山田祥平のRe:config.sys

モノとしての音楽、コトとしての音楽

 音楽の購入は、本来「聴く権利」の購入だ。音楽そのものが自分のものになるわけではない。

 だが、複製技術の進化により、レコードなどのパッケージメディアはコピーを配布という形式を編み出して、コトをモノにすりかえてわかりやすくした。書籍だって同様だ。

 そのわかりやすさが崩壊しようとしている。それはそれで悪いことではない。

CD購入をやめてみた

 調べてみたら、最後に購入したCDは、2018年7月に予約注文したPerfumeの「Future Pop(完全生産限定盤)(Blu-ray付)」だった。とくに自分で決めたわけではないが、パッケージで音楽を入手するのはもうやめようということにして、過去1年以上、CDを購入していない。

 昔は海外旅行に行ったりしたときに、盛り場のCDショップに立ち寄って現地で流行しているCDを購入するのが楽しみだったのだが、今はそうしたことはしない。いや、それどころか、街で見かけるCDショップも激減しているように感じる。

 CDパッケージのような形態が衰退したとしても、音楽を聴く権利そのものはまだ買える。デジタルデータを購入すればいいのだ。

 たとえば、自分がCDを買っている頃なら、間違いなく手に入れていたであろうスピッツの新譜「見っけ」は、Amazonで通常版CDが3,300円、BDつきのSHM-CDが7,380円だ。これをMP3データで購入すると2,100円なので、価格そのものは3分の2で安上がりだ。

 データ販売がCDに劣るのは、BDなどの付加価値パッケージがあるかどうかや、ジャケットの有無だ。またAmazonのMP3データは、ビットレートが256Kbps程度でCDに劣る。個人的には、この音質の差が気に入らなくてずっとCDにこだわり続けてきた。

 近年は、ハイレゾ音源データを配信するサービスも増えてきているが、すべてのCD音源が、CDより高音質のハイレゾデータとして手に入るわけではないし、旧譜にいたってはリマスタリングとアップサンプリングによるなんちゃってハイレゾも少なくなく、どうにもモヤモヤして購入意欲がそがれてしまう。

 なのに、CDパッケージの購入をやめてみたのは、物理的な場所を取らないことで断捨離の必要がないことや、サブスクリプションサービスがある程度充実してきたことを実感するようになったからだ。

CDレベルの音質を確保するストリーミングサービス

 こうしたことをつらつらと考えていたら、Amazonがサブスクリプションサービス「Amazon Music Unlimited」に付随する2つの新しいサービスを発表した。1つは「AMAZON MUSIC HD」で、このサービスインにより、HDとUltra HDの2種類のロスレスオーディオの音質で楽曲が提供されるようになった。

 HDは16bit/44.1kHz(平均ビットレート850kbps)、Ultra HDは24bit/44.1kHz~192kHz(平均ビットレート3,730kbps)だとされている。ロスレスであり、CDのビットレートは16bit/44.1kHzなので遜色がない。

 プライム会員でUnlimitedに加入済みの場合、ほとんどの曲が少なくともCD音質で聴けるようになるが、この付加価値に必要なコストは月1,000円の追加だ。

 過去に入手したCDのすべてがこれらのサービスで配信されるかどうかはわからないし、おそらく無理だろうけれど、少なくともこれからリリースされるCDであれば、CDそのものと同等あるいは、それ以上の音源として楽しめるようになると考えてよさそうだ。

 もう1つの追加サービスは、プライムメンバーに対して提供されている聴き放題の楽曲が大幅に拡充され、200万曲に達したことだ。ざっくりと、これまでの2倍の曲数が楽しめるようになった。

 これならUnlimitedに加入する必要がないという判断ができるかどうかは微妙だが、カジュアルに音楽を楽しむ分には十分だともいえる。

 いずれにしても、音楽配信サービスに毎月2,000円程度のコストを負担することで、CDを購入することなく、今までと同じように、そして今までと同等、またはそれ以上の品質で音楽が楽しめる。

 この先、20年くらいは音楽を聴き続けるとして、約50万円かかる計算になるし、家族の分もと考えると、もう少し負担は増えるが、CDの価格に換算すると200枚弱といったところか。

 いずれにしても、これまでの人生でCDやLPに費やしてきた金額のことを思えば、十分にリーズナブルな価格だといえるし、この先にこの金額はもっと安くなるかもしれない。問題があるとすれば、Amazon Musicアプリの使いにくさ、わかりにくさで、ここはもうちょっと何とかしてほしいものだ。

音楽ビジネスの未来

 ラジオの深夜放送で音楽に目覚め、少ない小遣いをやりくりしてLPを買い続け、大人になっても節約のために輸入盤を物色するようになり、CDの洗礼を受けて、すり減ることのない音源を手に入れた世代としては、今の音楽配信サービスは、目当てのCDを購入するよりも、偶然出会う新たな音楽という意味では昔の状況に近い。

 昔は、偶然耳に入った楽曲を気に入ったら、それを繰り返し楽しむために、FMラジオ放送を録音するエアチェックでカセットテープやオープンリールテープに残したり、音楽パッケージとしてのCDやLPを購入するというプロセスに至っていた。

 だが、配信サービスには特定の楽曲を買うという概念はない。気に入った音楽に印をつけておくだけだ。それでも、手元の膨大な量のCD盤から聴きたいものを探し出すよりもずっとラクチンだ。リッピングの手間もなければ、再生機のストレージを心配することもない。

 アーティストの方にお願いしたいのは、CDとしてリリースする予定がない、いわゆるライブ音源をストリーミング配信するようにしていただきたいということだ。コンサートに行きたいけれど行けないという層は、地域的な問題、コスト的な問題、年齢的な問題などいろいろあるが、こうした問題を解決できれば、音楽を楽しむ層はもっと拡大できると思う。

 先日、オーストリア・ウィーンの国立歌劇場の前を通りかかって驚いた。その日、劇場で上演しているコンテンツが、外壁に掲げられた大きなスクリーンでそのまま上映されていたからだ。毎晩、そこに陣取ってライブを見れば、すべての公演を無料で楽しめることになる。もくろみとしては需要の掘り起こしのためだとされているが、ずいぶん大胆な企画だ。

 クラシックコンサートの価格、とくに日本講演での価格を突きつけられると、聴きに行きたいけれども諦めざるをえないと考えるケースは少なくない。クラシックコンサートが高額なのは、ホールの維持などにかかる費用もあれば、オーケストラなど大量の海外アーティストの招聘にかかるコストの問題もあるのだろうけれど、なんとか興行主側の工夫でがんばれる部分もあるはずだ。

 先日のIFAのさいには、初めてベルリンフィルを楽しめた。同楽団は、日本のIIJの技術支援を受けてコンサートをデジタル配信している。4K画像でのストリーミングなどのチャレンジもあって意欲を感じる。

 ホール内の随所に設置された4Kビデオカメラをこの目で確認してきたが、そのカメラがとらえた映像がはるか日本にまで届いているのかと思うと、ちょっと感慨深いものがあった。このサービスでは年間約50回の定期公演会がライブ中継され、過去の演奏会もオンデマンドで常時視聴できるようになっている。

 こうした音楽の楽しみ方もありだと思うし、コンサートそのものの料金も、日本に比べればべらぼうに安い。こういうのを目の当たりにすると、日本のアーティストはまだまだがんばれる面があるように感じる。音楽ビジネスには、もっとマネタイズできる道があるにちがいない。これならカネを払ってもいいというサービスを充実させてほしいと思う。