山田祥平のRe:config.sys

Androidの縄張り

 今、AI抜きにスマートデバイスを語ることはできない。PCもスマホも同様だ。ハードウェアとしてのスマートデバイスそのものは以前のような著しい進化をするわけではなく、ちょっと踊り場状態にあったように感じていたが、ここにきて息を吹き返した印象もある。そんな中での最新デバイスとして、Xiaomi 15 Ultraと、Samsung Galaxy S25 Ultraを試すことができた。

フラグシップスマホの両横綱降臨

 両機ともに、Ultraを謳う製品で、当然、フラグシップ。15 Ultraは6.73型の、Galaxy S25 Ultraは6.9型のディスプレイを持つ比較的大振りのスマートフォンだ。重量については218gのGalaxyに対して、Xiaomi 15 Ultraは229gと11g重い。どちらもフラグシップスマホの貫禄を感じさせられるりりしい仕上がりで、両機ともに最高峰のスマホを目指す意気込みが感じられる。

 だが、最新スマホを手にしたときに、以前のような胸躍るときめきを感じるかと言えば、ちょっと寂しい印象はある。

 スマホ老舗としてのSamsungによるGalaxy S25 Ultraは、定評のあるカメラ性能をキープするとともに、AI活用を積極的に提唱する。先代のS24でもそうだったがGoogleのAI、Geminiと連携するGalaxy AIがGalaxy味の強いAIとして実装されている。

 それに対してXiaomi 15 Ultraは、GalaxyほどAIを強調していないように見えるが、同様にGeminiがベースでGalaxyと似ているポイントも少なくない。

 そうは言ってもカメラが売りで、Leicaとの協業による写真スタイルが用意され、ハードウェア、ソフトウェア、そしてAIというさまざまな角度からスマホカメラの最高峰を目指す。スマホというよりもカメラとしての立ち位置を明確にアピールしていることが分かる。

 また、フラグシップ機であるにも関わらず、17万9,800円からというプライスゾーンはS25より2万円近く安い印象だ。ただ、S25はキャリアからの購入で、各種割引や残価設定型ローンを使い2年未満で返却するといった方法で、見かけのコスト負担を軽減させるといった手が使えることに魅力を感じる方も少なくないだろう。

似て非なるAndroid

 GalaxyはOne UI 7、XiaomiはHyperOSと呼ばれる独自のUIをAndroidベースに重ねている。これらはかつてシェルと呼ばれたり、ホームアプリといった扱いだったが、今は、OSと称するのがトレンドのようだ。もっともAndroidだってLinuxをベースに開発されたもので、OSカーネルはLinuxだ。その上に別のUIを持つサービスが乗っかったものをOSと呼ぶのは、それはそれで正当なのかもしれない。

 だが、同じAndroidだからと、この両機、そして本家とも言えるGoogle Pixelを比べると、その違いが驚くほど大きいことに気がつく。もちろん、全部Androidだから、アプリは同じものが使えるし、いったんアプリを開けば、どのOSでも同じように使える。Googleのモバイルサービスが提供する各種の機能の利用についても同じだ。

 だが、そのUIの違いは、スマホを知っているつもりでも混乱する。アプリの中に入ってしまえば同じなのだが、OSを操作するという点では、もっとも頻繁にアクセスするであろう機能設定時にもどの項目がどこにあるのか迷って探し出せないこともあるくらいだ。

 AppleのiPhoneの場合は、ハードウェアとOS、さらにはサービスも同社が作って提供しているので、こういうことは起こらない。iPhoneユーザー同士なら、操作に迷ったりしたときに誰かに聞けば、かなりの確率でコトが解決するだろう。何なら電話で会話しながら操作してもうまくいきそうだ。

 でもAndroidは、同じAndroidでもハードウェアのメーカーごとに、ちょっとずつ違う。

 かつてPCの世界がそうだった。ハードウェアを吸収しきれなかったMS-DOSの時代ならともかく、Windowsがある程度普及した後も、各社が独自のシェルを提供するなどで使いやすさがアピールされたりしていた。そのためA社のWindows機と、B社のWindows機は似て非なるものだった。

 さすがにMicrosoftはそのままではまずいと思ったのか、2000年を過ぎ、Windows XPが出るころには、どのメーカーのPCを購入しても同じようなユーザー体験で使うことができるようになった。アウト・オブ・ボックス・エクスペリエンスといった開封の儀的体験が重要であるとされた走りだったように思う。

 どのメーカーのPCも同じように使えるというはいいことでもあるし、逆に言うと競争にならないのでメーカーとしては製品の差別化がしにくくなってしまうという難点もある。でも、そのころから四半世紀近く経っていろんな方法論が確立されてきたように感じる。

このスマホは何ができる

 Android機の難点は、独自の機能を発見しにくいことだ。今回のGalaxyやXiaomiなどにもAIの機能があの手この手で実装されているのだが、どんなことができるのかを把握するのは大変だ。もしかしたら使わないうちにライフサイクルを終えてしまいかねない。

 誰もがWebページなどで熱心に下調べして製品を買うとは限らない。紙の取説やガイドブックをパッケージに同梱してアピールする時代ではないのかもしれないが、なんらかの方法を考えてほしいし、さらには設定メニュー項目の統一化などで、ユーザー体験を同じ方向に向かせることを考えてほしい。

 このままではスマホの買い替えでもGalaxyの次はGalaxy、Xiaomiの次はXiaomiといったふうにAndroidの世界に分断が発生する。個性豊かなスマホであればあるほどそうなりやすいとも言える。今回見たハイエンド2機種、それぞれの個性が極めて強烈なだけに、その兆しを感じる。