笠原一輝のユビキタス情報局

米国から帰国。国内の待機施設での3日間「待機」レポート

待機所での3日間の待機初日にAmazonのネットスーパーで注文して届いた食材と飲料(コーラ1.5L×4、700ml×8本、水2L×6本、そのほかインスタント食品)

 今年(2022年)の年頭に米国ラスベガスで行なわれたCES 2022に、2年前に行なわれたCES 2020以来2年ぶりとなる対面で参加してきた。既に記事でも説明した通り、今年のCES 2022は対面とリモートの2つの側面を持ったイベントとなっており、現地で行なわれたもの、そして現地からリモートで参加したものなど、これまで20回以上参加してきた筆者にとって、CESの中でも最も忘れられない「記憶に残るCES」だった。

 CESから戻ってきた筆者を待ち受けていたのが、日本政府がCOVID-19の感染症拡大防止策として行なっている「新型コロナウイルス感染症に関する水際対策の強化に係る措置」に基づく待機期間だ。米国から日本に帰国した場合には、滞在していた州により3日間ないしは6日間の検疫所が用意する宿泊施設への待機措置、その後自宅へ移動しての自宅での待機期間を経て、自由に外出することが可能になる。

 これまでの人生で、他人にどこかに閉じ込められる、そしてどこかへ移動しないということを強制させられるのは初めての経験なだけに、どんな日々になるのか当初は不安だったものの、実際に経験してみた結論は「PCやスマートフォンなどのIT機器と高速なモバイル回線」があれば、意外と大丈夫だなというものだった。

以前はさまざまな国に簡単にいけた取材活動だったが、2020年のパンデミック後は難しくなり……

今年は対面で開催されたCES

 年頭に行なわれたCES 2022は、筆者にとって2020年1月に行なわれたCES 2020以来の海外出張となった。その年の2月に横浜の観光客船でのCOVID-19の騒ぎがあり、その後世界的に感染が拡大していき、結果的にパンデミック(世界的な疫病の広がりのこと)になっていったことは、まだ記憶に新しい。

 それから、約2年が経過し、徐々に世界は正常に向かっている、筆者も昨年(2021年)の10~11月頃まではそう思っていた。日本の首都圏でも緊急事態宣言が10月1日に解除されるなどして、海外からの帰国時での待機期間も、PCR検査で陰性になるという条件はついていたが10日に短縮され、その後、ビジネス渡航の場合には企業が行動予定などの書類を省庁に提出するなどすることに3日に短縮されるなどの動きが11月から始まった。

 本誌をよくご覧いただいている方はご存じだと思うが、筆者の仕事というのは、半導体メーカーやPCメーカーを取材し、その新しい製品やテクノロジなどについて、読者の興味に資する記事を書くというものだ。このため、海外に集中している半導体メーカーやPCメーカーの記事を書くには、自分が相手のところに出かけていって取材する必要があり、海外に渡航するということは非常に多かった。実際、2019年は1年の半分は(国内も含めて)ホテル暮らしだったぐらいだ。

 そろそろパンデミックも収束方向かと思っていたので、実は11月の末頃に1件、とある国で海外取材の予定を入れていた。筆者にとっては、この取材予定が2020年1月以来の海外渡航になる予定で、ようやく以前のような取材活動の日々が戻ってくるのかなと感じていた。

 ところが、11月の半ば頃からCOVID-19の変異株とされているオミクロン株の感染が急速に拡大し、その取材予定の国が一時的に外国人の入国を禁止したため、フライトの数時間前という劇的なタイミングで中止になってしまったのだ。このように、海外で取材するにはさまざまな困難が伴う事態が続いている。

CES 2022は対面とリモートのミックス「ハイブリッド」で開催、それに参加して帰国して待っていたのが「待機生活」

CESが開催されたラスベガスの町並み

 そうした中だが、今年のCES 2022は無事に開催され、筆者も米国に渡航して取材してきた。現地の状況などに関しては既に別の記事でお伝えしているので、そちらをご参照いただきたい。

