山田祥平のRe:config.sys

画面を2つに折りたい理由

 スマートフォン、いや、もしかしたらPCも、これからしばらくはフォルダブルがトレンドのようだ。はてさて、2つに折れれば開いたときに大きくなるからうれしいのか、それとも閉じたときに小さくなるからうれしいのか。24型フォルダブルなモバイルディスプレイが欲しいと願い続けていれば、その夢はそのうちかないそうな兆しにも感じる。

大きくても小さいから

 かつて、ストレートケータイのトレンドが、2つ折りケータイに移行したときと似たようなムードになってきている。スマートフォンのトレンドはそっちのほうに向いているのかなと思ったら、Microsoftは1年以上先にリリースする予定のSurface Neoをお披露目し、そこで2つ折りのWindows PCをチラ見せした。発表会の映像ではそれほど魅力を感じなかったのだが、実際に、目の前でさわっている様子を至近距離で見たら、ちょっとそそられる。いったい、この高揚感はなんなのだろう。

 そう言えばGoogleも新しいスマートフォンとして、Pixel 4シリーズを発売した。こちらはフォルダブルとは無縁のストレート端末だが、さわってみて感心したのは、その手に持ったときの安心感が半端じゃないところだ。ツルツルしたスマートフォンばかりをさわっていたからなのだろうし、実際、Pixel 4も背面はツルツルしているのだが、側面フレームの加工が絶妙で、しっかりグリップできるのだ。また、Pixel 4 XLは、背面パネルそのものがややマット調に仕上げられていて、サイズが大きくても手にしたときの安心感は小さなPixel 4に匹敵する。

 いずれにしても、ほぼ肌身離さず持ち歩くデバイスにとって、手にしたときの安心感はとても重要な要素だと思う。もっとも、多くのユーザーは、スマートフォンにカバーをつけて使うので、本体の仕上げをあまり享受することがない。重量バランスなども、カバーによって崩れてしまうのは、ちょっともったいないような気もする。オシャレ要素以外に、落下などによる傷つきから保護する意味合いもあるカバーだが、落としたときに大丈夫なようにするのも大事だが、落とす心配がないような方向性も忘れてはならない。

シングル画面でもマルチ画面でも

 さて、話を本題に戻そう。フォルダブルだ。フォルダブルの方向性として受け入れられる歓迎感の起点は、画面は大きいほうがいいという意識だ。だったらタブレットでいいじゃないかということになるが、タブレットはポケットに入らない。肌身離さず持ち歩くデバイスとしては大きすぎるのだ。だったら小さく折りたためるようにすればいい。それがフォルダブルの原点だ。

 スマートフォンで言うなら、SamsungのGalaxy Foldも、HuaweiのMate Xも1枚の画面を中央で折りたためるようにしている。ただ、実装は異なり、折りたたんだときに、画面を内側に折りたたみ、外側に実装された3枚目の画面をメインシングルディスプレイとするのがGalaxyで、画面を外側に折りたたみ、半分の表示に切り替わるのがHuaweiのMate Xだ。

 両機ともに開いた状態で画面はツライチの1枚画面となる。発想としては、どちらもそこそこのサイズの画面を持つタブレットを折りたためるようにしたというところだ。

 この考え方を応用すると、今、多くのスマートフォンが縦長の画面を持っているが、それを縦に半分に折り畳めるようにしてもいいんじゃないかという発想も出てくるかもしれない。先日、ソニーがXperia 1 Professional Editionを発表して話題になったが、21:9という、縦に持つと相当細長い画面も、半分に折り畳めば10.5:9と、ほぼ正方形に近い持ち歩きやすいサイズ感になる。そういうフォルダブルもありじゃないだろうか。

 その一方で、開いたときに、1枚画面ではなくても、左右または上下に分かれるようにしてもいいんじゃないかという発想もある。Surfaceの方法論はそちらだ。画面をフォルダブルにするさいに、その折れ目をいかに自然に隠すか、そして、繰り返しの開閉に耐える堅牢性を持たせるには、相当高い技術が必要だ。だが、最初から2画面を想定しておけば、技術的にクリアしなければならないハードルはグッと低くなるし、コスト的にも有利だろう。ちょうど、本やノートのような古くから慣れ親しまれてきたインターフェイスなのだし、それはそれでありだ。

タイルとオーバーラップ

 2つ折りケータイは、PCで言えば、クラムシェル的なフォームファクタだ。ケータイではテンキー、PCではキーボードが欠かせないとされていた時代を象徴している。スマートフォンやタブレットのようにキーボードを持たなくてもほぼ支障がないデバイスでは、物理キーボードにこだわる必要がないため、開いた見開きすべてを画面として使える。逆に言えば、肌身離さず持ち歩くサイズ感のデバイスに大画面を求めるにはどうしても折りたたみという機構が必要になる。

 Windowsはマウス操作を前提に作られていた時代が長かった。今なお、タッチでWindowsを使っていると、ちょっとしたチグハグに感じることがある。マウスオーバーやホバーのような対話もタッチでは難しい。また、非アクティブウィンドウの操作も困難だ。

 その一方で、スマートフォンは最初からタッチが前提で、しかも1画面が基本だ。そこはいいが、その1画面をどのように使うかについてはまだ洗練されていない。Windowsのようなオーバーラップウィンドウでのマルチタスクではなく、タイルでのウィンドウ表示はクラシックな印象もある。

 AndroidやiOSなどのモバイル系OSそのものが1つの画面に1つのアプリを前提に作られているようなところもあるので、それをマルチウィンドウにしたときのギクシャク感は否めない。それを使う気にさせるもっとも早道がディスプレイの大画面化だし、コンパクトと大画面を両立させる方法論がフォルダブルだと言える。

スマートフォンだけなら余計に大画面

 このトレンドが、近い将来、大部分のスマートフォンをフォルダブルにする兆しなるかどうかはわからない。ストレートスマホは極限までボタンを減らし、可動部分を少なくすることでコストを下げ、故障を回避しているようなところがあるからだ。とくに日本では端末代金の大幅な値引きが望めなくなってきているため、せっかくの新しい息吹であるにもかかわらず、価格が逆風になってしまいそうだ。

 よりによってこんなタイミングでとは思うが、新しいフォームファクタのチャレンジはPCを含むスマートデバイスの未来を豊かにするのは間違いない。個人的には、つねにPCを携行しているので、スマートフォンの大画面化は重量増もあってそれほど歓迎はしていない。でも、スマートフォンだけであらゆる用を済ませてしまう世代が台頭してきている以上、その生産性をさらに向上させることができなければまずい。