山田祥平のRe:config.sys

数値と数字のちがいを理解できないAIならいらない

 AIの時代だそうだ。直近のGoogle I/Oでは、Google Assistantの改善も発表され、Webサイトでのフォームに自動的に情報を入力するような機能の実装も発表された。Microsoftもインテリジェントエージェントの開発意向を表明した。とにかくどんどん便利になっていく。ところが極東のわが日本でのWebサービスのUX(ユーザー体験)は貧しいままだ。

住所の正規化さえできない入力フォーム

 Excelのようなスプレッドシートを初めて使う初心者にとっての最初の関門は、数値と数字が違うことを理解することだ。表計算ソフトなのに、どうしても縦横計算が合わないと思ったら、一部の数値が数字として入力されていたといったことがよくある。セル内で右寄せされているかどうかといった見分け方もあるが、それでも発見しにくいこともある。

 また、ずっと以前なら、数値を入れるつもりが、全角で数字を入力しているようなケースもあった。表計算ソフトは数字だけが全角で入力されたときに、それが数値入力であると判断して、半角に変換して数値としてセルに入力するようになって、こうしたアクシデントは起こらなくなったが、どうにも理不尽な思いをすることはまだたくさんある。そもそも全角と半角の違いを理解していないユーザー層も増えてきているはずだ。そもそも理解する必要などない。

 その典型が、住所の所番地を入力するUXだ。ちょっと検索すれば、いかに多くの人々が不満に思っているかがわかる。というのも、どういうわけだか、多くのWebサービスでは、住所の入力を全角に限定しているという点だ。たとえば「東京都千代田区神田神保町1-105」と入力するのはNGで「東京都千代田区神田神保町1-105」と全角で入力しなければならない。

 ご丁寧に、もし半角で入力した場合には「全角で入力してください」と警告のメッセージが出る。わかっているならおまえがやれ、といいたくなる。これ、外国人が自分のデバイスで自分の母国の住所をアルファベットで入力したいときに、いったいどうすればいいというのか。

 そもそも住所入力が全角でなければならない理由が理解できないし、百歩譲ってシステム的にそうでなければ都合が悪いのだとすれば、システム側の問題なのだから、システムそのものを改良すればいい。それが難しいのだとすれば、指摘できるくらいなのだから、自分で正規化してくれれば済む話だ。それができなかったり、そうして当然だとするのは、ソフトウェアエンジニアの怠慢か力不足だとしか思えない。

AIの活用には日本語フロントエンドプロセッサが必要

 日本語IMEなど、専用の処理系を介さなければ自国語を入力できない国の1つである日本語は、さらには横書き、縦書きという2種類のレイアウトにも対応する必要があり、そして、組み版の伝統的な技術を踏襲して、禁則などにも厳格だ。

 このことは、今後のAI対応にもいろいろとハンディキャップになる可能性がある。だが、そのハンディを克服するために、日本語の慣例を変えていくべきかというと、そこは議論があるだろう。個人的にはそうすべきではないと考えている。

 妥協というか、折衷案も試みられている。たとえば、日本語の文章につきものの、段落の頭を全角一画分落とすような慣例も、PC Watchなど一部のサイトでは踏襲しているが、今は、それを守っていないサイトも多い。全角空白は日本語1文字分であるという保証は、プロポーショナル化された日本語フォントでは保証されない。さらに、PC Watchでは、段落頭を全角一画落とすのに加えて、段落と段落の間には空行を挿入するという二段構えで機械可読性と人間の可読性を考慮している。

 いずれにしても、日本語という言語は、過去における半角カナ撲滅論争や、かな漢字変換をはじめ、あらゆるデジタルトランスフォーメーションに、大きなハンディとなってきたし、これからも同様の苦しみを味わうことになるだろう。翻訳の点でも同様だ。

 それでもわれわれはこの言語を愛しているし、日本語を日本語たらしめているさまざまな情緒に依存した面を捨てたいとは思わない。それをなんとかしてくれるのがAIのような最先端のテクノロジではないかと思う。

 そのあたりのことを、日本のソフトウェアエンジニアは、日本人としてもっと真剣に考えていいんじゃないか。それは、近い将来、日本人がAIをフル活用するためのフロントエンドプロセッサとしても役にたつはずだ。AIが人智を超えた存在になる前に、準備万端整えておかなければ、それこそ世界に大きな遅れをとってしまう。

AIがもたらす未来を堪能したい

 個人的にはAIのテクノロジが人々の暮らしを豊かにする時代の到来を、ものすごく期待しているし、楽しみにしている。

 平成のほぼ30年間は、デジタルのテクノロジが秒進分歩で進化した時代だったが、これからの令和は、それを礎にした時代となり、暮らしのさまざまな場面でさらなる進化を目の当たりにできそうだ。

 その一方で、現時点ではこのデジタルの時代を満喫できない人々もいる。たとえばクレジットカードなどを使うことでキャッシュレスの世界が到来したとして、支払いに応じてポイントがたまっても、それを使う術を持たない層もいるからだ。

 そういうポイントが期限切れになって消えていくことになる。今でも、ポイントをなんらかの景品に交換するような作業は、スマートフォンやPCを使って自力でやる必要がある。システム側から見れば、期限切れになるのはわかっているのだから、それを自動的に救済する方法だって考えられるはずだ。つまり、人に対して優しくない。

 これから世のなかのあらゆることが変わっていく。高齢化社会の到来が危惧されているが、AIやロボティックスの進化で、そこもフォローアップされることになるだろう。通勤ができなくてもちゃんと働き続けることができるようになりそうだし、買い物は商品をドローンが運んでくるようになるだろう。

 遊びは遊びで旅行が億劫になっても、自動運転のレンタカーが、公共交通機関の整備されていない地域の旅行を手助けしてくれるようになるだろう。書物がすべてデジタル化されれば、目の衰えを気にする必要もなくなる。そう言えば、Google I/Oで発表されたAndroid Qの「Live Caption」は、あらゆる音声コンテンツに字幕をつけられる機能だが、聴覚障がいを持つ方たちのみならず、理解できない外国語のコンテンツを楽しむにも役に立つ。それで自分の世界が広がるのはうれしい。きっと人生100年時代は脅威ではなくなる。

 同様の取り組みは、Google I/Oとほぼ同時に開催されたMicrosoftの開発者向けカンファレンス「Build」でも「インテリジェントエージェント」として発表されている。人間との会話ができるAIエージェントが、さまざまなサービスとのやりとりをして、人間がやりたいであろうことを実現してくれる。そうした世界では、もはやデジタルデバイドといった層は存在しなくなり、テクノロジは世界中のすべての人々を助ける存在になるはずだ。

 そのときテクノロジはトランスペアレントになる。つまり透明人間だ。特殊な存在を意識することなく想い通りのことができる世界。その世界を堪能できるように、AI未満のユーザー体験を整備しておいてほしい。使う人がなにを求めているのかをソフトウェアエンジニアが理解できなければ、AIだって育つわけがないのだから。

 そのためにも、人が人に対してもっともっと優しくなるべきだ。あのグーテンベルクが発明されたとされる活版印刷技術は時代ごとに洗練されていった。Webはもちろん、AIがもたらす世界もそうあってほしい。