 CES 2022も直前になって、オミクロン株の感染拡大などの影響を受けて大手企業を中心に「対面」から撤退する企業が出た。このため、展示ブースなどもやや空いているスペースが目立っていたことなどは否定できないが、そうした厳しい状況の中でも約2,300社という企業と、4万人の現地参加者を得てハイブリッド(対面+リモート)で開催できたことについて、素直に主催者であるCTAに敬意を表したい。

 そうした取材を終えて日本に帰国したのは1月中旬。その時点ではCESが行なわれたネバダ州から帰国した場合には3日間の待機場所での待機と、その後11日間(後に7日間に短縮)の自宅での待機があると知らされた上での帰国となっていた。以下のレポートは、その3日間の待機場所での待機がどうだったのかを、筆者の意見はできるだけ入れずに客観的に事実だけを書いたものだ。

 というのも、現状、COVID-19に対しての政策に対してはさまざまな議論がある。もちろん筆者も自分の意見はあるが、結局のところそれが正しいかは、事後に歴史が決めることだと筆者は思っている。そのため、後世にあの時はどうだったのかということわかるような「記録」を残しておくことに意義があるだろうと考えてこの記事を書いている。

 また、同様にこうした帰国後の隔離政策を決めている政府、省庁、それに関わる方々に対して意見をいう記事でもない。あくまで「記録」として残しておく記事となるので、価値判断は読者の皆さまご自身で行なっていただくことをお願いしたい。

 なお、例えば空港の入国審査中などに関しては写真撮影が禁止されており、そうした所の写真はもちろんないので、そうしたところはできるだけ筆者の説明でとなる。この点も合わせてご了承いただきたい。

成田空港の到着後、検疫審査、抗原検査、そして待機施設が決まるまで空港で待機、3時間以上の待ち時間

筆者が乗ったJL61は成田へ向けて着陸態勢に入る

 1月中旬、筆者が降り立ったのは成田空港だ。成田空港には3つのターミナルがあるが、筆者が降りたったのは第2ターミナル。通常の入国審査であれば、パスポートを顔認証マシンに置いて顔認証し、その後預け入れの荷物を受け取り、税関で書類を提出すれば終了だ。

 しかし、コロナ禍の日本の国際空港はそうした通常の手順では入国することができない。簡単に言うと、厚生労働省に提出する14日間の待機を行なうことなどを誓約する誓約書などの書類が整っているかの検査を受け、抗原検査(正しくは抗原定量検査だが、以下抗原検査で統一する)を受け、その後、待機場所で待機しながら、抗原検査が陰性であれば次のプロセスへ進むことになる(なお、こうした入国時の詳細に関しては別途僚誌トラベルWatchで詳細なレポートを書く予定になっているので、気になる方はぜひそちらもチェックしていただきたい)。

 抗原検査が陰性であることが確認されると、待機場所での待機が必要ない場所からの帰国である場合には入国審査、税関審査を終えると、公共交通機関以外の手段(ハイヤーや自家用車、レンタカーなど)を利用してすぐに自宅に帰宅し、14日間(1月15日に10日に短縮された)の自宅待機を行なうことになる。

 筆者はと言えば、滞在していたラスベガス市があるネバダ州が3日間の待機場所での待機という指定になっていたため、そのまま帰宅することができず、厚生労働省が手配した待機場所へバスで送られた。

 なお、筆者が帰国した時点では、ラスベガスがあるネバダ州は3日間だが、例えばロサンゼルスやサンフランシスコがあるカリフォルニア州は6日間という指定になっていた。

 ラスベガスから成田への直行便はないため、筆者もロサンゼルスで成田行きの便に乗り換えて帰国してきた。乗り換えのために空港だけに滞在していた場合には、滞在歴に入れないというのがルールなので、筆者の場合はネバダ州だけに滞在していたということになるため、3日間という決まりになる。

 滞在場所の確認は本人の自己申告に依存しているようで、筆者の場合も口答で検疫官に聞かれたのに答えただけで、それ以外に確認されることはなかった。聞かれた時に備えて、Google Mapsの履歴や旅程などなど用意していたのだが、拍子抜けだったが、それをいちいち調べていると膨大な時間がかかるということなのだろう。

