三浦優子のIT業界通信
25年ぶりに里帰り! ゆりかもめで使われていたPC-9801がNEC PC米沢事業所へ
2020年12月29日 06:55
PC Watchで既報のとおり、25年間、新交通ゆりかもめで利用されていた「PC-9801NS/A120」が任を解かれ、生まれ故郷であるNECパーソナルコンピュータ米沢事業所に戻ることとなった。現在は米沢事業所1階にある展示スペースに飾られている。
今回、改めてPC-9801NS/A120が25年間ゆりかもめでどんな用途で使われていたのか、戻ってきたこの製品を米沢事業所ではどう受け止められたのかを取材した。
自動運転支える欠かせない存在
2020年7月2日、ゆりかもめ公式お知らせの投稿を見たパソコンファンがざわついた。
「設備メンテナンスで使用していたパソコン(写真)が引退しました。25年前のノートパソコン「PC-9801」で、開業から使用していました。持ち運びには苦労しましたが、安全・安定運行を陰から支える、頼れる一台でした。おつかれさまでした。」
25年間、PC-9801が現役マシンとして使われ続けていた!? そのマシンが引退する!? 多くのパソコンファンが、「マジか!? 」と叫んだのではないか(少なくとも筆者は叫んだ)。
設備メンテナンスで使用していたパソコン(写真)が引退しました。25年前のノートパソコン「PC-9801」で、開業から使用していました。持ち運びには苦労しましたが、安全・安定運行を陰から支える、頼れる一台でした。おつかれさまでした。pic.twitter.com/qdkUoVJUpG
— ゆりかもめ公式お知らせ (@yurikamome_info)July 2, 2020
そのツイートにNECパーソナルコンピュータも反応。NECパーソナルコンピュータ LAVIEの公式ツイッターがゆりかもめに、「25年もの長きに渡り、ウチの子がお世話になりました。弊社の工場でそれを設計したチーム(親たち?)も、このお話を大変喜んでおります。ちなみに、この<PC-9801>をもし廃棄されるご予定でしたら、私どもの工場に展示させていただきたいのですが行き先は決まっていらっしゃいますでしょうか?」との申し出をツイートした。
このツイートにゆりかもめ公式お知らせから、「コメントありがとうございます。長きにわたり、弊社の安全・安定運行にご尽力いただき、大変感謝しております。是非、生まれた故郷で、親御さん達と楽しく過ごし、第二の人生を謳歌してほしいと思います。」と返信。その結果、現在ではNECパーソナルコンピュータ米沢事業所の1階にある展示コーナーに設置されている。
ゆりかもめ公式お知らせさんが、このツイートをした狙いはどこにあったのだろう? 改めて、ゆりかもめ側に聞いてみた。
「Twitterへの投稿は、基本は1日1回、日々の運行状況をお知らせしています。それに加え社内トピックをお知らせすることがあります。PC-9800引退のお知らせは社内トピックをお知らせしたものです」とゆりかもめの広報担当の方は説明してくれた。
じつはゆりかもめが開業したのは1995年11月。今から25年前のことになる。PC-9801NS/A12が25年間使われていたということは、開業以来使い続けられてきたということになる。それだけ長い間使われてきたパソコンの引退ということで、トピックの1つとして投稿を行なったのだが、たくさんのリツイート、さらにNECパーソナルコンピュータ側から引き取りたいとの申し出など、予想外の反響となったようだ。
では、PC-9801が25年間、どのように使われてきたのだろうか? 広報部門の方によれば、「ゆりかもめの自動運転を遠隔制御するATO(Automatic Train Operation)の情報を読み取るために利用してきました」とのこと。
鉄の皆さんには、当たり前かもしれないがATOは自動走行を行なっているゆりかもめの心臓部ともいえる装置である。ゆりかもめのホームページを見ると、ATOの役割がわかりやすく説明されている。
簡単に紹介すると、ゆりかもめは、駅に車両が着いたさいのドアの開け閉めにいたるまで中央司令所が監視している。光伝送路によって駅ATO制御装置、ATO車上装置で起こっていることを連絡する流れとなっている。
「無人運転を行なっていますので、ATOは自動運転を支える要というべき装置です。この装置に不具合が起こってしまったさい、ATOから情報を読み取るためにPC-9801が使われていました」。
しかし、2020年3月、ATOが新しいものに更新された。新しいATOではPC-9801は動かない仕様だったために、25年間働き続けてきたパソコンは役割を終えることとなったのだ。
ただし、今回米沢に帰ったPC-9801は、最初にツイートした時に写真で掲載されたものとは異なるのだという。同じくATOのデータを読み込むことが役割ではあるのだが、ツイートで紹介されたものと、米沢に帰ったものは異なるATOに使われていたそうだ。
じつは、米沢に帰ったPC-9801の役割は、使われてきた歴史の中で1度変更されたのだという。2006年、中央司令所のシステムがWindowsベースになったことで、「先ほどお話しした、ATOから情報を読み取ることができなくなりました。そこで2006年以降は、保守の予備機として利用されてきました」という。つまり、保守の予備機だったものが米沢に帰ったのだそうだ。
今回のゆりかもめのツイートから、25年という長期間利用され続けてきたPC-9801という点も驚きだが、パソコンの利用場面が机の上ばかりではなく、さまざまな現場であることを知る機会となった。
