福田昭のセミコン業界最前線
「松下の半導体」が歩んだ60年を振り返る~2010年代前半
2020年8月6日 11:15
パナソニック株式会社(旧・松下電器産業株式会社)の半導体事業が歩んだ60年を超える道のりを振り返るシリーズ。第1回では松下電器産業がオランダのフィリップスとの合弁企業「松下電子工業」を1952年12月に大阪府高槻市に設立してから、1957年5月に半導体事業に参入し、1993年に合弁事業を解消するまでを解説した。
第2回は、1993年に松下電子工業が松下電器の完全子会社となってから、2001年に松下電器に吸収されたこと。さらにはデジタル家電の統合開発プラットフォーム「UniPhier」を2004年に開発したこと。そして2008年に松下電器産業がパナソニックに社名変更するまでを記述した。すなわち1990年代から2000年代の歩みをご報告した。
化合物半導体デバイスの開発に積極的に取り組む
今回は、おもに2010年代前半の道のりをご説明する。はじめは研究開発の状況について報告しよう。最初のテーマは、「化合物半導体デバイス」だ。2000年代後半から2010年代前半にかけて、松下(パナソニック)は化合物半導体をベースとする電子デバイスの研究開発に積極的に取り組んだ。代表的な材料は2つ。窒化ガリウム(GaN)と炭化シリコン(SiC)である。いずれもパワーデバイスおよび高周波デバイスとしての理論的な性能が、シリコン(Si)よりも高い。
2つの材料があるなかで、松下が注力したのはGaNのデバイス開発だ。パワーデバイス応用と高周波デバイス応用の2つの市場が期待できた。
パワーデバイス応用では、2006年6月に縦型GaNトランジスタを開発したと発表する。GaNトランジスタは横型が主流で、パワーデバイス用途では大電流を流しづらい。大電流を流せる縦型のGaNトランジスタが望まれていた。2010年12月にはシリコン基板に耐圧が2200Vと高いGaNトランジスタを試作してみせる。続く2011年12月には、GaNパワーデバイスに対応した統合設計プラットフォームを開発する。
さらに2015年3月には、パワー半導体の大手ベンダーであるドイツのインフィニオンテクノロジーズと、パッケージ互換のGaNパワーデバイスを製造および販売することで合意する。
高周波応用では、2008年6月に準ミリ波帯の無線アクセスに対応したGaN高周波ICを試作し、2010年7月には25GHz帯で動作するGaNトランシーバを試作したと発表した。
化合物半導体パワーデバイスでは、SiCを材料とするデバイスの研究開発も手掛けた。2011年12月には、還流ダイオードを一体化したSiCパワートランジスタを試作した。2015年3月には、株式会社三社電機製作所(大阪府大阪市)と共同で小型低損失のSiCパワーモジュールを開発した。
抵抗変化メモリ(ReRAM)を世界に先駆けて商品化
次のテーマは「抵抗変化メモリ(ReRAM)」である。ReRAMは、DRAMやSRAMなどと同様にランダムなアクセスが可能で、なおかつ不揮発性(電源を切ってもデータが消えない性質)を備える。同じく不揮発性メモリであるフラッシュメモリはデータの書き換えにブロック単位の消去動作が必要であり、さらに読み出しがページ単位という制限がある。ReRAMにはそのような制限がない。
2010年代にパナソニックは、ReRAMの研究開発を積極的に進めた。2013年7月には世界で初めてReRAMを商品化した。具体的には、内蔵フラッシュメモリを内蔵ReRAMで置き換えたマイクロコンピュータ(マイコン)の量産をはじめた。
量産を開始したReRAM(第1世代品)の製造技術は180nm世代とかなり緩い。そこで台湾のファウンダリ企業UMCと共同で、40nm世代に微細化したReRAM技術を共同開発している。
2010年代前半に半導体の生産額は2000年代後半の半分に減少
2000年代後半から2010年代前半における「松下の半導体」は、研究開発は活発なものの、事業収入はお世辞にも好調とは呼べなかった。収入の減少が続いた。
収入減のきっかけは2008年秋の「リーマンショック」だった。2006年度~2008年度前半の半導体生産額は、四半期ベースで1,000億円から1,200億円の間を維持していた。年間では4,000億円を超える。