 そうした検疫官の聞き取り、抗原検査、そして後述する「MySOS」というアプリをスマートフォンに導入しているかなどのチェックが終わると、待合スペースで待機に入る。その間に、抗原検査や、そして筆者のように待機施設への待機が求められる人は、どこの待機施設を割り当てられるかが決まるまでひたすら待たされる。筆者の場合は19時5分に待合スペースに到着したが、そこから呼ばれるまで3時間かかった。パスポートの裏に貼られた番号で呼ばれるのだが、その番号が呼ばれたのは22時30分を過ぎていた。

 ただ、最後まで呼ばれないのは、どうも単身の旅行者だけで、途中、家族連れの旅行者などは早めに別途呼ばれていた。おそらくだが、家族連れは一緒の宿泊施設になるように配慮されているためだと思うが、特に赤ちゃんがいる家族連れは寒い待機スペースでずっと待たされるのは気の毒に見えたので、そうした事情を配慮して特別扱いをするこという人道的な配慮をしているということではないかと見えた。

 筆者のように、見た目健康で元気が有り余っているヤツは後回しで、もう少し待ってねということだが、そうした弱き人たちに配慮するというのなら喜んで待ちましょうと思ったことを記憶している。

抗原検査で陰性になって入国、税関審査後に再び集合して、どこへいくのかわからない「ミステリーツアー」状態で待機所に

成田第二ターミナルの到着ロビー、ガンダムの頭がお出迎えしてくれた

 抗原検査で陰性であることが確認されると、ある程度の人数でまとまって入国審査、税関審査へと向かうことになる。それを無事に通過すると、見慣れた成田空港 第2ターミナルの到着ロビーに着く。

 もちろん、そのまま自宅に帰るわけではなく、検疫所の係の人が待ち構えており、先ほどパスポートの裏に貼られた番号を確認して並ばされる。なお、筆者の番号は「6xx」とのことで、以下この番号で呼ばれることになり、すっかり囚人になった気分だ。と言っても、すごく行動が制限されているというわけでもなく、係の人にトイレに行きたいと言えば行かせてくれるし、自動販売機でジュースを買いたいと言えば買わせてくれた。ただし、人と接触することは禁止なので、人がいる売店で何かを買うことはもちろんアウトだ。

待ってる間に購入した清涼飲料水、麦茶、炭酸水。翌日の14時にネットスーパーから飲食物が届くまではこの3本が頼り……。なお、普通の水に関しては待機所のコールセンターに内線電話するとペットボトルに入った水を持ってきてもらえる

 なお、待機所へ向かう前に飲み物をゲットするタイミングはこのバスを待っている間だけなので、自販機などを見つけたら係の人に許可をもらって買っておいた方がいい。その後もすぐにバスが来るわけではなく、結局到着ロビーに来てから40分ぐらいはバスを待つことになった。時間にして23時20分になってようやくバスに乗ることができた。

コチラのバスにのって待機所へ向かうが、どこにも行き先は書かれていない……。まさにミステリーツアー気分だ

 この時点になっても自分たちがどこに連れて行かれるのかは全くアナウンスがない。この時点で正直なところすっかり「ミステリーツアー」に参加している気分だった。冗談で「これで行き先は木更津にあるホテル三日月の竜宮城で、ドライバーは亀田さんだったら一生自慢できるな」とかしょーもないことをSNSにつぶやいたりしていたのだが、残念ながらドライバーは亀田さんじゃなかったし(そもそもお名前は確認していない)、成田空港のインターから乗った高速道路(東関道)を走りだしたバスは、京葉道路で曲がることもなく、そのまま東京方面へ向かっていった。

