福田昭のセミコン業界最前線
富士通のマイコン事業を買収するSpansionの過去【後編】
(2013/6/24 00:00)
富士通セミコンダクターのマイコン・アナログ事業を買収する米国の半導体メーカーSpansion(スパンション)が、元は、20年前の1993年に富士通とAMDの合弁で設立された会社であること、2009年にSpansionは一度倒産したこと、そして倒産までの経緯を前編で説明した。後編では、2009年の倒産時点から現在までの経緯を解説しよう。
2009年におけるSpansion倒産の謎
4年ほど前の2009年春にSpansionと日本法人Spansion Japanは倒産したのだが、この時にいくつかの不可解な出来事があった。
まず、米国本社のSpansionではなく、日本法人のSpansion Japan(スパンション・ジャパン)が先に倒産したこと。スパンション・ジャパンは2009年2月10日(日本時間)に会社更生法の適用を裁判所に申請した。
そしてこの時、米国Spansionは「日本法人以外のSpansionは通常業務を続ける」と公式に発表しており、スパンション・ジャパンの倒産の影響は日本国内に限定されたものであるとしていた。
しかし米国Spansionはおよそ20日後に倒産する。2009年3月1日(米国時間)に米国連邦破産法第11章(チャプターイレブン)の適用を裁判所に申請したのだ。
意思の疎通を欠いた日本と米国
米国Spansionは2009年2月上旬の時点で、チャプターイレブンを申請するつもりはなかった。ところが、日本法人のスパンション・ジャパンが米国法人にきちんと知らせずに会社更生法の適用を申請してしまったらしい。2008年後半から2009年始めにかけての日米両社は、明らかに意志の疎通を欠いていた。
Spansionグループの2009年1~2月にかけての動きから感じ取れるのは、倒産による再生ではなく、事業の再編成によってSpansionを立て直して行こうとする意志だ。1月15日に事業再編成の開始を宣言し、2月2日にはSpansionの設立以降、CEO(最高経営責任者)をずっと務めてきたBertrand Cambou(バートランド・カンブー)氏を正式に解任する。カンブー氏は取締役も解任され、経営責任を取る形でSpansionを実質的に追放される。
わずか2日後の2月4日には、Spansionの新CEOにJohn Kispert(ジョン・キスパート)氏が就任する。キスパート氏は半導体製造・検査装置メーカーKLA-Tencor(ケーエルエー・テンコール)の社長兼COO(最高執行責任者)を2006年1月~2009年1月まで務めており、財務を専門としていた。
最高経営責任者(CEO)の交代によって財政の立て直しと事業の再構築を押し進める、というのがSpansionの取締役会や債権者などが描いたシナリオだ。新CEOに就任したキスパート氏は2013年6月時点でも社長兼CEOを務めていることから、同氏が主導したリストラは一定以上の評価を受けたことが分かる。ただし、倒産は予定になかった。
Spansionとスパンション・ジャパンの特殊な関係
キスパート氏がSpansionのCEOに就任したのが2月4日(米国時間)。わずか5日後の2月9日(米国時間)にはスパンション・ジャパンが会社更生法の適用を申請する。日本の動きは直前まで、キスパート氏を含めた米国Spansionの経営幹部には知らされていなかったと考えられる。同氏はその後、当時の心情を「びっくりした」、「寝耳に水の事態」、「日本は難しい」などとコメントしている。
2003年にAMDと富士通の合弁で誕生したSpansionは、米国カリフォルニア州サニーベールが本社ではあるものの、半導体製造の本拠地は日本の福島県会津若松市にあり、製造を管轄する日本法人のスパンション・ジャパンは子会社ではなく、米国本社のパートナーに相当する位置付けだった。スパンション・ジャパンの歴代社長がすべて日本人であり、なおかつ米国本社のエグゼクティブ副社長を兼任していたことからも、日本法人の重要さがうかがえる。SpansionのCEOを2009年2月2日まで務めてきたカンブー氏は、スパンション・ジャパンの立場と重要性を理解していたようだ。
