっかけはディズニーランド。母は60代でバックパッカー~華華通信でもおなじみASUSシンシア部長編
2016年8月15日 06:00
いつもご愛顧をありがとうございます。PC Watchは2016年をもって20周年を迎えました。20周年を記念し、PC・IT業界を代表する企業のトップの方にインタビューを行ないました。特別企画ということで、通常であれば企業の戦略や製品について伺うところ、今回はインタビューに対応いただく方の行きつけやお勧めの料理店にて会食を行ないながら、その方の趣味や考え方など人となりに焦点を当てた質問を行ないました。この企画を通じて、企業の経営を担う人の個性や考え方などを知っていただければ幸いです。基本的に全ての方に同じ質問をしていますので、みなさんの違いも面白いのではと思います。聞き手はPC Watch編集長の若杉です。
第6回目のインタビューのお相手は、ASUS JAPANマーケティング部部長のシンシア氏です。会食の場として選んでいただいたのは、大井町にある「季節料理なるきや」です。
--:シンシアさんとは長い付き合いですが、「シンシア」はイングリッシュネームというか、ニックネームなんですよね。
シンシア:はい、シンシアはこの業界に入ってから使い始めたニックネームで、本名は滕 婉華(トウ・ワンファ)です。
--:あれ? でも、華華通信では、中学生くらいの時にシンシアというイングリッシュネームを選んだと書いていたような。
シンシア:そうなんですが、台湾では名乗ってはいなかったんです。で、ASUSに入社した時の上司が、私のメールアドレスの「Cynthia」を見て、シンシアと呼ぶようになったんです。なので、シンシアと呼ばれると仕事モードになります。日本の大学に通っていたんですが、そのときは「ワンファ」と呼ばれていました。台湾にいた時のニックネームは「鐵蛋」(てつたまご)でした(笑)。
--:それはまたなぜ(笑)?
シンシア:台湾にそういう醤油で何日も煮た硬い玉子の食べ物があるんですが、昔、エアコンの室外機に頭を思いっきりぶつけたけど、なんともなかったので、友達に頭が硬いと言うことで、「鐵蛋」だねって呼ばれるようになったんです(笑)。
--:そのあたりは、またおいおい聞いていくかと思いますが、今日紹介していただいたお店はなぜお気に入りなのでしょうか。
シンシア:今回はPC Watchさんが20周年と言うことで、この業界に関連するお店を選びました。このお店は、シンシアが始まったお店なんです。と言うのも、私がASUSに入ったのは2002年で、このお店に最初に来たのは2003年11月のボジョレー解禁の時でした。当時、自作PCのことは全然知識がなく、マザーボードとかCPUが単品で売られていることすら知りませんでした。その時、イベントなどで出会ってから、仲良くしていただいたのが当時MSIにいらした増山有寛さんでした。メーカーとしては競合でしたが、自作について色々教えていただいたんです。その方に連れて来ていただいたのがこちらのお店でした。
このお店は、日本料理屋なんですが、ボジョレー解禁の日だけ洋食屋になるんです。以降、13年間通い続けて、そのボジョレーのイベントも毎年参加しています。今このお店は、息子さんが継がれているんですが、先代のご夫婦にもすごくよくしていただいて、お二人が台湾旅行する時にコーディネートしてあげたり、お正月にはご自宅に招待していただいたり、家族のようなお付き合いをさせてもらってるんです。御社の今の社長もこちらによく来られてましたよ(笑)。
キラキラした日本に憧れて来日
--:20年前は何をしていましたか。
シンシア:日本の美術大学に入ったばかりの年です。高校までは台湾にいて、卒業後に日本語学校に通い、受験して日本の大学に入りました。高校の頃から広告デザインの勉強をしていて、日本でもその道に進みたくて、美大を選びました。
--:日本に行きたいと思ったきっかけは何だったんでしょう。
シンシア:すごく単純で、高校1年生の正月休みに祖母に連れられて東京ディズニーランドに行ったのがきっかけです(笑)。その時、汽車のアトラクションに乗っていたら、雪が降ってきたんですね。台湾では雪を見たことがなく、雪を体験したのはこれが初めてでした。それで、日本は本当に夢の国だと思ったんです(笑)。それ以外にも、日本の全てが素晴らしく見えました。些細なことですが、街を歩いていても、そこらで売っているものがすごく可愛かったり、台湾よりキラキラしてるんです。今でこそ、台湾でも同じようなものも売っていますが、その時はそうじゃなかったんです。だから、機会があれば日本に住みたいと思っていました。