Googleマップでバスの移動しているところを表示しているところ、外環道を市川から三郷、草加、川口、戸田へと移動していった

 当初は幕張のホテルあたりかと思ったのだが、その期待も裏切られ、バスはそのまま東関道を東京へ向かっていた。「もしかしてこのまま有明方面にいってそっちのホテルか?」とか思ったのだが、バスは外環道とのインターチェンジで左にハンドルを切って、そのまま外環道へ向かった。

 この時点で既にどこへ向かうのか全く予想できなくなっていたのだが、そのまま数十分走り続けたバスは、市川、三郷、草加、川口、戸田と通過し、そのまま外環道を走り続けた。もしかして、関越に入るのかと不安がよぎったが、バスは和光インターチェンジで高速道路を降りるとドライバーさんからようやく「まもなく目的地へと到着します」というアナウンスがあった。

 その目的地は「税務大学校 和光寮」というところであることが告げられた。税務大学校というのは国税庁が設置している税務職員に必要な研修を行なう機関で、「寮」というのは税務大学校へ通うことが難しい研修生がそこに一定期間滞在して宿泊研修を行なうための施設だということだ。

 筆者を乗せたバスはそこに深夜0時40分に到着。それから待機施設への入所手続きなどがあり、それが終わって部屋に案内されたのは1時を過ぎていた。筆者の飛行機は16時45分頃にゲートに到着したので、そこから実に8時間以上がかかった計算になる。正直に言って「疲れた」以外には何も感想がなく、その日は夜食としていただいたカップラーメンを食べてすぐに寝た。

待機所での生活を豊かにするにはフードデリバリーやネットスーパーの効率の良い利用がお勧め

Amazonのネットスーパーで購入した食材

 到着したばかりの時には「ホテルじゃないのかよ」と思ったことは正直なところだが、実際に生活してみると、大きな不満はなかった。トイレとお風呂が一体になったユニットバスが用意されており、やや大きめな机もあり、仕事をするには十分な大きさだ。部屋の中で動き回ることはもちろんよい(下の階の人に騒音などで迷惑をかけない限りは)が、部屋の外に出ることは厳禁。唯一許されるのは、施設内にあるランドリーに洗濯しに行くときだけで、それも順番が回ってきた時だけという形になる。

 筆者の場合は、帰国後3日間は待機所での待機になるということはわかっていたので、その分の服は多めにスーツケースに入れていて、特に洗濯の必要もなかったので、3日間一歩も外には出なかった。なお、この待機にかかるコストは国が負担しており、食費なども含めて料金はかからない。強制的に待機させられているのだから、あたり前とも言えるが、国によっては有料の場合もあるだけに、ありがたい。

 なお、入所した時にもらった「滞在のしおり」という案内には「待機施設内の様子などをSNSや動画サイトなどに投稿することはご遠慮願います」という注意書きもあったため、施設の内部の様子がわかるような写真は今回の記事ではなしとしている。報道はこれには含まれないとは思う(当然ながら報道の自由、国民の知る権利との絡みがあるため、SNSや動画サイトなどという表現にしているのだろう)し、法的な根拠はどこにもない(だから「願います」という表現なのだろうし、帰国時に書類が提出される誓約書にも含まれていない)と考えるが、お願いを尊重して写真はなしということでご理解いただければ幸いだ。

 さて、そうした待機所での生活だが、人間にとって最も重要な食事に関しては3食配給される仕組みになっている。筆者が入っていた税務大学校 和光寮では朝8時30分、昼12時、夜18時にそれぞれ配給された。食事はドアの外に置かれ、館内放送で準備ができたと放送があるとマスクを着用して取って良いという形になっていた。

 配膳されるメニューは待機場所によって異なるようだが、税務大学校 和光寮では朝は加工パン(いわゆる菓子パン)が2つと野菜ジュース、昼は幕の内弁当的な弁当と紙パックのお茶、夜は牛丼や野菜炒め丼的な丼ものと紙パックのお茶という組み合わせだった。ただしお弁当はかなり冷えていて、電子レンジなどは部屋になかったため、温めて食べることはできなかった。

