山田祥平のRe:config.sys

別れても好きな端末

 この秋、電気通信事業法の改正によって端末料金と通信料金の完全な分離が求められるようになった。通信事業者は、その改正を先取るように、建て付けを見直した各種新料金プランの提供をスタートしている。はたして、その真意は一般の消費者に伝わっているのだろうか。通信と端末の分離は料金だけでいいのだろうか。

留守番電話サービスを利用開始

 NTTドコモは「留守番電話サービス」を月額300円で提供している。録音時間は最長3分で最大20件を72時間保存できるというものだ。セットしていなくても指定時間以上呼び出して応答がない場合はそちらに切り替わるようになっている。こうしたサービスは、ほかのキャリアでも提供されている。

 着信し、留守番電話に切り替わると通知が残り、また、メッセージが残されるとその旨を知らせる通知がSMSで届く。それをタップすると、指定された特番にダイアルでき、録音されたメッセージを聞けるという建て付けだ。これは、昔ながらのサービスで、そう目新しいものではない。

 ちなみにドコモではAndroidスマートフォン向けには「ドコモ留守電アプリ」、iPhone向けには「ビジュアルボイスメール」というアプリが提供されていて、それを使うことで端末に伝言をダウンロードして再生/削除などをすることができる。操作もスクリーンのタップでスマートにできる。「ビジュアルボイスメール」は各キャリア共通で使われているようだ。

 また、Android用のアプリには、「みえる留守電」機能が搭載され、メッセージを文字にして確認でき、その文字列をほかのアプリにエクスポートしたりすることができる。

 個人的にはドコモのAndroid端末を使っているとき、ドコモの端末には、ほぼ必ずと言っていいほどローカル伝言メモ機能が提供されていて、留守番電話センターの有料契約をしなくても、端末ローカルで伝言を預かることができていたので、留守番電話サービスとは無縁だった。

 だが、最近は伝言メモ機能がない端末を使うことが増えてきたため、サービスを利用することにした。あまり音声電話の着信はないのだが、なければないで困る。背に腹は代えられないと、300円/月を投入することにした。

専用アプリの端末依存

 もちろん期待するのは「ドコモ留守電アプリ」だ。だが、サービスの利用をスタートしてから調べてみてわかったのは、このサービスはGoogle Playでアプリをダウンロードするのではなく、サービスを契約している端末に自動的にダウンロードされるものであるということだ。

 また、機種依存があり、ドコモから提供されている端末であっても、そのすべてが対応するわけではない。また、iPhoneの場合は、同じアプリのように見えるが、ドコモのiPhoneというシバリがある。

 もちろん、特番にダイヤルしての普通のメッセージ再生は、どんな端末でもできる。だが、専用アプリを使うにはドコモの端末が必要なのだ。なにをどうすると、こうした制限になってしまうのか、理解できないのだが、これは端末とサービスが分離できていないということにはならないのだろうか。

 今、実際にこのアプリを愛用しているエンドユーザーがいるとして、その機種変更に伴い、量販店で購入したキャリア依存しないメーカー製のSIMロックフリースマートフォンを入手した場合、今まで普通に使えていた機能が使えなくなってしまうわけだ。

 東京でTVを買って東京でアンテナにつないでスイッチを入れたら在京全局が楽しめるのが当たり前。それが端末とサービスの分離のはずだが、留守番電話などという、電話サービスのもっとも基本的なものでさえ、こういう状態である。サービス利用者のうちどのくらいがこのアプリを使っているのかは定かではないが、あまりにもお粗末だ。

 じつは、ほんの少し前までは、ドコモが販売していたPixel 3/3aにおいて、ドコモメールやプラス・メッセージがサポートされていなかった。この秋からアプリがダウンロードできるようになり、Pixelシリーズでも、これらのサービスが利用できるようになったので、留守番アプリについても同様に、あと1年くらいしたら汎用化されてインストールできるようになる可能性もあるが、エンドユーザー側としてはどうしようもない。

機種依存、OS依存、サービス依存

 キャリアとしてのドコモの論理もわかる。サードパーティ製のアプリで不具合が発生した場合、それを補償することはできないからサポート対象外としているのかもしれない。つまり、ほかのアプリではなく、とにかく根幹の通信サービスに関わるアプリだからこそ、提供が慎重になるというものだ。それをエンドユーザーの自己責任としてしまうと、サポートを含めてたいへんな負担になる可能性もある。

 似たようなことは、PCの世界でもあった。Windows 3.0や3.1が使われはじめた1990年頃のことだ。当時の日本はNECのPC-9800シリーズの天下時代がまだ続いていて、ほとんどすべてのサードパーティ製ビジネスアプリはPC-9800シリーズ用としてリリースされていた。NEC側も、優れたアプリのリクルート活動には余念がなく、地方のソフトハウスを回って魅力的なアプリの発掘に勤しんでいた。

 だが、Windowsの登場によって、アプリは機種依存からOS依存の時代に移行した。機種依存が淘汰されたのだ。エンドユーザーはWindows用のアプリを入手すれば、一部のハードウェア依存の例外をのぞき、Windowsが稼働するあらゆる環境でそのアプリを使うことができるようになった。

 当時を知るものとしては、このことは本当に大きな革命だったと今にして思う。あの頃は、ひたすら米国のPC雑誌の広告を丹念にめくり、新しい感覚のアプリを見つけては、FAXで注文していたものだ。海外アプリはIBM PC/AT互換機種依存ばかりだった時代には考えられなかったことだ。そして、それが当たり前になるのにそう時間はかからなかった。

 あれから30年近くが経過している。なぜ、スマートフォンの世界は、PCの失敗をなぞろうとするのか。百歩譲って、留守番電話アプリの利用ができなくても、アプリと同様のことをWebサービスでできるようにしたり、あるいはクラウド処理してテキスト化し、SMSや指定アドレスにインターネットメールで送るくらいのことはできてもいいはずだ。それが本当のサービスと端末の分離なのではないだろうか。

 分離施策については価格のことばかりが先行して話題になってしまっているが、こうした基本的なところが改善されないのでは意味がない。さまざまな提案をされる有識者の方々は、通信サービスの本質をもっと深く観察し、エンドユーザーの利益のためにつとめてほしいと思う。