そしてある時、学校の先輩が日本の美術大学のパンフレットを持っていたんですが、そのデザインもすごく格好良かったんですね。それで、この学校に行きたいと思いました。アメリカにも行ったことはあったんですが、アメリカにはときめかなかったんです。と言うのも、アジア人の私がアメリカに行ったら、外国人ですよね? でも、日本にいたら、しゃべらなければ日本人と見分けがつきません。だから、私も日本人みたいにキラキラできるかなというミーハーな想いもありました(笑)。
--:大学受験は留学生枠のような形だったんですか。
シンシア:そうです。受験は学科と実技があり、留学生だと学科は小論文なんですね。ただ、当時は日本語がまだ拙くて、落ちてしまいました。それで一浪して再受験して受かったんですが、その時は小論文について先生から「あなたの日本語は100点だ」と言われました(笑)。
そして、入ってみたら、私の年は台湾からの留学生は私だけだったんですね。私は今でもたまに日本語がうまいと言われますが、実は大学1年の時の方がもっと上手だったんです(笑)。と言うのも、当時は日本語でないと周りと会話できなかったけど、今の会社では半分くらい中国語で会話しているからです(笑)。
大学の時は、「あっち」というニックネームの大親友がいて、授業で分からなかったことは、放課後モスバーガーで質問していました。彼女は一度も私のことを外国人と思ったことがなく、すごく仲良くしてくれました。彼女の実家に花火を見に行ったこともあり、そのとき彼女のお母さんが私に浴衣を着せてくれたりと、よくしてくれて、今でもあっちのお母さんとも仲良くしています。
--:その頃の趣味を教えてください。
シンシア:日本語を上達させようと、友達と飲み会に行ったりしてコミュニケーションを取ることに必死で、あまり趣味というものは持てませんでした。あとは、時間があれば、新宿高島屋の鼎泰豊でバイトしていました。
--:鼎泰豊での仕事は、接客ですか? 厨房ですか?
シンシア:ホールでの接客です。ここは結構バイト代が良かったんです(笑)。
--:まだ日本語を勉強している中、接客は大変だったんでは。
シンシア:言葉が大変だったというより、仕事の仕方は大変でしたけど、いろいろ教わりました。台湾ではバイトをしたことがなく、最初に高島屋でバイトできて良かったと思っています。と言うのも、例えば、あってはいけないことなんですが、粗相があって、お客様の上着を汚してしまったとします。そうしたら、お会計はいただかず、店長がその場でお詫びをした上で、上着はクリーニングに出して、後日、菓子折りを持ってお詫びしつつお届けにあがるんですね。台湾人の私からするとやりすぎとも思えるんですが、そういう日本ならではの作法とか礼儀とかを学ぶことができたので、良い体験になりました。
--:鼎泰豊でバイトしていると、やはり夕食はまかないで鼎泰豊のものを食べられるんですか。
シンシア:私の場合は、高島屋の店舗だったので、高島屋の社員食堂を利用していました。
--:僕は台湾でも日本でも鼎泰豊に行ったことがありますが、台湾の方がおいしいかなと思うんですよね。
シンシア:味付けもメニューも日本のお店は、日本人向けに若干アレンジしているかもしれませんね。
それから趣味ではないんですが、当時はPower Macintosh 7500/100を持っていて、ICQでネット友達を作ることにはまっていました。学校の課題にもPCが必要で、美大と言うことでMacを買ったんですが、インターネットがはやり始めた時期で、毎日テレホーダイの時間にネットしてました。その結果、時差があるため、アメリカに彼氏ができました(笑)。
--:それはネット上の彼氏ということですか。
シンシア:最初はチャットで知り合ったけど、その後、写真を送り合ったりして、見た目もタイプだし、話も面白いので好きになったんです。で、大学3年の夏休みに旅行がてらアメリカに会いに行きました。ただ、母親が心配したので、弟についてきてもらいました(笑)。実物もいい人で、付き合うことになりました。日本に帰国後、あまりにも遠距離と時差のため、別れましたが。今思うと、一歩を間違えれば、本当に危険に逢うかもしれない体験でしたよね。若いからこそできたことです。
--:そこそこ珍しい体験ですね(笑)。課題ではMacでどんなことをしてたんですか。
シンシア:生まれてから、見ているものが違うので、ただのデザイン能力では日本人に勝てないと思っていたんですね。で、当時、Webサイトには動きがあるものはまだ少なかったんですが、私は動くものとかインタラクティブなものに未来を感じて、「Director」を使ってデジタル辞典みたいなものを作っていました。若杉さんはご存じだと思いますが、中国語の発音には四声と軽声というのがあり、それを日本人向けにビジュアル的かつインタラクティブに表現するデジタルブックを卒業制作で作りました。