じつは、PC-9801は工場などの現場でも多数使われていた実績があるという話は耳にしたことがあった。今回、引退ツイートをきっかけに、電車の運行という現場での利用について聞くことができたのは、大変貴重な機会といえる。
25年前も現在もノートパソコンの開発と生産を行なう米沢事業所
山形県米沢市にあるNECパーソナルコンピュータ米沢事業所の1階の展示スペースには、ゆりかもめで25年働いたPC-9801NS/A120が飾られている。その飾りつけを見ると、長年の役割を果たしたこのパソコンを歓迎する米沢事業所の皆の気持ちが伝わってくる。
「今回、帰ってきたマシンを見ての感想ですか? そうですね、うわぁ、懐かしいと思いましたよ」と話すのは、25年前はPC-98シリーズの開発に携わり、現在でもパソコン開発を行なっているNECパーソナルコンピュータProject Management Group主任の浦田浩一氏。「ネットでこの話を知った時には、正直驚きました」と話す。
「25年使い続けていれば液晶が暗くなっていきますし、動かなくなってくる箇所も出てきます。修理しようにも25年前の製品は修理部品も残っていません。25年間、動き続けていたのは、本当に運が良かったのだと思います」。
古くからのパソコンファンには当たり前のことだが、25年前と現在ではパソコン開発環境は大きく異なる。当時はパソコンメーカーごとに独自アーキテクチャを搭載しており、互換性がなかった。他社を大きく上回る対応ソフトウェア、周辺機器を揃えたNECのPC-98シリーズは人気が高く、全盛時には5割以上のシェアを獲得していた。日本独自のパソコンとして、“国民機”的な地位を得ていた。
開発に関しても、当時からCPUはIntel製だったが、「CPUはあっても、それ以外の部材、たとえばコントローラも含めて自分たちで開発していました。現在の開発状況とはだいぶ違います」と浦田氏は振り返る。
現在のパソコン開発はIntelのデザインガイドが用意されている。「わからないところがあれば、問い合わせて聞くことができます。ルールどおりに開発すれば動く製品ができあがります。ところが、PC-98シリーズは、私たち自身がアーキテクチャを作り上げているのですから、問い合わせ先は存在しません。CPUなどの部材は購入することはできても、パソコンに仕上げるための開発は自分たちで進めていくしかないのです」と同じパソコン開発でも大きな違いがあると話す。
決して現在の開発が楽になっているということではないが、「現在よりも色々と手がかかっていたことはたしかです。たとえばランニングテストも、現在はプログラムをセットすれば自動で動いてくれますが、当時は手動でやっていましたから、いつの間にか、夜中だったといったこともよくありました」と浦田氏は振り返る。
しかも開発作業は、1つ終わると次の開発がはじまる。「正直なことを言いますと、今回、戻ってきた製品は、たしかに自分が開発に関わった製品であることは間違いないのですが、『あぁこの機種の開発は』とお話できるほど、覚えていないのです。切れ間なく開発が続いていたので」と浦田氏は苦笑しながら明らかにしてくれた。
また、PC-98シリーズをよく知る人にとっては笑ってしまうエピソードも話してくれた。PC-98シリーズを立ち上げた際、『ピポ』っという起動音が鳴ったことを皆さんは覚えているだろうか?
「あの起動音は正常に動いていますよ! ということを示す確認音です。開発スタッフにとっては、あの音が鳴るとホッとする音なんですが、CPUの性能があがっていったことで音の長さがどんどん縮まっていってしまいました。その結果、後半はもっと長く音が出るように調整しています」ということになったそうだ。
「当時ならではといえば、自分たちで開発する部品に関しては自分たちで自由に名前をつけることができました。例えばCPUコントローラ、メモリコントローラでもいいのですが、あえて自分たちで好きな名前をつけるのです。たしかコントローラには最初は惑星の名前、例えばジュピターといった名称をつけていましたね。惑星の名前がネタ切れになると、スキー場の名前をつけたりもしていました(笑)。コントローラの名前が外に出るようなことはありませんから、自分たちだけの楽しみです」と社内のみに伝わる逸話も。
当時から現在に至るまで、米沢事業所ではノートパソコンの開発と生産を続けている。「現在では、当時から一緒に開発を行なっているメンバーは同じフロアには2、3人くらいでしょうか。他の部署や他の会社にいってしまったメンバーも多いです。私はずっとノートパソコンの開発に関わり続けてきました」と話す浦田氏の表情を見ながら、日本のパソコンの歴史に思いをはせる。
パソコンメーカーの数は年々集約されてきている。日本は世界的にも珍しいパソコンメーカーが多い国だったが、NECパーソナルコンピュータも現在ではレノボ傘下だ。とはいえ、現在でも開発と生産を行なう米沢事業所が残っている。米沢事業所ではこの先もずっと開発、生産が続いてほしいと心から思う。
使われてきたパソコンの引き受けはしません!
ところで、今回の取材にあたってNECパーソナルコンピュータから重要なメッセージを託された。
「今回、ゆりかもめさんが使われていたPC-9801を引き取ったことで、『うちにも古いPC-9801があります』というご連絡も頂きました。が、残念ながら、パソコンの引き取りは基本的には行ないません」。
ゆりかもめで使われてきたPC-9801を引き取ったのは特別なケースで、NECパーソナルコンピュータに連絡をしても引き取ることはないということだ。今回の記事を見て、「うちにもある!」と思った方もいらっしゃるだろうが、それはご自身で大切にしてほしいということである。