大河原克行の「パソコン業界、東奔西走」

製品ではなく“顧客の体験”に注力しなければ生き残れない

~PC市場首位Lenovoの語る「顧客から学び改善すること」の重要性

米Lenovo CCEO ユーザー&カスタマエクスペリエンス グローバルマーケティング担当バイスプレジデント ディリップ・バティア(Dilip Bhatia)氏

 Lenovoには、CCEO(Chief Customer Experience Officer)という役職がある。CCEOは、プロダクト(商品)にフォーカスしたモノづくりから、エクスペリエンス(体験)にフォーカスしたコトづくりへのシフトを促進する役割を担い、そのために、顧客の声を聞き、顧客から学び、顧客の体験を改善し続ける活動を、社内に「文化」として定着させることを目指す。いまでは、ThinkPadをはじめとする同社のPCの開発には欠かせない取り組みの1つになっている。

 LenovoのCCEOであり、ユーザー&カスタマエクスペリエンス グローバルマーケティング担当バイスプレジデントであるディリップ・バティア(Dilip Bhatia)氏に、CCEOとしての取り組みと、LenovoのPC開発に、エクスペリエンスに対するフォーカスが、どう活かされているのかを聞いた。

――LenovoのCCEOの役割について教えてください。

バティア氏(以下敬称略): 私は初代のCCEOであり、役割はプロダクトを中心とした従来のカルチャー(文化)を顧客を中心としたカルチャー、体験を中心としたカルチャーへと変化させる「推進役」です。

 そのためには、どうすればLenovoの全社員が、常に顧客の声を聴くことができるようになるか、社内に散在する数々のデータをどうつなげるか、そのための仕組みをどう整備するかといった仕組みやツールだけでなく、顧客の声を理解できるスキルを全社員が持つこと、分析を行ない、それを使いこなせること、そして実行し、反映し、改善し続けることが大切です。

 こうしたカルチャーを社内に定着させることで、体験にフォーカスした企業へと変わることができます。

――なぜ、Lenovoは、体験中心のカルチャーに変わろうとしているのですか。

バティア: 一言でいえば、今や生き残ることができるブランドは体験を追い求めるブランドだけだからです。市場調査会社のガートナーは、「2020年には顧客体験こそがブランド差別化の最大の武器になり、価格や製品による差別化を脇に押しやることになる」と語っています。その考えは私も同じです。

 先日、ランニングシューズを購入しようと思って、シューズ専門店に行きました。5分ぐらいで、サッと購入して帰ろうと思ったのですが、そこで店員と1時間程度話し込んでしまい、その結果、ハーフマラソンにも参加することになり、練習のために、毎週、スポーツジムに通うことになってしまいました(笑)。モノを購入しに行ったつもりが、コトを得ることで、よりスポーツを楽しむことができるようになった。それに伴い、購入したランニングシューズの価値もあがったわけです。

 周りを見回してみると、TeslaにしろUberにしろ、体験に注力した企業が成功を遂げています。日本の家電メーカーであるバルミューダのトースターは、パン屋から買ってきたような焼き立てのパンが家でも食べられるという体験によって成功しているわけです。一方で、Blockbuster(米ビデオレンタル大手)やトイザらスは、製品中心から抜けきれなかったのが失敗の原因です。Blockbusterは、Netflixを5,000万ドルで買収するチャンスがあったのに、製品ばかりに目を向けて買収せずに倒産してしまった。

 こうした変化への取り組みは、ボトムアップではだめで、CEOがコミットメントを持ってトップダウンでやらなくてはなりません。顧客に対して、どのようにすばらしい体験を提供するのか。これを考えない企業は、もはや生き残ることができないと言えます。

 Lenovoは、ロイヤリティが醸成されるような体験を顧客に提供しなくてはならないと考えており、その実現に向けて、「レノボ カスタマ エクスペリエンス ビジョン」を打ち出しています。

――「レノボ カスタマ エクスペリエンス ビジョン」とはなんですか。

バティア: 体験を重視し、ロイヤルカスタマーを獲得するには、顧客から聞く「Listening」、顧客から学び「Learning」、顧客の体験を改善する活動を毎日続ける「Improve」の3つが大切です。これに取り組むのが、「レノボ カスタマ エクスペリエンス ビジョン」です。