--:美大というと、キャンパスに絵を描くというのをまずイメージしますが、そういうことをやらずに最初からデジタルで何かを表現することに挑戦してたんですか。
シンシア:最初の1~2年は、デッサンとか絵画とかも学びましたが、どうもピンと来なかったんです。一方で、インタラクティブなものとか、情報に興味があったんです。そういうのを形にできるのはPCだったんですね。
--:これまでの職歴を教えてください。
シンシア:2000年に卒業してその年にとあるIT企業のデザイン部門に新卒で入社しました。それも、やはりパンフレットが良くて、そこを選びました(笑)。と言っても、パンフレットだけで仕事を選んだのではなく、当時脚光を集め始めてたITで情報を扱う仕事をしたいなと思ってたところに、まさにこの会社はそういう業種だったんです。職種は、最初1年がグラフィックデザイナーで、次の年はWebデザインを担当しました。
ASUSに入ったのは2002年8月です。
--:どういうきっかけでASUSに入社したんですか。
シンシア:前の会社を辞めた後、一時的に台湾に戻っていたんですが、また縁があれば日本に戻りたいなあと思い、いとこのお勧めの人材バンクに登録してもらったんです。そんな時、ASUS(華碩電腦)のアンドリューという人から電話があったんです。彼曰く、日本語の話せる台湾人を探していると。当時、私は華碩電腦の名前は知っていましたが、何をやっているかまでは詳しく知りませんでした。でも、日本でまた働きたいので、彼に会いに行きました。
で、まだ仕事にも慣れないなか、何日間経ったら、アンドリューは2週間台湾に戻るというので、鍵を渡されて、私はただ留守番をしながら、何かの仕事を見つけるだけの仕事を仰せつかったんです。びっくりですよね、自分自身もびっくりです。よく信用されたと思います。広報の仕事を始めてアンドリューに言われたのは「秋葉原の女王になれ」でした(笑)。当時、椎名林檎の「歌舞伎町の女王」という曲が有名で、それにかけたんですね(笑)。
--:アンドリューはもういないんでしたっけ。
シンシア:もう辞めて、今はOEM企業にいますね。
--:確かアンドリューには3年くらい前に会いましたよ(笑)。その時、COMPUTEXがあって、前の会社の同僚も台湾にいて、夜に一緒に飲んでたら、彼が「アンドリューも呼ぼうか?」という話になって、そこに現われたんです(笑)。「お久しぶりです~」って相変わらず流暢な日本語でしたよ(笑)。
シンシア:今の私があるのはアンドリューのおかげなので、本当に感謝してます。ASUS入社当時はまだ迷いも悩みも多かったんですが、彼はいろいろ道しるべを示してくれました。秋葉原の女王はさすがにどうかと思ったけど(笑)、彼を信じてやってきたことで、今の私があります。
--:そういう意味では、僕の人生を変えたのは、さっき言った秋葉原のPCショップ時代の元同僚ですね。彼は帰国子女で、東大にも入った超有能な人物なんですね。ショップに取材に来ていた編集者さんとも仲良くなって、毎日コミュニケーションズの編集者さんから原稿執筆を依頼されるようにもなったんです。ただ、ちょっとだらしないところがあって、筆はいつも遅かったんです(笑)。で、ある時、締め切りなのに入稿しないまま台湾に出張に行ってしまって、その編集者さんに、「原稿が入らないまま、連絡が取れないんですが、どうしましょう~?」って泣きつかれたんです(笑)。で、代わりに僕が書きましょう、と言ったのがこの仕事をするきっかけだったんです。それがなければ、今こうしてこの業界で記事を書いてなかったと思います。
シンシア:インプレスに誘ったのは誰なんですか。
--:自分で選びました。前の会社では5年くらいアルバイトしてから正社員になったんですが、そのタイミングで掛け持ちは辞めようと思い、DOS/V Specialでの執筆は辞めたんですね。ところが、社員になって2カ月でその会社が民事再生法を申請する事態になってしまったんです(笑)。で、再生はしたんですが、いろいろあって、そろそろ転職しようと思った時、DOS/V Special編集部に入れてくれと頼めば、必ず入れてくれると思ってたんですが、それだと何も挑戦してないと考えたんです。いつも、実現できるかは別として、トップを狙いたいという考えなので、PC系Web媒体ではトップだったPC Watchに普通に履歴書を送って、面接を受けて、入社しました。
--:ちょっと質問が戻りますが、就職できたはいいけど、どうやって自作について学んでいったんですか。
シンシア:みんなに助けていただきました。MSIの増山さんもそうですし、若杉さんにもいろいろ助けてもらいましたよ(笑)。
--:そうでしたっけ(笑)?
