山田祥平のRe:config.sys

ハイパーリンクの憂鬱

 クリックするだけで、世界中のどこであろうがおかまいなく、インターネットを介して情報をリクエストして呼び出せる。ハイパーリンクの仕組みは本当に便利だ。その仕組みを実現するHTTPとURLの考え方は素晴らしい。世の中のドキュメントはどうあるべきなのか。

世界最初のWebページから30年

 ティム・バーナーズ=リーがWWWを発明し、世界最初のWebページが公開されたのが1990年12月20日だった。ちょうど30年たった。たった30年前の話だが、Webはずいぶん身近な存在として慣れ親しまれるようになった。昔、入門書を書いていたときに「サイト」や「ページ」、「URL」といった言葉をどのようにかみ砕こうかと悩んだのがウソみたいで、今ではすっかり一般用語になってしまった。

 そのくらいハイパーリンクが当たり前になったいま、誰かにメールでなんらかの情報の在処を知らせたいとき、どのような書き方をするだろうか。HTML形式でメールを書くのが当たり前になりつつある昨今だが、それでも情報の在処を示すURLをそのまま書き込むことが多いのではないだろうか。

 パソコンに限らず、スマホのメールアプリでも、HTML形式なのだから本文文字列にリンクを設定することができる。そもそもメールアプリの多くはテキスト形式をサポートしないものも少なくない。これはこれで賛否両論ありそうだ。

 ただ、かわされるメールの多くはURLをそのまま書き込んだものが多い。それを開けば、リンクされたテキストをクリックしたのと同じ結果が得られるのだから、それで何も困ることはない。ただ、見栄えという点ではあまりよくない。場合によってURLは異常に長いものだったりする場合もあるからだ。かといって短縮URLはちょっと踏むのに勇気がいる。

 また、SNSではどのように扱われているのか。そもそもTwitterやfacebookでは、投稿するメッセージ内にURLがリンクされた文字列を書き込むことができない。だから、URLをそのまま書き込むしかない。システム側で解釈されたURLは、メッセージ内でページのサムネールとして表示されたり、短縮URLとして表示されたりし、そのクリックでリンク先が開く。書き込みに際してはブラウザなどでページを開き、そのURLをコピーしてメールメッセージに貼りつけるという方法をとるのが一般的だ。

 URLがナマで見えるのは、そのリンク先が安全かどうか想像しやすいというメリットもある。いわゆるトロイの木馬を回避するのにも有効だ。また、コンピューターリテラシーのさほど高くない層に対して、http://から始まるアドレス文字列としてのURLという存在を知らしめるためにもずいぶん貢献してきたかもしれない。ただ、今なお、スクリーンショットの文化が横行しているのはちょっといらだたしかったりもする。

SNSメッセージとURL

 メールやSNSメッセージなどでは直書きURLが一般的だが、これが商業サイトなどのWebページとなると、URLがむき出しでそのまま記載されていることはまずない。ほとんどが、文字列や画像に対して設定されたハイパーリンクで、そのクリックで、リンク先が開く。リンクが設定されている文字列は、本文と異なる色、たとえば青色で表示されたりしていて、マウスポインターを重ねるとアンダーラインがひかれたり、ポインターの形が変わったりすることで、そこにリンクが設定されていることがわかるようになっている。

 多くのユーザーは、こうしたリンクが設定された文字列や画像をクリックするという体験に慣れているはずなのに、自分が書くメールやメッセージ中でハイパーリンクを使うことはほぼない。まあ、めんどうくさいということもあるだろうが、できることを知らないというケースもあるだろう。ユーザーが書くHTMLメールは、文字装飾さえなく、ただの文字列にすぎないことがほとんどだ。何のためのHTMLメールなのかとも思うが、人間とはそのくらい怠惰でちょうどいいのかもしれない。

未来のためのドキュメント

 さて、Webサイトのページでなければ、メールやSNSでもない、一般的な文書の場合はどうだろうか。今、多くの文書は印刷されることがなく、ほとんどの場合はパソコンの画面上で読まれる。紙に印刷された文書においては、ハイパーテキストは無力だ。リンクが設定されていても、その背後にあるURLはわからない。PDFにする場合も、作成時に注意しないとリンクがリンクとして機能しない状態で、本当に電子の「紙」になってしまう。

 紙の上のシミであっても、ナマのURLがそこに記載されていれば、スマホでそれを読み取ればリンクを開くことができる。Google Lensなどのアプリを使えばカンタンだ。人間が手入力するのは難しいような長くて複雑なURLでも、こうしたアプリを使えば、とりあえずURLはすぐに開ける。だが、リンクの設定された文字列が印刷されているのではどうすることもできない。

 Wordなどで作る一般的なビジネス文書では、このあたりが、まだまだ模索されているのではないだろうか。

 たとえば、OneNoteでは、ブラウザが開いたページ中の文字列や画像をコピーして貼りつけた場合、それが貼りつけられるとともに、貼りつけ元としてURLがいっしょに貼りつけられるようになっている。もちろんテキストのみ、画像のみの貼りつけもできるが、少なくともデフォルトの振る舞いとしては引用元のURLがいっしょに貼りつく。ハイパーリンクとして貼りつくのではなく、URLがそのまま貼りつくのが興味深いし、これはこれで便利だ。

 ちなみに文書作成に使う一般的なワープロアプリ、たとえばWordからWordへの貼りつけでは、リンクが設定された文字列が、そのままリンクされた状態で貼りつく。これはブラウザからWordへの貼りつけでも同じだ。だが、貼りつけ先がWordのようにハイパーリンクをサポートしていないアプリの場合、たとえば秀丸などのテキストエディタの場合は文字列だけが貼りつき、そこに設定されたリンク情報は捨てられる。ただ、URLが生で書き込まれていれば、そのコピー先のテキストエディタ上でハイパーリンクとして機能する。

 これから、こどもたちが1人1台のパソコンを使うようになっていく。おそらくは、さまざまな文書を自分たちで作り、教師から与えられた文書を読み、デジタルの特性を活かした電子教科書で学ぶことになる。その過程では一度も紙に印刷されない文書が少なくないはずだ。

 そんな時代に、文書はどう作成されるべきなのか。商業サイトのWebページのように、あちこちにリンクが仕掛けられたものがいいのか、それとも、URLがきちんと見えるように表示されているべきなのか。

 それにもう1つ大きな問題がある。ハイパーリンクの多くは、インターネットに接続されていないパソコンでは無力だということだ。もちろん、文書や書物内の別の位置や、ローカルにあるファイルへのリンクは有効だとしても、得られる世界が閉じているのは、安全の観点からは安心でも、限定された情報しか得られない純粋培養という観点からはそれでいいのかという想いもある。

 DXばかりが一人歩きを始めている。確かに書類をスキャンしてデジタル化するだけでも立派なDXかもしれないのだが、根本的なドキュメントのあり方を、今のうちにきちんと考えておく必要があるのではなかろうか。