福田昭のセミコン業界最前線
「松下の半導体」が歩んだ60年~1990年代から2000年代を振り返る
2020年7月23日 06:50
パナソニック株式会社は昨年(2019年)11月28日に、同社の半導体事業を台湾の半導体メーカーに売却すると公式に発表した(参考:パナソニック、台湾企業に半導体事業を譲渡)。パナソニック(松下電器産業)が半導体事業をはじめたのは、1957年5月のことである。「松下の半導体」は60年を超える歴史を有することになる。そこで本コラムでは「松下の半導体」が歩んだ、およそ60年の道のりを振り返ることにした。
前回では、松下電器産業がオランダのフィリップスとの合弁企業「松下電子工業」を1952年12月に大阪府高槻市に設立してから、1957年5月に半導体事業に参入し、1993年に合弁事業を解消するまでを概説した。今回は、1990年代と2000年代の歩みをおもにご説明する。
前回でも述べたように、バイポーラ事業はフィリップスの技術指導によって開発したものの、MOS事業は松下電子工業(以降は「松下電子」と表記)の独自開発によるものだった。1980年代には、合弁事業はその役割を終えていたといえよう。
海外との共同開発に相次いで取り組む
1990年代前半の松下電子は、海外との提携で非常に積極的な動きを見せている。1991年2月には米国の半導体メーカーであるナショナル・セミコンダクターの工場を買収して米国での半導体生産に乗り出す。当時の日本の大手半導体メーカーでは、海外に生産工場を設ける動きが活発だった。顧客サポートの強化や部材調達の多角化、日米半導体貿易摩擦の回避といった性格を帯びた動きである。
松下電子は、海外の企業や大学などとの共同開発にも積極的に取り組んだ。1991年2月には米コロラド大学と、強誘電体不揮発性メモリ(FeRAM)の共同開発を本格的にはじめた。コロラド大学の研究者は後にベンチャー企業のシンメトリックスを設立、共同開発は松下電子とシンメトリックスに引き継がれる。1993年には256Kbitと当時としては大容量のFeRAMを共同開発する。
1993年には米SanDiskと共同で16Mbitのフラッシュメモリを開発したほか、米Actelと共同で開発した不揮発性FPGAの販売をはじめる。これらの動きには、前回に述べた「松下電子の技術者は英語に強い(フィリップスの日本駐在技術者と通訳を介さずに英語で会話していた)」という特徴が反映しているように感じる。
親会社の松下電器産業が松下電子を吸収
1990年代後半に目立つのは、親会社である松下電器産業が、松下電子の半導体事業を取り込もうとする動きだ。半導体は松下電器が開発するシステム(商品)の基幹部品であり、ハードウェアとソフトウェアの双方に大きな影響を与えるようになっていた。松下電器は半導体の内製化によってシステムの差異化を図ろうとした。半導体の開発を非常に重視していたといえる。
具体的な動きを見てみよう。1997年4月、松下電器産業が半導体開発本部を新設し、同本部に松下電子の半導体開発部門を移管する。松下電子の半導体事業は、製品の設計部門と製造部門、販売部門などが主体となる。
2年後の1999年4月には、松下電子が事業部門ごとに「半導体社」、「電子管社」、「照明社」の3社に分社化した。これは後から振り返ると、各社を松下電器産業の適切なグループに所属させるための布石だった。すなわち、さらに2年後の2001年4月には、松下電器産業が子会社の松下電子を吸収合併する。「半導体社」、「ディスプレイデバイス社(電子管社が社名変更したもの)」、「照明社」はそのまま、松下電器産業の社内分社となる。この組織変更によって「松下電子工業」は消滅した。
デジタル家電の開発用プラットフォーム「UniPhier」の誕生
半導体の取り込みによって松下電器産業が構想したのが、ハードウェアとソフトウェアのプラットフォーム化である。1990年代後半~2000年代前半は家電製品のデジタル化が急速に進んだ。このため開発工程では、LSI設計とソフトウェア設計の負担が増大しつつあった。
たとえばアナログテレビ(画面比率4:3)の開発では、1980年ころまではアナログ設計が開発の主体だった。開発コストに占めるアナログ設計の比率は90%と非常に高い。LSI設計とソフトウェア設計の比率はいずれもわずか5%に過ぎない。
それがアナログテレビでも画面比率が16対9のワイドテレビになると、LSI設計の比率が40%と急増する。アナログ設計の比率は50%とまだかなり高い。ソフトウェア設計の比率は10%とまだ低い。
さらにデジタルテレビの開発だと、ソフトウェア設計の比率が60%と開発コストの半分を超えるようになる。LSI設計の比率は30%とまだかなり大きい。逆にアナログ設計の比率は10%と大きく減少する。
テレビに限らずデジタル家電の開発では、ソフトウェア設計の負担が大きく増加しつつあり、今後も増え続けることが予想された。しかしソフトウェア設計者の数が足りない。これを松下電器は「ソフトウェア開発の爆発」と呼び、その対策としてプラットフォーム化によるシステムLSI開発とソフトウェア開発の負担軽減を考えた。その開発プラットフォームが「UniPhier(Universal Platform for High-quality Image-Enhancing Revolution)」である。「ユニフィエ」と呼ぶ。「UniPhier」の開発は、2004年9月に報道機関向けに発表された。
商品分野別プラットフォームから統合プラットフォームへ
「UniPhier」の基本的な考え方は、複数の商品分野における商品開発に適用できる共通のプラットフォームを構築するここと。共通プラットフォームにより、ハードウェア開発とソフトウェア開発の効率を高めることともに、設計の品質を向上させ、開発資産を異なる商品分野で再利用できるようにする。具体的なメリットは、開発期間を大幅に短縮できること。開発効率は、商品分野ごとの個別開発に比べて5倍以上の向上が見込めるとした。
2000年代前半の時点では、商品分野ごとにプラットフォームを構築してシステムLSIとソフトウェアを開発する手法(プラットフォーム型開発)はすでに取り入れられていた。しかし将来を見据えると、商品分野ごとのプラットフォームではオーバーヘッドが大きくなる。異なる商品分野で同じ回路やソフトウェア部品などを開発することになり、無駄が生じる。
そこで複数の商品分野をカバーする統合プラットフォーム「UniPhier」を用意することで、開発資産(LSIのマクロやソフトウェア部品など)を異なる分野の商品開発に利用できるようにする。
テレビ、レコーダ、携帯電話、ビデオ・カメラ、オーディオでUniPhierを導入
「UniPhier」の開発で注目すべきは、外販、それもセミカスタム事業を考えていたことだ。しかし実際には、あまり上手くいかなかったようだ。「UniPhier」の仕組みを理解することは、顧客とってそれほど容易ではない。筆者は「UniPhier」の登場後、数年にわたって展示会の松下ブースで外販の状況を質問してきたが、一度として良い感触を得られたことはなかった。
一方、松下電器のデジタル家電製品では、開発プラットフォームとして「UniPhier」を順次採用していった。といっても導入初期に付き物のバグや欠陥などが「UniPhier」でも続出し、セット側と半導体側はともに、それなりの苦労を強いられたようだ。
公表されている範囲では、デジタルテレビやBlu-ray Discレコーダ、ワンセグチューナー内蔵携帯電話端末、デジタルビデオカメラ、デジタルオーディオなどに「UniPhier」が採用された。また「UniPhier」をベースとするシステムLSIの製造プロセスは65nm世代から45nm世代、32nm世代へと微細化された。2000年代におけるデジタル家電の開発効率向上に「UniPhier」は大きく貢献したと言えよう。