シンシア:はい、イベントなんかでお会いして、いろいろ教えてもらったり、助けてもらったりしました。私は今でも広報としてポリシーとしているのが、自分たちメーカー側ではなく、とにかくメディアの側に立って物事を考えることですが、これはその当時、みなさんから学んだことです。後は、4Gamer.netの某編集さんからは「メールが来たら24時間以内に返事を出すこと」というのも学びました(笑)。
--:それは、ただ彼の要求がきついだけだで、業界の常識ではないと思いますよ(笑)。
シンシア:でも、それを実行することで、信頼に繋がったと今でも思っていますよ。ほかの経歴としては、2002年の夏から自作パーツの広報、2004年から自作パーツのマーケティング、そして2008年からマーケティング部部長になりました。私はASUS JAPANの社員1号だったんですが、ASUSの規模が大きくなるにつれて、担当する製品も増えていきました。
--:入った直後の2002年にはもう会ってましたっけ?
シンシア:はい、会ってるはずです。若杉さんは当時の私たち自作PC業界広報女子の間で人気でしたよ(笑)。ちゃんとこのことも書いておいてくださいね(笑)。
--:そう言うことは、その時、その場で直接言ってくださいよ。14年経ってから言われても、何の実りもないから(笑)。ちなみに、今の担当は?
シンシア:担当しているのは、当社がオープンプラットフォーム事業部と呼ぶ自作系を除いたシステム事業部で、製品としてはデスクトップ、ノート、一体型、タブレット、スマートフォン、スマートウォッチなどです。
--:最初はマザーボードだけだったのが、色々と増えて大変じゃないですか。
シンシア:でも、タブレットもスマートフォンも小さいPCですから、同じなんです。今も、新入社員が入ったら、まずPCを自作させます。そこでPCのことが分かれば、後はタブレットでもスマートフォンでも通用しますから。
--:これまでの人生で絶体絶命だと思ったできごとはありますか。
シンシア:社会人になってからもコミュニケーションの機会は極力持とうと思っていたので、前の会社では、頻繁に飲みに行きましたが、あるプロジェクトが終わった時の打ち上げで、飲み過ぎて意識がなくなったんですね。タクシーを呼んでもらったけど、家の住所が言えないほどろれつも回らなくなって、同僚が言ってくれたのが、ただ一言「中野」だったんです(笑)。で、中野に着いたけど、住所が言えなくて、結局タクシーに警察署まで送り届けられてしまいました(笑)。そして、酔いが覚めるまで、警察でお茶を飲ませてもらいました。ついでに、普段だとタクシーで3千円くらいのところ、8千円くらい取られました(笑)。
なんでこれが絶体絶命かというと、台湾だとそういう状況だったら必ず友人が家まで送ってくれるんですね。この時も、私は誰かが家まで送ってくれるだろうと思ってたんですが、こんなことになったのは初めてでした。この時ばかりは、日本人は冷たいと思いました(笑)。
--:それは人によると思いますけどね(笑)。あと、ヘタに男性が女性を家まで送ると、下心を疑われるのが怖くてというのもあると思います。そして、次の質問が、その失敗・危機をどのように乗り越えましたかというものなんですが。
シンシア:もう意識がなくなるまで飲まないようにしました(笑)。それ以降は、飲んでも終電を逃したこともありません。
セールスポイントは誰とでもすぐ仲良くなれること
--:仕事上のモットーや座右の銘を教えてください。
シンシア:数字に厳しく、仕事は楽しくです。ASUSはまだ日本ではまだまだ努力する必要があります。今の自分のポジションを理解しつつ、毎日努力していることを楽しむんです。ASUSのブランドをたくさんの日本の皆さんに知られることのが私の最大の目標であり、それを源にして楽しむんです。
--:尊敬する人物を教えてください。
シンシア:弊社会長のジョニー・シーです。私が入社当時、ASUSはOEM事業にかなり力を入れていて、ジョニーもよく日本に来ていました。既にジョニーはCEOでしたが、まだ日本オフィスは人も少なく、彼が来ても、忙しくて誰も迎えにいけないんですね(笑)。そこで、ぺーぺーだった私が、よく迎えに行っていました。そんな時ジョニーは、スカイライナーに乗りながら、「日本はどうなの?」、「あなたはどんな仕事をしているの?」、「日本では今、何が流行っているの?」とか、気さくにまるで友達のようにいろいろ話しかけてくれるんです。
ある時、まだ製品について詳しくなかった私は細かい話はできないので、「なぜ、うちの製品は日本語パッケージがないのか?」って聞いたら、ジョニーはすぐ担当者に連絡して、すぐ日本語パッケージを作らせたんです。ジョニーはただのお偉いさんではなく、即座に行動を取れる人なんだと、当時から感銘を受けていました。
--:僕たちが発表会で見るジョニーは、すごく情熱的にプレゼンをする人で、行動力があるのも伝わってきます。一方で個人インタビューをした時は、すごく穏やかで丁寧に話す人でした。近くで見ているシンシアさんにとって、どっちが本当のジョニーなんでしょう。
シンシア:両方本当です。考える時は、集中して論理的に分析し、何が真実なのかを何度も仮定を立てて確かめます。ちなみに、彼は日本の文化が好きで、日本を尊敬しています。だから、日本について台湾人の私が言うことはすぐには信じてくれないんです(笑)。マスコットキャラの「禅太郎」は、海外では「Zenny」という名前だけど、日本では禅太郎の方が受け入れられると私が提言した時も、すぐに採用せず、ほかの日本人スタッフに何度も確認して回ったんですね。そして、一度自分が納得し、決断すると、情熱的に行動するんです。そして、ASUS全体も常に挑戦心を持ち続けています。ASUSに入って本当に良かったと思います。若杉さんはPC Watchに入って良かったと思いますか?
