山田祥平のRe:config.sys

教科書のなんちゃってデジタル化を阻止せよ

 紙に印刷されたコンテンツを、そのまま電子化するだけではデジタル化の恩恵をほんの少ししか受けられない。デジタルならではの使い勝手のよさを、子どもたちが堪能できるようにするには、そのデジタル化のポリシーを吟味する必要がある。

動きはじめた教科書のデジタル化

 今週、平井卓也内閣府特命担当大臣((マイナンバー制度)、デジタル改革担当、情報通信技術(IT)政策担当)の記者会見で、教育現場における1人1台の端末配備を前提に、教科書は原則デジタル化するべきであるという方針が明らかにされた。

 また、平井大臣は現行の教科書制度の見直しを文科省に提案したことも表明した。デジタル教科書を使用できる授業時数は、全授業時数の2分の1に満たないように制限するという告示に対して、まったくナンセンスだと思うといった発言もあった。

 平井大臣は端末が1人1台なのだからデジタルファーストは当たり前だという。端末に慣れてほしいと願うとともに、海外との共通テストなどが紙で実施されることはまずないなかで、ハンデを背負わないためにもそれが必要だとする。

 そして、教科書の中味が時代に即したものに変わっていくにもかかわらず、紙の教科書を何冊も抱えて移動するのは効率が悪いという指摘もあった。これは、コロナ禍での特例として見るのではなく、ニューノーマルとして提案しているのだという。

 この会見を視聴して、以前、「なまら重くね!?」というコラムを書いたのを思い出した。そこで、その年の夏に開催された第53回NHK杯全国高校放送コンテストのTVドキュメント部門で優勝した「なまら重くね!?」を紹介している。北海道小樽潮陵高等学校の生徒が自分たちのカバンがあまりにも重いことに疑問を投げかけるドキュメンタリー作品だ。

 あれから14年が過ぎている。当時の彼らの提案は、教科書の分冊化だったが、途方もなく長い歳月を経て、別の解が出ようとしているというわけだ。

PDFの抱える問題点

 現行の紙の教科書をデジタル化するのにもっとも簡単な方法は、そのPDF化だ。ただ、PDFは多くの場合、単なる電子の紙にすぎず、用紙サイズを決め打ちした固定レイアウトのものが多い。たとえば、A4サイズの判型の文書を紙と同じように閲覧するにはA4サイズの画面が必要になる。それでは意味がない。

 電子書籍として発行されている文字中心のコンテンツの多くはリフロー対応したものがほとんどで、どんなサイズの画面でも読みやすく表示できるようになっているが、雑誌やガイドブックなどのビジュアル要素が強いものについては、まだまだだ。

 いわゆる「なんちゃって電子書籍」がじつにたくさんある。なかには単に紙の書籍をPDFにしただけのものを堂々と電子書籍として販売しているものも見かける。それでも紙でしか得られないよりははるかにいいのだが、ちょっと憂鬱だ。

 先日、芥川賞の受賞作品を読みたくて月刊の文藝春秋のKindle版を購入したら、一部のページをのぞいてリフロー対応していたのにちょっと感動を覚えた。ぼくが知らなかっただけなのだろうけれど、このことはもっとアピールしていいんじゃないかと思う。

 AdobeはAdobeでAcrobat Readerモバイル版アプリの新機能として、「Liquid Mode」を発表した。

 このモードでは、ボタン1つでテキストや画像、表の大きさを、小さなモバイルデバイスの画面に合わせて自動的に組み直すことができる。Adobe Senseiが、見出し、段落、画像、一覧、表などのPDFの要素を把握、特定できるようになるそうだ。

 日本語対応については先になるし、まずは、モバイル版のみのようだが、将来的にはハードウェアを問わず、広く使えるようになりそうだ。

正しいデジタル化とは

 コンテンツを正しくデジタル化したり、デジタルファーストで最初から作ることが新しい当たり前として定着するのが先なのか、コンテンツリーダ側がレガシーコンテンツをリーズナブルな方法で表示するのが先なのか、今のところはわからないが、子どもたちの使う教科書こそは、理想的な方向性を見据えた上でのデジタル化を進めてほしいと思う。ただ、教科書のデジタル化は待ったなしだ。PDFの機能拡張をのんきに待っている時間はない。

 具体的にはリフローについては必須だと思う。というのも、子どもたちが持つ端末は1人1台が大前提であり、自由になるのは基本的に13型程度の1画面にすぎない。それで読みやすく表示できなければ意味がない。

 画面の横幅、あるいは、ウィンドウの横幅に応じてレイアウトがダイナミックに変わるリフロー対応と、行間、文字間隔などを調整し、学習者の視力などにも柔軟に対応できることが必要だ。フォントだって自由になったほうがいい。そうすると、教育者側は、何ページの何行目という指定ができなくて困るかもしれないが、学習者側にとってはそんなことは関係ない。

 また、画面に教科書を表示して参照しつつ、自分で別にノートアプリを開いてメモをとるようなこともあるだろう。あるいは、Webでさらなる詳細を追加で調べたりすることもある。教科書とノートやブラウザを同時に開いても、支障なく併行してコンテンツを読み進めることができるようにしておかなければならない。

 ウィンドウの横幅を決め打ちしたようなコンテンツは使いにくいだろう。理想的にはスマートフォンなどの小さな画面でも十分に快適に読み進められるようにしておく。これは教科書のデジタル化において、かなり基本的なことだと思う。

 さらに、端末が1人1台確保されたとしても、それは学校に置きっぱなしで、児童、生徒の自由にならない可能性もある。そのときに教科書はどうするのか。教科書をクラウドに置くことで、あらゆる端末から参照できるようにするのか、あるいはUSBメモリのようなメディアに入れて持ち運ぶのか、そのときの著作権はどうなるのかなど、考えなければならない要素は少なくない。