特集

レッツノートにUSB PDを入れた男たち

ものづくりの神様も納得か

 2015年8月。Intel Developer Forum 2015のため、ぼくは渡米先であるサンフランシスコ市内に滞在中だった。当時、テクニカルセンター長だった谷口尚史氏(現モバイルソリューションズ事業部 開発センター長)からメールをもらい、同カンファレンスに参加している同社のエンジニアを紹介してもらった。サンフランシスコのダウンタウンでの夜、食事をしながら、いろいろとレッツノートのことを話した。

 そのとき同席した横山有一氏(当時モバイル開発 SOL開発、現開発センターハード設計1課主幹技師)によれば、ぼくは、レッツノートのUSB PowerDelivery(PD)サポートの必要性を力説したらしい。これをサポートしなくて何がモバイルかくらいのことをいったようだ。

 無責任なようだが、よく覚えていない。ただ、それが、しっかりと横山氏の頭の中に残ったらしい。この物語のスタートはこのタイミングにある。

横山有一氏(当時モバイル開発 SOL開発、現開発センターハード設計1課主幹技師)

 当時、横山氏はすでにレッツノートのPD対応に着手しようとしていた。2in1タブレットである現XZシリーズの開発が始まるか始まらないかの頃だったという。PDについて研究していくなかで、電源回路のエキスパートである中川拓(ハード開発部ハード設計2課主任技師)とソフトウェア専門の正岡哲(モバイル開発部ソフト設計1課)がこの計画に加わった。レッツノートの将来をになう先行技術を開発するミッションのメンバーだが、以降、この3名がレッツノートのPD実装を引き受けることになる。

そして翌年

 2016年8月某日。大阪・梅田にあるレッツノートステーション大阪にある会議室に呼び出された。同社マーケッターが翌年発売を予定しているレッツノートの機種を見てほしいという。あのIDFからほぼ1年後だ。

 そこで見せられたのはレッツノートXZ6のモックアップだった。翌年、つまり2017年春に発売されることになっているニューモデルであり、レッツノートとしては最初にType-C端子を実装したディスプレイ脱着型の2in1ノートだ。そこには1年前に会った横山氏も同席していた。1年ぶりの再会だ。

 そのとき見せられたXZ6は、Type-C端子を実装しているものの、残念ながらPDには非対応だった。なにしろPDコントローラが実装されていない。しかも充電用のDC-INは従来のレッツノートのものよりも径が細い。これもまた薄型化の副作用だ。それを知ったときの筆者の失望は想像に難くない。

写真は製品版のレッツノートXZ6」

 横山氏は、当時のことを振り返り、XZ6でPDをサポートできなかった事情を説明する。

横山「先行的にハードウェアの課題を検討する過程で評価用の基板を作ったりしていたのですが、XZ6の開発時点では、各社のPDコントローラにほぼ互換性がないことがわかりました。そんな中で回路設計をしたのですが、最終的に部品のボリュームが薄いXZのタブレット部分に実装するのを断念したという経緯があります」。

 XZ6のタブレット部分の厚みは9.5mm。発売当時はこの厚みのタブレットにCore i7をフルスペックで実装したことが話題になったりもした。だが、その凝縮度はほんの小さなコントローラの実装さえ阻んでしまったということになる。

XZシリーズの基板の実装位置。スカスカのように見えるが厚みに余裕がない

中川「XZ6の開発当時、仮にPDをやるとしたときに、なんらかの目標としての仕様に落とし込むことがまだ一般的ではなかったというのもありますね。だから、どうしたらお客様が満足するかを考えるしかなかった。そうすると、市場にあるACアダプタを下から全部使えるようにしたいという願いをかなえる方向になるんです。でもそれは当時の時点では難しかったのです」

中川拓氏(ハード開発部ハード設計2課主任技師)

断念をこえての次のステップへ

 こうしてPD実装の計画が本格的にスタートした。XZには入れることができなかったPDを、次機種のレッツノートSVで実装するために、3人はいったい何をしたのか。

レッツノートSV

横山「スタートしてから試作をあげたときは。チャージャーからのPDOをどう受けるかだけで考えていたのですが、最後に落とし込むタイミングで大きな方針変更をしました。じつは、電源オンのときには充電できないようにしようという話もありました。

 なぜ、そういうことになったのかというと、レッツノートSVを試作したとき、クアッドコアで初の基板ということもあり、5V/3Aで充電ができなかったからなんです。圧倒的にプロセッサの消費電力が高く、これはまずいということになりました。

 最初のコンセプトとしては、どんなアダプタを接続しても必ず充電できるようにしようということでした。ところが、充電開始と停止の切り替えには、どうしても数msかかることを正岡から告げられました」

 PDOはPower DATA Objectの頭文字をとったもので、PDのチャージャー、つまり、PDソースが、シンク、すなわち充電される側に対して、どのようなパワールールを提供できるかを示すものだ。

