福田昭のセミコン業界最前線

東芝からSK Hynixに不正流出したNANDフラッシュ技術

 2014年3月14日に新聞やテレビなどの大手報道機関は、東芝のNANDフラッシュメモリに関する研究データ(機密情報)を韓国の大手メモリメーカーであるSK Hynixに提供した不正競争防止法違反(営業秘密開示)の容疑で、元技術者を警視庁が13日に逮捕したと報じた。元技術者(S容疑者)は、東芝とNANDフラッシュメモリの共同開発で提携してきた米SanDiskの日本法人に勤務していた。

 この事件について比較的詳しく報じている3月14日付けの読売新聞オンライン版によると、S容疑者は2007年4月から2008年5月にかけて、東芝四日市工場の管理サーバーに保存されていたNANDフラッシュメモリの研究データをUSBメモリに無断でコピーして持ち出し、2008年7月に転職したSK Hynix(当時はHynix Semicondcutor)に、持ち出した研究データを提供したとされる。

NANDフラッシュメモリの研究データが不正に流出した構図。東芝の四日市工場で東芝とSanDiskの技術者が共同開発に携わっており、両社の技術者が研究データにアクセスできた。2007年~2008年にSanDisk日本法人の技術者(当時)が研究データを無断でコピーし、2008年7月に競合企業である韓国のSK Hynix(当時はHynix Semiconductor)に転職し、研究データを不正に提供した

 2007年~2008年とは、すなわち、現在から6年~7年ほど以前のことだ。当時の状況を少し振り返ってみよう。

 東芝と米SanDiskは1999年7月にNANDフラッシュメモリと同メモリ用コントローラの共同開発で包括的な提携関係を結んで以降、現在までにわたって提携関係を維持してきた。両社によるNANDフラッシュメモリの共同開発拠点と量産拠点を兼ねるのが東芝の四日市工場である。同工場には米SanDiskの技術者と同社日本法人の技術者が数多く駐在してきた。2007年末時点における四日市工場の従業員数はおよそ3,500名。SanDisk(日本法人を含む)から四日市工場に駐在している技術者の数は、東芝の2011年7月発表資料によると300名を超える(2007年末時点の駐在者数は不明)。

 四日市工場に勤務している東芝の技術者とSanDiskの技術者はいずれも、研究データにアクセスできる状態になっていた。東芝とSanDiskの共同開発チームは、NANDフラッシュメモリの技術開発ではSamsung Electronicsと並ぶトップランナーであり、競合他社から見ると、研究データの価値は内容によっては極めて高いと推測される。特に四日市工場の場合は開発拠点と量産拠点の両方を兼ねており、開発に関連するデータと量産に関連するデータの両方を入手できた可能性がある。

 一方、SK Hynixは、2007年末時点では前身のHynix Semiconductor(ハイニックス半導体)として主にDRAMとNANDフラッシュメモリを開発、製造していた。同社は半導体メーカーのHyundai Electronics Industries(現代電子産業)とLG Semicon(LG半導体)が合併して2001年に誕生した、独立系の半導体メーカーである。2012年2月に韓国の通信会社SK Telecomが筆頭株主になったことで、社名をSK Hynixに変更するとともにSK財閥のグループ企業となった

 2008年4月に発行されたHynixの2007年版年次報告書によると、2007年のNANDフラッシュメモリ市場における金額別占有率はトップがSamsung Electronics(42%)、2位が東芝(28%)、3位がHynix(17%)という位置付けだった。同レポートのCEOによるメッセージには「2007年に大手NANDフラッシュメモリ企業との格差(gap)をHynixは縮めた」との記述がある。言い換えるとHynixは、Samsungおよび東芝とは格差があったと認めていることになる。

 HynixはNANDフラッシュの2強であるSamsung、東芝との技術格差を埋めるべく、追いつきに必死だった。2000年代前半は、NORフラッシュメモリの大手メーカーであるSTMicroelectronicsと共同でHynixは大容量NANDフラッシュ技術の開発を進めていた。2006年2月には半導体技術の開発成果を披露する業界最大の国際学会ISSCCで、共同開発の成果である4GbitのNANDフラッシュメモリを発表している。これに対してSamsungと東芝は前年(2005年2月)のISSCCで2倍の記憶容量を有するる8GbitのNANDフラッシュメモリをそれぞれ発表していた。当時、技術格差の存在は明らかだったと言えよう。

SK HynixにおけるNANDフラッシュメモリの歴史。2000年代前半は、NORフラッシュメモリの大手メーカーであるSTMicroelectronicsと共同開発チームを形成していた

