笠原一輝のユビキタス情報局

AMDのBAPCo脱退の背景にある拡大するGPUコンピューティング



 AMDは米国時間の21日、PC業界の主要企業により構成されるベンチマークプログラム作成団体のBAPCoから脱退したことを発表した。

ナイジェル・デッソー氏(6月撮影)

 同社上席副社長兼CMOのナイジェル・デッソー氏は、ブログにおいて、その理由について、BAPCoが先だって発表した最新ベンチマークプログラム「SYSmark 2012」に大きな不満があるためと語っている。また、AMDと時を同じくして、NVIDIA、VIA TechnologiesもBAPCoから脱退していたことも明らかになった。

 AMDがBAPCoからの脱退を決めた背景には、SYSmark 2012が依然としてCPU重視のワークロードを中心に構成されている事への不満、そしてAMDの言い分が通らないという運営面への不満などがあると考えられている。

●PC業界の標準ベンチマークプログラムと目されてきたSYSmark

 PC媒体を読みこなしている読者には釈迦に説法かもしれないが、ベンチマークプログラムにはあまり詳しくない読者のために、ベンチマークプログラムそのものの解説にしばしお付き合いいただきたい。

 そもそもベンチマークという言葉は、日本語にすれば「ものさし」のことで、ベンチマークプログラムとはPCの性能を数値化するためのプログラムと定義できる。PC業界で利用されるベンチマークプログラムは、一般的に2つの種類に分類される。

(1)PCのコンポーネント(CPU、GPU、メモリ、ストレージなど)単位で計測するプログラム
(2)複数の実在アプリケーションなどを組み合わせて計測するプログラム

 前者はPCMarkや3DMarkなどが有名。後者は、よりユーザーの利用感覚に近いものはこちらだと考えられており、SYSmarkはこの後者型のベンチマークプログラムになっている。その最新版がSYSmark 2012だ。BAPCoは前述の通り、業界の主要企業から構成されている業界団体で、各社が協力してSYSmarkを作成しているため、これまでSYSmarkはPC用ベンチマークの業界標準と目されてきたのだ。

●保守的なSYSmarkの設計

 しかし、AMDのデッソー氏はブログの中で、SYSmark 2012は以下の点において業界標準のベンチマークプログラムとしてふさわしくないと述べている。

(1)SYSmark 2012では18のアプリケーションと390の計測ポイントがあるが、このうち7つのアプリケーションと10%の計測ポイントで総合スコアが決まってしまう
(2)総合スコアの大部分が、ユーザーが頻繁には実行しないOCRとファイル圧縮で決まってしまっている
(3)GPUを利用した総合スコアに反映されていない

(1)と(2)ももっともらしい理由として挙げられているが、AMDが強調したい点が(3)のGPU関連であるというのは、原文の長さを見れば明らかだろう。

 SYSmarkは非常に保守的なベンチマークプログラムとして知られており、マルチスレッド処理が当たり前になってきた時でもシングルスレッドの処理がほとんどで、デュアルコア、クアッドコアなどのプロセッサでもほとんど差がでないことはよく知られていた。前のバージョンであるSYSmark 2007 PreviewでもGPUを利用した処理はほとんどなく、スコアにはGPUの性能がわずかしか影響しなかった。しかし、GPUの利用シーンは着実に増えており、それを反映しないSYSmark 2012は信用するに値しないというのがAMDの主張だ。

 以前BAPCoに近い関係者と話したとき、BAPCoのベンチマークが保守的だという話をすると「確かに保守的なのは事実。ただ、多くの利害関係者が集まっており、それを調整するだけでも一苦労なのも事実だ。何よりもプログラムを安定させるための作業に膨大な時間がかかる」と説明されたことがある。つまり、これだけの実在のプログラムを自動で動かして安定して結果を計測するプログラムを作るには、保守的にならざるをえないというのがBAPCo側の主張である。

●BAPCoへの不信感とヘテロジニアスコンピューティング時代への備え

 AMDは今回の声明の中で、今後別の業界団体を作ってオープンなベンチマークを提供していきたいとも述べている。だが、BAPCoは決してクローズな団体ではない、希望する企業は(参加費は必要だが)誰でも参加できる。よく読むとわかるが、AMD自身もSYSmarkがオープンなベンチマークではないとは一言も言っていない。誰にもオープンなベンチマークを作るには、業界の主要企業が参加しているBAPCo内で改善を試みた方が良いことは明らかだ。

 それにもかかわらずAMDが、今回脱退という強硬な動きにでた背景には、

(1) BAPCoの運営への不信
(2) リリースしたばかりのAMD AシリーズAPU(Llano)への評価問題
(3) AMDが推進するヘテロジニアスコンピューティングへのアピール