 筆者はどうしても暖かいモノが食べられないと死んじゃう族ではないため、特にこれで不満はなかったが、普段飲んでいるドリンクなどは欲しいと思ったので、ネットで注文することにした。前出の「滞在のしおり」には「デリバリーやネットショッピングのサービスは利用可」と書かれており、要するにフードデリバリーやネットスーパーで購入してものを部屋まで持ってきてもらうことは可能とされていた。ただし、以下の条件はつけられていた。

  1. 現金の決済は不可(つまり着払いは不可)で、決済はクレジットカードなどで完結させること
  2. 施設側の人員配置などの事情によりすぐに部屋にもっていけない場合があるので、生ものや温かい食事などは預かれない
  3. アルコール飲料や火気・刃物類の持ち込みは禁止されているため、施設側で内容物の確認があること

 そもそも今回の待機所では飲酒、喫煙が禁止になっていた。筆者はそもそもタバコも吸わないし、お酒も飲み会でしか飲まない程度なので、(3)は全く問題なかった。だが、普段から飲酒、喫煙が習慣になっている人にとっては辛い3日間だろうなぁと思った。そこが問題なかった筆者はラッキーだったとも言える。

 なお、帰国時の検疫官の聞き取り調査には喫煙しますか? という質問項目があった。検疫官の人に「それは喫煙しますといったら配慮してもらえるのですか?」と聞いてみると、「可能であれば」という答えが返ってきたので、ある程度は配慮されるのかもしれないが、結局のところ待機所次第ということになるので、確実ではないということだろう。いずれにせよ飲酒は禁止だと思う。また、(1)に関しても普段から、そうしているので全く問題なかった。

電子ケトルは折りたためるものをスーツケースに入れてアメリカにも持って行って使っていた
カップは重量を考えて自宅にあったプラスチックのカップをスーツケースに入れておき、アメリカの滞在中も、待機所でもケトルでわかしたお湯で温かいスープなどを飲んでいた
冷蔵庫があったのはとてもありがたかったが、コーラで一杯に。別にコカコーラの回し者ではない。余ったコーラは持って帰った

 このため、問題になったのは(2)で、例えばUber Eatsのようなフードデリバリーで温かい料理を届けてもらうのは不可ということになる。そこで、Amazonのネットスーパーで水、清涼飲料水、そして夜食用にお湯で作れるようなカップ麺やインスタントスープのようなものを購入して届けてもらうことにした。

 朝の7時ぐらいに注文したら14時過ぎには施設に届き、割とすぐに部屋に持ってきてもらえた。自分に必要な分としては3日間+1日の4日間分を注文し、余ったものは持ち帰ればいいと考えた(実際余ったのでスーツケースに入れて持って帰った)。実際、このネットスーパーに注文できたおかげで、食生活に関しては何も問題なく過ごすことができた。

毎日MySOSで健康状態、現在地申告、ビデオ通話への応答を1日に1回ないしは2回行なう必要がある

帰国時に必ずスマートフォンに導入させられるMySOSアプリ

 海外から帰国(および入国)した旅行者は、すべてMySOSという政府が委託している企業が提供する健康アプリをインストールすることが要求される(より正しく言えば帰国の時に提出する“誓約書”でそれを行なうと約束させられる)。空港で検疫を行なっている間に自分の手持ちのスマートフォンにそれをインストールしているか、そして正しく設定されているかを結構細かくチェックされる。

 そのMySOSに対応しているスマートフォン(iOS 13.5以上、Android 6以上)を持っていない場合には、空港で対応したスマートフォンを有償でレンタルする必要がある。空港で観察していると、ここのところで引っかかっている旅行者は少なくなかったので、スムーズに入国プロセスをこなすことを考えれば、あらかじめインストールしておくことや、iOSなら最新版のOSにアップデートしておくなどをしておくといいだろう。

 このMySOSアプリだが、帰国者に関しては大きくいって3つの機能があり、帰国者は毎日その情報を、アプリに入力する、あるいは応答していく必要がある。

  1. 1日1回の健康状態報告(発熱があるか、健康状態に問題がないかを答える)
  2. 1日2回程度の現在地報告(隔離初日に設定した待機場所登録から離れていないか、スマートフォンの位置情報を送信する)
  3. 1日2回かかってくるビデオ通話に動画付きで応答する

