福田昭のセミコン業界最前線

逆襲のSK Hynix



 DRAMの大手メーカーが存在する国は現在、3つしかない。韓国、日本、米国である。大手DRAMメーカーそのものが経営再建中のエルピーダメモリを含めて4社しかないのだから、当然とも言える。その3つの国々の中で唯一、複数の大手DRAMメーカーが生き残っているのが韓国である。それもトップとナンバーツーの両方が、韓国企業なのだ。

 トップのSamsung Electronics(サムスン電子)は半導体業界で売上高世界第2位の巨大半導体企業であり、TVやスマートフォン、メディアタブレットなどでも世界でトップあるいはトップクラスのメーカーであることから、日本でも「Samsung」の知名度は高い。

 これに対してナンバーツーのSK Hynix(エスケーハイニックス)の日本における知名度は、あまり高いとは言えない。SK Hynixの社名は昨年(2011年)には、Hynix Semiconductor(ハイニックス半導体)だった。半導体専業であることから、地元の韓国でも一般社会における知名度はそれほど高くない。それが昨年秋に韓国の大手移動体通信企業SK TelecomがHynix Semiconductorの最大株主となり、韓国四大財閥の1つであるSKグループに入ることが決定したことで、韓国におけるHynixの知名度は一気に高まった。そして今年(2012年)の2月には、社名をSK Hynixに変更した。

 SK Hynixになったことで韓国の一般社会における知名度は高まったものの、日本におけるSK Hynixの知名度はそれほど高まったようには見えない。SK Telecomは日本だとNTTドコモに相当する著名企業で、韓国ではその名前を知らない社会人はほぼ皆無だと思われる。ただしNTTドコモの知名度が海外では日本よりも低いように、SK Telecomは日本を含めた海外ではあまり名前を知られていない。

●日米半導体摩擦を追い風に事業を拡大

 一転して半導体メモリの開発者コミュニティでは、SK Hynixには「古強者(ふるつわもの)」との印象がある。さまざまな変転を経て、ここまで生き残ってきたDRAMメーカーだからだ。

 SK Hynixの歴史は短くない。その前身にまで遡ると、約40年に達する。1982年3月に設立された「Hyundai Electronics Industries」が、SK Hynixの始まりと言える。当時、Samsungと並ぶ韓国財閥だったHyundai(現代)グループがエレクトロニクスへ進出するための足掛かりとして選んだのが半導体、特にDRAMであり、そのために設立したのが現代電子産業だった。

 1980年代後半~1990年代前半に、現代電子産業はDRAM事業を順調に拡大させていった。日米半導体貿易摩擦による日米半導体協定により、日本製DRAMには最低価格が課された。韓国製DRAMは最低価格の制限がなく、低い価格を武器に米国、欧州、アジアで販売を急拡大した。現代電子産業は1995年には米国法人を設立し、1996年には韓国の証券取引市場に上場する。

●アジア通貨危機と半導体不況で壊滅の危機に

 しかし1990年代後半のアジア通貨危機と半導体不況が、現代電子産業を含めた韓国の半導体産業を壊滅の危機に陥れる。当時の韓国にはDRAM事業を中心とする企業が3社あった。サムスン財閥グループのSamsung Electronics、LG(ラッキー・ゴールドスター)財閥グループのLG Semicon、そして現代電子産業である。いずれも半導体事業で巨額の損失を計上していた。

 LG半導体は、1969年にLG財閥の金星(ゴールドスター)の子会社として設立された金星電子が発端とされる。金星電子は米国の半導体メーカーであるNational Semiconductor(NS)との合弁企業で、NSの技術供与によってトランジスタ製品を組み立てて海外へ輸出していた。しかし1973年のオイルショックによって経営が急速に悪化し、合弁は解消された。その後、1985年に金星は米AT&Tと合弁で金星半導体を設立した。金星半導体は通信、家電、メモリの3つの製品部門で構成されていた。この中で通信と家電は金星社と日立製作所が提携した1989年に分社され、金星半導体はメモリ専業メーカーとなった。これがLG Semiconとなる。

 アジア通貨危機によって韓国の財閥グループは、重複する事業を整理・統合する必要に迫られた。その中で誕生したのが、現代電子産業とLG半導体を統合した「Hynix Semiconductor」である。

SK Hynixに関する主な出来事(1983年~2001年)

●順風でなかったHynix Semiconductorの旅立ち

 「Hynix Semiconductor」が誕生し、業務を開始するのは2000年から2001年にかけてである。奇しくも、エルピーダメモリが誕生した時期と一致する。誕生の経緯も似ている。両社とも、巨額赤字となったDRAM事業を統合する形で誕生した。

 NECと日立製作所のDRAM統合会社(NEC日立メモリ)が社名をエルピーダメモリに変えたのは2001年9月のことである。現代電子産業とLG半導体の統合企業が社名を「Hynix Semiconductor」変えたのは、ほぼ同じ時期で、2001年3月のことだ。

 Hynix Semiconductorは、Hyundaiグループから分離独立するとともに、事業を救済した銀行債権団を最大株主とする半導体メモリ専業メーカーとして再出発した。銀行債権団の管理下で事業再建を目指す企業となったのだ。当時の現代電子産業は半導体以外のエレクトロニクス事業も手掛けていたので、それらの非半導体事業を切り離し、さらには半導体でも非メモリ事業を切り離した。

 しかしHynix Semiconductorの旅立ちは順風ではなかった。まず銀行債権団は、DRAM事業を継続させる意思があまり強くなかった。米国のDRAM専業メーカー、Micron Technologyに事業売却を打診したものの、交渉は不調に終わる(Micronはその前に、Texas InstrumentsのDRAM事業を買収していた)。

