■福田昭のセミコン業界最前線■
高性能半導体チップに関する講演会「Hot Chips 22」の初日である8月22日の午前には、不揮発性半導体メモリに関するチュートリアル・セッションが設けられていた。このセッションではNANDフラッシュメモリの最大手ベンダーであるSamsung Electronicsなどが講演したのだが、次世代不揮発性メモリの有力候補とされる「磁気メモリ(MRAM:Magnetoresistive Random Access Memory)」を現在のところ唯一量販しているベンチャー企業Everspin Technologiesが、MRAM製品の仕様と次期製品の開発状況を講演した。ここで次期製品に関する重要な成果が明らかになったので、講演概要をご紹介したい。
講演者は、Everspinで最高執行責任者(COO)をつとめるSaied Tehrani氏である。Tehrani氏は同社の概要を簡単に説明した後、現行のMRAM製品の性能がどの程度かを説明した。
Everspinの成り立ちは、米国の大手エレクトロニクス企業Motorolaまで遡る。Motorolaの半導体部門がもともとはMRAMの開発を手掛けており、2004年4月4日に同部門が分離独立して半導体専業のFreescale Semiconductorとなったことから、FreescaleがMRAMの研究開発を引き継いだ。そして2006年7月10日にFreescaleは、世界で初めてのMRAM製品を出荷したと発表した。そのおよそ2年後、2008年6月にMRAM専業のEverspinがFreescaleから分離独立して誕生した。FreescaleのMRAM事業に関する資産は、Everspinに承継された。
MRAMが次世代の不揮発性メモリとして期待されるのは、その記録原理に負うところが大きい。磁気モーメントの方向の違い(磁化の向きの違い)を論理データとして記憶するからだ。磁化の向きをデータとすること自体は、ハード・ディスク装置(HDD)と変わらない。すなわち、原理的には劣化がない。半永久的にデータを書き換えられるのである。このような特徴を備える不揮発性半導体メモリは、今のところMRAM以外には見つかっていない。
Everspin Technologiesの概要 | MRAMのメモリセル。磁気トンネル接合(MTJ)と呼ぶデータ記憶素子と、メモリセルを選択するトランジスタ(選択トランジスタ)で1個のメモリセルを構成し、1bitのデータを記憶する |
●MRAMは製品で高い性能を証明
製品化されたMRAMチップの性能には素晴らしいものがある。まずデータを保持できる期間(データ保持時間)が長い。フラッシュメモリや強誘電体不揮発性メモリなどのデータ保持期間は10年なのだが、MRAMは20年を保証する。
そして書き換え回数は無限大(unlimited cycling endurance)。フラッシュメモリの書き換え回数は多くても10万回である。強誘電体不揮発性メモリの書き換え回数はずっと多くて10の12乗回なのだが、「読み出し回数と書き換え回数を含めた累計が10の12乗回」という重大な制限がある。すなわち24時間ずっと読み出しを頻繁に繰り返す用途には、強誘電体メモリは適さないのだ。ちなみに半永久的に読み出しと書き込みを繰り返せる回数とは、おおよそ10の15乗回とされている。DRAMとSRAMは当然ながら、10の15乗回の書き換えを保証する。不揮発性メモリでDRAMやSRAMと同様に寿命を気にせず使えるのは、MRAMだけである。
MRAM製品の読み出しアクセス時間と書き込みアクセス時間はともに35nsとかなり短い。中速SRAMなみの速度がある。NANDフラッシュメモリはスループットは高いものの、読み出しをかけてから最初のデータが出力されるまでの時間はマイクロ秒オーダーで、MRAMに比べると数百倍の時間がかかってしまう。DRAMおよびSRAMと同様に主記憶(メインメモリ)として利用できる不揮発性メモリは、MRAMだけである。
