山田祥平のRe:config.sys

二刀流免許皆伝

 スマートフォンがいいか、いや、やっぱりPCだと世間は騒がしい。結局のところ、フォームファクタが違うだけで、どちらも汎用コンピュータ。どうやったらラクができるかをつきつめ、シチュエーションに応じて使い分ければすむ話だ。この春から大学生になる諸君に、ちょっとだけ考えてほしいことがある。

小さな画面の向こう側

 30年ほど前、はじめてレーザープリンタを使うようになって、米粒のような小さな文字が鮮明に印字できることに驚いた。当時はまだ、PCを持ち歩くようになる寸前の時代だったので、これまで得られなかったプリント出力の用途をいろいろ考えた。

 たとえば、A4の用紙に7ポイントの文字サイズで名前と電話番号をふりがなの五十音順に並べれば片面に数百人、両面なら1,000人近い連絡先を印刷して持ち歩ける。細かく折りたたんでサイフのなかに忍ばせておくだけで、いつでもどこでも取り出して公衆電話に向かえるわけだ。個人が普通に持てる携帯電話なんてなかった時代の話である。もちろんすぐにボロボロになってしまうが、そのときは印刷し直せばすむ。これはかなり重宝した。

 今、そんな小さな文字はとても読めないし、読めたとしても5と6、8と9の区別が付かなかったりして間違い電話を連発してしまうだろう。若かったからこそできたことだが、当時はコンピュータを持ち歩けなくても、その恩恵をどのようにしたら受けられるかを考えるのは楽しくて仕方がなかった。ぼく自身にも、こういうときがあったから、たかだか6型程度のスマートフォン画面のなかの小さな文字や写真で世界のすべてを知ろうとする若い人たちを非難するつもりはまったくない。

 それからしばらくして、持ち歩けるサイズ感のコンピュータが登場した。東芝のDynaBook J-3100SSがA4ファイルサイズ(画面サイズは何型だったろう…)2.7kgという超軽量!!で登場して狂喜乱舞した。発売は1989年なので来年(2019年)30周年を迎えることになる。

 同じ年の秋にはNECのPC-9801Nも登場している。持ち運びができるPCとしては、セイコーエプソンのPC-286Lが1987年に出ていて、それを持ち歩くことにもチャレンジしてみたのだが、さすがに10kg近いラップトップの携行はつらく、持ち出す機会は減っていき、ついに挫折してしまったのを覚えている。

 以来、今日まで、いったいどれだけの数のモバイルPCを手にして使ってきたか。今、ポケットにはスマートフォン、カバンにはPCという装備で外出するわけだが、はっきり言って、出先においてPCでできること、やりたいことは、まず例外なくスマートフォンでもできる。PCはポケットに入らないが、スマートフォンなら余裕だ。携行性の自由度については圧倒的にスマートフォンが上だ。

 とくに、今の若い人は、目にもとどまらないような速度でフリック入力ができるようだし、めんどうくさそうな画像の加工、人によっては動画編集までスマートフォンだけですませる。これはこれで驚異で新人類とはこういうものかと感心してしまう。

 ぼくはいま、スマートフォンよりラクに特定の作業ができることを期待し、その代償として1kg前後のPCを携行している。特定の作業というのはキーボードを使って多少の文字を入力して原稿を書いたり、メールに長めの返事を書いたり、Webを見たりといったことだ。

 発表会の速報などを書くときには、発表会の途中で原稿を仕上げて編集部に送ったりもする。ぼくとしてはこれはスマートフォンでは無理だ。それでも手間のことを考えなければ、PCでしかできない作業というのはないに等しい。ただ、ぼくの年齢と経験では、スマートフォンよりPCを使ったほうがラク。それだけだ。

 生産的な仕事はPCでというが、昨今のスマートフォンなら大画面ディスプレイをつなぎ、外付けディスプレイとマウス、キーボードで操作し、マルチウィンドウで作業ができるものもある。これならPCはいらないと思うのもわかる。

 けれども、ディスプレイ、キーボード、マウスを持ち歩くくらいなら、それらが全部オールインワンで一体化しているPCのほうがラクチンだ。“24型モバイルディスプレイ”(24型液晶ディスプレイをモバイルしてはいけない参照)を持ち歩けるなら話は別だが、どう考えても毎日の携行は難しい。

どっちも大事と欲張ろう

 無理にPCを使う必要もないし、スマートフォンだけにこだわることもない。これから新しい生活をはじめるみなさんにお願いしたいのは、いろいろな環境を試して経験し、もっともラクができるのはどの方法かを見きわめてほしいということだ。

 作業机は広いほうがいい。これはわかってもらえると思う。参考書を開き、教科書を開き、ノートを開いてメモをとる。普段の暮らしで当たり前のようにやっていることが、そのままできるかどうか。どこかで不便を強いられていないか。3秒でできることに1分の時間をかけてはいないか。

 そうはいっても、時と場所によってはPCを使えない環境もある。そのときはスマートフォンを使えばいい。両方を使いこなせることに意味が見出せるはずだ。今はどちらもクラウドにつながっているのだから不便もなかろう。どちらかにこだわることをやめるだけで大きな変化が訪れる。

 いまだによくきくPCを敬遠する理由の1つに起動が遅いというものがある。たぶん最近のPCを知らないのだろう。電源オフの状態から起動したら、おそらくスマートフォンのほうが起動は遅い。スリープからの復帰を繰り返し、スマートフォンのようにPCを使えば、スマートフォンと遜色のないタイミングでPCが使える状態になる。再起動はさせられるものであって、自らするものではない。それはスマートフォンと変わらない。

 ちなみに今この原稿を書くために使っているモバイルノートPCは10.1型画面のレッツノートRZ5で、使いはじめてからすでに丸2年が経過している。800gに満たない重量とコンパクトなサイズの機動性は抜群で、出先での作業に大きく貢献してくれている。唯一無二のPCとしてこの製品を選ぶことはないと思うが、日常的な携行PCとしては貴重な存在だ。

 だが、さすがに遅さを感じるようになってきた。それでも16GBのメモリを積んでいるおかげで、大きな不便は感じない。メモリ空間が広ければ画面の狭さもある程度補えるというわけだ。気がつくと10を超えるタブを開いているChromeブラウザが、数GBを超えるメモリを占有しているのを見ると、やっぱりメモリは多いほうがつぶしがきくことがわかる。

 その一方で、クラウドサービスの充実によって、ストレージについてはあまり欲張らなくてもよくなってきている。サイフに多額の現金を入れて携行しなくても、ATMさえあれば銀行口座のキャッシュを引き出せるのと同じことだ。

大人に求めたいほんの少しのお節介

 たぶん、この記事を読んでいただいている読者の方の多くは、PCがなければ人生はつまらないという方たちだろう。当然、スマートフォンも併用しているはずだ。そして、その二刀流の魅力を知り尽くしている。幸せだ。

 身の回りに、PC嫌いを見つけたら、ほんの少しのお節介でアドバイスして、その幸せを分けてあげてほしい。きみはもしかしたら、人生を無駄にしているかもしれないと知らせてあげてほしい。

 大事なことは、PCでしかできないことなんてないし、同様にスマートフォンでしかできないこともないということだ。どちらもパーソナルコンピュータだ。いまこのとき、どちらを使えばラクなのか。それを考えられて、適材適所を選択できるような新人類の登場を望みたい。デジタルネイティブならきっとわかってくれると思う。その気づきを与えることが経験豊富な大人の義務だと思う。