不正流出が起こったタイミング

 Hynixは2007年3月に、東芝およびSanDiskと半導体の特許に関するクロスライセンス契約を結んだ。東芝とHynixは1996年に、東芝が所有するDRAM特許とフラッシュメモリ特許をHynixが使用するライセンス契約を結んでいた。この契約は2002年に期限を迎えたので、東芝は再契約についてHynixと交渉してきた。しかし交渉がまとまらない状態で、HynixはDRAMとNANDフラッシュメモリの生産と販売を継続した。

 このため、東芝は2004年11月に特許侵害でHynixの日本法人を東京地方裁判所に提訴するとともに、Hynixの米国法人を米国ダラスの連邦裁判所に提訴した。2006年3月には東京地方裁判所がHynix製フラッシュメモリの国内輸入と販売を差し止める判決を下している。このような法廷闘争の結果、2007年3月に東芝とHynixは和解した

 今回の事件では、和解の直後に東芝の研究データが不正に複製されたことになる。研究データの持ち出しがS容疑者の単独行為なのか、あるいは持ち出しにHynixが関与していたのか。現時点では不明である。今後の捜査の進展を待たなければならない。

SK HynixにおけるNANDフラッシュメモリの歴史(続き)。2007年3月に東芝、SanDiskとそれぞれ、半導体特許に関するクロスライセンス契約を結んだ

不正に持ち出されたデータが与えた影響

 それでは、不正流出した研究データはHynixのNANDフラッシュ開発に影響を与えたのだろうか。それを知るための手がかりとして、先ほど述べた国際学会ISSCCにおけるNANDフラッシュメモリ開発企業各社の発表を2001年以降で調べてみた。

 NANDフラッシュメモリの開発目標を単純化すると、高密度化と大容量化になる。粗く言ってしまうと、記憶容量の大きなシリコンダイをISSCCで発表した企業が、高い技術力を備えていると見なせる。例えばSamsungは、2001年と2002年のISSCCに1GbitのNANDフラッシュメモリを、東芝は2002年のISSCCに同じく1GbitのNANDフラッシュメモリを発表している。いずれも、シリコンダイレベルでは過去最高の記憶容量である。

 2005年のISSCCでは、記憶容量が8GbitのNANDフラッシュメモリを東芝とSamsungがそれぞれ発表している。いずれも過去最大を塗り変える記憶容量である。翌年の2006年には、東芝とSanDiskの共同開発チームが製造技術を微細化した(シリコンダイ面積を小さくした)第2世代の8Gbit NANDフラッシュメモリを発表している。

 この2006年のISSCCでは、HynixとSTMicroelectronicsの共同開発チームが4GbitのNANDフラッシュメモリを発表した。この発表論文における製造技術と記憶容量の水準は、トップ2強(東芝とSamsung)に比べると約2年ほど、遅れがあったように見える。そして2008年のISSCCでは、東芝とSanDiskの共同開発チームがNANDフラッシュメモリの最大容量を16Gbitに拡大した。

 変化があったのは2009年のISSCCである。この年、Micron TechnologyとIntelの共同開発チーム(以降は「Micronグループ」と表記)、東芝とSanDiskの共同開発チーム(以降は「東芝グループ」と表記)がそれぞれ、NANDフラッシュの最大容量を更新する32Gbitのシリコンダイを発表した。加えてHynixも、両社にならぶ32GbitのNANDフラッシュメモリを発表したのである。最大容量ではトップクラスに並んだのだ。

 Hynixの発表は単独発表であり、共同開発で提携しているNumonyx(STMicroelectronicsとIntelのフラッシュメモリ合弁企業)は発表論文の著者に加わっていない。また当時としては最先端の多値メモリ技術(1個のメモリセルの2bit以上のデータを記憶させる技術)である、3bit/セル技術(TLC技術)を採用していた。ただし製造技術は48nmのCMOSで、Micronグループの34nm CMOS、東芝グループの35nm CMOSに比べると約1世代、緩い微細化となっている。

 なお東芝グループは4bit/セル技術による64GbitのNANDフラッシュメモリを2009年のISSCCに発表しているが、シリコンダイがかなり大きく、そのままでは製品化は難しいと見なされていた。このため製品化を前提とした大容量化競走の記録からは外すことにした。4bit/セル技術のNANDフラッシュメモリは東芝では現在まで、製品化されていない。

SK HynixにおけるNANDフラッシュメモリの歴史(続き)。32Gbitと大容量のシリコンダイを試作し、2009年2月に国際学会ISSCCで発表した

 続く2010年のISSCCでHynixは、製造技術を微細化するとともに、多値化技術を2bit/セル技術(MLC技術)に緩めた第2世代の32Gbitシリコンダイを発表した。製造技術は32nmのCMOS技術。同じISSCCで大容量NANDフラッシュメモリを発表したのはSamsungとMicronグループで、それぞれ32nmのCMOS技術、34nmのCMOS技術によって32Gbitのシリコンダイを実現していた。この段階では、NANDフラッシュメモリの技術開発でHynixはトップグループにほぼ並んだように見えた。

