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ニュースリリースで振り返る、時代を築いたPCたち【富士通編 LKIT-8~FM-8】

LKIT-8

 「パソコン業界 東奔西走」番外編としてお送りしている特集企画「ニュースリリースで振り返る、時代を築いたPCたち」の第2回は、富士通編その1である。

 FMブランドを冠した富士通パソコンは、パソコン黎明期から、独自技術の採用や先進技術の採用にこだわりながら、国内開発、国内生産、国内サポートを維持しつづけ、FMVブランドへと進化。さらに、2018年5月に、レノボグループ傘下で事業を推進している現在でも、その体制は変わらない。

 今回のニュースリリースの掲載において、当時のリリースを保管している富士通広報IR室の全面的な協力を得るとともに、現在、PC事業を行なっている富士通クライアントコンピューティングにもサポートをしてもらった。

 今回は、富士通初のパソコンである「FM-8」が登場するまでの貴重なリリースを全文掲載する。

LKIT-8

 富士通編の最初に掲載するニュースリリースは、1977年5月9日に発表した「LKIT-8」である。読み方はエルキットエイトだ。

 「8ビットマイクロコンピュータキット」と書かれているように、マイコンキットとして販売されたものだが、組立や調整作業は不要であり、完成品として動作することを保証。2つのボードを添付のケーブルで接続し、5V単一電源を供給するだけで、マイコンの操作が可能になる。

 また、ニュースリリースには「即納」という言葉が付け加えられている。コンピュータは即納する製品ではないというのが一般常識だった当時、「即納」の文字は新たな時代のコンピュータであることを示している。CPUには富士通が開発したモトローラMC6800相当の「MB8861」プロセッサが搭載されている。

実際のLKIT-8
LKIT-8のパッケージ

LKIT-16

 実は、「LKIT-8」の発表を前に、1977年3月29日に発表された製品がある。それが日本初の16bitマイクロコンピュータキット「LKIT-16」である。発表したのはパナファコムだ。

 パナファコムは、富士通が35%、富士電機が15%、松下電器産業(パナソニックホールディングス)が20%、さらに、当時の松下通信工業が25%、松下電送機器が5%を出資して設立した会社であり、現在のPFUにつながる企業だ。

 パナファコムは、ミニコン事業を推進する合弁会社として設立したが、LKIT-16は、マイコンの評価用として製品化されたものであり、40個のキーを持ったアセンブラ入力用のキーボードを付属していたのも特徴だった。富士通パソコンの歴史を辿る中で、富士通に残る最も古いニュースリリースが「LKIT-16」となる。

NEW LKIT-8

 1979年5月7日に発表したのが、「NEW LKIT-8」である。このリリースをあえて紹介したのは、なんと手書きによるリリースだったからだ。振り返ってみると、1980年代終わりまでは、わざわざ手書きで会見通知を書き、FAXで送ってくる名物広報マンもいたことを思い出す。

 紹介したNEW LKIT-8では、LKIT-8の拡張性を生かしながら、マイコンの利用技術の理解と習得、実務レベルでの使用の面から検討し、豊富な機能を追加したと説明している。本文を読むと、ニュースリリースには写真が添付されていたようだが、それが残っていなかったのが残念だ。

FM-8

 1981年5月20日に発表した富士通ブランド初のパソコンが「FM-8」である。発売当時は、「重戦車並みの装備」とも言われ、それは、CPUにモトローラ「MC6809」互換の8bitマイクロプロセッサ「MBL6809」を2個使用したことや、RS-232Cインターフェイスを装備し、メインフレームのFACOM Mシリーズとの接続を可能にするなど、豊富な拡張性を持っていたことからも理解できる。

 FM-8の正式名称は、「FUJITSU MICRO 8」であり、社内では当初「マイクロエイト」と和ばれていたが、ユーザーマニュアルの校閲の際に、担当者が独自の判断で、1ページ目に「FUJITSU MICRO 8(略称FM-8)」と表記。それがニュースリリースにもそのままに記載されて、メディアが記事化。FM-8の名称が広く使われるようになった。

 そのため、先行して制作されていた最初のカタログには「FM-8」の表記は一切なく、本体の銘板にもFM-8の文字はないという逸話が残る。40年以上を経た現在でも「FMV」として継承されており、日本で最も歴史を持つPCブランドとなっている。

リリースの白黒写真
FUJITSU MICRO 8という名称がFM-8に転じた