 (1)に関しては、いわゆる問診機能で、毎日体温を計測し、平熱であれば「いいえ」というボタンを押し、健康状態に関する問いも特に問題がなければ「いいえ」を押すだけでいい。3日間の待機中には、施設側から体温計が貸し出される。特にそういうことは気にしないという人はそれでいいかもしれないが、ほかの人が使った体温計を使うのは抵抗があるなどの人は、自前の体温計をもっておいておくといいだろう。筆者の場合は、イベント取材などの時に毎日体温を申告する必要がある場合があるので、体温計は日々持ち歩いている。

UT-201BLE、体温の記録をクラウドに残せるので便利

 そしてマニュアルで記録するのは面倒なので、エー・アンド・デイ(A&D)のUT-201BLEというBluetoothでデータをスマートフォンに遅れる体温計を使っている。記録はスマートフォンに残るし、アプリはクラウド側にデータを残してくれるので、スマートフォンを買い換えても過去のデータを見ることもできる。今は新しい製品「UT-201BLE Plus」に切り替わっているが、基本的な機能は同じだ。これらも、こうした状況は続き、体温を報告するということはありそうなので、筆者のように対面イベントに参加する機会が多いビジネスパーソンなどは検討してみてもいいかもしれない。

 なお、筆者が待機場所として連れて行かれた税務大学校 和光寮にも毎日独自の問診システムがあり、スマートフォンでWebサイトを開きそこに体温などの健康状態を答える必要があった。待機所での3日間はこちらにも答える必要があった。どちらか1つ十分ではないかとは思ったが、管轄が違うということなのかもしれないが、なぜ2つあるのかということに筆者は答えを見いだせなかった……。

MySOSの現在地報告の通知、これが来たらメイン画面から現在地報告を押すと報告される

 (2)に関しては1日2回程度、アプリに「現在地報告ボタンで現在地をご報告ください」というアプリの通知がくる。これが来たらアプリの「現在地を報告」というボタンを押すと、スマートフォンの位置情報がセンターに送信される形になる。このため(空港で設定されるが)位置情報機能は常時オンにしておくことが求められる。

 なお、待機所なり、自宅なりについたあとは「待機場所」申請のボタンを押して、待機場所をシステムに通知しておく必要がある。それにより、待機者がどこで待機しているのかをシステム側が把握し、そこから大きく場所が外れていれば、待機者が移動しているとシステムが判断する仕組みのようだ。

このようにビデオ通話がかかってくるので応答する

 (3)に関しては1日に2回、センターからビデオ通話がかかってくる。スマートフォンの前面カメラを利用して自分を背景が映り込むようにして30秒間、そのビデオ通話に応答する必要がある。応答する必要があるといっても、向こう側はAIでただ録画しているだけなので、ただじっとしているだけでいい。

 なお、このビデオ通話は、毎日だいたい同じ時間にかかってくる。履歴を調べたら筆者の場合、朝は9時~10時30分の1時間半の間のどこか、夕方は15時50分~18時10分の間のどこかという形でかかってきていた。逆に言うと、お昼に関しては全くかかってこず、ある程度はこの時間にかかってくるだろうなという時間に待ち構えていれば撮り損ねる可能性は低い。

 それが居場所確認として意味があるかどうかに関しては分からないが、少なくとも利用者の目線で言えばその時間に備えれば大丈夫ということは言える。

厚生労働省によって移動させられているのにアプリが「戻れ」と言ってくるのに途方に暮れる

検疫所の指示で成田空港に戻るバスに乗っているのに容赦なくかかってくるビデオでの居場所確認

 MySOSアプリを利用してみて、利用者の目線で見て2つの課題があると感じた。1つは3日間の待機所での待機を終えて自宅へ移動する時にも、このMySOSアプリによる居場所確認が行なわれるという点、もう1つが今回待機中に待機期間が14日から10日に短縮されたのだが、このMySOSアプリがシステム的にその待機期間を変更できないという2点だ。