--:自分が感動したこととか面白いと思ったことを人と共有したい気持ちが強いので、そういう意味でメディアの仕事に携われて良かったと思います。
シンシア:入社はいつでしたっけ?
--:2001年です。その前に、さっき言った通り、アルバイトでPC Fan DOS/V Specialに寄稿してたんですが、その当時の担当編集の方は、実は今フリーライターとしてうちの「DOS/V POWER REPORT」に記事を書いてるんで、15年ほど経った今、ライターと編集者の立場が全く逆になってるんです(笑)。
ご自身のセールスポイントを教えてください。
シンシア:よく笑って、誰とでもすぐ仲良くなれます(笑)。それから悩むのが嫌いなので、嫌なことがあっても、お酒を飲んで一晩したら忘れます。
もう1つ上げると、お客様が買ってくれたマザーボードの名前を覚えています(笑)。イベントに来ていただいたお客様に、あなたが購入されたマザーボードは「P4PE」だから、もう2年経つので、買い換えた方がいいですよって提案したりしてました(笑)。
--:出社から退社まで1日の大体の仕事内容を教えてください。
シンシア:既定の出社時間は9時半で退社時間は18時半です。出社したら、メールをチェックしたり、会議をしたりします。うちはPR代理店を使っていないので、内部でブレストすることが多いです。長く仕事するのは効率が良くないので、19時くらいには帰ります。退社後は英会話教室に通っています。仕事の会食もあまり多くないです。
--:台湾本社とのやりとりは多いんですか。
シンシア:毎日しますね。電話会議もあります。3分の1は本社相手に仕事していると思います。
--:英会話は最近始めたんですか。
シンシア:この1年です。グローバルカンパニーになって、日本でやっていることも本社や海外にアピールしたいんです。そのための語学力をつけようと思っています。
--:世代にもよるのかもしれませんが、台湾のグローバルカンパニーで仕事をしている台湾人は、みなさん英語を話せますよね。台湾人から見て、日本語と英語ってどちらが難しいですか。
シンシア:日本語です。まず、英語は文法が中国語に似ています。それから日本人には分からない日本語の難しさは、「辞書形」を覚えないといけないところです。
--:辞書形?
シンシア:はい、辞書に載っている言葉の形です。例えば動詞の「した」と言う言葉があっても、辞書に載ってるのは「する」なので、その辞書形を知らないと辞書すら引けないんです。次に来るのが「します」のます形。敬語ですね。そのほかにも、「しろ」の命令形とか、「しよう」とかの意向形とかたくさんあるじゃないですか。
--:「する」は、サ行変格活用で一番複雑な動詞の1つですね。確かに外国人には難しい。
シンシア:そのほかにも、日本語は漢字とひらがなとカタカナもあるし、特に難しいのが「いいです」の意味(笑)。これはYesなのかNoなのか、永遠に分からない(笑)。空気を読むという文化も慣れないです。ので、日本人の部下に指示する時も、どういう言葉遣いをすべきか悩みます。
--:日本語は1~2文字くらいの助詞に、すごく繊細なニュアンスが含まれていて、色々豊かな表現ができるけど、その分、難しくもありますね。一方、発音については、中国語と違って、イントネーションがおかしくても通じるから、簡単かなと思うんですが。
シンシア:確かに、読むことについては、日本語は楽ですね。ルビが振ってあれば、意味は分からなくても、とりあえず読むことはできるので。
既に他界されたこちらのお店の先代の大将を偲ぶ会があった時、御社の社長に会って、「シンシア、日本に長いのに日本語うまくならないね」って言われました(笑)。でも、敢えてキャラとしてちょっとたどたどしい日本語を使っているのもあるんです(笑)。ある種、台湾人としてのアイデンティティとして、訛りを残してるんです。
--:それとはちょっと違うけど、アメリカに行く時、入国審査で流暢な英語を話すと、根掘り葉掘り聞かれるのが面倒くさくて、敢えてポイントだけギリギリ通じるカタカナ英語で話すようにしています。そうすると、向こうから面倒くさいやつだなと思われて、あまり質問されないので(笑)。
シンシア:御社の劉さんの日本語はすごいですよね。中国生まれ、中国育ちなのに。
--:昔会ったVIAのスタッフで、韓国人で、日本語と英語とフランス語ともう1つくらいしゃべれるという人がいました。
シンシア:ASUS JAPAN社長のエミリーも中国語と日本語と英語とフランス語を話せます。
--:僕は専攻が英語で、第2外国語はフランス語を取ったんですね。全くしゃべれませんけど。で、第2外国語のフランス語の授業が3つくらいあって、どれを選ぼうかと授業見学したうちの1つは、先生がフランス人だったんですが、授業がいきなり全部フランス語だったんです。意味分からなくないですか(笑)? フランス語を全く知らない日本人が受ける授業なのに、説明がフランス語だけなんです。さすがにこれは無理だと思って別の先生の授業にしました(笑)。