また地道な改良として、使用温度範囲の拡張がある。2006年7月に製品化が発表された当時のMRAMは、使用温度範囲が0℃~70℃だった。民生用の電子機器に載せることを前提とした使用温度範囲である。その後、使用温度範囲は自動車用電子機器に相当するマイナス40℃~プラス85℃、さらには軍事用電子機器に相当するマイナス40℃~プラス125℃にまで拡張されてきた。このことは2006年の製品化以降、MRAM製品の信頼性が継続して向上してきたことを示している。
Everspin Technologiesが製品化したMRAMの主な性能 | 各種メモリの書き換え可能回数と書き換えサイクル時間の関係 |
●MRAM製品の信頼性を支えるトグル技術
EverspinのMRAM製品が高い信頼性を実現できたのは、独自のメモリセル技術「トグル(Toggle)技術」による。データ書き込みの電気的な余裕が大きくとれる、独自の記憶素子である。もともとは、Motorolaの半導体部門がMRAMを開発していたときに考案した技術だ。
MRAMセルの記憶素子として研究開発コミュニティで当初考えられていた構造は、磁化層(固定層)、トンネル障壁層、磁化層(自由層)の3層構造である。この3層構造を貫通するように電圧を加え、電流の大きさをデータとして読み出す。自由層の磁化の方向が、データの論理値に対応する。固定層の磁化の向きと自由層の磁化の向きが同じであるときは貫通電流は多く流れ、磁化の向きが逆であるときは貫通電流は少なく流れる。
これに対してトグル技術では、自由層を2層構造にした。自由層の各層で磁化の向きは180度、逆である。そして自由層の2層とも磁化の向きを反転させることで、データを書き込んだ。このとき重要なのは、直交する2種類の磁界によって自由層の磁化の向きを回転させることにある。2種類の磁界が加わるのは選択セルだけで、ワード線あるいはビット線を共有するセルには、1種類の磁界しか加わらず、磁化反転が起こらない。したがって余裕(マージン)を持ってデータを書き込める。この余裕が、高い信頼性を支えている。
MRAM用記憶素子の構造。矢印のある層が自由層、「pinned」と書かれている層が固定層であり、その間にトンネル障壁層が存在する。左が当初考えられていた構造。右がEverspin Technologiesが製品化した構造(トグル技術) | トグル技術における書き込み動作。2本の配線(電流)による2種類の磁界を利用して磁化の向きを回転させる |
●メモリセル面積と消費電力が微細化を阻む
このように素晴らしい性能を備えたMRAMだが、DRAMを置き換えるような「究極のメモリ」には、まだ遠い。DRAMに比べると、メモリ容量が非常に小さく、また消費電力がやや大きい。言い換えると、メモリセル面積を大幅に小さくするとともに、消費電流を下げる必要がある。
製品化されたMRAMのメモリ容量は最大でも16Mbitしかない。DRAMに対抗するには、1Gbitは必要だろう。ところがトグル技術には、データ記憶素子の面積が大きくなってしまうという弱点がある。磁気モーメントを回転させる領域を確保しなければならないためだ。
半導体製造では、微細加工の寸法(F:feature size)でメモリセル面積の大きさが変動する。そこでメモリセル面積がFの2乗の何倍になるかで、メモリセルの密度を測る物差しとしている。例えばDRAMセルは6~8×(Fの2乗)の大きさがある。これに対してトグル技術のMRAMセルは、38~39×(Fの2乗)もの広大な面積を必要とする。例えば65nm技術で1Gbitチップを設計すると、MRAMシリコンダイの面積は軽く300平方mmを超える(メモリセルアレイと周辺回路の面積を同一と仮定した場合)。一方、1Gbit DRAMのシリコンダイは50~60平方mmとみられる。これでは製造コストがあまりに違いすぎて、勝負にならない。
消費電力の大きさも問題である。磁界を発生させるための電流が、消費電流を押し上げているのだ。しかも微細化を進めると、磁化反転を起こすための磁界が急速に高くなり、消費電流が急速に増大する。このため、もっと効率の高い、磁化反転方法を考案しなければならない。
●スピン注入メモリ(STT-RAM)の高い潜在能力そこで登場したのが、スピン注入技術だ。スピンとは電子の回転および回転によって生じる磁気モーメントのことを指す。MRAMのデータ記憶素子である磁気トンネル接合はトンネル障壁層を2枚の磁性層で挟んだ構造であると説明したが、磁性層には強磁性体が使われている。強磁性体には、電子のスピンの方向がランダムではなく、同じ方向にそろう性質がある。電子のスピンがそろうことで、磁化が生じる。