ただし、こういった扱いは米国の半導体メーカーでは一般的ではない。米国本社から見ると、世界各地の現地法人は社長といえども、本社の経営幹部を兼務することは、極めてまれである。例えると、日本の大企業では東京本社の部長クラスが地方では支店長を務めていることが少なくない。その支店長が日本法人の社長だと想像すれば、日本法人社長の立場が理解しやすいだろう。
カンブー氏に代わってCEOに就任したばかりのキスパート氏はたぶん、一般的な米国本社の企業統治を想像していただろう。そこに日本法人が突然、会社更生法の適用を申請したことは、過去の経緯を実感していないキスパート氏にとっては「造反」とすら感じかねないショックだったと想像する。
スパンション・ジャパンが置かれた苦境
ただし、スパンション・ジャパンにとって会社更生法の適用申請は、やむを得ない選択だったようだ。当時の代表取締役社長は富士通出身の田口眞男氏(現在は慶応義塾大学特任教授)。田口氏は、経営幹部が管財人となって経営を続けるDIP(Debtor in Possession)型の会社更生法を申請しており、同氏は代表管財人に就任して再建を主導した。
雑誌「日経ビジネス」の名物コラム「敗軍の将、兵を語る」で田口氏は、倒産の経緯を語っている(2010年9月6日号、「1000億円工場、働かず」、106~108ページ)。倒産の理由の多くは300mmウェハを扱う生産ライン(SP1)の立ち上げに失敗したことなのだが、会社更生法を申請する引き金となったのは、米国本社から日本への送金が滞ったことが大きい。
キスパート氏は「サニーベールにいてびっくりした。キャッシュがなかっただけなのに」と評しているが、日本法人にとって製造装置メーカーへの支払いがストップすることは、生産ラインの停止を意味する。残念なことだが、キスパート氏が見えているものと、田口氏が見えているものは、大きく異なっていた。
NAND型フラッシュとの競合を避ける
日本法人の倒産という予想外の事態によって米国本社は独自再建を諦め、法律に則った再建を余儀なくされる。2009年3月1日、米国連邦破産法第11章(チャプター・イレブン)の適用をSpansionは申請する。
Spansionの戦略転換は素早かった。まず、製品戦略を変更した。NAND型フラッシュメモリと競合していた携帯電話端末向け製品からは撤退し、組み込み向けに製品系列を絞り込んだ。また研究開発費を大幅に削減するとともに、一部の工場は売却した。さらに、組み込み向けにピン数の少ないシリアルインターフェイス品のNOR型フラッシュメモリを発売した。製造戦略では、大規模な量産工場を自社では持たない方針へと大きく転換した。量産は製造委託を前提とした。
2010年4月にはSpansionの再建計画が裁判所によって認可され、同年5月には米国連邦破産法第11章の適用を脱した。
この結果、2009年から2010年にかけて売り上げは減少したものの、営業損益は大幅に改善した。四半期ベースでは、営業黒字になる期が出てきた。
日本法人が2つに分裂
一方、日本法人はどうなったのか。2010年1月に米国Spansionは新たに子会社「日本スパンション」を設立し、Spansion Japan(スパンション・ジャパン)の販売関連部門を人員ごと吸収する。スパンション・ジャパンに残ったのは主に製造部門である。
日本スパンションとスパンション・ジャパン。日本には2つの法人が存在する状態が2010年には出現した。同年5月24日に日本で開催された報道機関向けの説明会(記者会見)で日本スパンションの社長である鈴木伸二氏は、スパンション・ジャパンと親会社(米国Spansion)は、ほとんど関係がないと発言した。そしてスパンション・ジャパンの製造部門売却案件には米国Spansionは関知しないとした。
言い換えると、元からあった日本法人スパンション・ジャパンとは別離し、新たに日本法人を設立して運営に当たる、というのがキスパートCEOが主導するSpansionの方針ということだった。スパンション・ジャパンの会社更生法適用申請がキスパート氏に与えた衝撃の大きさがうかがえる。
そしてスパンション・ジャパンは再建の道筋を、独自に製造部門を売却して残る負債を返済し、会社自体は精算するという形に変更せざるを得なくなった。米国の大手半導体メーカーTexas Instrumentsがスパンション・ジャパンの製造部門(会津若松工場)を買収すると発表したのは、2010年7月のことだ。同年8月には米国SpansionとTexsas Instrumentsの間でNOR型フラッシュメモリの製造委託契約がまとまった。会津若松工場でSpansion向けにフラッシュメモリを製造するという契約である。こうしてスパンション・ジャパンは消滅した。
