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なまら重くね!?




 教育の現場でPCを活かすには、さまざまなアプローチがある。PCそのものへのリテラシーを育むことはもちろん、カリキュラムの中で視聴覚メディアとしてPCを使い学習効果を高めたり、授業のノートをとるような日常作業にPCを使うなど、その可能性は無限だ。だが、教える側、教えられる側、双方の利害は、本当に一致しているのだろうか。大人の都合が子どもに押しつけられるようなことは起こっていないのだろうか。

●PCは教育の現場をどう変えるのか

 ICT 教育推進プログラム協議会によるイベント「Innovative Teachers Day 2006」が開催された。ICTは「情報コミュニケーション技術」の略称で、Information and Communication Technologyの頭文字をとったものだ。ITとほぼ同義と考えてよいが、コミュニケーション技術の重みが増す現状を反映した略称として、行政分野では広く使われているようだ。

 このイベントでは、セッションの1つとして、ICTを使った模擬授業が披露された。ステージ上に、高校生3名、中学生3名、小学生3名が登壇、フューチャーインスティテュート株式会社のインストラクター為田裕行氏による模擬授業を受けた。年齢の異なる3つのグループに対して、同時に授業をするのだから、教える側もたいへんだ。

 生徒、児童は、それぞれコンバーチブルタイプのタブレットPCを与えられ、まずは、それをノートPCとして使用した。

 最初の授業は、あらかじめ用意されたMicrosoft Word文書のテンプレートを元に、クイズ仕掛けのポスターを作るというものだった。タイトル、本文、写真などがあらかじめ貼り付けられていて、それらをうまくレイアウトし、装飾することで、「これは何でしょう」というクイズのポスターを作る。これは、Wordというアプリケーションそのものの使い方を身につける授業に相当する。

 引き続き、マグネシウムリボンの燃焼に関する授業も行なわれた。こちらは、燃焼の様子を動画で見せたあと、Microsoft Excelを使って、燃焼前と燃焼後の質量の変化を記録、それをグラフ化し、酸化反応の際の質量の増加の様子を見る。そして、そのグラフをOne Noteに貼り付け、ペンを使ってグラフや表にメモを書き込み学習の要点を記録する。こちらは、PCをメディアとして使い、学習の効果を高めている。

 子どもたちは、インストラクターの指示に従い、かなり鮮やかな手つきでPCを操作していた。きっと、実際の授業では、生徒ごとにスキルも異なるだろうからたいへんなのだろう。それに、スキルの高い生徒は、教師が他の生徒にかまっているあいだに、PCで内職をするようなことだってあるにちがいない。

 模擬授業後に、高校生グループの3名に話を聞くことが出来た。彼女たちの高校では、一部のクラスで、1人1台のPCが貸与され、日常の学習に活用されているという。3人のうち、1人は、母親以外、家族がそれぞれ専用のPCを持っているが、残りの2人は、自分専用のPCは自宅にはないという話だった。それでも、学校で貸与されているPCで、ほとんどの用が足りてしまうため、自宅に自分のPCがなくても特に不自由は感じないとコメントしてくれた。Wordは使うのに慣れているので、模擬授業での操作に迷うことはなかったが、OneNoteに関しては、使うのが初めてだったようで、ちょっと面食らったという。OneNoteは、アプリケーションとしては、かなり特殊な部類に入るので、これは仕方がないかもしれない。また、タブレットを使った手書きに関しても、多少抵抗があり、キーボードの方がいいともらしていた。

 彼女たちは、異口同音にPCを授業で使うのは楽しく便利だという。将来のことを考えても、PCを避けては通れない時代なのだし、今のうちからリテラシーを身につけておくのは大事なことだと口を揃える。実に大人なコメントだと思いながら、イベント会場をあとにした。

●高まる教える側の負担

 教育の現場でPCを活かすにあたっては、教える側の負担も少なくない。PCそのもののリテラシーを教える授業はともかく、その他の科目でPCを活かすには、教師そのものが相当のPCスキルを身につけていなければならない。プレゼンテーションのための資料を作らなければならないし、そのためには、動画や写真などの資料を揃える必要がある。教師全員がそんなスキルやリテラシーを持っているとは限らない。教えることに関しては優れていても、PCのユーザーとしては生徒に劣るようなスキルしかない教師だっているはずだ。

 また、教師は机間を歩きながら、個々の生徒、児童の様子を観察し、その反応を確かめながら授業を進めていく。そのためには、ワイヤレスで板書ができるタブレットPCが最適だが、その画面をプロジェクタ投影するような環境を作るのには、やはり、それなりの投資もいる。無線LAN対応のネットワークプロジェクタを使ったり、画面のミラーをもう1台のPCにネットワーク送信できるユーティリティなどを使えば簡単にできそうだが、予算も設備も限られている中で、いろいろな試行錯誤があちこちの現場で進行しているのだろう。

