山田祥平のRe:config.sys

もとはといえば2ちゃんねる

 音楽コンテンツの再生環境は、人それぞれで異なる。ステレオ/モノラル/多チャンネル、大きな音/小さな音、ヘッドフォン、イヤフォン、ラウドスピーカー、などなど物理的な再生環境ごとに、そこから得られる体験は大きく異なる。その選択肢のひとつとして注目されているのが空間オーディオだ。

アーティストはまだ半信半疑で空間オーディオ

 Amazonの空間オーディオ技術周辺が賑やかだ。これまで同社はAmazon Musicにおいて、2種類の空間オーディオをサポートしてきた。ひとつはDolby Atmos、もうひとつは、ソニーの360 Reality Audioだ。これらの立体音響技術を適用した楽曲については、スマホのAmazon Musicアプリで見ると、楽曲ごとにAtmos、360といったバッジがついていて、一般的なイヤフォン/ヘッドフォンで聴いてもその効果を得たサウンドを楽しむことができる。

 また、同社は「空間オーディオ」で聴けるおすすめのプレイリストも数多く提供しているほか、最近「空間オーディオ:J-POP」の提供も開始するなど積極的に空間オーディオを推進しようとしている。

 Dolby Atmosにしても360 Reality Audioにしても、楽曲を作る側のアーティストが自分の意志でサウンドオブジェクトを空間上に配置してエンコードし、再生時には、それを忠実にデコードし、アーティストの意図に従って音場を構成する。「このシンバルは右前方上部2時の位置」といった具合に、相対座標を指定してサウンドオブジェクトを再生空間に配置する。

 はっきりいって、この作業は大変なものだし、コストも余分にかかる。アーティストサイドによっては手をつけたがらないことも少なくないようだ。スピーカーで聴く側にとってはスイートスポットが狭いという難点もある。その一方で、熱心なアーティストもいて次第にコンテンツが充実する兆しもある。

昔の曲も空間に配置

 さらにAmazonは通常のステレオ楽曲再生時にも、空間オーディオ処理技術を使い、デジタル処理によって音の奥行きや臨場感を高め、没入感のあるサウンドを楽しめるようにするチャレンジを開始した。同社のスマートスピーカー「Echo Studio」が、この技術をサポートする最初の製品だ。各種の処理はデバイスローカルで行なう。

 今回、新色のグレーシャーホワイトの製品がこの技術をサポートして登場する。既発売のチャコール色のものとハードウェア的には同じ仕様で、既存製品についてはファームウェアのアップデートで順次対応するという。今のところ、Amazon独自の空間オーディオ処理技術を使ったサウンド再生ができるのは、この製品だけで、エンドユーザーは自分のデバイスでそのオン/オフを切り替えることができる。

 Alexaアプリを使いEcho Studioの「ステレオ空間エンハンスメント」をオンにしておくことで、再生する従来のステレオ音源が強化され、「より深みのある低音を実現して音質がさらに向上、音の奥行きや明瞭度、臨場感が向上、アーティストの意図を再現したかのような没入感のあるサウンドで音楽を楽しめる。また、周波数帯域を拡張し、よりクリアな中音とより深みのある低音を楽しめるようになり、より上質な音楽体験を提供することが可能になった」(Amazonのメディアアラートから抜粋)という。

モノラル音源が空間オーディオに豹変する時代

 冒頭に書いたように、現代の音楽コンテンツは、とにかくテクノロジーに支えられて人々に届く。さまざまな視聴環境があって、アーティストの意図通りに聴いてもらえるとは限らない。というか聴かれ方をアーティストのコントロール下におくのはすでに不可能かもしれない。

 過去においては音場プログラムをサポートするDSPによる再生をアピールするAVアンプもたくさんあった。これらはアーティストの意図とは別にプレーヤー側で音場を構成する。コンサートホール風とか、野外ライブ風とか、教会礼拝堂風サウンドといった仮想空間での音場を創り出す技術だ。

 アーティスト側の意図反映という点では、古くは疑似ステレオや1970年代の4チャンネルステレオ、1980年代のドルビーサラウンド、2010年代の3D TVなどがあったし、それが今の多チャンネル再生につながってきている。多チャンネル再生には、2個を超えるスピーカーが必要だが、それが今は両耳に装着した合計2カのヘッドフォンやイヤフォンで再生できるし、今回のEcho Studioのように、見かけは1つに見える2chスピーカーで空間を構成することができるようになった。将来的には前方にある2つのスピーカーだけで、ある程度の空間オーディオを構成できるようになるようだ。

 そのためにはオブジェクト化した音の位相をいじくって少ないスピーカー数でも空間に定位させる必要があるのだが、かつてのように位相が曲がりくねってシュワシュワした音になることもなくなりつつある。

 だから、今後、聞き手の好むと好まざるとに関わらず、日常的には空間オーディオでの再生が一般的なものになるかもしれない。これは、2chステレオ再生がオーディオ再生の当たり前になったようなイメージだ。ただ、モノラルでしか録音ができなかった時代の楽曲が、疑似ステレオどころか、空間オーディオコンテンツとして提供されることには、個人的にちょっとした抵抗感もある。これだから古い人間は、と言われるのは承知の上だ。

立体音響の未来

 最近では、空間オーディオを楽しむためにサウンドバーが人気のようで、直近でも、BOSEからDolby Atmos対応のコンパクトなサウンドバーBOSE SMART SOUNDBAR 600が登場するなど、サウンド体験を豊かにするさまざまな製品が浸透している。誰もがたくさんのスピーカーを部屋に配置して多チャンネルオーディオを楽しめるわけではない。だからコンパクトなサウンドバーが注目されたりもする。いろいろな意味で従来装置における空間オーディオというこの流れが今後どうなっていくのかが気になるところだ。

 モノラル音源をイヤフォンなどで聴くと頭の真ん中にすべての音が定位して、場合によっては頭が痛くなって長時間聴いていられない。でも、イヤフォンではなく単一のスピーカーならそうはならない。空間上に音源があるからだ。音を発生するのはひとつのスピーカーでも、そこから発せられた音は、それが置かれた空間を満たし、一種の空間オーディオ的な音場を構成するからだ。早い話が風呂場エコーで唄を歌うようなものだ。

 商業コンテンツとしてのモノラルコンテンツはすでにほぼなくなり、結果的に世の中の音楽コンテンツはそのすべてが2ch以上に多チャンネル化されている。世の中のコンテンツでモノラルを余儀なくされているのは中波AM放送くらいのもんじゃないだろうか。それとてradikoでの配信はステレオだ。つまり制作はステレオ、電波を使った放送はモノラルにダウングレードされているということだ。

 テクノロジーの進化は際限がない。将来も楽しみだ。もちろん廃れるテクノロジーもある。そんな中で、アーティストが作る音楽は、楽曲を作る才能のみならず、それをどう人々に聴かせるかを考える多くの頭脳が左右するようになった。もはや音楽を作る才能だけでは成り立たない統合芸術ビジネスになったとも考えられる。

 つまり音楽は技術が支えるコンテンツになった。コンサートとて、ほとんどの場合はPA技術がなければ成り立たない。この先の音楽、テクノロジーはどんなふうに関与していくのだろうか。空間オーディオはこのまま定着するのだろうか。