次の質問です。スケジュール管理はどのようにしていますか。
シンシア:GoogleカレンダーとOutlookを併用して、自分でやっています。秘書とかはいないので(笑)。
--:携帯電話は何を使っていますか。
シンシア:2つあって、業務用は「ZenFone Zoom」(製品情報、関連記事)、個人用は「ZenFone Selfie」(製品情報、関連記事)です。会社のSNS用にも撮影写真を提供してますよ。個人のFacebookにごはんの写真を上げたりはしないですが。
--:ASUSがスマートフォンを始める前は何を使っていたんですか。
シンシア:「iPhone 4S」です。「iPhone 3G」が出てきた時、みんな一斉に買ったけど、私は抵抗があったんです。と言うのも、通話して画面にファンデーションが付くのがすごくイヤだったんです。でも、いざ使い始めたら、世界が変わりました(笑)。iPhoneも小さいPCです。どこへでも小さいPCを持って行けることに感動して、その後3GSと4Sも出た時にはすぐ買いました。
趣味はハイキングとミュージカル
--:プライベートではどのようにPCを使っていますか。
シンシア:基本的に家では仕事をしません。たまにすごく急な用件が上司や同僚から来る時もあるけど、それはLINEで来ます(笑)。ので、家ではPCは使っていなくて、家では「ZenPad S 8.0」を使うだけです。動画を観たり、メールやSNSのチェックに使っています。一応「ZenBook」を持っているけど、出張用です。動画は英語の勉強がてらHuluでアメリカドラマを観ていて、今のお気に入りは「私はラブ・リーガル」です。
--:僕は英語の基調講演なんかはほぼ全て聞き取れるんですが、ドラマとか映画は難しいんですよね。と言うのも、砕けた表現とか、不明瞭な発音とかも結構出るので。そういう意味では、聞き取り能力を磨くのに、ドラマとかから入るのはちょっと効率良くないかなとも思うんですが。
シンシア:私の場合は、生活のどこかに英語を取り入れていたいんです。普通に生活していると英語に全く触れないこともあるので、例えばお風呂に入る間だけでも、ドラマを観たりして、例え聞き取れなくても英語に接するようにしています。
--:ああ、それはありますね。英語を聞き続けてると、ある時、「あ、この発音は、これなんだ」と、すっと降りてくる瞬間があるんですよね。僕は、大学生の時に映画「ダイ・ハード」を観ていて、主役のブルース・ウィリスが「John MccLane」って名乗った時の「L」の音が、ふと「ああ、これがLの音なんだ」って全て分かった感じになったんです(笑)。
シンシア:あとは、ドラマなんかだと、「How are you?」以外に「How's it going?」みたいなフォーマル過ぎない挨拶の仕方も勉強できたりします。
--:僕が英語のスラングとか、砕けた言い方を学んだのは、「Diablo」とか「Ultima Online」とかの海外MMORPGででした(笑)。外国人同士が「zup?」、「zup?」って言ってて、どういう意味なんだろうとしばらく謎だったんですが、「wazup?」って言ってる人もいて、「ああ、What's up?(最近どう?)」なんだと。そして、友達同士の挨拶としては「What's up?」が一般的なんだなってことを知りました。ちなみに、「ICQ」は「I seek you(私はあなたを探す)」をアルファベットの音で表わしたもので、3文字でサービスを表わした意味も持っていて、よくできてるなと感心しました。
次の質問です。今の趣味は何ですか。
シンシア:ハイキングです。
--:どのあたりに行くんですか。
シンシア:特に決まっていなくて、東京メトロとかJRがハイキングイベントを主催していて、それに参加します。スタート地点で地図を配られるんですが、東京の達人が作ったものなので、それに従って歩くと、いろんな東京を見られるようになってるんですね。毎回15~20kmくらい歩きます。
--:つまり運動よりも、新しい発見の方が目的ですか。
シンシア:そうですね。運動にも繋がりますけど、知らない東京を知られるのが楽しいんです。
--:ひょっとすると僕より東京に詳しいかもしれませんね(笑)。
シンシア:一番良かったのは柴又ですね。「男はつらいよ」は観たことないんですが、柴又駅の看板の「又」の字が「叉」になってるのは、監督さんが間違えて「柴叉」って書いたんだけど、味があるということで、それが採用されたとか、そういうこともハイキングイベントで知りました。
それからミュージカル鑑賞も趣味です。最近は「アラジン」を観ました。仕事とプライベートははっきり分けたいので、仕事とは全然違うところに行きたいんです。あと、普段はいつも笑っていますが、ミュージカルを観るといつも泣きます(笑)。アラジンでは、ジャスミン姫が閉じ込められて、外の世界に出たいというシーンで号泣しました(笑)。若杉さんは観たことありますか?