 1つめのListeningにおいては、顧客の声を聞くためのさまざまな方法を用意しています。

 たとえば、Lenovoの製品企画や開発チーム、デザインチームは、「法人市場インサイトコミュニティ」、「個人市場インサイトコミュニティ」、「パートナーインサイトコミュニティ」を通じて、4,500人以上の顧客や消費者、パートナーからいつでも声を聞くことができます。それぞれのコミュニティから、「どんな機能が好みなのか」、「このテザインは嫌いか」、「新たな機能に対してはどれぐらいの対価を払えるのか」といった調査が可能です。

 また、200人以上のロイヤルカスタマーが参加し、9つのカウンシルで構成される「カスタマー アドバイザリ カウンシル」では、より深い議論が行なえるようになっています。

 2019年6月にイタリア・ローマで開催した会合では、90人のロイヤルカスタマーに集まってもらい、2日間に渡ってLenovoから今後のロードマップの説明を行ない、どんなフィーチャーを提供するのかを示し、それに対して気に入った点、気に入らない点など、率直な意見を聞きました。また、フォーカスグループによるインタビューでも新たなデバイスに対する意見をもらっています。最近では、折りたたみ式デバイスや、デュアルディスプレイに対する意見も聞きました。

 さらに、リサーチアプリを活用して顧客からのフィードバックを直接得る仕組みも用意しています。気に入っているノートPCはなにか、ノートPCで不便だと感じているところはどこかなどを聞くことができます。なかには、スマートフォンを使って顧客自らが自宅や職場環境を撮影して、アップロードしてくれることもあります。

 また、エスノグラフィック(行動観察)調査も行ない、家庭訪問をして、どんなかたちでノートPCが使用されているのか、どんな音楽を好んで聴いているのか、デバイスが設置されている机の環境はどうなのかということも調査します。

 そのほか、一般的なアンケート調査を法人顧客や個人顧客を対象に実施しており、個人ユーザーの場合にはノートPCなどを購入してから90日以内にアンケートを送付して、良かったところ、悪かったところを教えてもらっています。また、法人顧客からの情報はクラウドに収集され、どんなところが不満足であったかを、26カ国9言語を使って担当営業チームに報告し、このチームが直接法人顧客に連絡して問題解決にあたるようにしています。この仕組みは、日本語にも対応しています。

 こうした仕組みを通じて、Listening、Learning、Improveを行ない、製品開発に反映しています。ちなみに、これらのツールは、PC業界だけでなく、すべての業界に適用できるものだといえます。

レノボ カスタマ エクスペリエンス ビジョン

――具体的にはどんなかたちで製品開発に反映しているのですか。

バティア: ThinkPadは、日本の大和研究所で開発していますが、エンジニアたちは、ここから情報を入手して、商品化に反映しています。

 たとえばThinkPad X1 Carbonでは、高品質のオーディオを実現したのも顧客の声を反映した結果です。「オーディオの品質がノートPCを選んだ決め手の1つである」という声や、「どこへでも持っていき、どこででも音楽を聴きたい」という要望を反映しました。

 Lenovo Yoga C940では「PCをつけているかぎり嫌でも画面が目に入るため、ディスプレイの品質が一番気になる。ディスプレイでPCを選んでいる」という声を活かしましたし、Lenovo Yoga S740では「出張が多いのでバッテリ駆動時間は最低6時間ほしい」、「ノートPCの購入時には、バッテリ駆動時間に加えて、持ち運びやすさ、画面などのハードウェア仕様、そして性能も妥協せずに選びたい」というユーザーの声を反映しています。

 ゲーミングPCのLenovo Legion Y740の開発では、米国、中国の700人のゲーマーを対象に調査を行ない、インフルエンサーやストリーマー、 eスポーツゲーマー、 ハードウェアレビュアーの声も反映しました。

 こうした取り組みの結果が、LenovoがグローバルナンバーワンのPCベンダーであり、法人向けでも個人向けでもナンバーワンのPCベンダーとなっている理由です。今では世界にあるPCの4台に1台はLenovoです。

ThinkPad X1 Carbon
ThinkPad Yoga

――こうした取り組みを開始したきっかけはなんですか。

バティア: もともとThinkPadには、カスタマ アドバイザリ カウンシルのような仕組みがありました。ただ、これは大手企業にフォーカスして意見を聞くというものでした。

 私は2010年から2014年まで、ThinkPadのゼネラルマネージャーを務め、2012年に商品化したThinkPad X1 Carbonも担当しました。私にとって、ThinkPad X1 Carbonは子供と一緒です(笑)。ThinkPad X1 Carbonを発売する前に、別のThinkPadの新製品を発表したのですが、このとき、果たして、ファンの人たちはThinkPadのどんなところが気に入ってくれているのか、どこか期待外れのところがあったのか、ということ聞きたいと思ったのです。