NOR型フラッシュの大容量化とNAND型フラッシュの共同開発
スパンション・ジャパンと縁を切ったSpansionは、製品開発に関してはエルピーダメモリと協力関係を結ぶ。2010年7月にはMirrorBit技術による大容量NAND型フラッシュメモリを共同開発することでエルピーダメモリと提携し、開発成果を上げていった。2012年2月にエルピーダメモリが倒産したものの、同年5月には共同開発技術をベースにしたNAND型フラッシュメモリを製品化する。新たなパートナーには韓国SK Hynixを選び、クロスライセンスを結んで製造を委託した。
またメインストリーム製品であるNOR型フラッシュメモリでは、比較的順調に大容量化を進めていった。2010年11月に2Gbit品を製品化し、2011年8月には4Gbit品を製品化した。そして2012年11月には8Gbit品を開発した。およそ1年に2倍のペースで大容量化を進めたことになる。大容量NOR型フラッシュメモリは主に、中国のシリコンファウンダリXMCに製造を委託した。
赤字続きだった業績は2009年以降、ゆっくりと回復に向かう。売上高は倒産前の半分程度に減少したものの、営業赤字は年ごとに減少し、2012年には初めての黒字転換を果たす。2012年通年の売上高は9億1,593万ドル、営業利益は6,284万ドルとみられる。なおSpansionの日本国内における販売代理店は2009年以降も、富士通セミコンダクターの販売子会社である富士通エレクトロニクスが担当している。
富士通とSpansionの関係はこれからも続く
そして2013年4月30日、富士通グループのマイコン・アナログ半導体事業をSpansionが買収することが決定する。買収作業は2013年7~9月までに完了する予定だ。
マイコン・アナログ半導体事業の年間売上高は2013年3月期で約550億円。富士通グループの連結売上高の約1.3%である。4兆3,817億円の売上高を誇る富士通グループから見ると、マイコン・アナログ半導体事業の売り上げは微々たるものだ。
しかし、年間売上高が約10億ドル(1ドル100円で換算すると1,000億円)のSpansionから見ると、この買収により、単純合計による売上高は1.5倍に増加する。富士通グループとSpansionでは、550億円という金額に対する見え方がまったく違う。
もっと大きな影響を与えるのは、日本スパンションの位置付けだろう。日本スパンションの従業員数はわずか90名に過ぎない。これに対し、富士通グループから移籍する従業員の数は約1,000名に達する。この人数の大半は日本の事業所に在籍していると見られるので、日本スパンションの人数は一気に10倍に膨れ上がることになる。
Spansionグループ全体に与える影響も大きい。Spansionの全世界における従業員数は約2,800名なので、今回の買収によって従業員数は40%近くも増加し、米国以外の現地法人では日本法人の従業員数がダントツになることは間違いない。
しかもSpansionにはマイコン事業の経験がない。日本スパンションは実質的にはマイコン事業会社になる。マイコン事業とフラッシュメモリ事業では事業のスタイルや文化などが大幅に異なる。メモリ事業のスタイルではたぶん、通用しない。
現在のところ、日本スパンションの代表取締役社長はRandy Furr(ランディ・ファー)氏となっている。しかし同氏はSpansion本社のCFO(最高財務責任者)を務めており、日本に常駐することは難しいとみられる。事業規模が20倍に拡大する日本スパンションの代表取締役社長は、マイコン事業に通じた別の人間が務めることになるだろう。
SpansionとTexas Instrumentsの関係も注意点だ。Texas Instrumentsのマイコン事業はSpansionのフラッシュメモリ事業と協力関係にあるようなのだ。両社が公式に提携を発表したわけではないが、Texas Instrumentsのマイコン製品の資料は、SpansionのNOR型フラッシュメモリとの関連(粗く言ってしまうと両者を組み合わせて使う仕掛け)をうかがわせる。
今後、Spansionグループの組織変更と人事異動は避けられないプロセスである。SpansionのキスパートCEOがどのような決断をするのかに、注目したい。