--:ミュージカル映画は観たことあるけど、舞台はないですね。
シンシア:生歌の迫力は格別ですよ。
--:基本的にミュージカルに心理的抵抗があるんですよね(笑)。観れば面白いだろうとは思うんですが、物語の中で、それまでしゃべっていた登場人物が急に歌い始めるのを観ると、「なぜ、ここで歌うんだ!?」と変に冷静な考えになっちゃうんです(笑)。
シンシア:その非現実感がいいんですよ(笑)。映画もいいけど舞台だと、回によってキャストが違ってたり、アレンジが入ってたりするので、何回でも楽しめます。
--:今まで一番良かったのは何ですか。
シンシア:「キャッツ」です。ミュージカルなのにポエムを聴いて絵本を観ているような感じになれます。
--:ただ、以前、TVで劇団四季の「ライオンキング」を取り上げていたのを観た時、舞台装置とか衣装とかがすごく豪華で迫力もあって、これならいつか観てみたいなとは思ってます。
シンシア:ミュージカルは、大人になればなるほど、良さが分かってくると思います。私も若い頃はあまり興味ありませんでした。一番観たのは「サウンドオブミュージック」で10回くらい観てますが、毎回泣いてます(笑)。関心あるなら、ぜひ、一緒にライオンキングを観に行きましょう(笑)。
--:何か特技はお持ちですか。
シンシア:これといってないけど、ASUSのことならすぐに言えます。いつ、どんな製品を発表したとか。あと、自分でも知らなかったけど、若杉さんのおかげで、華華通信を始めて、文章を書けることを気付きました。これまでブログとかもやったことないですし。華華通信も、あと5回分くらいネタはあるんですが、書く時間がなくて(笑)。
--:楽しみに待ってます(笑)。
※ここでシンシア氏、日本酒を注文。
大将:どういうのをご所望で。
シンシア:辛口なやつを。
大将:では、日本で一番辛いヤツを。
シンシア:えー、2番目に辛いヤツでいいです(笑)。
--:台湾にはお酌という文化はあるんですか。
シンシア:お酒が飲める年になってから台湾にいないため、ないとは思いますが、父と父の友人はいつもみな自分の徳利とお猪口を持って、自分で注いで自分のペースで飲みます。
--:休日はどのように過ごしていますか。
シンシア:ハイキングかドライブですね。とにかく日本の知らないところに行くのが好きなんです。あと、料理もします。
--:料理は日本料理? 台湾料理?
シンシア:こだわらないです。クックパッドで、冷蔵庫にある食材でできるものを調べて、作る感じです(笑)。ただ、台湾は日本より薄味なので、クックパッドの調味料の3分の2くらいで味付けします。
--:歩くのが好きなら「Pokémon GO」はすごく捗るでしょうね。
シンシア:やってますよ。昨日も8km歩きました(笑)。
--:ポケモンは前から知ってたんですか。
シンシア:はい、Nintendo DSの頃からプレイしてました。
--:台湾でもポケモンは人気なんですか。
シンシア:人気ですよ。
--:個人的なもの(家などを除く)で、今まで一番高い買い物はなんですか。
シンシア:BMW-Z3です。映画「007」を観て一目惚れしたんです。ちょっとクラシックなオープンカーで、10年以上前から欲しかったんです。買ったきっかけは東日本大震災で、落ち着いた頃に、自分で行きたい場所に行きたいと思い、免許を取って、車を買いました。中古車ですが、ASUSブルーの色のものがあったので、それを選びました。でも、歩く方が好きで、あまり乗らなかったので、今年の4月に売ってしまいました(笑)。
--:確かその写真はFacebookで見ました。車は売ってしまったということですが、今一番欲しいものは何ですか。
シンシア:PlayStation VRです。そんなに物欲はないんですが、デジタルで最先端なものに触ってみたいんです。あとは、英会話の勉強時間が取れないので、完璧な通訳機が欲しいです。
--:それは現在まだ存在しないものですよね。
シンシア:はい。ウェアラブルデバイスとかでリアルタイム翻訳してくれたらありがたいです。あと、何ができるのか興味があるという点で弊社がCOMPUTEXで発表したロボット「ZenBo」も欲しいです。
--:好きなブランドを教えてください。
シンシア:ブランドの定義が難しいですが、サントリーが好きです。と言うのは、ハイキングで府中の工場見学をしたことがあって、すごく親切にいろいろ解説してくれて、最後にプレミアムモルツもくれたんです。一方、別のハイキングで違うビールメーカーの工場に行った時は、人数制限があって、遅れた人は何ももらえなかったんですね(笑)。と言っても、ただ親切だったからだけではなく、サントリーはビール以外でもいろんなブランドを持っていますが、そのプロモーション手法は斬新で最先端を行っていると思います。