ところが2008年9月に「リーマンショック」が起こり、2008年度第3四半期(10月~12月期)の生産額は926億円に減少した。続く同年第4四半期(2009年1月~3月期)には生産額は563億円と1年前の半分にまで落ち込んでしまう。
その後、四半期ごとの生産額は900億円近くまで回復するものの、2010年度第3四半期以降は再び下降線をたどる。2012年度第1四半期以降は2014年度第4四半期まで、生産額は450億円~500億円と低い水準で推移する。
生産額が減少しているので、事業収支は非常に厳しいものとなった。2013年度第1四半期から2014年度第4四半期までの営業損益は、いずれも赤字である(パナソニックの決算発表資料から抜粋)。年度ベースでは2012年度の営業損益が公表されているのでまとめると、2012年度の営業損失が205億円、2013年度の営業損失が335億円、2014年度の営業損失が147億円となっている。少なくとも3年連続で、100億円を超える営業赤字を出したことになる。
半導体事業が「5つの主要赤字事業」の1つに転落
収入減少と収益の悪化を受け、半導体事業の事業戦略は大きな変更を余儀なくされる。デジタル家電に代表される民生用半導体から、車載用および産業用半導体への転換である。その動きが2013年の組織変更に現れている。社内分社である「パナソニック株式会社セミコンダクター社」を、車載機器や産業機器の社内分社である「パナソニック株式会社オートモーティブ&インダストリアルシステムズ社(AIS社)」に移管した。セミコンダクター社は、AIS社のセミコンダクター事業部となった。
パナソニックにとって2010年代前半は、デジタル家電事業が極めて苦しい状況に置かれた時期だった。2013年10月31日にパナソニックが公表した「事業変革の取り組み」と称する2015年までの中期計画(パナソニックは「CV2015」と呼称)では、非常に厳しい事業再構築プランが描かれていた。将来の成長が描けない事業、赤字を出し続けている事業は、いずれも統廃合していく。そのようなプランだ。
象徴的だったのは「主要赤字5事業」として5つの赤字事業を強く問題視したこと、ではない。挙げられた5つ赤字事業がいずれも、過去にパナソニックを牽引した花形事業だったことだ。すなわち「テレビ・パネル事業」、「半導体事業」、「携帯電話事業」、「回路基板事業」、「光ドライブ・ピックアップ事業」である。「半導体事業」は将来の統廃合を考慮した赤字事業とみなされた。
「アセットライト化」という半導体事業の分割が始まる
2013年10月31日の事業再構築プランで公表された半導体事業のもう1つの戦略が、「アセットライト化」である。アセットライト化、すなわち資産(アセット)の軽量化では、不要不急の資産だけでなく、事業の柱である資産も売却する。劇薬だとも言える。
ただしパナソニックの半導体事業の場合は、はじめはかなり緩やかなライト化(軽量化)だった。当初に公表されたのは、半導体事業を分割しての合弁化である。富士通とシステムLSI事業会社を合弁で設立することを「検討する」ことで基本合意したと、2013年2月に発表した。
同じ2013年の12月には、イスラエルのシリコンファウンダリ企業であるタワーセミコンダクターと合弁で、ファウンダリ企業の「パナソニック・タワージャズセミコンダクター株式会社」を2014年4月に設立することで合意した。パナソニック株式会社AIS社セミコンダクター事業部の北陸工場(前工程の製造ライン)を合弁会社に移管する。
2014年2月にパナソニックは、同年3月に100%子会社の「パナソニックセミコンダクターソリューションズ株式会社(PSCS)」を設立し、パナソニック株式会社AIS社セミコンダクター事業部の半導体関連事業を同年6月1日付けでPSCSが承継すると発表した。さらに同日付けで、パナソニックの100%子会社である個別半導体メーカーの「パナソニックデバイスディスクリートセミコンダクター株式会社」と、同じく100%子会社で発光ダイオード(LED)メーカーの「パナソニックデバイスオプティカルセミコンダクター株式会社」をPSCSに吸収合併させることを明らかにした。
これらの組織変更によって、パナソニックの半導体事業はPSCSにまとめられた。1社に集約することで競争力の強化を図るというのは建前で、実際には事業の分割と譲渡が加速された。その具体的な姿は、機会を改めてご報告したい。