 多くの場合、複数のPDOがサポートされ、20V/3A、15V/3Aといったリストから、シンクは欲しいものを選ぶ。そして、その電圧をDC-DCコンバータを介してシステム電圧に変圧し、充電や本体稼働のために電力を使う。

 当然、本体が消費する電力が大きくなれば、チャージャーからバッテリにまわる電力は少なくなり、充電はストップし、最悪の場合はバッテリを消費しつつ、本体稼働のための電力として使われる。

中川「補足すると、これは理想ダイオードの問題なんです。バッテリに対して負荷をかけないように、安全に使えるようにということを考えた場合、バッテリの充電放電を超高速に切り替えると危ないのです」。

 ここで同席していた坂田厚志氏(レッツノート開発総括)が口をはさんだ。SVシリーズの開発で陣頭指揮を執るプロダクトマネージャーだ。

坂田厚志氏(レッツノート開発総括)

坂田「電源アダプタから基板に電源供給して、本体のバッテリをできるだけ使わないようにするという方法は以前にも採用したことがあります。たまたまかもしれないのですが、あるメーカーのチャージャーが、PDのプロトコルを正しくサポートしていたりしていなかったりとか、あるいは、数秒後に別のPDOを出してくるSplitPDOのようなパターンも発見しています。

 また、コイルの部分が熱くなるので大きくしたら実装設計も大変更しなければならなくなりました。これはかなりたいへんなことです。でも、もう、こういう風にいこうと決めてしまったからやるしかないと、任せることにしました」。

 SVシリーズが4コアの第8世代Coreプロセッサを搭載し、さらにThunderbolt 3をサポートすることが決定したのは2017年になってからだったという。

横山「Thunderbolt 3をサポートするというのは、SVシリーズの最初の企画にはありませんでした。最初はこの3人のチームでPD回路の試作を作っていたのですが、そこに急遽Thunderbolt 3が割り込んできました」

坂田「レッツノートは開発陣の技術に対する思いが強い製品です。開発が、企画、営業にその思いをぶつけるかたちで、製品化にこぎつけている面があります。今回のPD実装もまさにそれですね」。

横山「コントローラのベンダーをTIにしたのはThunderbolt 3との兼ね合いです。当初、別のベンダーの製品で設計をしていたのですが、組み合わせるならTIがいちばん相性がいいんじゃないかという判断をしました」。

中川「途中でコントローラベンダが変わったことで、レジスタの設定方法などが違うので、一から勉強しながらリファレンスの評価ボードを作りました」。

正岡「無理矢理ジャンパーを飛ばして2段重ねのような基板ができましたよ(笑)」。

正岡哲氏(モバイル開発部ソフト設計1課)

中川「どんな電圧で受けてもきちんと充電できるように。試作基板、電源、PDの基板を合体させたものを作るんです。とにかく充電ができる。そして、クアッドコアも動いているということも確認しながら、2階建てと別館を増設して(笑)」

SVシリーズの基板上に実装されたPDコントローラ。ちょうどうこの位置に基板がある
指先の小さなチップがTIのPDコントローラ

4コアプロセッサが要求する100W

 レッツノートのシステム電源電圧は16Vだ。ACアダプタも16Vを供給する。SVシリーズ用に新開発された純正の電源アダプタは85W。各社のノートPCが20V近辺を採用しているのに対して、多少低い電圧だ。彼らのチャレンジはこの16Vにも強く影響を受ける。

中山「TIのVbusが通っていて、外にFETを置いて電源を制御します。つまり、コントローラ自体が電源のゲートになる方式です。

 レッツノートが16Vと比較的低い電圧を使っているのは、19~20Vのような高い電圧から、システムに必要な数V台に降圧するのは効率が悪いからです。もちろん発熱も考慮しなければなりません。だからといって2回降圧するのでは無駄が多くなる。でも16Vなら1回の降圧ですみます」。

 DC-DCコンバータによる直流の変圧には必ずロスが伴う。効率が悪いパワーデバイスでは電力が80%程度に落ちてしまう。そしてその失われた電力は熱になってしまうのだ。

横山「16Vにあわせていった面もありますね。とにかくPDだけではACアダプタとの完全な代替は無理とわかっていました。なにしろ、ピークパワーが100W近くいくので、その対応がたいへんです。こうしたことを配慮すると、どうしてもAC電源アダプタは別途標準で用意する必要がありました」。

坂田「レッツノートとしてのメインをになう機種なので、CPUの性能を落とすようなことだけは避けなければなりませんでした。でも、PDだけではつらいわけです。とにかく要求仕様通りの実装が間に合わなければ搭載はなしということで作業を進めてもらいました」。