SK HynixにおけるNANDフラッシュメモリの歴史(続き)。32Gbitの第2世代品と第3世代品を開発し、それぞれ2010年と2011年の国際学会ISSCCで発表した

 しかしその後は、大容量化でHynixはやや遅れをとるようになる。2011年のISSCCでは、東芝グループとSamsungがそれぞれ64Gbitのシリコンダイを発表したのに対し、Hynixは32Gbitと前年と同じ記憶容量で製造技術を微細化したシリコンダイを発表した。

 翌年である2012年のISSCCでは、東芝グループが128Gbitとさらに大容量のNANDフラッシュメモリを発表した。続くの2013年にはMicronグループが同じ容量である128Gbitのシリコンダイを発表する。この間、Hynixは2010年8月に64Gbit NANDフラッシュメモリの量産開始をアナウンスしたものの、翌年(2011年)2月に開催されたISSCCの発表は32Gbit品に留まったHynixが64GbitのNANDフラッシュメモリを発表したのは今年(2014年)2月に開催されたISSCCである。大容量化で再び遅れてしまった感があるのは否めない。

国際学会ISSCCで発表された大容量NANDフラッシュメモリの記憶容量の推移(2001年~2014年)。ISSCCの発表論文を元に筆者がまとめたもの
SK HynixにおけるNANDフラッシュメモリの歴史(続き)

 まとめると、SK HynixのNANDフラッシュメモリ技術は2006年ころには明らかに、Samsungと東芝に対して遅れをとっていた。その技術格差は2009年~2010年に急速に縮まった。しかし2012年以降は、再び技術格差が開いた。2009年に技術格差を急速に縮められた理由は定かではないが、東芝から不正流出した技術情報が背後に存在していたことは否定できない。

 当然ながら、不正に流出したとされる研究データだけで、技術格差を埋めることは難しい。有能な技術者を積極的に中途採用したということも技術力の向上には寄与していたはずだ。例えば、東芝で大容量NANDフラッシュメモリの研究開発に携わっていた著名な技術者が、2000年代にはMicronに在籍しており、さらにHynixに転職したことは、フラッシュメモリ業界では良く知られている。

東芝から不正に流出した技術データの中身

 それでは、東芝から不正に流出したとされる研究データとは、どのような内容なのだろうか。まず考えられるのは、製造ノウハウに関するデータである。量産中の最先端シリコンに関するデータとしては、当時の最先端プロセスである56nmプロセスに関するデータが候補に挙がる。研究開発段階のデータとしては、43nmプロセスと35nmプロセスに関するデータが考えられる。

2007年末当時の東芝四日市工場の状況。東芝の発表資料を元に、筆者が推測したもの

 また1個のメモリセルに複数のbitを記憶させる「多値メモリ技術」に関するノウハウも貴重だ。東芝グループの多値メモリ技術は世界のトップを走り続けている。特に3bit/セル技術と4bit/セル技術は、価値が高いと推測される。

 2014年3月14日にNHKニュースは、東芝から不正に持ち出されたのは絶縁膜の材料に関するデータだと報じた。NANDフラッシュメモリの絶縁膜材料に関するデータは製造ノウハウ(特に信頼性)に直結しており、きわめて重要な技術である。例えば、ゲート絶縁膜(トンネル絶縁膜)、インターポリ絶縁膜(浮遊ゲートと制御ゲートの間にある絶縁膜)、素子分離絶縁膜(隣接するメモリセルを電気的に分離する絶縁膜)の品質は、メモリの性能を大きく左右する。SK Hynixがこれらのデータに高値を付けたとしても、不思議ではない。

 1980年代後半から1990年代前半にかけて、日本のDRAM技術が韓国に流出していると日本のDRAM業界で騒がれたことがあった。1980年代後半の時点で日本のDRAM技術は世界の最先端を突っ走っており、韓国の半導体メモリメーカー、特にSamsung Electronicsは追いつきに必死だった。少なくない日本のDRAM技術者が週末の休日を利用して韓国に出かけ、製造技術や設計技術、テスト技術などを韓国企業に伝えた、とされる。ある国内DRAMメーカーでは、対抗策として技術者のパスポートから渡航履歴をチェックする態勢を敷いた、という噂が流れたりもした。

 今回の不正流出はおよそ7年前のことだが、DRAMで起こったことがNANDフラッシュで繰り返されたとの不安は残る。今回の事件が氷山の一角ではないことを期待したい。

(福田 昭)