という3つの理由があると考えられる。

 ずいぶん前の話しになるが、AMDのある副社長にインタビューした時のこと。インタビュー中にその副社長は、筆者のICレコーダを指さしてそれを止めてくれと言った。そして「我々はBAPCoをIntelとほぼ一体だと考えている」とBAPCoとIntelの関係について、AMDが深い疑念を持っていると語り出したのだ(レコーダは止められ、語ったという証拠もないのでここでは「ある副社長」にとどめておく)。

 筆者はBAPCoとIntelが一体であるという証拠はつかんでいないが、1つだけ言えることは、AMDが以前よりBAPCoの運営に対して深い不信感を持っていたということだ

 2つ目の理由は、SYSmark 2012が、最新のAMD Aシリーズの評価に大きく影響してくることだ。AMD Aシリーズは、CPU性能を犠牲にしてもGPU性能を引き上げる設計思想で作られている。それは、AMDが公開している以下のスライドに一目瞭然だ。これは、AMD AシリーズとIntelの第2世代Coreプロセッサ・ファミリー(Sandy Bridge)のダイのうちどれくらいの割合がCPUとGPUに利用されているかをグラフィックスで示したモノだ(ちなみにダイサイズはほぼ同等)。

AMD AシリーズとIntel第2世代Coreプロセッサ・ファミリーのダイにおける各ブロックの割合。LlanoのGPUの割合が大きいことがよくわかる。2つのプロセッサは設計思想がそもそも違うのだ。(出典:AMD)

 SYSmark 2012のように、CPUによる処理ばかりが重視されるベンチマークプログラムが、今後もずっとリリースされるような状況が続けばAMDにとって不利な状況が続くことになる。今後もAPU路線を突き進むと宣言しているAMDがこれを嫌うのはある意味当然だろう。

 そして3つ目の理由として、これはAMDだけに限ったことではないが、現在PC業界が全体としてヘテロジニアスコンピューティングと呼ばれる方向性向かおうとしていることが挙げられる。

 先にも述べた通り、最新のプロセッサには、従来のCPUに相当するスカラープロセッサだけでなく、GPUに相当するベクタープロセッサが搭載され、ヘテロジニアス(異なる種類)プロセシングの時代を迎えつつある。ここでは、CPUだけでなく、GPUにもピーク性能を発揮させてこそ、プロセッサの持つ全性能を発揮させることができるのだ。

 AMDは先週シアトルで行なったAMD Fusion Developer Summit(AFDS)でこうしたビジョンについて語った。今日現在ではGPUを汎用的に使うアプリケーションが少ないのは事実だが、AMDも、NVIDIAも、Microsoftもみなそうした方向へ向かって動き出している。そして、一番動きが遅いIntelとて、2012年にリリースするIvy BridgeではOpenCLに対応し、そうした方向へ向かい出す。

 だからCPU重視のSYSmark 2012は業界標準の座にはふさわしくない、というのがAMDが最も言いたいところだろう。

●これからはCPUだけでなくGPUも利用したベンチマークは必要になる

 このSYSmark 2012がリリースされるまで、AMDもBAPCoのメンバーだった。これは推測に過ぎないが、AMDはその開発に当たって、GPUの比重を高めるべきだと主張したはずだ。しかし、BAPCo内のさまざま企業の思惑、および政治的な活動の結果、製品の方向性はそちらには向かなかった。

 これは、業界の総意だと取ることも可能だし、特定の影響力の強い企業の意図が色濃く反映されたと取ることも可能だろう。

 今回AMDは、そうしたことを考えた結果、脱退という急進的な動きにでることが、自社の利益に適っていると判断した。こう考えれば、AMDに続き、NVIDIA、VIAとGPUを抱えるベンダーがBAPCoを次々と脱退していることにも合点がいくのではないだろうか。

 ユーザーにとって今回の動きをどうとらえればいいのか。筆者はSYSmark 2012の価値は、CPU重視のベンチマークという意味では、その重要性は変わらないと思う。旧態依然としたPCの使い方を反映するベンチマークプログラムとして、SYSmark 2012はわかりやすい指標の1つで有り続けるであろう。

 しかし、PCの使い方は日々刻々と変わりつつある。Internet Explorer 9やFlash 10.xのようにGPUを利用するアプリケーションは日々増えつつあり、これからはGPUの性能を反映したベンチマークも必要だろう。それは現在PC業界に突きつけられている課題の1つと言ってよい。

 最後に1つ。完全に公平なベンチマークなどこの世には存在していない。だからレビュアーは、複数のベンチマークプログラムを実行し、できるだけ客観的に見ることができるよう、材料を増やす努力をしている。

 今後もそうした努力を続けていくべきだが、その中でGPUコンピューティング関連の項目もどんどん取り入れていくべきだろう。AMDの今回の動きが呼び水になって、業界、メディア、ユーザーの間にそうした認識が浸透していくのだとすれば、将来振り返ってみれば今回のAMDの行動は、業界にとっての功績だったということになるのではないだろうか。

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(2011年 6月 24日)

[Text by 笠原 一輝]