 前者に関しては、筆者は3日目の16時に待機場所(埼玉県和光市)からバスに乗り込んで成田空港へと、自分の意思ではなく、検疫所の指示で戻っていた(なお、待機所から直接自分の自宅などに戻ることは許されない、必ず成田空港まで戻されて解散となる)のだが、その間にMySOSアプリのビデオ通話がかかってきた。

 仕方ないので出てみると、今度は「待機場所から離れています、戻れ」という指示が飛んできた。率直に言って「どうしたらいいんだよ」と、「そして僕は途方に暮れる」しかなかった。要するにMySOSのアプリが、厚生労働省側のシステムがデジタル的にそうした情報を持っていないか、あるいはMySOSのシステムがMySOSにアクセスできないという理由のどちらかで、旅行者が待機施設から自宅への移動中という情報を把握できていないのだろう。

 この件に関して帰国時にもらったMySOSへの問い合わせ先にメールして見たところ、「My SOSアプリについてご心配、ご不便お掛け致しました。この件で不利益が被ることは一切ありません。ご安心ください。ご状況は理解しました。メールにてご連絡があった旨、記録に残させていただきます」という返答を頂いた。要するにシステムとしてそれができないことは向こうも認識しているので、そうなっても問題がないという運営側の認識ということだ。

 しかし、利用者としては、こういう対応だと「何か不利益があるのでは」と不安になって当然だろう。従って同じような状況になった場合には、それはこちらの過失ではないという記録を残す意味でも、問い合わせた方がいいと思う。メールでも割と丁寧に対応してもらえるので、それはとても悪くないと感じた。

全員一律に成田空港へバスで戻される。そこで解散になる
その後誰もチェックしていないので、やろうすれば普通の電車で帰ることも可能だが、それは制約違反となる
成田から京成上野駅までは京成トラベルサービスが行なっている帰国者専用のスカイライナー車両(先頭車両が一般客は入れず、帰国者専用となっている)「KEISEI SMART ACCESS」を利用した。京成上野駅からは家族に自家用車で迎えに来てもらい帰宅した(ハイヤーなり自家用車なりに京成上野駅まで迎えに来てもらう必要がある)。4,500円と通常のスカイライナーよりは割高だが、成田から東京都内までハイヤーを利用するよりはるかに低コストで済んだ

 もう1つの問題である後者に関しては、今回筆者が帰国した後の1月15日午前0時から、待機所+自宅での待機期間がそれまでの14日間から10日間に短縮された。ところが、MySOSに表示されている待機期間の最終日の日付は1月15日を過ぎても一向に変わらない。おかしいなと思ってやはり問い合わせてみたところ「11日目から、MySOSアプリをアンインストールしていただいて構いません。なお、MySOSの待機終了日はシステム設定上変更されません」という返答を頂いた。

 要するに、MySOSのアプリ(およびそのバックエンドで動いているクラウドのサーバーアプリ)には、そうした待機日数をシステム全体のパラメーターとして途中で変更する機能はないということなのだろう。

 確かに現在地確認の通知は11日目以降も送られてきたので、アプリとしては筆者がまだ待機期間中と認識しているようだった(その後、指示通りにアンインストールした)。逆に言うと、このアプリを使っている場合には、仮に10日間の自主待機期間中に入国して、それを14日に伸ばそうとなっても対応できないということになる。この点はやはりシステム側を改良するなどして対応するのがしかるべきなのではないだろうかと感じた。