ちなみに、私は、もし転職するとしたら、次は自転車か水槽業界に行きたいと思ってるんです(笑)。ASUSの影響が大きいと思うんですが、どちらも、パーツ単位で組み立てたり、カスタマイズできるのが素晴らしいなと思うんです。その意味で、台湾の自転車メーカーのGiantも好きなブランドです。
--:個人的にこのヒト・モノには絶対勝てない……というのはありますか。
シンシア:母です。とにかく強くて体力がある人です。母は、弟が成人して子どもが手離れ以降は、世界各地を巡ってます。もう60代ですが、バックパッカーなんです(笑)。母も日本語がしゃべれて、台湾人ネットワークを使って得た情報を元に時々日本に来ては通訳などしてお金を稼いで、世界中を旅してます。行くのは、仏教圏のインドとかネパールが中心で、そういうところでお寺に泊まりながら旅行してるんです。クレジットカードも持たず、現地の人に頼りながら旅してます(笑)。母の将来の夢は、全てを捨てて、禅修行することだそうです(笑)。今は台湾にいるんですが、アメリカで炊き出しとかをするボランティアを募集しているそうで、今度はそれに行くそうです。
ちなみに、母方の両親は、台湾が日本に統治されていた時代に田舎で育ったので、台湾語と日本語が話せます。でも私は、台北生まれ台北育ちなので、台湾語をうまくしゃべれなかったので、祖父母とまともな会話ができなかったんですね。それが、私が日本語を話せるようになったことで、祖父母は「やっと孫と普通に会話ができるようになった」とすごく喜んでくれました。私も嬉しかったです。
--:たった2代違うだけで意思の疎通ができなかったんですね。そして外国語を学んだらおじいちゃん、おばあちゃんと会話できるようになったと。
シンシア:そうです。祖父が日本に来た時も、案内して一緒に高尾山に登ったりしました。
20年後のPCは“フォローワブル”に
--:20年後どのようなことをしていたいですか。
シンシア:今までたくさん働いたので、ゆっくり過ごしたいですね。さらにハイキングしたり、母のように行ったことのない国に行ってみたりしたいです。あるいは、のんびりと日本と台湾の架け橋になるような仕事をしていたいです。
--:PCは20年後どうなっていると思いますか。
シンシア:いろんな形状のものに発展していると思いますが、その1つは“フォローワブル”なものだと思います。ウェアラブルは身につけるものですよね。それって面倒だし、時計だとタイピングに邪魔だったり、メガネは曇ったりするじゃないですか。これは今年のエイプリルフールネタでASUSのサイトでやったんですが、フォローワブルと言うのは、着けるじゃなく着いてくるものです。形はロボットだったり、ドローンだったりするかもしれませんが、ユーザーが着けなくても、ユーザーの行動を把握して自動的に後を着いてくるんです。そんな世界になっているといいなあと。
--:これから社会人になる20歳の人に、どのような人生を歩むべきかメッセージをお願いします。
シンシア:人生は素晴らしいものです。人生では、たくさんの新しいものに出会います。それはいいものだったり、悪いものだったりするかもしれませんが、好奇心を持ってそれらに対応してもらいたいです。日本はすごく便利な国です。でも、そのために、前の世代が敷いてくれたレールの上を歩いていれば大丈夫という風潮になっていて、ハングリー精神が欠けてるようにも見えます。でも、ジョニーがよく言うのは、日本で成功すれば、世界で通じるということです。日本はいろんなものがそういう高いレベルにあるんです。そういったことを意識して、いろんなことに挑戦して欲しいです。でも、そういうことに気付かせるきっかけを作らないと行けないのは、私たち大人かもしれませんね。「ゆとり」と揶揄される環境を作ったのも、大人ですし。
読者プレゼント
この企画では、登場いただく方に記念品を読者プレゼントとしてご提供いただいています。シンシアさんには、「禅太郎」のぬいぐるみをご提供いただきました。ふるってご応募ください。
応募方法
応募方法:下記リンクの応募フォームに必要事項を入力して送信してください
応募締切:2016年8月19日(金) 0:00まで
※ 応募フォームの送信はSSL対応ブラウザをご利用ください。SSL非対応のブラウザではご応募できません。