山田祥平のRe:config.sys

読まないならメールアドレスを人に教えるな

 電子メールは便利だ。だが、その立場がどんどん弱くなっている。SNSのインスタントメッセージが浸透するにつれ、その傾向は高まる一方だ。どうしてこんなことになったのだろうか。特にプライベートの場面ではそうだ。このままメールは収束してしまうのだろうか。

だからメールは便利とばかりは言っていられない時代

 そもそもメールとSNSでは連絡する相手の連絡先を知る手段が異なる。たとえば、仕事で初対面で会った相手とはほとんどの場合、名刺を交換する。そして、その名刺には必ずといっていいほどメールアドレスが記載されている。

 その一方で、SNSの場合は、FacebookにしてもTwitterにしても、LINEにしても、Instagramにしても特定の相手への連絡手段を得るという点ではワンステップ余分に手間がかかる。

 メールが名刺に記載されたアドレス宛に送信すればよいだけなのに、SNSの場合は相手と友だちになるといった手順が求められる。Facebookではそれを回避する方法も用意されているが、そもそも相手が自分の存在を非公開ということもある。だから、リアルで人と知り合い、バーチャルでも互いに知り合いになるというステップが必要になるわけだ。

 ぼく自身は、自分で使っている名刺の表面に電話番号を印刷するのをやめてすでに10数年が経過している。もちろん裏面の英字表記面には小さく記載してはいるのだが、表面には記載をやめた。そして表には名前と同じくらい大きくメールアドレスを印刷してある。

 これは電話してもらうよりも、メールにしてもらったほうが助かるという意思表示でもある。それに電話は携帯電話であっても多くの場合サイレントモードになっていたり、着信時に電車内にいたりして気がつかないことや出たくても出れないことがあるからだ。それに基本的に特定の1端末にしか着信しないというのも不便だ。これは仮に1週間の出張があった場合、その間にポストに配達された郵便物をチェックする術がないというのに似ている。

 だが、メールであればちょっとしたスキマ時間にチェックして、必要ならPCを開いて詳細な返事ができたりする。iPhoneのメールで、デフォルト署名が「iPhoneから送信」となっているのを見て感心した覚えがある。あえてそのまま使っていれば、多少誤字脱字があったり、ぶっきらぼうな文面であっても、相手はきっと許してくれるだろうという免罪符になるからだ。

パブリックとプライベート

 メールアドレスはパブリック、SNSアカウントはプライベートという面もある。働き方改革が叫ばれる中で、FacebookやTwitterは休日でもチェックするが、メールアプリは開かないというユーザーは少なくない。当然、仕事の連絡はそれでストップする。金曜日の夜にメールを送信しても、返事がくるのは週明けということになってしまう。

 逆に、平日の昼間はいっさいSNSを開かず、ひたすらメールのみというユーザーもいる。会社で仕事をしているのだからプライベートなコミュニケーションに時間を割くわけにはいかないというのがその理由だ。

 メールアドレスは会社の名刺にも刷り込まれ、名刺を渡した相手は、そこにメールを送ることを許されたユーザーとなる。ぼくらの場合、記者会見などに出席するときは、必ずといっていいほど名刺を置いてくるが、そこに記載されたメールアドレス宛にその後の連絡がくるし、そもそも記者会見開催の案内などもメールで送られてくる。ぼくらのような商売にとって、メールアドレスをいかに多くの取材先に知ってもらい、できるだけたくさんの案内をもらえるようにできるかどうかは仕事そのものの質や効率に大きな影響を与える要素だ。

 かと思えば、Twitterの返信機能や@メンションで連絡をとろうとしてくる相手もいる。Twitterでは誰からでもDMを受け取る設定にしていないと、相互フォローしていなければDMをやりとりできないので、この方法をとるしかない。

 その場合、通知でそのことに気がつき、相手と相互フォローした上で、相手のメールアドレスを聞き、そこにメールすることでこちらのメールアドレスを伝える。めんどうなようだが、Twitterでのコミュニケーションは、その履歴をあとで参照しにくいということもあり、メールでのやりとりのほうを個人的には好む。これはFacebookでも同様だ。

 面と向かって名刺を交換したときにはスムーズにメールでのコミュニケーションに移行できるが、やはり、自分のメールアドレスを伝える際には、いかにそれがパブリック性が強いといってもちょっと用心深くなる。

アドレスを知らせなければメールはこない

 もちろん仕事ではSNSを使わないというポリシーを持つ人もたくさんいる。名刺を交換したあとで、今後つながっておきたいと思う相手には、Facebookでの交流をお願いすることも多いのだが、やんわりと断られることがある。プライベートはプライベートで守りたい領域があるということだ。それはそれで尊重しなければならない。

 多くの会社では、企業の内部統制や法令遵守のために外部とのメールのやりとりを一定期間アーカイブしている。企業によっては特定のキーワードが含まれるメールを抽出し、場合によっては管理者にアラートを出すような仕組みを導入しているところもあるようだ。そうしたことが行なわれているのを知ったうえで、エンドユーザーは外部を含めた相手とメールをやりとりする。

 そのメールのやりとりが深夜や休日などに大量に行なわれていることがあとでわかった場合、会社としての責任を問われることもあるかもしれない。会社がそれを強要しているように判断されれば、過労などがあった場合に責任の一端を負わなければならない可能性は高い。

 だからプライベートはプライベート、会社は会社と、コミュニケーションは完全に分離することをエンドユーザーに対して組織は要求することがどうしても多くなる。働き方改革は働かせ方改革でもあるということだ。

 ただ、世の中全体で、プライベートと業務の境目が曖昧なものになってきている中で、そうもいっていられないというのが実状だったりもする。だからFacebookメッセンジャーを使って簡単な打ち合わせをチャットで済ませたりもすることがあるわけだ。ぼくらのように境目が曖昧な立場にとっては好都合だが、大企業に勤務して仕事をしている相手にとっては複雑な心境が背景にあるかもしれない。

 とまあ、コミュニケーションの手段が増えるにつれて、それを取り巻く事情は常に変動している。ただ、少なくともいえることは、読まない、あるいは読んでも頻度が著しく低い連絡手段は他人に伝えるべきではないということだ。とくにメールは、自分が読んだのかどうかが相手にわかりにくいから余計にそうだ。

 組織に属している場合、名刺にメールアドレスを印刷するかどうかは自分で決められるわけではない。おそらくはほぼ確実に印刷されているだろう。そして、その名刺を誰かに渡すということは、メールは確実に読むということを宣言するようなものだ。企業人にとってこれはどうしても受け入れなければならない要素だといえる。展示会のブースで名刺を置いてくれば、その企業からの宣伝メールが届くようになるのは当たり前だ。それが覚悟というものだ。

 プライベートな場合はちょっと事情は異なる。メールを読まないならメールアドレスは他人に伝えないという選択もできる。不特定に近い相手からのメールをすべて受け入れるか、友だち申請と承諾などのワンステップを介してからコミュニケーションを受け入れるようにするのか。そのあたりは悩みどころだ。自分で自分のコミュニケーションの幅を狭めることが、社会とのつながりを拒否することにつながらないかどうかを含め、そのあたりをじっくりと考えてほしいところだ。