 続いて米国と欧州でDRAMの安値販売(厳密には韓国の政府資金がHynixに対する貸し付け金に含まれていたことにより、不公正な輸出と見なされた)が問題となり、米国政府とEUによって報復関税を課税される。報復関税措置は2003年から2008年まで続く。Hynix Semiconductorは米国の製造工場を活用するといった手法で報復関税の影響を軽減しようとしたものの、報復関税の影響を完全に排除することはできなかった。

SK Hynixに関する主な出来事(2001年~2006年)

●SK財閥のSK Telecomが筆頭株主に

 その後、ジェットコースターのようなDRAM事業環境の変化に翻弄されながらも、Hynix Semiconductorは事業を拡大させていく。2000年代の後半は基本的には前半よりも良好だったといえよう。報復関税措置が終了し、NANDフラッシュメモリ事業への進出を果たし、売上高は上昇基調となった。

 事業再構築がある程度進んだとして、Hynix Semiconductorの最大株主である銀行債権団は、公募によって持ち株の売却を試みた。これに応募して優先権を得たのがSK Telecomである。SK Telecomは銀行債権団の持ち株の大半を譲り受けるとともに、Hynixの新株を大量に引き受けることで株式の21%を所有する最大株主となった。

 SK Telecomは今年2月に株式の購入を完了し、HynixのSK財閥グループ入りを宣言するとともに、社名をHynix SemiconductorからSK Hynixに改めた。そしてSKグループの持ち株会社であるSK HoldingsのCEO(最高経営責任者)を務めるChey Tae Won氏がHynixの会長兼CEOに、SK TelecomのCEOを務めるSung Min Ha氏がHynixのプレジデント兼CEOに就任した。また以前からHynixの社長兼CEOを務めていたOh-chul Kwon氏は、SKグループ入り後も前職を継続して務めている。

SK Hynixに関する主な出来事(2007年~2012年)
SK Hynixの年間売上高推移(1999年~2011年)SK TelecomがHynixの最大株主となった経緯。銀行債権団の持ち株4,425万株と新株1億185万株を入手することで、全株式の21.1%を所有する筆頭株主となったSK Telecomによる買収がHynixに与える効果

●エネルギー・化学と情報通信のSK財閥グループ

 SK財閥グループについてもう少し詳しく説明しよう。ここからは、金美徳氏の著書「なぜ韓国企業は世界で勝てるのか」(PHP新書)をしばらく引用する、SK財閥は韓国で第3位の財閥グループである。ちなみに第1位はSamsung財閥、第2位は現代自動車財閥、第4位はLG財閥となっている。

 SK財閥の事業分野はエネルギー・化学、情報通信、物流・サービス・金融で、エネルギー・化学のSKと情報通信のSK Telecomが2本柱となっている。2010年の財閥総売上高は110兆7,000ウオン(8兆5,153億円)、営業利益が8兆2,463億ウオン(6,343億円)、海外売り上げ比率は60%である。事業分野別では売り上げに占めるエネルギー・化学の割合が最も大きく、54%を占める。情報通信の売上高比率は16.1%とそれほど大きくはない。なおSKは旧社名「鮮京(SunKyong)」の略称である(いずれも前掲書142~144ページより)。

 SK Telecomの年間売上高は、2010年に12兆4,600億ウオンとなっている。同じ時期のHynix Semiconductorの年間売上高が12兆1,060億ウオンなので、事業規模で比べると、両社に大きな違いはない。資本関係ではSK Telecomが親会社なのだが、SK財閥グループ内に占める売上高比率では、両社はあまり変わらないことが分かる。HynixはSK Telecomの子会社になったのではなく、SK財閥グループの一員となったというのが、実情に近い認識だろう。

SK Telecomの四半期別売上高推移。金額単位は10億ウオンSK Hynixの四半期別売上高と営業損益の推移。金額単位は10億ウオン

●豊富な現金の活かし方に注目

 SK Hynixの名前が日本の大手新聞紙上に頻繁に登場し始めたのは、今年の3月以降だ。エルピーダメモリの支援企業にSK Hynixが立候補したからである。その後、「戦略的な意義があまり見出せない」としてSK Hynixは支援企業の立候補を取り下げた。

 SK Hynixの業績は直近の2012年第1四半期(2012年1~3月期)まで、3四半期連続で営業赤字を計上している。事業が上手くいっているとは、直近の業績を見るかぎりは言い難い。にも関わらず、2,000億円~3,000億円が必要と言われているエルピーダメモリ支援の投資企業に名乗りを挙げられるのは、豊富な現金があるからだ。

 SK HynixにはSK Telecomを通じて、SK財閥グループから2兆3,000億ウオンのキャッシュが流れ込んでいる。Hynix株式の買収に投じられた現金の一部だ。この巨大な現金は、SK HynixとSKグループの将来のために使われる。

 SK Hynixの長期的な目標は明確である。一言でまとめると、Samsungを超えることだ。現在のSK Hynixは半導体メモリ専業であり、事業のバランスを考えると、DRAM専業のエルピーダメモリを取り込むことはそれほど良い手段には見えない。もちろん半導体メモリの事業規模の拡大には意義がある。問題は選択の順位で、非メモリ事業を拡大するのか、メモリ事業でSamsungとの差を縮めるのかのどちらを優先するかだろう。2,000億円近い現金の使い道が、SK Hynixの将来を大きく左右すると言えるだろう。

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(2012年 5月 25日)

[Text by 福田 昭]