 当時の開発チームは、どちらかというと大手企業の方を向いていて、個人顧客が持っている問題解決にはフォーカスできていませんでした。ゼネラルマネージャーとして、エンジニアやプロダクトマネージャーの声を聞いているだけではダメだと思い、考えたのがビッグデータの分析でした。Amazon.comのLenovoフォーラムをはじめとして、Webで発信されている年間2,000万のコメントを、ビッグデータアナリィクスで分析できるようにしたのです。

 私たちにとって、当時の脅威は、AppleからMacBook Airが登場したことでした。そこで、ThinkPadのデザインをどう変えれば対抗できるかを模索し、その結果登場したのがThinkPad X1 Carbonでした。

 MacBook Airを支持していた人たちはデザイン性に優れている点は評価していましたが、ThinkPadが提供しているキーボードの使い勝手であるとか、落としても壊れない信頼性は確保されていなかった。法人顧客にヒアリングをすると、Macbook Airのようにデザイン性に優れ、薄くて軽いものが欲しいが、落としても壊れない頑丈性があること、信頼性と高性能を両立したものが欲しいという声が多くありました。そうした声を集め、インサイトのなかからThinkPad X1 Carbonが生まれたわけです。

 また2009年にはiPadが登場し、すぐにオン/オフができることを多くのユーサーが評価しました。そして、ディスプレイの表示性能にも優れ、バッリテ寿命が長いことも支持されました。その結果、ユーザーは、PCにもタブレットのような体験を望み始めたわけです。

 そこで登場したのが、2012年に発表したYOGAです。PCとして使えるだけでなく、タブレットのような使い方もできる。開ければすぐにオンになり、閉じればすぐにオフになる。これも、顧客からのコメントやマーケットで得たインサイトによって生まれた製品です。

真のインサイト

――その一方で、多くの意見が集まり、どの意見を採用するのかといった取捨選択で迷うことはありませんか。

バティア: Lenovoの社員は、年間2,000万件のコメントを分析した結果を、カスタマーインサイトダッシュボードで見ることができます。ここでは、顧客が求めている上位5つの要素が上がってくる仕組みになっており、これを参考に、いまのPCにはどんな要素が求められているかがわかります。また、すべての顧客の声は機種ごとに機械学習を活用して分類し、-10点から+10点までの評価をつけることができます。

 これとは別に、ユーザーエクスペリエンスチームが毎年「フォーカス5」を選んで、それに向けたさまざまな調査を行なっています。顧客から挙がってくる声は重要ですが、それだけに頼っているわけではありません。経験が豊富なエンジニアや開発者からも新たなアイデアを出てきます。

 一方、アドバンストイノベーションラボでは、最新のバッテリに関する研究や折りたたみ式デバイスの研究など先進的な技術の研究開発を行なっており、それらの成果も製品開発に反映されます。たとえば、画面折りたたみ式デバイスは、すでに3~4年前から社内のロードマップに載っており、長い期間に渡って研究、開発が行なわれています。

 ただし、顧客が自ら折りたたみ式のPCを欲しいとは言いません。業界のトレンドを見て、そこに向けて開発を進めるということも、当然必要です。組織として、イノベーションを醸成できる仕組みを持つことが前提となります。

 LenovoにとってのコアビジネスはPCです。しかしPCだけをとってみても、大きなマーケットシェアを獲得している製品や速く成長を遂げている製品がありますし、今は市場が小さくとも、今後成長が期待できる製品もあります。たとえば、ゲーミングPCやワークステーション、軽量・薄型PC、Chromebookがそうした製品にあたります。

 そして、将来に向けて投資をしているインキュベーションといえる取り組みも行なっています。プロジェクトに対して、あるターゲットを設定しており、それを達成すれば継続的に資金を投資しますし、達成しなければその予算をほかに仕向けることになります。

 ここで力を入れているのが法人向けAR、教育向けデバイスのほか、電話会議をスムーズに行なえるオフィスソリューションです。これらが将来の成長を牽引してくれることを期待して投資をしています。

 こうした自ら研究開発への取り組みがあり、そこに、顧客の声を聞き、学び、改善を加え続けるという活動を組み合わせているわけです。

顧客フィードバックをグローバルに社内展開
ThinkPad X1 Fold

――グローバルの視点から見れば、日本のユーザーからの声は、品質面などで過剰すぎる部分はありませんか(笑)。

バティア: 私は、かつて別の会社に勤めていたことがあったのですが、その会社では、新製品を出すさいに必ず日本にプロトタイプを送り、問題をすべて洗い出してもらい、対処策を講じてから世の中に出すということをしていました。