 このイベントの基調講演では、ICT教育推進プログラム協議会会長、独立行政法人メディア教育開発センター理事長清水康敬氏が登壇したが、その中でイギリスでの調査結果を例に、校長のICTスキルが高い場合と低い場合で、学力の差が開くことを指摘した。しかも、ICT環境が貧弱な場合、校長のICTスキルがさほど学力の差に影響することはないが、充実した環境下ではその差は顕著になるというのだ。直接教える教師以外に、その管理職の見識がいかに重要かということがわかる。

 また、清水氏は、校務の効率化と学力向上の両立を目指すことが重要だと説いた。現状では、すべての教師が1人1台のPCを使えるようにはなっていないため、個人所有のPCを学校で使ったりしていたりで、仕事と指導に使えるPCの数がまったく足りていないことを訴えた。さらに、教育の現場では、1人の子どもの個人情報が漏れただけで、その子どもが精神的に傷つく結果となるなど、その人生に大きな影響を与えかねない状況を招くことを指摘、だからこそセキュリティは重要であるとした。きっと、漏洩した情報によって、いじめが発生したり、精神的抑圧に発展するようなケースを想定しているのだろう。

 このイベントで気になったのは、教えられる側のPC環境を、教える側の管理下に置きたがっている傾向が見え隠れしているように感じた点だ。子どもの利用するアプリケーションやコンテンツ、さらには使い方そのものを、大人が決めているだけでは、子どもがその枠をはみ出すことはできないだろう。もしかしたら、そのはみ出た部分に未来の光があるかもしれないのに、それが抑制されることはないのだろうか。

●明日からでもできること

 今年の夏に開催された第53回NHK杯全国高校放送コンテストにおいて、テレビドキュメント部門で優勝した「なまら重くね!?」を見た。自分たちのカバンがあまりにも重いことに疑問を投げかけるドキュメンタリー作品だ。

 レポーター役の高校生は、毎日の通学時に運んでいるカバンの重量を量ってみる。実に、15kg。高校生の女の子が、毎日15kgものカバンを抱えて通学しているのだ。この学校では、毎日、1限から7限までの授業があるそうだが、弁当などの雑貨をとりのぞき、授業のための、教科書、参考書、ノート類だけにしてみても12kgあった。

 ドキュメンタリーは他校の生徒のカバンや、下駄箱やロッカーに教科書を置きっぱなしにする「置き勉」派のカバンも測定しながら、重さの秘密を暴露していく。

 現在使われている教科書は、カラーになり、内容も充実、また、発展的学習などの要素が含まれているため、規制緩和前の6年前に使われていた教科書に比べて分厚く、重量も増加している。同じ内容で当時の教科書をカバンに詰めれば、6kgですむというのだ。それが、今では置き勉派でも9kgというのだから驚く。

 彼らの結論は、教科書の分冊化の提案だった。たとえば、世界史に関して、この学校では2年間で分割履修するのだが、その教科書を1学期分ずつ分冊にすると5分冊になる。こうして各科目の教科書を分冊化していくと、トータルの重量は半分程度になることを、実際に、教科書をバラバラにして再製本した状態で実証してみせた。こうした展開が、スピーディーかつコミカルに映像化され、とても楽しく、そして考えさせられるドキュメンタリーに仕上がっていた。欲をいえば、高校生にとって、こうまでして自宅と学校を往復させなければならない教科書とはいったい何なのかといったところまでつっこんで欲しかったところだ。

 たとえば、学校指定の教科書や参考書、辞書などのリファレンス類がすべてデジタルコンテンツとして出版され、ノートPCにそれらを入れて持ち運び、授業のノートもPCで記録するようにすれば、彼らのカバンの重量は、弁当を入れても2kgを切るかもしれない。いや、2kgどころか、置き勉派なら、自宅のPCと学校に置いたPCをインターネット経由で同期させ、弁当だけ持参で手ぶら通学するかもしれない。そこまでやらなくても、数GBのメモリカードや、USBメモリに、これらのコンテンツは余裕で収まってしまう。

 大事なことは、明日からでもできるようなことが置き去りにされていないかということだ。教育の現場において、PCを活かすということが、教える側の都合で、偏りを起こしてはいないだろうか。中学生、高校生が、PCをそんなふうに使い始めたら、彼らが社会に出るころの世の中は確実に変わる。そして、大人になった彼らが教える側に回る頃には、教育の現場は、著しい変貌を遂げているだろう。

 変わることは怖い。そう思うから大人なのだ。でも、その大人の常識が子どもの非常識を抑制してはならない。

□ICT 教育推進プログラム協議会のホームページ
http://www.ict-consortium.jp/
□関連記事
【9月25日】【後藤】コンピュータは人間を進化させるか
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2006/0925/high43.htm

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(2006年10月27日)

[Reported by 山田祥平]


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