中川「PDは効率が悪いのです。仮に20Vを供給できても1Aだとだめで、3AだとOKといったような仕様を他社は採用していますが、レッツノートはDC-DC変換回路をはさんでいるので、PDチャージャーが申告する範囲内で最大の電力をひくようにしてコントロールしています」。

 こうして最終仕様がまとまってきた。横山氏には、そうとう小さなPDアダプタでも、実用レベルで使えるようにしたいという野望があった。

最終仕様決定

 そこで決まった最終仕様は次のようなものだった。


    電源オフ時
  • 接続デバイスPDO 15W以上:満充電可能
  • 接続デバイスPDO 15W未満~7.5W以上: 充電可能 ただし満充電手前で充電停止(LED橙点滅)
  • 接続デバイスPDO 7.5W未満: 充電禁止(2.5Wアダプタなど、LED消灯)

    電源オン時
  • 接続デバイスPDO 27W以上: 満充電可能
  • 接続デバイスPDO 27W未満: 充電禁止(LED消灯)

 この仕様で注目すべき点が2つある。まず、電源が入っていなければ、7.5Wというきわめて低い電力でも充電ができるという点、

 そして、充電はできなくても、電力の供給を受けられないとはひと言も書かれていない点だ。ここに横山らの執念に近いこだわりがある。

横山「緊急時に本体バッテリを少しでも減らさないようにするにはどうすればいいかを考えました。そこで、USB BC1.2をサポートし、5V/1.5Aでの給電を受けることができるようにしたのです。7.5Wはそこから出てきた値です。

 充電ができなくても電力の供給は受けられるようにしています。つまり、もらえる電力があればそれをもらうという仕様です。

 たとえば、小さなモバイルバッテリが手元にあって、それがUSB BC1.2をサポートしていればその電力を使うことができます。

 また、別のPCのUSB AポートとレッツノートSVのUSB Type-Cをケーブルで接続すれば、同様に電力の供給を受けられます。その結果、本体バッテリの消費がある程度は抑えられ、駆動時間を延ばすことができるようにしました」。

 驚いたことにレッツノートSVは、一般的なモバイルバッテリでも電力を供給できるという。逆に、大容量のPDチャージャーなら超急速に充電ができるのだろうか。

中川「今回のバッテリ充電制御では60Wから上だとあまり充電速度は変わりません。それ以下だと段違いですけれど」。

正岡「85Wがしきい値になっていて。そこまでは上げて意味があるのですが、それを超えてもとあまり変わらないということです。問題としては、2段階にPDOを出すSplit PDOに悩まされました。それが微妙で、2つ目のレポートをフックできないのです。ここは、互換性の部分の課題として大きかったですね」。

すべてはエンドユーザーのわかりやすさを優先

 PD対応は評価テストが自社内で完結しない点でもたいへんだ。彼らはUSB-IFが主催するプラグフェスタにも足を運び、さまざまなベンダーのソリューションとの互換性をテストした。

横山「片っ端から開発中の機器をつなぐんですよ。次々にやってきて、つないでチェックを繰り返します。そして、その場で問題をどんどん解決していくんです。勉強もしましたが、やはり理論と実践ではちょっとずつズレがありますから。

 コントローラについてはNDAベースの基本情報があるので、それをもとに勉強しますが、PD対応については内部で話をすることが多かったですね。その一方で、Thunderbolt 3についてはIntelさんに、いろいろ教えてもらえました」。

正岡「迷ったのはSV同士をつないだときどうするかです。結局、実際にはどうなるかわからないんです。ロールスワップが起こればいいとも考えたのですが、エンドユーザーから見たときにとてもわかりにくいですしね」。

中川「ただ、ACアダプタを装着しているSVは必ずソースになります。じゃあ、両方にACアダプタがあるとどうなるか。もちろん双方が電力を供給するといったことが起こらないようにちゃんと制御しています」。

正岡「たとえばバッテリが高容量の場合、満充電を検知することができず誤判断をしてしまう場合があります。充電時の電力が低いとそういうことが起こるんです。それでも強引に充電を続行するとバッテリの充電サイクルにも影響してきます。こうしたことを懸念してあまりにも低い電力は充電を禁止することにしました」。

横山「本音としてはiPhoneの充電器でSVを充電したかったんですよ。それはもう喧々諤々の議論をしました。無理難題なのはわかってました。でも、そこをがんばってもらって、ついに7.5Wでの充電ができるようになりました。

 USB BCでも充電できるし、仮に充電ができなくて、5V/100mAしか電力がもらえなくても、微々たるものではありますが電源は供給できる。だったら使おうということです。そこがわれわれのこだわりといえばこだわりなのだと思います」。

レッツノートにUSB PDを入れた男たち

 レッツノートのチャレンジはPD対応が最終目的ではなかった。レッツノートを少しでも長時間、モバイルPCとして使うことを考え、あらゆる手段を駆使することをエンジニアたちは考えた。彼らにとって、PDはその手段の1つにすぎなかったということだ。