アプリ上の待機期間の表示は変わらないという“仕様”だと通知が送られてきた

 なお、この件は当初は何もアナウンスがなかったが、後にMySOSの通知機能で、そういう“仕様”ということが利用者に対して通知されたことは付け加えて起きたい。

自宅にいるのとあまり変わらず過ごせた待機期間

アメリカのホテルでの仕事環境。このほかにスマートフォンとタブレット(iPad)を持って歩いており、どこでも家にいるとの同じようなIT環境をモバイルにしている

 この待機中の3日間何をやっていたのかというと、シンプルに言えば自宅にいたときと同じようなことだ。PCを使ってリモート取材して原稿を書いたり、Slackで仕事の打ち合わせをしたり、メールに返事を書いたりという、筆者の仕事で言うところの通常業務をこなしていたという形になる。また、仕事するのに飽きたら(原稿をお待たせしていた編集者の方ごめんなさい!)、Kindleで電子書籍を読み、Amazon PrimeやYouTubeなどで動画を見ていた。

 そうしたことができていたのは、自宅で使っているものとほぼ同じIT機器を、出張にも持っていっているからだ。筆者がメインの仕事環境にしているのは第11世代Coreを搭載した14型ディスプレイのノートPC(VAIO Z)で、自宅にいるときにはそれに49型5Kディスプレイに接続して利用しているのだが、出張時にはノートPCだけを切り離して持っていっている。

 さらにバックアップPC(メインマシンが壊れたときにすぐに乗り換えて利用するノートPC)として今回の出張からSurface Pro 8(13型のタブレット)を導入しており、セカンダリディスプレイとして活用している。いざという時(メインマシンが壊れた時)には、スーツケースに入れてある「Surface Pro Signature キーボード」をドッキングさせてメインPCに昇格させて使う、そうした運用になっている。しかし、メインマシンが壊れていない限りは、ホテルの部屋などに置いておいてセカンダリディスプレイとして使うので、出張先での生産性向上にも大きく寄与してくれている。

 また、普段から筆者はさまざまなモノをデジタルに置き換えるようにしている。例えば本や雑誌はデジタルで以外は買わないと決めており、持っていた紙の本やマンガなどはデジタルで買い直して、紙は処分した。動画などの映像コンテンツも同様で、既にDVDやBDなどは処分して、すべてデジタルにしている。最近はAmazon Primeのような定額制の動画サービスも非常に充実しており、既にそれで十分になっているし、仮に定額制に含まれないコンテンツであれば、DVDやBDを買うのではなくAmazonの動画配信サービスなどで購入するようにしている。

 また、コミュニケーションも多くがデジタルになっている。友人とのコミュニケーションはSNSが中心で、国内の友人とは主にFacebookで、国外の知り合いとはLinkedInでという形になっている。また仕事のやりとりは電子メールや、Facebook Messenngerでやりとりが多いし、Slackなどのツールでやりとりする場合も多い。つまり、コミュニケーションもほぼデジタルになっている。それが何の苦もなく3日間過ごせた大きな要因だと自己分析した。

 ただし、それらを実践するには、高速で無制限なモバイルインターネット回線が必須だ。今回3日間待機になった待機所では、入所した日にWi-Fiルーターを貸し出してくれた。ルーターはau/KDDIの「Galaxy 5G Mobile Wi-Fi SCR01」で、au/KDDIの回線が利用できる。回線契約はモバイルルータープラン 5Gで、au回線を使わない設定(スタンダードモード)で利用する限りはデータ容量制限がないデータ回線になる。今回筆者が待機になった税務大学校 和光寮はホテルではないため、Wi-Fiのアクセスポイントなどが用意されていないためこうした配慮がされているのだと、とてもありがたかったが、筆者は特に使わなかった。

 というのも、元々NTTドコモの5Gデータプラン(5Gギガホプレミア)を契約しており、そもそもデータ容量無制限で利用できるからだ(厳密に言うと、「大容量のデータを使うと制限がかかる場合がある」というただし書きがあるが、今の所はまだかかったことがない)。結局、そうした大容量のデータを使える回線があれば、特に家であろうと待機所であろうと、あるいは日本国内の出張先であろうが快適に過ごすことが可能だ。

 その意味では必要なPCなどの機器を常に持って歩き、大容量のデータ通信が可能なモバイル回線を確保しておくこと、これこそが今どんな環境であろうとも生き抜く上で一番重要なのかも……というIT媒体っぽい結論を持って、待機生活レポート記事のまとめとしたい。