 確かに、日本に適したプロダクトを作り出すために、プロセスを1つ増やすということもあります。必要であれば、日本の市場に向けた修正を行なうことになります。日本のユーザーは品質に厳しく、日本から学ぶことは多くあります。それを反映することで、品質に関わる指標は大きく改善されています。

 Lenovoでは、新製品を出したときに発売から90日以内に何件の苦情があがったかということを見ています。その結果、品質においては99%以上の成果があがっています。私の基本的な考え方は、お客様が言っていることは正しい。だから、聞いて、理解して、市場に適した製品を提供しているわけです。

 日本のユーザーからはもっとたくさんの声をいただきたいですね。すばらしい体験を提供するためには、まず聞き、学び、改善することが大切です。それを実現した製品を提供すれば、最終的には、会社の業績にもプラスの貢献を果たすことになります。

――顧客の声を聞いた結果、PCをはじめとする各種デバイスの開発では、今後どんな点が重要になりますか。

バティア: 顧客の声を聞いた結果、ユーザー体験の基本軸は、「時間」、「楽しさ」、「コネクション」の3つに集約されると考えています。また、あちこちに散らかった情報を簡単に探せる体験を求めており、そのための解決策が必要です。

 そこでは、音声入力が鍵になるともいえます。1分間に入力できる語数は40語ですが、1分間に発話できる語数は150語。ガートナーでは、 2020年までにWeb操作の30%が音声化すると予測を出しています。今後は音声にビジネスチャンスであると考えています。

 また、スマートホームに求められる体験はシンプルなソリューションであり、日々の生活が楽になることが最優先のテーマです。今のような、あらゆる選択肢があって混沌とした状況からは逃れたいと思っています。

 一方、オフィスではビデオを活用することが顧客体験の向上につながります、経営層の73%が 「リモート会議は音声だけでなく動画がほしい」という調査結果がでているように、将来のワークプレイスに求められる体験の1つがビテオです。

 また、新たなデバイスの活用も増えてくるでしょう。すでにエアバスでは、飛行機の保守やメンテナンスの時間を最小化して、飛行機を飛ばしている時間を増やしたいと考えており、ARなどの最新ハードウェアとスケーラブルなソフトウェア基盤を組み合わせたLenovo ThinkRealityによって、保守やメンテナンスの領域で成果を生んでいます。

――体験にフォーカスしたカルチャーは、Lenovo社内にどこまで定着したと判断していますか。

バティア: エクスペリエンスを提供するためには、聞いて、理解して、学び、感情に同調し、常に改善のアプローチをすることが大切です。そのためには、顧客の声を聴く仕組みやツール、それを活用する社員のスキル、そして、つねにエクスペリエンスを意識する社員のマインド、企業への文化としての定着が必要だと言えます。

 このなかで一番重要なのは、カルチャーとしてどれだけ定着したかということです。これができれば、社員の意識改革も進み、技術を活用した最適なツールも生み出すことができます。カルチャーとマインドセットが醸成されれば、技術や仕組みがついてくるというわけです。

 今のLenovoをカルチャーの定着という点で自己採点すれば、10点満点で5点ぐらいですね。スキルとツールは2.5点。まだまだ緒についたばかりですし、まだまだ進化できると考えています。

 そして、顧客体験そのものには終点がなく、長い旅路であり、常にお客様から学ばなくてはなりません、また、体験はつねに改善していかなくてはなりません。それはなぜか。顧客自身が変化しており、われわれはその変化に順応しなくてはならないからです。

 1995年以降に生まれたZ世代が、どんどん労働市場に入ってきています。彼らは、40代、50代とは異なったテクノロジーへの接し方をしており、その変化に順応しなくてはなりません。

 Lenovoは、今はマーケットではトップシェアですが、そのポジションに満足してはいけません。つねに、より高みを目指し、より改善をしていかなくてはなりません。会社のビションは、すべての人によりスマートな技術を提供することであり、インテリジェントトランスフォーメーションを成し遂げることです。インテリジェントトランスフォーメーションを実際に体験するのは顧客であり、それを実現するためには、我々は1つの場所に留まっていてはダメなことは明らかです。

 顧客体験そのものに終点がないということを考えると、きっと1年後に同じ質問をされても、採点は同じ点数かもしれませんね(笑)。