それでは、磁気トンネル接合に注入する電流(貫通電流)の量を大幅に増やすとどうなるだろうか。大量のスピンが注入されることにより、磁気モーメントの向きを変えるようなトルクが発生し、自由層の磁化が反転するのである。外部から磁界を与えずとも、磁化反転が起こる。これが「スピン注入メモリ(STT-RAM:Spin Transfer Torque RAM)」の基本原理である。
STT-RAMはMRAMの改良版ともいえる。ただし磁化反転の原理は、製品化されたMRAM(外部磁界による磁化反転)と大きく異なっており、まったく違う技術の開発を必要とする。このためMRAMと区別する意味で、開発企業はSTT-RAM、ST-MRAM、スピン注入メモリなどと呼んでいる。
STT-RAMは理論的には、磁化反転に必要な電流が微細化とともに小さくなる。磁気トンネル接合を小さくすると、消費電流が下がる。これは高密度メモリに適した性質である。
EverspinのTehrani氏は、STT-RAMは微細化とともに書き込み電流(磁化反転に必要な電流)が減少することと、65nm世代のCMOS技術ではGbitクラスの大容量メモリを適当なシリコンダイ面積で実現できることを示した。
65nm技術でSTT-RAMを製造したと仮定すると、メモリセルの大きさは0.04平方μmになるという。これは「9.5×(Fの2乗)」の大きさである。現行のトグル技術によるMRAMセルが「38~39×(Fの2乗)」なので、STT-RAMセルは約4分の1の大きさで済むことになる。DRAMセルが「6~8×(Fの2乗)」なので、大きさとしてはかなり近い。
さらにTehrani氏は、STT-RAMのデータ書き込みに必要なエネルギーが、65nm世代ではわずか1ピコジュール(10の12乗分の1ジュール)で済むことを示した。
トグルMRAM(左)とSTT-RAM(右)の構造。なおEverspinはスピン注入メモリを「ST-MRAM」と呼んでいる | 微細化と書き込み電流の関係。微細化によって書き込み電流が急速に低下していく | トグルMRAMとST-MRAM、既存の半導体メモリの性能比較 |
●究極の低消費電力メモリが実現可能に
「Hot Chips 22」の前週に開催されたフラッシュメモリの講演会「Flash Memory Summit 2010」でも、STT-RAMの潜在能力を証明する研究成果が披露された。STT-RAMの技術開発ベンチャーGrandisが、微細化によって書き込み電流が低下することと、書き込みに必要なエネルギーが非常に小さいことを示した。講演者は同社で最高経営責任者(CEO)を務めるFarhad Tabrizi氏である。
Tabrizi氏は、2010年3月に、書き込みエネルギーが0.25pJ(ピコジュール)と小さいことを60nmサイズの記憶素子で確認したと述べた。
STT-RAMのメモリセル面積と書き込み電流の関係。45nm世代で書き込み電流は40μA前後にまで少なくなる | 書き込みエネルギーの測定に関する最新の成果。書き込みパルス幅1~10nsのときに、書き込みエネルギーは0.25pJに満たなかった | Grandisが開発中のメモリセル構造。「6×(Fの2乗)」とDRAMセルなみの大きさを実現できるとする |
スピン注入メモリ(STT-RAM)の消費電力が低いことはこれまで、理論的には知られていた。実際に書き込みエネルギーが1pJ、あるいは0.25pJと極端に低いことが証明されたことの意義は小さくない。仮に1pJとしても、トグル技術のMRAMの100分の1、DRAMの5分の1とわずかなエネルギーである。極端に言ってしまえば、動作時のバッテリ寿命がDRAMの5倍に伸びるということなのだ。そしてDRAMと決定的に違うのは不揮発性であること。データ保持のためにバッテリが減ることがない。
仮に1Gbitの容量を備えたチップが実現できれば、バッテリ駆動のモバイル機器は大きな恩恵を受けられる。モバイル機器のメモリ設計はもちろんのこと、製品仕様にも大きな影響を与えることは確実だろう。
(2010年 9月 14日)